第409話 戦争


 石柱内部で蠢いていた巨大な肉塊が、徐々に干からびながら固まっていくと、足元に広がる脳のような物体と共に赤茶色の細かい砂になって崩れ去っていった。すると朱色にぼんやりと灯っていた洞窟内の光源が消え、一瞬で周囲が真っ暗になる。マスクの機能を使っても何も見ることのできない、不自然で恐ろしい暗闇が洞窟を支配する。恐怖に思わず身体が強張るが、すぐ近くで青白い光が灯る。


『レイ、大丈夫?』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、機体の表面を発光させたドローンが飛んでくる。

「ああ、ホッとしたよ。それより、彼女の姿が見えない」

『機体の動体センサーを使っても、周囲の状況は分からない』

「ここは――」

 口を開いた瞬間、閃光が目に飛び込んでくる。余りの眩しさに私は瞼を閉じ、次に開いたときには荒野に立っていた。

『レイ、瀬口早苗がいない!』と、カグヤが驚いて声をあげる。

 先程まで抱きかかえていた瀬口早苗がいなくなっていたのは確かだったが、それよりも先に驚くことがあった。

「ここはどこなんだ?」


『地上よ』と女性の声が聞こえる。

 砂塵に煙る荒野に視線を向けると、スケイルアーマーと呼ばれる金属片を鱗状に繋ぎ合わせた金色の胸当てと、やけに短い腰巻をしている女性が立っているのが見えた。彼女の側には巨大な槍を持った二体のアジョエクが佇んでいる。裸同然の恰好をした女性の近くに、外骨格に覆われたカマキリにも似た化け物が立っている異様な光景に圧倒されながらも、私は女性に訊ねた。

「瀬口早苗はどこに?」

『サナエのことは気にしないで、安全な場所にいる』彼女はそう言うと、アジョエクを従えて歩き出した。『ついてきて、レイラとカグヤに見せたいものがあるの』

『レイ?』とカグヤが不安そうな声を出す。

 私は肩をすくめると、化け物を従える美しい女性のあとに続いて歩いた。


 我々の右手に見える高台には巨大な城壁に囲まれた壮麗な都市があって、黄金色に輝く屋根を持つ塔が幾つも建っているのが見えた。ローマ帝国の古代都市を思わせる美しい都市だったが、都市の城門に続く石畳の街道には、無数の人型生物の死体が積み上げられているのが確認できた。数百体の死骸を積み上げてつくられたと思われる小高い山は、街道の至る所にあって、騒がしい羽音を立てる羽虫と共にスカラベに似たニ十センチほどの甲虫が死骸にたかっていた。


 街道を横切る際、身体を綺麗に切断された人型生物の死骸が横たわっているのを近くで観察することができた。その生物はコモドオオトカゲそっくりの頭部を持っていたが、人間のように左右対称の身体を持つ二足生物で、精巧に造られた金属製の鎧を身につけていた。硬い鱗に覆われた皮膚を持ち、どの個体も二メートルを超える巨体だった。それらの生物のほとんどが死んでいたが、街道に並べられた丸太に生きたまま串刺しにされている生物もいて、彼らは通り過ぎていく我々に虚ろな瞳を向けていた。


『古代種よ』美しい女性はそう言うと、アジョエクと共に死骸の間を縫うように歩いて断崖に続く小高い丘に向かう。

「彼らがこの世界の支配者だったのか?」

『混沌の軍勢が他の領域から攻めてくるまでは、彼らがこの世界を支配していた。人類にはトカゲにしか見えないでしょうけど、彼らは優れた文明を持っていた。今から見せるのは、古代種の最後の軍が混沌の軍勢に破れた日の出来事』

