第404話 血液


「レイ! あの岩棚の下まで走るぞ」

 イーサンの言葉に頷くと、次々と落下してくる翼竜に驚いていたハクを連れて、屋根のように迫り出した岩棚の下まで走っていく。奇妙な造形をした奇岩群は、地中から生えたサンゴの集合体にも見えた。岩棚に並ぶ不思議な色彩が、そう思わせたのかもしれない。重なり合う岩肌は、それぞれが異なる色味を帯びた横筋をもっていて、それが年輪にも似た奇妙な模様を形成していた。


 我々が岩棚の下に駆けこんだあとも、上空からは巨大な翼竜が落下し続けていた。その数は正確には分からなかったが、辺りの地面を埋め尽くし、百体ほどになろうとしていた。奇岩群に衝突し、翼の一部を削り取られる翼竜もいれば、低空飛行していた為に、奇岩の尖端で腹を裂かれ、内臓を撒き散らしながら地面に落下する翼竜もいて、周囲には地獄さながらの光景が広がっていた。


 恐ろしい翼竜の全てが、気管に入り込んだ砂の所為で窒息していると考えられたが、それは余りにも不自然で奇妙な光景だった。もしもその生物が、この異界に生息する固有の生物なら、砂嵐に巻き込まれるような事態くらい事前に察知して、回避できたのではないのか。それとも先程の砂嵐は、固有の生物でも抵抗できない突発的な自然現象だったのだろうか? 気になることはいくらでもあったが、ゆっくり考える時間は無さそうだった。その翼竜の大群は、もがくように巨大な翼を動かし周辺一帯に砂塵を立てていた。


「最悪な状況だな」とイーサンが呟いた。

 風によって周囲に立ち込めていた砂煙が流されたことで、我々が現在、両側を奇妙な岩山に挟まれた渓谷のような場所にいることが判明した。そして『泥の根』は、大量の翼竜が落下した渓谷の中央を通っていて、迂回して渓谷を抜けられるような場所が何処にもなかった。

『あのプテラノドンに似た生物の側を通る必要がありそうだね』とカグヤが言う。

「安全な経路を確認してきてくれるか?」と私はカグヤに頼んだ。

『怪物が完全に窒息死してから動いた方が良いと思うけど』

「いや、それは止めておいた方が良いだろう」とイーサンが言う。「周囲に立ち込める血液の臭いに誘われて、別の恐ろしい化け物がやってくるかもしれない」

『……そっか、その可能性を見落としていたよ。行ってくるね』

 カグヤの操作するドローンが光学迷彩を起動し、姿を隠しながら翼竜の大群に向かって飛んでいくと、我々は翼竜が落下してこなくなるまで待って、それから岩棚に足をかけて、奇岩の上に向かう。そして高い位置から敵の接近に警戒した。


 しばらくすると、視界の先にドローンから送られてきた情報をもとに、拡張現実で再現された矢印が表示される。我々はその矢印を頼りに、翼竜の大群が密集するように横たわっている場所に侵入していった。

 長いクチバシから力なく垂れ下がる青黒い舌を横目に、ハクが翼竜にちょっかいを出さないように注意を払いながら歩いた。しかし問題なく進めたのは、行程の半分程だけだった。それまで沈黙していた泥の根が、周囲に泥団子のような物体を次々と吐き出し、それが地面に横たわる翼竜に降りかかる。そして泥団子は奇妙に蠢きながら、翼竜の傷口から体内に侵入すると、たちまち動かなくなっていた翼竜を目覚めさせていった。


「もしかして、怪物の身体を乗っ取っているのか?」

 困惑していた私の横でイーサンは素早くライフルを構えると、息を吹き返したように身体を起こす無数の翼竜に向かって自動追尾弾を撃ち込んだ。翼竜の皮膚は見た目に反して、それほど頑丈じゃないのか、頭部や首に命中した弾丸は肉を抉り、骨を簡単に砕いてみせた。しかしそれで翼竜が死ぬことは無かった。体液を撒き散らし、内臓を引き摺りながら翼を動かして我々に迫ってきた。


