第405話 欲望


 ハクが翼竜を黙々と食べている横で、イーサンは単眼鏡を使って洞窟の様子を確かめていた。私もフェイスマスクの視界を拡大させると、洞窟の周囲に敵性生物がいないか確認していたが、立っているのが面倒に感じるほど足元がふらついていた。

 思わずその場に片膝をつくと、腕の感覚を確かめようとして太腿のホルスターからハンドガンを抜いた。そして手の中の銃を何度か持ち直してみた。いつもは銃の重さが気にならなかったが、今はずっしりとした金属の重みが感じられた。


『レイ、オートドクターを使って』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。『血液を失い過ぎたんだよ』

「そんなにひどい顔をしていたか?」と私は何故か強がる。

『私はレイの生体情報を常に受信してるんだよ。レイの体調が悪いことなんて、顔を見なくても分かる。それにね、私にはたくさんの目と耳があるんだよ。レイの変化を見落とすわけがないでしょ?』

 カグヤがそう言うと、球体型の偵察ドローンはハニカム構造の特殊な装甲を点滅させる。

「そうだったな」カグヤの物言いに苦笑すると、ハンドガンをホルスターに戻し、ベルトポーチから医療ケースを取り出す。注射器の入ったケースは小型のバッテリーを搭載していて、常時温度管理がされているものだった。


「そう言えば、カグヤは同時に複数のドローンを操作したりしているけど、どんな感じがするんだ?」私はそう訊ねながら、腕に注射を打つ。

『どんな感じって?』

「ほら、人間には目が二つしか無いだろ」

『あぁ……』とカグヤは少し困ったように言う。『私は機械人形やドローンに搭載されているカメラアイやセンサーを介して、複数の映像を同時に見ることも、人間の目に見えない紫外線や赤外線も見ることができる。それは確かに異常なことなのかもしれない。でも複数の目を持っていることに、違和感を持ったことは無いかな』

「どうして?」

『どうしてだろう……』とカグヤは心細い声で言う。『私もレイと同じで、この世界で意識が覚醒したときから、ずっとこんな感じだった。だから違和感がないのかも』


「こんな感じって言うのは?」と私はカグヤに訊ねた。

『端末に繋がっていたりすることだよ。私の意識は常にレイと共にある。その間、お腹が減ることもなければ、眠ることも無い。自分の身体の存在を感じることもできないんだ。私はただずっと『そこ』に漂っているだけ……』

「身体の存在を感じないか……」

 私はカグヤが感じている不安や孤独について想像しようとしたけれど、私のちっぽけな想像力では無理だった。それでも、もしも自分が彼女と同じ立場にいたら、きっと気が変になって、その状況に耐えられなかったことだけは分かった。


 周囲に敵性生物がいないことを確認すると、私はその場に座りこむ。そして何とはなしに狭い牢獄に捕らわれている自分の姿を想像した。格子のついた窓から外の景色を見ることはいつでもできた。そこからは廃墟の街の様子がいつでも見ることができた。それだけじゃない、その窓からは砂漠に覆われた地域をみることもできたし、深い森に覆われた秘境を見ることもできた。

 時折、窓の外を行き交う人々と会話することもできた。だから寂しくは無かった。優秀なセンサーを介して、移り変わる光の波長を感じ、そして周波数に耳を澄ませる。でも牢獄から出ることは叶わない。そしてある日、なんの前触れも無く、自分と外を繋ぐセンサーからの感覚信号が途絶える。すると忽ち何も感じることができなくなってしまう。そこにあるのは、果てしない暗闇と静寂、そして存在も不確かな自意識だけ。


『ごちそうさま』

 ハクの幼い声が聞こえると、私の身体に纏わりついていた暗い影が霧散していくように感じられた。視界に映る景色は鮮明になり、身体が軽くなる。私は息を吐き出すと、振り返って白蜘蛛の様子を確かめた。ハクは翼竜の体液で体毛を赤黒く染めていて、触肢を使ってごしごしと牙を綺麗にしていた。