「混沌? 古代種はすでに絶滅したんじゃないのか?」

『したわよ。レイラたちも彼らの都市遺跡を見たでしょ?』

 荒野で見た都市のことを思いだしていると、カグヤの声が聞こえた。

『それなら、私たちは過去にいるの?』

 女性は頷くと剣帯に手をかけた。

『私たちが見ているのは、かつての戦争を生き延び、そして夢を見続けるために私の糧になることを自ら選んだ古代種たちの記憶を繋ぎ合わせて創った世界。そこにあなたたちを連れてきた』

『私たちに何を見て欲しいの?』

『戦争よ』


 女性が指差した断崖の先は盆地になっていて、そこでトカゲにも似た数千の人型生物が隊列を組み、大地を埋め尽くす数万の『混沌の子供』たちと戦闘している様子が見えた。

 古代種と呼ばれる人型生物と壮絶な殺し合いをしていた混沌の子供たちは、死人のような青白い肌をしていて、血管や筋繊維、内臓までもが透けて見える半透明の皮膚を持っていた。醜い頭部には頭髪が無く、眼に相当する器官もついていなかった。耳の先は尖っていて、大きな鼻は鷲鼻で、ギザギザの鋭い歯が生えた口は、耳元まで裂けるように広がっている。頭髪のない頭部同様に、混沌の子供たちの全身に毛は無く、肌はぬめりを持った粘液で覆われていた。その醜い化け物は、荒野にぽっかりと開いた縦穴から際限なく現れ、飢えた獣のように古代種たちに襲いかかっていた。


 混沌の子供たちの群れは恐れを知らない。自分たちよりも大きく、そして強靭な肉体を持つ古代種に向かって果敢に攻撃をしかけていた。古代種の戦士たちは圧倒的な身体能力を持ち、淡い光を帯びた剣や槍をつかって混沌の子供たちを屠っていた。しかしそれでも数十体の混沌の子供たちに囲まれ組みつかれると、地面に押し倒され、次々と槍で貫かれて殺されていた。


 古代種は紺色に輝く立派な鎧を身につけていたが、混沌の子供たちが持つ槍の先端についた黒曜石にも似た石を削っただけに見える穂で簡単に鎧を刺し貫かれていた。あの石に何か秘密がありそうだったが、私には見当もつかなかった。

『レイ、あれを見て!』驚きに声をあげたカグヤは、古代種の部隊後方に陣取っていた怪しげな隊列を拡大表示した。私は戦闘の様子をハッキリと確認出来るように、断崖の縁まで進む。


 横一列に並んでいた集団は青磁色のローブを身に纏い、何かに祈るように手を合わせていた。彼らの頭上には、手の平ほどの大きさの輝くクリスタルが浮かんでいて、それは彼らの祈りに合わせるように、周囲に眩い電光を放っていた。そして彼らは奇跡を起こすように、頭上に浮かぶクリスタルから雷にも似た閃光を混沌の子供たちに向かって放ち始めた。轟音と共に彼らが放つ閃光は強力で、混沌の子供たちは青白い閃光に触れた瞬間、次々と塵に変わっていった。古代種は奇跡のような能力を使って、瞬く間に混沌の子供たちの群れを制圧していたのだ。


 しかし隊列の遥か後方で大きな地割れが発生し、大地の裂け目から醜い姿をした混沌の追跡者たちが現れると戦況は変わる。皺だらけの弛んだ皮膚を持ち、蛇のように細長い首を持った追跡者たちは荒野を駆け、雷を操る古代種たちに短剣を突き立て容赦なく殺していく。そして古代種が閃光を放つのに使用していたクリスタルを奪いとると、地面で叩き割っていた。

 けれど追跡者たちも無事では済まない。突如上空に翼竜に似た飛行生物に跨る古代種の戦士たちが現れると、驚異的な身体能力を持つ混沌の追跡者たちは翼竜からの攻撃を受け、抵抗することなく瞬く間に狩り尽くされていった。


