第410話 遺物
激しさを増していく戦場を見ながら、私は女性に訊ねた。
「この戦闘はどうなったんだ?」
『古代種の大敗で終わった。戦争が終わると『姿なきものたち』は世界に散らばっていった。そして古代種の都市を滅ぼしながら、混沌の勢力も壊滅させた』
彼女がそう言うと、視線のずっと先で続いていた戦闘が、まるでタイムラプス動画を見ているように流れ始める。古代種は生存のための戦いを諦めず、激しい戦闘は続けていた。古代種が放つ雷のような閃光が瞬くと、混沌の生物と共に数体の『姿なきものたち』が塵に変わる。しかしその戦闘も、厚い雲の奥に見え隠れしていた青い恒星が、荒野の向こうに沈む前に全ての決着がついてしまう。
古代種の戦士たちは全滅し、戦闘を生き延びた僅かな混沌の生物も、怯えるように戦場を離れ大地の底に逃げた。大量の死骸が横たわる戦場に最後まで立っていた『姿なきものたち』は、翼竜の翼によく似た翼を背中に生やすと、何処かに飛んでいってしまう。
大規模な戦闘のあとに残されたおびただしい数の死骸をぼんやりと眺めていると、何処からともなく色とりどりに発光する蝶が現れて、死骸の側で風に流されながら舞っていた。そして翅を休めるように死骸の上に止まると、その死骸は燐光を帯びて燃えていった。その光景は戦場の至る所で確認できた。
あれだけ熾烈で凄惨な殺し合いが起きていた戦場に似つかわしくない、どこか幻想的で、物悲しい光景が広がる。
『どうして私たちに『姿なきものたち』について警告してくれたの?』
ふとカグヤがそんなことを訊ねると、女性は戦場に横たわる死骸に目を向けた。
『意味なんて無い、警告するべきだと思ったから教えた。ただそれだけ』女性は素っ気無くそう言うと、態度を変え、微笑んでみせた。『ねえ、レイラ。その死骸に攻撃してみて』
「はい?」困惑した私が間抜けな声を出すと、アジョエクは槍で貫いていたマネキン人形のような生物を私の足元に放り投げる。
『あなたたちの兵器が、そいつに通用するのか確かめたいの』
私は肩をすくめると、死骸にライフルの銃弾を撃ち込んだ。しかし銃弾は『姿なきものたち』が持つ岩肌のような、ゴツゴツとした肌の表面を削ることしかできなかった。アジョエクが槍で簡単に刺し貫いていたから、銃弾でもいけると考えていたが、どうやらアジョエクが規格外の力をもっているだけのようだった。
『全然ダメね』と女性が言うと、私は何故かムキになる。
ライフルを下げると太腿のホルスターからハンドガンを抜いて、生物に貫通弾を撃ち込んだ。けれど結果は良くなかった。
『弾丸は食い込んだけど、致命傷にはならないかも……』と、死骸をスキャンしたカグヤが言う。
「重力子弾を使った狙撃なら、やれると思うか?」
『大丈夫だと思うけど、じっとしていてくれるかな?』
戦場を跳び回っていた生物の姿を思い出すと、私は溜息をついた。
『それなら、これを使って』
女性はそう言うと、透明度の高い水晶を手の平に出現させる。
『古代種が奇跡を起こすのに使っていたクリスタル?』とカグヤが訊くと、女性は得意げに頷いた。
『ええ。これがあれば、あなたたちの兵器に特別な能力を付与することができる』
『あの雷みたいな奇跡を使うことができる?』
『そこまで強力な攻撃はできない。貫通力を高めてくれる程度かな』女性はそう言うと、私に向かって腕を伸ばした。『受け取って、レイラ』
「貴重なものなんだろ?」
私がそう訊ねると、美しい女性は艶めかしい微笑みを見せる。
『古代種にとっては貴重な遺物だったのかもしれないわね。今も彼らの宝物庫には、こういった不思議な遺物が多く残されているんだから。でも彼らは全てを残して滅んでしまった。このまま砂に埋もれるのなら、あなたたちが使った方がずっと良いと思わない?』
私は頷くと、綺麗な水晶を受け取った。
「ありがとう」
女性は濃紅色の瞳を発光させて微笑むと、昆虫の鳴き声にも似た小さな声を出してアジョエクに向かって何かを言った。アジョエクは言葉に答えるように、槍の石突で地面を叩くと『姿なきものたち』と呼ばれる生物の足を掴んで、女性の側まで死骸を引き摺っていった。
『トロォヴァーリを使うには、特別な儀式が必要になる。だから私についてきて』
女性はそう言うと、私を庇って腕だけになっていたアジョエクの身体を、まるで時間を戻すように瞬く間に再生させる。そして二体のアジョエクを従えて歩き出した。
「トロバーリって、このクリスタルのことか?」
私は女性のとなりを歩きながら、そう訊ねた。
『トロォヴァーリよ、舌を巻いて発音するの』
「……トロォヴァーリ?」
『ええ。神々の魔力を封じ込めた遺物よ』