「おいしかったか?」と私は訊ねる。

『かたい、すこし』と、ハクはいつもの調子で言う。

「そうか……それで、元気になったか?」

『うん。ハク、たたかう』


 私は立ち上がると、ハクの側に向かう。ハクは翼竜の骨も食べたのか、翼と毛皮の一部を残してほとんど残さず食べてしまっていた。

 私はハクの体毛を撫で、それからハクの眼をしっかりと見ながら言う。

「でも、これからは気をつけないといけない」

『うん?』と、ハクはわざと気がついていないフリをする。

「発光する球体から放っていた閃光のことだよ。あの攻撃はハクの体力を消耗させる。だから使うタイミングを見極めないといけない」

『たいみんぐ』と、ハクはベシベシと地面を叩いた。

「そうだ。タイミングだ。それに、閃光を続けて射出することも止めた方が良い」

『うん。つづけない』ハクはそう言いながら触肢を擦り合わせる。


「ハクなら大丈夫だろう」とイーサンが言う。「苦しい思いをしたんだから、同じ失敗はしないはずだ。それより、こいつを見てくれ」

 イーサンが覗き込んでいた単眼鏡から送られてきた映像を確認すると、洞窟の周囲に大量の玩具の兵隊が現れるのが見えた。どうやら根から吐き出される泥団子が、三頭身の兵隊を量産しているようだった。

「施設で暴れていた連中だな。どうしていきなり出てくるようになったんだ?」

『私たちの目的が、洞窟だって気づいたからじゃないのかな』とカグヤが言う。

「まさか本能で危険を感じとったのか?」

『たぶん……』

「罠だな」とイーサンが呟く。「あそこに俺たちが来るのを待ち構えている」

「でも行くしかない」

「そうだな。岩があちこちに転がっているから、遮蔽物になってくれるだろう。俺とハクで玩具の兵隊を引き受ける。レイは洞窟に潜入して――」

 イーサンはそこまで言うと口を閉じて、単眼鏡を泥の根に向けた。


 洞窟まで一直線に伸びていた根が奇妙に蠢いていたかと思うと、次の瞬間には一気に膨張し、巨大な泥人形をつくりだしていく。それは赤茶色のぬめりを持った粘液に覆われていて、十メートルを優に超える体高を持っていた。

 その顔の無い泥人形は、根の側を離れると我々に向かってゆっくりと歩いてきた。

「あれはマズいな」とイーサンが頭を振る。

 巨人に向かって跳び出していこうとするハクを引き止めると、私はハンドガンを構え、弾薬を重力子弾に切り替えた。銃身の形態が変化し、開いた銃身の内部で青白い光の筋が幾何学模様を描きながら銃口に向かって移動していくのが見えた。すると銃口の先に天使の輪にも似た輝く輪が現れた。フルフェイスマスクの視界がハンドガンの照準器と同期し、迫ってくる泥の巨人を捉える。


 私は突進してくる巨人に躊躇することなく引き金を引いた。音もなく発射された光弾は青白い閃光となって荒涼とした大地を進み、何の抵抗も受けずに巨人の胴体を貫いた。閃光はそのまま直進し、遥か遠くに見えていた岩山を破壊し轟音を響かせた。そして泥人形は閃光の貫通した場所を中心にして、身体が赤熱し、ドロドロに融解しながら爆ぜた。しかし宙に舞い上がった頭部や手足は、無数の泥団子に分かれ、そして地面に落下すると玩具の兵隊を形作っていった。