「肉塊の化け物と同じだな……体内の何処かにある泥団子を潰さない限り、やつらを殺すことはできないみたいだ」とイーサンは言う。「まともに相手をする必要は無い、まずは渓谷から出ることを優先しよう」

 我々のすぐ近くまで迫っていた翼竜の口腔に小型擲弾を撃ち込み、長細い頭部を破壊すると、矢印に沿って駆ける。横たわる翼竜の死骸に足を取られて躓かないように注意して走っていたが、窒息死していたと思っていた翼竜に足を噛まれ、その場に倒れ込んでしまう。私はすぐに翼竜の頭部に弾丸を撃ち込むと、起き上がり走り出す。液体金属の装甲によって足に怪我を負うことはなかったが、後方から迫ってきていた複数の翼竜に徐々に追いつかれてきてしまう。


 するとハクは岩棚の上に跳びあがり、身体の周囲に発光する球体を出現させる。そして翼竜に向かって、空気をつんざく甲高い音と共に青白い閃光を放った。

 閃光を受けた翼竜の身体は綺麗に切断され、そして切断面を起点にして次々と身体が凍り付いてしまう。そしてその間も、ハクが出現させた球体からは青白い閃光が耳の痛くなるような甲高い音と共に射出され続けていた。ハクが身体を少し動かすと、五つの球体はハクの動きに合させて横薙ぎに閃光を放ち、そして触れたもの全てを切断し、凄まじい速度で凍りつかせていった。


 奇岩群を抜けて渓谷の端にたどりつくと、私とイーサンは後方からやってくる翼竜に向かって射撃を行いながらハクの撤退を支援した。閃光を放っていた球体が消えると、ハクは我々の側に向かって跳躍してきたが、ハクの纏う雰囲気が心なしか変化していることに気がついた。

 奇岩に向かって数発の小型擲弾を撃ち込んで、迫ってきていた翼竜を奇岩の下敷きにすると、続けて奇岩を破壊して翼竜の進攻を止める。


「ハク、どうしたんだ?」と私は心配してハクに訊ねた。

『つかれた』とハクは拗ねたような声で言う。

「あの攻撃の所為か?」

『すこし、わからない』

 翼竜に向かって射撃しながら後退していたイーサンが言う。

「あの閃光はハクの体力を消耗させるのかもしれないな」

『そうなのかもしれない』とカグヤが言う。『さすがに何の代償も無しに、あれだけ強力な攻撃を継続して使うことはできないみたいだね。ハクの身体に何か異常が起きていないか調べてみるよ。ハクの体毛は特殊で完全なスキャンは出来ないと思うけど……でもスキャンが終わるまでハクにじっとするように伝えて』

「分かった」

 カグヤの指示通りにハクにじっとしていてもらうと、私は奇岩地帯からやってきていた翼竜に向かって射撃を行う。ハクの攻撃で翼竜の数はだいぶ減っていたので、全ての脅威を取り除くまで、それほどの時間を必要としなかった。


 翼竜の腹部に食い込んだ小型擲弾が破裂すると、イーサンは怪物の内臓に絡みつく泥状の物体に弾丸を撃ち込み、その活動を停止させる。すると翼竜は内臓を零しながらドスンと地面に崩れる。

「これで終わりか?」と、イーサンは素早く周囲に視線を走らせる。

「そうだと良いんだけどな……」

 ハガネの動体センサーを使用して周囲の安全を確認すると、私は銃口を下げ、ライフルの残弾を確かめた。それから旧文明の鋼材で製造されたブロック型の予備弾倉をベルトポケットから取り出し、ライフルに装填した。