女性はそう言うと、私に微笑んで見せた。
「魔力って……もしかして俺を揶揄っているのか?」
彼女は肩をすくめて、それから言った。
『魔力なんてものは存在しない。そう言いたいのでしょ?』
「ああ」
『なら奇跡を秘めた遺物ってことにしましょう。雷を封じ込めた遺物でも良いわね』
「本当はどういうものなんだ?」
『神々の血液が結晶化したもの』と女性は言う。
「神?」
『そう。神々の血液には奇跡が宿っている。古代種は……そうね、あなたたちの言葉で簡単に分かるように説明するなら、古代種たちはトロォヴァーリに接続し、その能力を引き出すためのアクセス権限をもっていたの』
「血液の能力を引き出す術をもっていたのか」
『ええ、でも意外ね、神々の血液には驚かないんだね』
私は手の平に収まる十五センチほどの遺物を見ながら言った。
「以前、異界を旅しているときに、神の血を受け継ぐ男に会ったことがあったんだ。その男が言うには、異界には神々の血液によって特別な能力を授かったものたちが存在していて、魔法や奇跡を自由に使うことができるって聞いていたんだ」
『へぇ、レイラはそんな人にも会っていたんだね』
「知っていると思っていたよ」
『レイラの欲望を形にするのに必要な情報しか、私は手に入れることができない』
「そうだったな」と私は苦笑する。
『それなら』とカグヤは訊ねた。『トロ……トロォヴァーリは、他にもあるの?』
『神々の血液が結晶化したものが『トロォヴァーリ』ではないの』と女性は言う。『トロォヴァーリは、あくまでもこの遺物の名前』
『遺物の名前……つまり、そのクリスタルは他にも沢山あるの?』
『もちろん』と女性はこくりと頷く。『黒い炎を吐き出す遺物もあれば、身体の傷を瞬く間に癒す遺物も存在する』
『それも、古代種たちの宝物庫にあるの?』
『ええ。さっきの戦場にも幾つか転がっているかもしれないわね』
『そっか……』
『欲しかったの?』
『うん』
『戻って回収する?』
『回収したい!』とカグヤが妙に張り切るが、女性はそんなカグヤの反応を楽しむように笑って見せた。
『冗談よ。それに忘れたの? この世界は私が創り出した過去の世界なの。だから遺物は戦場に残っているかもしれないけど、現実の世界では砂に埋もれてしまっていて、何処にあるのか見当もつかない』
我々は街道から離れるように荒涼とした平原を歩いた。混沌の勢力によって生き物は狩り尽くされていたのか、そこに生命の気配を感じることはできなかった。しばらく何もない荒野を進むと、恐ろしく巨大な像が横倒しになった状態で、赤茶色の砂に半ば埋もれているのが見えてきた。その像はトカゲにも似た古代種の立像で、二十メートルほどの高さがあった。
立派な立像の側には灰色の高い石組の壁があって、その壁の向こうは砦になっているようだった。しかし壁は崩されていて、砦内の広場には古代種の死骸と、腐り始めた混沌の生物の死骸で溢れていた。
『戦争が始まる前は、この世界もこれほど荒廃していなかったのよ』
女性がそう言うと、我々の周囲は丘陵地帯に変わる。緑の草と赤茶色の土の層の下には白亜の断層があるのが見えた。深い谷底に続く道の脇には、古代種たちの立像が並び、その奥には黄金色に輝く神殿のような建造物が見えた。
「古代種と混沌の軍勢は、いつから戦争をしていたんだ?」と私は女性に訊ねる。
『混沌の領域からの侵略は、本格的な戦闘が始まる数十年前から行われていた。でも世界が荒廃してしまったのは、数年前から』
「その短い期間に何があったんだ?」
『地の底から恐ろしい悪魔がやってきた』
『悪魔?』とカグヤが疑問を口にする。
『穢れを纏った怪物よ。触れるもの全てを穢し、そして呪い殺す怪物。山のような巨体を持っていて、いつも腹を空かせていた』
『その怪物は、今も何処かにいるの?』
『ええ。この世界は広いから、きっと何処かで獲物を探し歩いているはずよ』
『それは怖いね』カグヤの言葉に、女性はただ肩をすくめた。
我々は渓谷を越えて緑の草原が広がる場所に出た。視線のずっと先には、深い森に囲まれた高く垂直に切り立った大地が見えていて、その頂上にはタマゴタケのような、大きなカサを持ったキノコに似た巨大生物が密集していた。
『レイラ、こっちだよ』
女性の言葉に返事をすると、私は数百メートルほどの高さがある雄大な大地から視線を外し、彼女のあとを追って歩いた。
『さて』彼女はそう言うと、目の前にある祭壇に視線を向けた。
小さな祭壇は花崗岩のような石材で出来ていて、緑の苔に覆われていた。そしてその祭壇の奥では、巨大な火柱が立っていた。
『古代種の死体?』と、カグヤは驚いた。