「古代種は奇跡を使うことができたのか……俺たちにこれを見せたかったのか?」

 私が訊ねると、女性はゆっくりと頭を横に振った。

『見せたかったのは奇跡じゃない。あれよ』

 女性がそう言って空の一点を指差すと、灰色の物体が降ってきて、古代種と混沌の子供たちが激しく争っている戦場の中心に落下した。衝突の衝撃は凄まじく、落下地点の側にいた混沌の子供たちは衝撃波だけで身体を破裂させ、古代種たちは手足を失いながら後方に吹き飛んでいた。

 そして轟音と共に二度目の衝撃波が生じると、周辺に立ち昇っていた砂煙が消え、落下してきた物体の姿がハッキリと見えるようになった。その生物は三メートルほどの巨体を持ち、灰色の肌は岩のようにゴツゴツとしていた。古代種のように人型の二足生物だったが、まるでマネキン人形のように身体的特徴は無く、頭部には目や鼻、それから口に相当する器官はついていなかった。


『姿なきものたち』と女性は言う。『二人にはあれを見せたかったの』

 灰色の生物が腕を伸ばし地面に手をかざすと、赤茶色の砂礫が宙に浮き上がり、寄り集まり瞬く間に硬質化し戦斧を形成していく。生物は二本の恐ろしい戦斧を手にすると、襲いかかってくる古代種や混沌の子供たちの身体を軽々と切断していった。

『あれは混沌の陣営とも敵対しているの?』

 カグヤが訊ねると美しい女性は頷く。

『あれはそういう生き物なの。破壊し殺すことだけを純粋に楽しむ』

「確かに恐ろしい生物だな。あの混沌の追跡者たちを圧倒する古代種ですら、手も足も出ないんだから」

『あれの恐ろしさは、驚異的な身体能力だけじゃない』


『姿なきものたち』と呼ばれる生物は、飛行していた翼竜に向かって跳び上がると、翼竜を操っていた古代種の首を戦斧の一振りで切断し、首のない胴体を遥か下の地面に落とし、翼竜に戦斧を突き刺した。制御を失った翼竜は悲痛な鳴き声をあげながら混沌の子供たちの群に向かって落下していく。

 そして戦況は更に動いた。大地の裂け目から今度は大量のバグが出現する。巨大な昆虫にもサソリにも見える異形の生物は、地面に落下してきた灰色の生物に襲いかかると共に、翅を使って上空で旋回していた翼竜の集団に向かって襲いかかる。


 すると空気をつんざく甲高い音と共に地面に円形の浅い穴が幾つも出現し、数千のバグと混沌の子供たちを圧し潰した。戦場にできた円形の穴は、気色悪い液体で満たされることになった。混沌の生物が圧し潰され、そして液体に変わるまで必要とした時間は瞬きの一瞬だけだった。


 戦場から次々と聞こえてくる甲高い音に顔をしかめながら私は言う。

「あいつも奇跡をつかうのか……」

『それだけじゃないんだけどね』女性は近くに立っていたアジョエクに何かの指示を出し、それから言った。『レイラも攻撃に備えて』

「攻撃?」

『姿なきものたちは群れで行動するの』

 上空から衝撃波が生む大音響が聞こえてくると、まるで隕石のように灰色の物体が次々と降ってくるのが見えた。その内のひとつは、我々のすぐ近くの丘に向かって降ってきていた。


 衝突の際の凄まじい衝撃波に吹き飛ばされそうになった私の身体を、アジョエクが長い腕を伸ばして掴む。が、次の瞬間には私を掴んでいた腕だけを残して、アジョエクの身体が消滅する。そして甲高い音と共に閃光が瞬く。私は無意識に横に飛び退いた。すると私が先程まで立っていた地面が陥没する。地面を転がり砂煙の中から姿を見せた灰色のマネキン人形のような生物に視線を向けた瞬間、パチンと何かが破裂する音が聞こえた。そして次の瞬間には美しい女性の声が聞こえる。