「すくなくとも、巨人の相手をする必要は無くなった」イーサンはそう言うと、三頭身の可愛らしい姿をしたプラスチックの兵隊に向かって射撃を開始した。


「ハク、イーサンの援護を頼む」

『レイ?』と、白蜘蛛はやわらかな声で言う。

「俺は洞窟に向かう。それがどんなものかは分からないけど、あの化け物を生み出している何かが洞窟にいるはずだ。俺はそれを破壊しなければいけない」

『まってる』

「ああ。イーサンと必ずこの戦いを生き延びてくれ、必ず戻ってくるから」

 ハクは長い脚を伸ばして、引き寄せるようにして私を抱きした。それからそっと私から離れると、玩具の兵隊の集団に向かって一気に跳躍した。


『行こう、レイ』とカグヤが言う。

 私は荒野に向かって駆け出すと、遮蔽物の陰を上手く利用しながら、玩具の兵隊を避けて進んだ。しかしそれでも避けられない兵隊には、ライフルをフルオートに設定し、無数の弾丸を撃ち込みながら押し通った。

『レイ、もうすぐだよ』カグヤの声が聞こえたときだった。

 先行していたドローンが凄まじい衝撃を受けて何処かに吹き飛んでいった。一瞬見えた機体の周囲には、半透明の青いシールドの膜が展開されていたので機体は無事だろう。けれどシールドを搭載していなかったら、今の攻撃で確実に撃墜されていたかもしれない。


 私は滑り込むようにして岩陰に隠れると、ハガネを操作し、動体センサー使って敵の姿を探した。

「何処から攻撃されたんだ?」

『洞窟の入り口近くに動く複数の反応がある』とカグヤが答える。

「機体の調子は?」

『シールドがダウンした。力場を発生させる膜を再起動するには充電が必要』

「なら姿を消して隠れていてくれ」

『光学迷彩なら起動した。それより、どうするの? 相手は素早く移動している拳大のドローンすらも簡単に狙撃できるんだよ』

「反重力弾でまとめて圧殺する」

 そう言ってハンドガンを構えながら岩陰から顔を出すと、頭部に強い衝撃を受けて仰け反るようにして倒れた。


 私は仰向けに倒れた状態で空に立ち込める不吉な雲を眺める。

「悠長に射撃している余裕はなさそうだな」

『うん。大丈夫?』と、カグヤのドローンが目の前に飛んでくる。

「ハガネが衝撃を吸収してくれたよ。それより、兵隊の正確な位置情報を視界に表示してくれるか?」

『分かった』

 岩を透かして兵隊たちの赤色に縁取られた輪郭線が表示されると、私は弾薬を貫通弾に切り替えて、岩の向こうにいるプラスチックの兵隊に射撃を行う。甲高い射撃音と共に撃ち出された無数の弾丸は、岩を容易く貫通し、洞窟の入り口に陣取っていた兵隊たちの身体を再生できないほどに破壊した。


『クリア、周囲に敵の反応はないよ』

 カグヤの声を聞きながら立ち上がると、攻撃を受けたフルフェイスマスクの状態を確かめた。しかし液体金属に覆われたマスクは既に修復が始まっていて、心配する必要は無さそうだった。

『大丈夫そうだね』

 カグヤの言葉に頷くと、私は洞窟に向かって歩いた。

「付近に敵の動きがあったら知らせてくれ」そう言った次の瞬間には、内耳に騒がしい警告音が聞こえて、洞窟の薄闇から子供ほどの身長を持った人形が歩いてくる。


『やあ、僕はファンタズマ――』

 人形に言葉を最後まで言わせなかった。ハンドガンから撃ち出された貫通弾は人形の頭部に命中し、樹脂製に見える泥で出来た頭部を破裂させた。人形は赤黒い奇妙な体液を噴き出しながらトボトボと歩くと、地面から突き出した岩につまずいて倒れた。そして首から流れ出す体液の中でぴちゃぴちゃと身体を小刻みに痙攣させる。私はすぐに効果範囲を制限した反重力弾を人形に撃ち込み、二度と復活できないように完全に潰した。

『今度こそ大丈夫。敵の反応は消えた』とカグヤが言う。

 私は息をつくと、洞窟の側に置かれていた台座に近づいた。


 岩を削り出して作られた赤茶色の台座には、石板が設置されていたが、すでに瀬口早苗の手で回収されていたので、今は台座に何も載っていなかった。けれど等間隔に設置された台座の不自然さが妙に気になった。

