第403話 願い


 ハクの周囲には白藍色に発光する球体が浮かんでいて、それは互いに一定の間隔を保ちながら、ハクの動きに合わせて動いていた。その不思議な光景をぼんやりと眺めていると、脚に巻いていたリボンに『輝けるものたちの瞳』をつけたハクがやってくる。

『みて』と、ハクは得意げに脚を伸ばした。

「宝石みたいに綺麗だな。赤色のリボンにも合っている」

『ほんとう?』とハクはパッチリした眼を私に向けた。

「ああ。ハクに良く似合っている」

『そうかな』と、ハクは触肢をごしごしと擦り合わせる。

「ところで、その浮かんでいる光球はどうやって出しているんだ?」

 五つの光球は、ハクの動きに合わせて移動していたが、決してハクの側を離れることは無かった。

『どうやって?』とハクは疑問を口にする。

「たとえば、それが出現している間は疲れたりすることはないのか?」

『ううん。ない』

「身体に変化を感じたりもしない?」

『しない』


「不思議だな」と私は光球を眺めながら言う。

 ハクの隣までやってきたイーサンも困惑していた。

「これだけ強力な攻撃を、それこそ奇跡みたいなことを制限なしで使用できるのは、さすがに無理があるんじゃないか?」

『能力の行使に代償が存在しないのは、確かに変だね』とカグヤが言う。『レイはあの光球をどうやって出現させたの?』

「それなんだけど、発動条件が分からないんだ。インターフェースにハクが使った閃光を発動させるための項目があるんだけど、選択しても無反応なんだ」

『それなら、さっき出現したのは何だろう?』

「システムの統合に必要な工程だったんじゃないのか?」

「データベースで調べることはできないのか?」とイーサンが言う。

『どうだろう……少し調べてみるよ』


 自分自身の周囲に浮かぶ光球を追いかけるように、くるくると回っているハクを横目に、私は石棺の側に戻った。

「他にも貴重な埋葬品がありそうだけど、この石棺は埋め戻そう」

「そうだな」とイーサンは頷く。「これ以上、面倒事が増える前に埋めよう」

 イーサンもバックパックから軍用折り畳み式シャベルを取り出すと、石棺に砂をかけていく。青碧色の石棺に砂が当たると、まるで鉄琴に砂礫を落としているような、物悲しい残響が聞こえてきた。


「それにしても奇妙な世界だ」とイーサンが言う。「レイは以前にも異界を旅していたが、そこも奇妙な化け物が生息する場所だったのか?」

「と言うより、もっとおかしな世界だった」

「というと?」

「世界の姿が定まらなかったんだ。海岸を歩いているかと思えば、次の瞬間には山の頂に立っていたりして、とにかく不思議な場所だった」

「変質し続ける世界か……」

「それに出会う化け物全てが俺とハクに敵対的だった。ここでは確かに悍ましい化け物を何度か見たけど、俺たちには関心を示さなかった」

「デカいキノコに、首の無い化け物の集団か」

「ああ。それに世界の姿も変わらない。いい加減、荒野は見飽きたけど」


 石棺をもとのあるべき場所に埋め戻すと、私とイーサンは石組みの壁を背にして座った。それからハクが身体の前面に向かって五つの光球を動かして、それらの球体をひとつにまとめ大きくしているのを眺める。

 さっさとこの場を離れたかったが、砂嵐が過ぎ去るまでは身動きが取れない。

 イーサンはシャベルを片付けると、水筒を取り出して水分補給しながら言った。

「混沌の領域は願いを叶えると言われているが、正確にはどういうことなんだ?」

「俺も詳しいことは知らないんだ。なんでも『禍の国』と呼ばれる領域が、それに深く関わっているみたいなんだけど、そもそも『禍の国』がどういったものなのかも俺には分からない」

「たとえば」とイーサンが言う。「俺がウィスキーを飲みたいと願っても、この水筒に入っている水がウィスキーに変化するわけじゃないんだろ?」

「そうだな。異界にいるからって、全ての願いが聞き届けられるわけじゃない。この領域に入ってから、俺がずっと願っているのは、さっさと肉塊の化け物が這い出た洞窟を見つけて、そこを破壊して帰ることだ。でも目の前に洞窟が現れることは無い。瀬口早苗のことだって、未だに何処にいるのかさえ分かっていない状態だ」


「全ての願いが叶うわけじゃない……か」イーサンは水筒をバックパックにしまいながら言う。「ところで、それは誰が判断しているんだろうな」

「判断?」と私は頭を傾げる。

「叶える願いを取捨選択している神のような存在がいるんじゃないのか?」

「神か……確かにそうだな。あまたの願いをこの世界に具現化させるんだから、人間が想像するような全知全能の存在でなければ務まらない……その存在が、人類に対して敵対的な存在じゃないことを願うよ」

