第411話 地鳴り


 足元に転がる骨が乾いた音を立てて割れると、洞窟の入り口に立っていることに気がついた。ふと視線を落とすと、胸に抱いていた瀬口早苗が苦しそうに咳き込むのが見えた。

「カグヤ」

『ここだよ』私の声に答えるように、カグヤの操作する偵察ドローンが姿を見せる。

 私は薄暗い洞窟に視線を走らせながら訊いた。

「俺たちは洞窟の入り口に戻されたのか?」

『状況から見て、そうだと思うよ。けど説明の難しい現象も起きている』

 通知音が内耳に聞こえると、網膜に投射されていたインターフェースに現在時刻が表示される。時間を確認すると、ハクたちと別れてから数分もたっていないことが分かった。


『私たちが洞窟に侵入してから十分も経ってないみたい』とカグヤが言う。

「……俺たちはずっと幻覚を見せられていたのか?」

『全てが幻覚だった訳じゃない。瀬口早苗もそこにいるしね』

 カグヤはそう言うと、洞窟に散乱していた骨の側までドローンを飛ばして、盛りあがるように骨の間から顔を出していた赤茶色の砂をスキャンした。

「肉塊の化け物と繋がっていた『泥の根』か?」

『うん。今は砂に変わっちゃったけど、確かに私たちが追ってきた根だよ』

「肉塊の化け物が死んだことで、泥の根も無害な砂に変化したのか……」


『ねぇ、レイ』とカグヤが言う。『ここは現実の世界なのかな?』

 名も無き美しい女性が最後に見せた微笑みを思い出しながら私は言った。

「正直、もう何も分からないよ」

 この洞窟に入ってから経験したことの全てが、夢幻だったと言い切るほどに、愚かなフリを続けることはできなかった。それに、それらの『現象』を否定する材料が無い以上、私は何処かで折り合いをつけなければいけないのだ。

 胸の奥に抱えていたモヤモヤを一時的に心から閉め出すと、その場にしゃがみ込んで装備の確認を行う。


『レイ、彼女にもらったクリスタルは?』とカグヤは言う。

「血液の結晶だったな。確か、トロ……」

『トロォヴァーリ』

 ベルトポーチを確かめると、十五センチほどの細長い遺物が入っていることが確認できた。遺物は紺碧色の淡い光を帯びていて、半透明な結晶の内部でぼんやりと光が瞬いているのが確認できた。

「大丈夫だ。遺物は手元にある」

『良かった……装備は?』

「防弾ベストとライフルの予備弾薬、それに各種グレネードは塵になった。けど、ライフルとハンドガンの残弾には余裕はある。それに――こいつも無事だ」

 私はそう言うと、ベルトポケットから『お守り袋』を取り出した。それはフクロウ男に手渡されていたものだった。

『レイを守ってくれたお守りだね』

「ああ。あとで調べてみようと思う」


 まだ意識がハッキリとしていない瀬口早苗を抱き直すと、私は立ち上がる。

「ハクとイーサンが心配だ。すぐに移動しよう」

『大きな問題が起きていないことを祈ろう』とカグヤが緊張した声で言う。

 必要以上に静まり返った洞窟をあとにする。その際、洞窟の入り口に張り巡らされていた奇妙な膜が無くなっていることに気がついた。洞窟の主がいなくなったことで、洞窟が持っていたある種の神聖性が失われたのかもしれない。薄暗い洞窟からは、強迫観念のように不安を煽る威圧的な恐怖は感じられなくなっていた。


 砂煙の舞う荒野の向こうに白蜘蛛の姿が確認できたが、泥の根が吐き出していた玩具の兵隊の姿は何処にも無かった。

「兵隊の姿が見えないな」

 カグヤは足元で崩れていく泥団子をドローンにスキャンさせながら言った。

『本体を失くしたことで、泥の根から生み出されていた化け物も一緒に死んじゃったのかな?』

「俺たちが見てきた化け物の全てが、あの泥の塊のような生物が生み出していたものだとしたら、地下施設の安全も確保されたことになる」

『施設の監視カメラを使って確かめてみるよ』


 砂山に変化した根を熱心に掘っていたハクは、私の存在に気がつくと、こちらに向かって一気に跳躍してきた。

『レイ、みつけた!』と、ハクの機嫌の良いコロコロとした声が聞こえる。

「ハク、怪我は無いか?」

『けが、ない』

 ハクはそう言うと、腹部を震わせて体毛についた細かい砂を舞い上がらせる。

「ハク、化け物がどうなったか分かるか?」

『やっつけた』

「ハクがあの大群を倒したのか?」

『うん。きえた』ハクはそう言って触肢を擦り合わせる。『それ、なに?』

「チハルたちの母親だ」

『母!』ハクは声をあげると、瀬口早苗にパッチリとした大きな眼を近づける。

 