『レイ』とカグヤが言う。

「何か分かったか?」

 私はぐったりしていたハクの側に小走りで向かう。いつもは落ち着きなく飛び回っているハクがじっとして動かないのを見ると、それだけですごく不安になる。

『やっぱりハクのスキャンはできなかったよ。でも怪我はしていないし、身体に異常があるようには見えない』

「そうか……大丈夫か、ハク」

『うん』

「大丈夫じゃないみたいだな」とイーサンが言う。「それで問題が解決するかは分からないが、レイの血を少し飲ませてあげた方が良いんじゃないのか?」

「……不死の子供たちの血液か、試してみるよ」


 戦闘服の袖を捲ってハクの口元に腕を差し出すと、ハクは触肢でそっと私の腕を支えて、顎についた鋭い牙を動かして前腕を包み込むように甘噛みする。腕に痛みは無いが、身体の芯が冷えていくような感覚がした。

 ペパーミントの声が内耳に聞こえたのは、ちょうどハクに腕を噛まれていたときだった。

『レイ、忙しいと思うけど、少し相談したいことがあるの』

「どうしたんだ?」

 私はそう訊くと、奇岩地帯に視線を向けて翼竜が動き出さないか確認する。

『ウェンディゴを使った爆撃の許可が欲しいの』

「爆撃?」と私は驚く。「ミスズたちに何か問題が起きたのか?」

『そうじゃないの、ミスズたちのことは迎えに来ていて、もうすぐ合流する予定』

「それなら、なにを爆撃するつもりなんだ?」


『川の流れをせき止めるように、旧文明の高層建築物が横倒しになっている区間があるのは知ってる?』とペパーミントは言う。

「ああ。数百メートルもある巨大建造物が倒れているんだから、廃墟を探索している際には、いやでも目につく」

『その建物を爆撃したいの』

「理由を教えてくれ」

『地下区画に繋がる用水路に大量の水を流し込む』

「管理のされていない用水路に水が流れ込んだら、地下区画が水の底に沈むことになる」

『それが目的よ。異界の領域に繋がる『門』からこちら側に出てきて、地下区画に溢れ出た大量の大猿やバグを、まとめて処分することができる』

「溺れさせて化け物を窒息させるつもりか……それならいっそのこと、地下区画に向かって地中貫通爆弾を投下する方が早くないか?」

『ダメよ。廃墟の街の地盤に影響が出るような、そんな強力な攻撃をした場合の被害予測ができない以上、無茶な攻撃は出来ない』

「だから水の底に沈めるのか」


『そうよ』とペパーミントは言う。『地下区画全域が水の底に沈むのは、台風がやってくる時期には普通のことで、毎年自然に引き起こされている現象でもあるの。それで今まで街に影響は出ていなかったんだから、少なくとも地中貫通爆弾を使うよりかは、被害の心配をする必要は無いと思うの』