まるで薪をくべるように、火柱のなかには古代種の死骸が大量に積み重ねられていた。
『レイラ、トロォヴァーリを』
女性が差し出した手に遺物をのせると、彼女はそれを炎の中に投げ入れた。
「儀式をするんじゃなかったのか?」と、私は彼女の行動に困惑しながら訊ねた。
『これがその儀式なのよ』
女性はそう言うと、昆虫の鳴き声に似た奇妙な声を出す。するとマネキン人形のような生物の死骸を引き摺っていたアジョエクは、その死骸を炎を中に投げ入れた。
勢いが増した炎を見上げながら私は訊ねた。
「それで、これからどうするんだ?」
『炎が全てを灰に変えるまで待つの』
「どれくらい待てばいいんだ?」
『この炎は特別だから、数十年は待つ必要がある』
私がゲンナリして顔をしかめると、女性は笑う。
『心配しなくても大丈夫。これから現実の世界に帰るから』
「その頃には、炎が消えている?」
『ええ』
「それがたとえ過去であっても、自分が創り出した世界を通して、現実の世界に影響を与えることができるのか?」
『そうだけど、それが?』と女性は頭を傾げた。
「出鱈目な能力だな」
『だから古代種は私を神として崇めたんだよ』
まるで霧が晴れるように、目の前の光景が変化していく。緑の広がる草原は荒涼とした大地に変わり、祭壇は崩れ、火柱が立っていた場所は赤茶色の砂に埋もれていた。視線を切り立った大地に向けると、そこにキノコのような巨大生物はいなかった。森も無くなり、赤茶色の肌が剥き出しになった巨石が転がっているだけだった。
「古代種は」と、私は女性に視線を戻しながら訊ねた。「それを戦争に利用しようとしなかったのか」
『私の能力を?』と女性が言う。『死に場所としては選んでくれたみたいだけど、戦争の助力は求められなかった』
「どうして?」
『怖かったのかも』
「何が?」
『私の能力を使えば、世界のありようを変えることはできたのかもしれない。でも全てが終わったときに、果たしてそこが現実の世界なのだと証明することが彼らにはできなかった。その術を持っていなかったの。だから私を頼らなかった』
「現実の世界か……」
『そう』
カマキリに似た姿をしたアジョエクは、腹部にギッシリと詰まった粒状の物体を揺らしながら小さな砂山の中に腕を入れると、紺碧色に変化した遺物を取り出した。そしてそれをもって私の側にやってきた。
「ありがとう」そう言って遺物を受け取ると、アジョエクは眼の無い頭部を私に向け、大顎をカチカチと鳴らした。
『トロォヴァーリの使い方は簡単』と女性は言う。『能力を付与したい兵器に触れながら、トロォヴァーリの名を口にすればいい』
「トロォヴァーリ」
そう言ってライフルに遺物を押し付けたが、何の反応も無かった。
『もう一度』
女性はそう言うと、遺物を握っていた私の手に、自身の手を重ねた。すると今度はライフル全体が青白い光に包まれた。それは一瞬の出来事だったが、確かに反応があった。
『これで大丈夫。能力は付与された』
ライフルを構えて適当に銃弾を発射すると、青白い淡い光を帯びた弾丸が発射される。確かに貫通力は強化されているようだったが、弾丸の消費量に変化が無かったことが気になった。
『代償なら無いわよ』と女性は言う。『レイラは文字通り、奇跡を使ってみせたんだよ。それにトロォヴァーリを発動させるための代償はすでに支払った』
「さっきの大量の死骸のことか?」
『そうだよ。儀式は済んだ』
私は手の中で遺物を転がし、それから疑問を口にした。
「武器に能力を付与できる回数に制限はあるのか?」
『レイラが使用する兵器に詳しくないから、何とも言えないかな。何か気になることがあるなら、あなたのペパーミントに調べさせればいいんじゃないかな』
「俺たちの知る技術とは根本的に異なるものだから、そもそも何を調べればいいのかも分からないよ」
『何とかなるよ』女性はそう言うと、身体を伸ばすように空に向かって腕を伸ばした。『私たちはもう行くよ。レイラとカグヤに伝えたかったことは伝えたし』
「色々と助かったよ」
私の言葉に美しい女性は笑みを見せる。
『刺激的な出会いだったでしょ?』
「ああ」と、私は思わず苦笑いを浮かべる。
『レイラとはこれからも会う機会があるし、仲良くしておいて損は無いからね』
「また会う?」
『それまで楽しみにしていてね』
女性がアジョエクを従えて歩き出すと、カグヤが慌てながら訊ねた。
『私たちは現実に帰ることができるの? それとも、あなたの創り出した世界に帰るの?』
女性は妖艶な微笑みを浮かべると、何も言わずに消えていった。
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