「イーサンは無事か?」

 私がそう訊ねると、ペタペタと触肢の先で瀬口早苗に触れていたハクが言う。

『やすみ、してる。きて』

 ハクのあとについて歩いて行くと、岩に背中を預けた状態で座っているイーサンの姿が見えた。戦闘の激しさを物語るように、彼の戦闘服は赤茶色の砂埃に汚れ、防弾ベストもあちこち裂けていた。短時間の戦闘だったが、化け物の大群と至近距離でやりあったのだから無理もない。

「イーサン、大丈夫か?」

「なんとかな」イーサンは息をついて、それから金色の瞳を私に向けた。「それは瀬口早苗か?」 

「そうだ」私はそう言うと、イーサンのライフルにちらりと視線を向けて、それから瀬口早苗を抱き直した。

「レイ、もう一度聞かせてくれ。本気で彼女を連れて帰るのか?」

「子供たちには母親が必要だ」

「得体の知れない生物が変異している生命体だとしても?」

「それでも、彼女が持つ母親としての愛情は人間と変わらない」


 イーサンはじっと私の瞳を見つめながら何かを考えて、それから言った。

「そうだな……彼女の心根を信じてみよう」

 ハクに頼んで瀬口早苗を背負ってもらうと、私はイーサンの側にしゃがみ込んだ。

「怪我をしたのか?」

「奴らのヘンテコな銃で足をやられたが問題ない」

 イーサンの太腿には銃創があって、そこだけ戦闘服に穴ができていた。幸いな事に、玩具の兵隊が撃ち出した肉の塊は貫通していて、体内に残っていなかった。

「オートドクターは?」

「使わせてもらったよ。だから心配するな」

『しんぱい、するな』とハクは私の肩に触肢をトンとのせる。

「化け物の本体はどうなったんだ?」とイーサンは言う。

「死んだよ」

「奴らが消えたのは、本体をやったからなのか?」


『そうみたいだね』とカグヤの声が聞こえた。『生きてる監視カメラを使って施設内を確認したけど、肉塊の化け物は干からびて砂に変わったよ。施設内を徘徊しているのは人擬きだけ』

「地上に拡散する心配は無くなったな」私はそう言うと、ホッと息をついた。

「けど地下区画の安全はまだ確保できていない」とイーサンは言う。「壁を塞ぐためにも、すぐに施設に戻った方がいい」

『そうだね。接触接続でセキュリティプロトコルの確認をする必要がある』

「歩けるか?」そう言って私はイーサンに手を差しだした。

「治療の途中だが、スキンスーツが身体の動きを補助してくれる。だから問題ない」イーサンは強がってみせると、私の手を取って立ち上がる。


 ハクの身体にしっかりと瀬口早苗を固定すると、我々は砂に変化した泥の根を辿るようにして来た道を引き返した。途中、翼竜に似た生物と戦闘になった場所を通ったが、凝固が始まった赤黒い血溜まりがあちこちに残っていただけで、砂の上に横たわっていた大量の死骸は何処にも無かった。

 それから我々は空間の歪みを目指してひたすら歩くことになったが、ハクが得意げに戦闘の様子を語ってくれたので退屈することは無かった。ハクがたどたどしい言葉で自分自身の活躍を語り終え満足すると、私は洞窟内で起きたことを話した。ハクとイーサンの興味を引いたのはトロォヴァーリだった。


 ハクがトロォヴァーリの発音に苦戦していると、ペパーミントからの通信が入る。

『子供たちは無事に拠点に送り届けたわ』

「お疲れさま、ミスズたちも無事か?」

『ええ。何度か大猿の群れと戦闘になったけど、部隊に負傷者は出なかった』

「良かった」私は安心してホッと息をついた。戦闘慣れした部隊だったので大丈夫だろうと考えていたが、異界の化け物相手に楽観視するのはやはり難しい。「それで、爆撃に関する計画は順調か?」

『ええ。軍のデータベースに限定的に接続したウェンディゴを介して、私たちが必要な爆弾を抱えている機体の位置も把握できたわ。爆撃機が横浜の上空を通り過ぎる際には、レイに知らせる」

「了解。俺たちも施設に戻っている途中だから、施設の機能を回復させて、封鎖が済んだら連絡するよ」


 二十メートルほどの巨石が立ち並ぶ奇岩地帯を歩いている時だった。立っていられないほどの振動と共にずっと遠くから空気を震わせる轟音が聞こえてきた。

「レイ! あそこだ!」イーサンは驚き、珍しく声をあげる。

 奇岩地帯のずっと向こうに砂煙が立ち昇るのが見えたかと思うと、巨大な化け物の姿が見えた。どうやら地鳴りは、地中から出てきている化け物の所為で発生しているようだった。その恐ろしく巨大な生物の周囲には、翼を持った生物が数え切れないほど飛んでいた。