『もう少しだけ生き延びて』

「生き延びる?」


 遥か頭上で轟音が響き渡ると、まるで隕石のように灰色の物体が次々と降ってくるのが見えた。先程とまるで同じ光景だった。そして物体が地面に衝突した瞬間に凄まじい衝撃波が発生し、私は吹き飛ばされそうになる。私の身体を掴んだのは、またしてもアジョエクだった。けれど甲高い音と共にそのアジョエクの身体も消滅する。

 私は咄嗟に横に飛び退いて、砂煙の中から現れる生物に目を向ける。そしてスローモーション映像のようにゆっくりと動く世界で、私は生物の頭部の先で光が瞬くのを見た。反射的に形成した液体金属の大盾で凄まじい衝撃を受け止める。死にはしなかった。けれど断崖絶壁から宙に向かって身体が投げ出され、古代種と混沌の軍勢が争っている戦場に向かって落下していった。


『衝撃に備えて腰を落として』

 女性がそう言うと、私は小高い丘に立っていて、遥か上空から聞こえてくる轟音に顔を上げた。そこには隕石のように次々と降ってくる灰色の物体があった。

 またもや同じことが繰り返される。閃光の瞬きを見ると私は大盾を形成し、腰を落とした。そして足元に杭を打ち込むように、液体金属を地中に伸ばして身体を固定する。凄まじい衝撃と共に仰け反る。しかし吹き飛ばされることは無かった。追撃を警戒して素早く視線を戻すと、アジョエクの槍によって身体を貫かれた生物の姿が見えた。


『姿なきものたちは、凄まじい破壊力を持つ攻撃を自由に使うことができる』女性は生物の死骸を見ながら言う。『でも身体はそれほど頑丈じゃない。それに自己修復することもできないから、上手く対処出来れば大きな脅威にはならない』

「何が起きたんだ?」と私は困惑しながら言う。

『姿なきものたちの攻撃を肌で感じてもらったの』

「俺は死んだのか?」

『不死の子供だから死ぬことは無いけど、少なくとも肉体は失った。でもその甲斐あって、レイラはすぐに攻撃に対応してみせた。さすがね』

「何もかも偶然だ。それに俺は死んだんだろ?」

『そうね、簡単に潰された。でもこれで分かったでしょ? あの攻撃をされる前に殺さなければいけない。あなたたちは遠距離に特化した武器を持っているから、そこまで難しいことじゃないと思う』


『ちょっと待って』とカグヤが慌てる。『レイが目の前で潰されたのは何だったの? 私は幻覚を見ていたの?』

『彼はそこでちゃんと潰されたよ。でもこれは私が創造した世界だよ。忘れたの?』と女性は可愛らしい動作で頭を傾げる。

『つまり、時間を戻してくれたの?』

『そうよ。そんなこと言わなくても分かるでしょ?』

『それなら教えて、どうしてあの化け物の対処法を教えてくれるの?』

『姿なきものたちの一体が、あなたたちの世界に渡ったのを確認したからよ』

『地球に?……それはいつのこと』

『さあ? それは分からないわ』


 アジョエクの持つ槍を伝って滴る生物の白い血液を見ながら私は訊ねた。

「俺たちはあれと戦うことになるのか?」

『あれは戦争が大好きな生き物なの。古代種と混沌の軍勢の戦争が激化していくと、あれは地の底からひょっこりとやってきた。それ以来、地上で虐殺を思う存分に楽しんだ。あなたたちもこれから大規模な戦闘を想定しているでしょ?』

『確かに五十二区の鳥籠と戦争になるかもしれないけど……』とカグヤが言う。

『あれは死の匂いを嗅ぎつけてきっと戦場に姿を見せる。そのときに、あなたたちはあれと対峙することになる』

『あんな化け物と戦うことになるのか……』

 カグヤの声を聞きながら、私は甲高い音が響く戦場に視線を向けた。

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