「少なくとも、俺たちを殺す気は無いんだろうよ。この墳墓だって、砂嵐の接近に気づくまで何処にも存在していなかったんだ」

「墳墓すらも、俺たちの望みや願いが関係しているのか……」


 まるで恐ろしい化け物の唸り声が、地の底に開いた強大な空洞を通って吹き付けてくるような、騒がしい砂嵐の音がピタリと止まると、耳の痛くなるような静寂が墳墓に訪れる。

 私は戦闘服についた砂を払いながら立ち上がると、外の様子を確認していたカグヤのドローンに視線を向ける。

「砂嵐は過ぎ去ったのか?」

『うん』とカグヤが答える。『とりあえず砂嵐の脅威は無くなった』

 斜めに傾いた状態で石組されていた入り口に向かうと、ハンドガンを使って入り口に張られていたハクの糸を回収する。それからゆっくりと石室内に入り込んできた粉塵の向こうを覗き込んだ。

「視界がひどく悪いな」

『根の位置は記録していたから大丈夫だよ』

 カグヤの言葉のあと、視界の先に拡張現実で矢印が表示され、それは赤い線で縁取られた根に向かって移動した。


「レイ、先に進もう」と、出発の準備を終えたイーサンが言う。「視界は悪いが、どの道、俺たちは根に沿って移動するんだ。迷う事はないだろう。それに、この場所に長く留まるのはマズい気がする」

「分かった」私は同意すると、白蜘蛛に視線を向けた。

 ハクは身体の周囲に浮かべていた光球を消していて、すぐに移動できる準備を終えていた。私はハクに頼んで細い糸を吐き出してもらうと、それをハーネスの金具にしっかりと結び、それから我々三人の身体を糸で繋げた。これで見通しの悪い砂煙のなかで、はぐれてしまう危険性を減らせるだろう。

「準備は良いか、ハク?」

『もんだい、ない』と、ハクの機嫌の良い声が聞こえる。

 こんな状況でも、いつも通り元気なハクの声が聞けると、それだけでホッと安心できた。


 我々は墳墓を出ると、念の為に新たな通信装置をその場に設置し、カグヤが表示してくれた矢印に従って根の側まで歩いていった。二メートル先もハッキリと見通せない視界のなか、背後に振り返ると、先程までそこに存在していたのが嘘のように、墳墓の姿は確認できなくなっていた。我々の願いに答えるように姿を見せた墳墓は、出現したとき同様に、気づかぬうちに姿を消してしまう。あの石棺もまた、茫漠とした異界の領域の何処かを彷徨い続ける存在なのかもしれない。そしていつか我々が発見したように、誰かの手で棺が暴かれる日が来るのかもしれない。


 マスクで頭部全体を覆っていても、息の詰まるような気分になる砂煙の中を歩きながら私はカグヤに訊ねる。

「輝けるものたちの瞳について、なにか分かったのか?」

『使用方法は分かったけど、人間が手に入れた研究情報はやっぱり閲覧禁止だった』

「なんとなく、そんな気はしていたよ」

『でも研究は順調にできたみたい。人間を支援した『大いなる種族』の技術的見識を鑑みれば、それほど難しい問題じゃなかったんだ』

「技術ね……少なくとも奇跡や魔法の類じゃなかったんだな」

『そうとも言えないけどね』


「どういうことだ?」と私はカグヤに訊ねる。

『ハクが見せてくれた閃光を発現させるには、生物資源を燃料にする必要がある』

「生物……」とイーサンが頭を傾げる。「有機物を使って攻撃を行っているのが?」

『うん。バイオマス転換された生物のエネルギーを必要とするんだけど、そこで重要視されるのは、生物の魂というか……そこに存在していた生命のエネルギーそのものなんだ』

「急にオカルトじみた話になったな」

『だから言ったでしょ。今の私には、あの閃光が魔法や奇跡じゃないって断言することはできない。もちろん、あの瞳は研究されて原理が解明されているんだから、旧文明の人間にしてみれば、説明のできる現象だったんだろうけど……』