『もしかしたら』とカグヤが言う。『あの石板には、何か儀式的な意味合いがあったのかもしれないね』

「俺も同じことを考えていたよ」

『何かの記念碑、それか神さまを祀るためのもの』

「あるいは、なにか邪悪なものを封印するための呪いだったのかもしれない……」


 カグヤの操作するドローンは、私の目の前を横切って洞窟の入り口に向かうと、スキャンのためのレーザーを照射した。

『洞窟に入るには、この奇妙な膜を通って先に進まないといけないみたいだね』

 ぽっかりと開いた洞窟の暗い入り口には、まるで水の表面に浮かぶ油のような奇妙な膜が張られていて、それが絶えず流動しているのが見えた。

「シールドのようなものなのか?」と、私は膜に触れながら訊ねる。

 膜は手に吸いつくように密着したが、膜から手を引くと抵抗なく離れた。

『レイ、どうするの?』とカグヤが不安そうな声を出す。

 私は後方に視線を向けると、玩具の兵隊と戦闘していたハクとイーサンの姿を探した。しかし兵隊の数は多く、その姿を見つけることはできなかった。兵隊が幼い声で号令を発すると、騒がしい銃声が響いてきた。そしてその間も、泥の根からは兵隊に変化する肉団子が絶え間なく吐き出されていた。


「迷っている時間は無いな」

 覚悟を決めると、奇妙な膜を通って洞窟に入っていった。すると足元からジャリジャリと硬いものを擦り合わせる音が聞こえてくる。

 ふと視線を足元に向けると、辺り一面に眩いばかりの輝きを発する金貨が足の踏み場もない程に積まれているのが見えた。それは薄暗い洞窟をぼんやりと金色に染めるほどの量だった。

「金貨?」

 私はそう言ってしゃがみ込むと、その金貨を一枚だけ拾い上げた。

『塔が刻まれているね』

 奇妙な膜を通ってカグヤの操作するドローンが姿を見せる。どうやらあの膜は通信に影響を及ぼさないようだ。

「以前にも異界で同じものを見たことがある」私はそう言って金貨を指で弾いた。「そんなことより、さっさと仕事を終わらせよう」

 そう言って洞窟の奥に向けて歩きだすと、女性の声が聞こえてきた。


『金貨に興味が無いのね』

 ハンドガンを素早く金貨の山に向けると、ハッキリとした顔立ちの驚くほど美しい女性が立っていることに気がついた。そこは先程まで誰もいなかった場所だった。

 衣類の一切を身につけていない女性は傷ひとつ無い、透き通るような白い肌を持ち、濃紅色の瞳を僅かに発光させていた。そして私を見て厭らしい笑みを浮かべる。

『電子貨幣?』と彼女は眉を歪める。『だから金貨に興味を示さなかったのかしら? あなたは人間だけど、私が知る世界とは別の、遠い宇宙から来た人間なのね』

 彼女は独り言を口にしながら、綺麗な乳房を揺らして私に近づいてくる。

『でも、この美しい身体はどうかしら?』

 彼女はそう言うと、私の首に両腕をからめ、唇を重ねてきた。余りにも早い動きだったので、女性の口づけを避けることができなかった。柔らかなぬめりを持った舌が動くのを感じると、私は女性を突き飛ばした。その際、彼女に唇を噛まれたのか、彼女の唇は私の血で赤く染まっていた。


 女性は唇についた私の血液を舌でゆっくり舐めとると、妖艶な笑みを見せる。

『誰もが夢想する完璧な女性でも、あなたは靡かない。どうしてなのかしら?』

 彼女はそう言うと、腕を広げながら私に近づいてきた。

「動くな!」私は声をあげると、女性に銃口を向けた。

『そう、心に決めた人がいるのね。それなら私に見せて、あなたの欲望を』

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