「台風の時期?」

『そうだけど、それがどうしたの?』

「奴らが施設から抜け出して、地下区画に向かった時期が何となく分かった」

「そう……それでどうするの? バグはともかく、大猿は空気が無ければ生きられないでしょ?』


『もう、へいき』ハクはそう言うと、私の両肩にトンと触肢をのせる。

「少しは元気になったか?」と私はハクに訊く。

『うん。おなか、すいた』

 ハクはカサカサと腹部を振ると、奇岩地帯に向かって一気に跳躍する。

「大丈夫そうだな」と、ハクの様子を見守っていたイーサンがホッと息をついた。

 そんな我々の心配をよそに、ハクは翼竜の死骸を引き摺りながら戻ってくる。

『待って』とカグヤの慌てる声が聞こえる。『ハクが食べる前に、その怪物が泥団子に取りつかれていないかスキャンさせて』

 私はすぐにカグヤの言葉をハクに伝えて、ドローンによってスキャンされている間、ハクが翼竜を食べないように待ってもらうことにした。

『あかい、ひかり』と、ハクがスキャンされている翼竜を見てコロコロと笑う。

 それの何が可笑しいのかは分からなかったけど、笑っているハクの声を聞いて私も思わず笑顔になる。


『大丈夫だね』とカグヤが言う。『泥団子が体内に侵入した形跡は確認できなかった』

「ハク、大丈夫だって」私の言葉を聞くとハクはすぐに翼竜の首に噛みついて、それからそっと牙を離した。

『いただきます』ハクは小声でそう言うと、翼竜にまた噛みついた。

「ハクは随分と行儀が良いんだな」とイーサンが感心しながら言う。

「ミスズの影響だよ」私はそう答えると、ペパーミントに会話を途中で中断してしまったことを謝罪して、それから爆撃について訊いた。「爆撃の影響で地下施設はどうなる?」

『地下区画に繋がる穴を塞げば、直接的な被害は出ないと思う』


「どう思う?」と私はイーサンに訊ねる。

「地下区画に関して言えば、百害あって一利なしだ。大量の人擬きが潜んでいて、危険な昆虫の繁殖地にもなっている区画を潰せるんだから俺は賛成だ。ただ、川をせき止めている建物を爆撃するだけで上手くいくとは思えない」

『もちろん簡単にできることじゃないわ』とペパーミントが言う。『街のあちこちにある建物を同時に爆撃して、水の流れをコントロールする簡易的な堰をつくらないといけない。それには正確で繊細な爆撃を必要とする。街を爆撃した際に高層建築群に与える影響も考慮しないといけないし……』

「爆撃する建物の座標を確認したい。送信してくれるか」

『ええ、地図を確認して』


 ペパーミントとイーサンが爆撃に関して話し合っている間、私は視線の先にちらちらと見えていた光の反射に注目する。視線の先を拡大して確認すると、深海生物である『クマナマコ』に非常に似た生物がいて、触手のように自在に動かせる複数の脚を使って、荒野をゆっくりと移動しているのが見えた。クマナマコとしか表現できない姿を持った生物は、しかし三メートルほどの体長をもっていて、半透明の皮に覆われた身体の周囲には色彩豊かに発光する蝶が舞っていた。


「カグヤ」私がそう言うと、カグヤの操作するドローンが隣に飛んでくる。

『あの生物は完全に私たちを無視している。だから気にしなくても大丈夫。それより、あの発光する蝶に見覚えがある』

「肉塊の化け物が攻撃に使っていた爆発する蝶だな」

『うん。あの蝶みたいな生物も、泥の根に取り込まれたのかもね』

「見境なしだな」

『それにあれを見て』とカグヤは視線のずっと先を拡大表示した。

 蜃気楼が見えて、私は目を細める。

「岩山が浮いて見えるな……いや、あれは洞窟か」

『そうだね。根が確認できるし、私たちの目的の場所だと思う』


「レイ」とイーサンが言う。「爆撃許可を頼む」

「問題はなかったのか?」

「ああ。きっちり練られた計画だった。けど爆撃までの猶予がない」

「どうするんだ?」

「俺たちが研究施設を封鎖し脱出するまでは、水の流れをコントロールする為の建物だけを前もって爆撃する」

「地下施設から脱出したタイミングで、川の流れをせき止めている高層建築物を爆撃するのか?」

「ああ。爆撃機が街の上空にやってくるタイミングも限られているからな」

「その爆撃によって、廃墟の街にいる人間に被害は出ないのか?」

「この大雪だ。まともな人間は鳥籠にこもっているだろうし、この時期に外で働いている商人や、護衛の傭兵たちは専用の避難場所に待機しているはずだ」

「避難場所か……そこは爆撃範囲に含まれていないんだな?」

 イーサンは頷くと、口の端に笑みを見せた。

「安心してくれ、シビアな計画だが、やってみる価値はある」

「そうか……」私は自分の選択が廃墟の街に及ぼす影響についてしばらく考えて、それから言った。「やろう。カグヤ、ペパーミントに爆撃機の操作権限を与えてくれ」

『了解』

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