 ハクが自慢するように浮かべている光球を見ながら、私はカグヤに訊ねる。

「あの閃光を使用するのに、俺は魂を捧げないといけないのか?」

『その必要はないよ。レイは旧文明の鋼材を燃料にすれば良いんだ』

「そうか」とイーサンがひとり納得する。「旧文明の未知の鋼材は、生物の死骸から出来ているって話だったな」

『うん。数え切れないほどの生命体の魂が凝縮された物質を利用すれば、レイにも閃光は放てる。現にレイは今まで、それと同じような閃光を何度も放ってきた』

「同じ?」と私は困惑する。

「重力子弾だな……」とイーサンが苦笑する。「あの閃光は、文字通り死の閃光だったんだな」

『旧文明の人類がしてきたことを知れば知るほど、私は彼らの存在が恐ろしくなる』

「そうだな……」


「まだ分からないことがある」と、私は砂煙の向こうに見え隠れする黒い影を見ながら訊く。

『ハクがどうやって、あの球体を出現させているのか?』とカグヤが言う。

「ああ」

『分からない』とカグヤはキッパリと言う。『それに関しては情報が残されていないし、宇宙軍のデータベースに情報があったとしても、今の私たちの権限で確認できる可能性は限りなく低い』

「それは困った。ハクに瞳を使うなとは言えないし……」

 すごく機嫌が良くなっているハクから瞳を取り上げるのは、さすがに気が引けたし、なにより混沌の領域が叶えたハクの願いが、人間の意思で簡単に奪えるようなものだとは思っていなかった。


『でも、この瞳はハクの願いが具現化したものでもあるんだ』とカグヤは言う。

「つまり?」と私は訊く。

『魂に含まれる何かしらのエネルギーを消費しないでも、ハクが自由に利用できるように、瞳には特別な処置が施されているのかもしれない』

「悪魔に似た化け物がやったように、ハクも自由に瞳をつかえるのか?」

『うん』

「流石にそれは無いんじゃないか?」

『どうしてさ』

「ハガネが飲みこんだ『瞳』は、燃料を必要とする」

『それすらも考慮されていたんじゃないの?』

「ハクの為に別の瞳が用意されていた? それじゃまるで俺たちのやろうとしていることが、その願いを叶える神だかなんだかに見透かされているってことなのか?」

『……残念だけど、その可能性はあるよ』

 私は深い溜息をつくと、どんよりと立ち込める砂煙に視線を向けた。


 壊すことの出来ない壁の前に立った気分がした。どれほど足掻いても、壁を壊して自由を得ることができない。それは完全無欠な壁なのかもしれない。どんな力をもってしても犯すことのできない絶対的な壁だ。


 どのくらい歩いただろうか、黄土色の砂煙のなかを歩いていると、根に半ば埋まるようにして地面に横たわっている人間の死骸を見つけた。その白骨化した大柄の死骸は灰色のバトルスーツを身につけていて、スーツの肩には視認性を低下させる灰色の暗い濃淡で塗られた『エボシ』の社章が確認できた。

 私は死骸の側にしゃがみ込むと、カグヤのドローンに死骸をスキャンさせた。

「瀬口早苗のように、肉塊の化け物に取り込まれた人間が他にもいたのか?」

『姿を真似ることはできても、瀬口早苗のような存在になるのは難しいと思う』

「どうしてそう思うんだ」

『瀬口早苗が洞窟に辿り着いたときには、探索隊として彼女に同行していた警備隊員の生き残りはひとりもいなかった。だから瀬口早苗がされたように、生きた人間の記憶や生体情報が奪われるようなことは無かったんだと思う』

「生きていなくても、脳を調べれば良いんじゃないのか?」

『でもその肉体に人の魂は存在しない。それはただの肉塊だ』

「また魂か……」


「レイ」イーサンは小声でそう言うと、片膝を地面につけてライフルを構えた。

『何かいる』カグヤのドローンが光学迷彩を起動して姿を隠すと、私はカグヤから送られて来る周辺情報を確認した。

 すると鈍い音を立てて何かが我々のすぐ側に落下する。

 イーサンの視線を合図に我々は動き出す。砂煙が風にゆっくり流され、視界の先が僅かに視認できるようになると、白亜紀に生息していた翼竜にも似た生物が地面に横たわっているのが見えた。


 生物の全身には茶色い細かな羽毛がビッシリと生えていたが、首と、それから異様に細長い頭部は青紫色の硬そうな皮膚が剥き出しになっていた。そしてその頭部には、先端が鋭く尖った長いクチバシがついていて、うねうねと動く舌を喉の奥に引っ込めると、クチバシのなかに尖った大量の歯が生えているのが見えた。

『さっきの砂嵐で窒息したのかも』と、翼竜に似た生物をスキャンしていたカグヤが言う。『喉に魚のヒレのような器官があるんだけど、それに大量の砂が詰まってる』


 翼を広げると八メートルを優に超えそうな怪物の側に近づくと、羽毛が生えていない生物の首に視線を向ける。確かにそこにはサメのヒレにも似た何かがあって、そこから大量の砂が吐き出されていた。

「ハク、危ないから近づいたらダメだ」イーサンがそう言った時だった。

 地面に翼竜の巨大な影が差したかと思うと、悲鳴のような甲高い鳴き声を上げながら怪物が次々と落下してくるのが見えた。

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