『姿なきものたちだ!』とカグヤが驚く。

 翼竜が集まっているのかと思ったが、どうやら『姿なきものたち』の大群が怪獣のように巨大な生物を取り囲んでいるようだった。


 胡桃色の傷だらけの体表をもつ巨大生物は、胴体よりも短い二本の足を持っていて、厚い筋肉で覆われた太い腕は、地面に届くほど長かった。その怪獣の正確な体高は分からなかったが、百メートルは優にありそうだった。そして怪獣は異様な頭部を持っていた。牡牛の角を持ったイノシシのような頭をしていて、鼻の先から縦に割れるように開いた口には、曲がりくねった無数の牙が生えていた。

 巨大生物は身体にたかる羽虫を払うように、腕を大きく振った。その凄まじい衝撃だけで数十体の『姿なきものたち』を地面に叩き落とし破裂させていたが、巨大な翼を背中から生やしていた『姿なきものたち』は正体不明の奇跡を使って怪獣を攻撃し始めた。


 怪獣が巨大な腕を振り上げたとき、甲高い音が数回響いた。すると雲を散らすほどの凄まじい衝撃波が生じて、怪獣の前腕が千切れ、回転しながら我々のいる奇岩地帯に降ってきた。そして騒がしい破壊音と共に数十メートルの奇岩に腕が突き刺さる。巨大な鉤爪がついた指が奇妙な角度に折れ曲がっているのが見えた。

「マズい」とイーサンが慌てる。「すぐにここから離れるぞ!」

 痛む足を引き摺りながらイーサンが駆け出すと、私とハクもイーサンのあとに続いて走った。そして流れ落ちる滝が立てるような轟音がして、四十メートルほどの巨大な腕から深緑色の血液が噴き出す。

「ハク!」と私が声をあげると、白蜘蛛はイーサンを抱えて奇岩に跳びつく。

 私も全力で跳びあがると、岩に手をかけながら奇岩を上っていく。すると我々が先程まで走っていた場所を、濁流のような深緑色の血液が通り過ぎていく。


 巨大な腕は痙攣しているのか、時折、鉤爪のついた指を動かしながら血液を噴き出し続けていた。

「大丈夫か、イーサン」と奇岩の頂上に登った私は言う。

「間一髪だった」イーサンはハクに感謝すると、遥か遠くの荒野で戦闘を続けていた怪獣に視線を向ける。

 我々はしばらくその場に留まり、恐ろしい化け物の争いを見守ることにした。巨大な生物は傷つきながらも『姿なきものたち』を殲滅することができたが、身体中に負った傷の所為で大量の血液を流し続けていた。腹からはグロテスクな内臓が飛び出し、首からは噴水のように血液が流れていた。やがて怪獣も地響きを立てながら倒れた。


「行こう」

 ハクに声をかけると我々は地上に戻り、血溜まりを避けながら歩いた。引き千切れた巨大な腕を見ていると、遠近感がおかしくなったような錯覚がした。

『姿なきものたちは、まだこの辺りをうろついていたんだね』とカグヤが言う。

「そうだな。早く施設に戻って、異界に続く門を閉じないと大変なことになる」

『あの怪獣、すごく大きかったね』

「ああ……」

『あれが穢れを纏う悪魔だったのかな?』

「どうだろうな……でも、そうだとしたら、この世界が荒廃した理由に納得がいく」

『他にもいるのかな?』

「いるだろうな」

 さすがのハクも怪獣の登場に驚いたのか、口数が少なくなった。


 それからは何事も無く、空間の歪みが発生している地点まで戻ることができた。我々は空中に浮かぶ空間の亀裂に入っていく。まるで水中に沈んでいくような僅かな抵抗と共に、服を通して肌に冷たい膜が触れる感覚がする。

 無事に地下施設に戻ったことを確認すると、私は空間の歪みを発生させていた装置の制御盤に触れ、接触接続で操作を行う。

〈セキュリティプロトコルを確認……〉

〈システム稼働を確認……〉

〈今すぐコマンドを実行しますか?〉


 ディスプレイに表示される項目を確認しながら、施設のセキュリティロックダウンを解除していく。多数の警告が表示されると、システムが復旧したことを知らせる通知が表示され、同時に施設で発生している問題に関する膨大なログが画面に表示されていく。

『作業用ドロイドの起動を確認したよ』とカグヤが言う。『これで施設の壁に開いた穴の修復が始められる』

「了解」私はそう言うと、空間の歪みを発生させていたリング状の装置に視線を向ける。そして装置が完全に停止したことを確認すると、私はそっと息をついた。

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