第398話 眼


『レイ、あいつだ。瀬口早苗を襲ったやつだ!』

 カグヤの言葉に頷くと、人間の皮を纏った人型の化け物に向かって、すかさず反重力弾を撃ち込んだ。しかし化け物は皮だけをその場に残して、大量の金の砂粒に変化すると、床に散らばりながら消えてしまう。床に残された継接ぎだらけの人間の皮膚は、するすると素早く床を移動しながら近づいてくる。

 攻撃目標を失った反重力弾は、しかし天井から降ってきた大男に擬態した化け物の身体に食い込み、甲高い金属音を発した。


 近づいてくる気色悪い皮膚に攻撃する為、弾速を優先した貫通弾を撃ち込む。けれど皮膚は攻撃を予測しているような動きを見せて、次々と射撃を躱してみせた。床は爆ぜ、貫通弾による無数の破壊を残していくが、化け物を捉えることは出来ない。そしてその間も、天井の亀裂からは大男に擬態した多数の化け物が落下して来ていた。


 這い寄る皮膚に気を取られていると、灰色のバトルスーツを身につけた大男が突進してきた。反応が遅れた私は衝撃を覚悟して、大男の突撃に備えた。しかし攻撃を受けることは無かった。大男に跳びかかったハクが大男の巨体を地面に押し倒し、鋭い鉤爪で頭部を切断するのと同時に胸部に鉤爪を突き刺し、大男の動きを止めた。そして接近してくる他の大男に対して次々と糸の塊を吐き出した。それらの塊は大男の化け物に直撃する瞬間、網のように広がり、彼らの身体に絡みつく。大男たちは糸に足を取られ、そのまま地面に倒れる。


 それからハクは地面に押さえつけていた大男に向かって赤黒い糸の塊を吐き出した。その糸は化け物に触れた箇所から、まるで燃え広がるように大男の身体を熔かしていった。バトルスーツに変質していた肉が無くなると、皮膚が熔け、そして体内で蠢いていた肉塊の集合体を熔かしていった。

 立ち上る蒸気の奥に、興奮状態で赤く発光している白蜘蛛の眼が見えた。ハクは抑えつけていた大男の身体から跳びあがると、突進して来ていたもう一体の大男に向かって落下しながら脚を素早く振り抜いた。ハクの鉤爪は大男の頭上から、股まで一直線に切り裂いた。二つに別れた身体は肉塊に変化し、奇妙に蠢き、その場から逃げようとするが、ハクの脚に串刺しにされる。そして吐き出された糸の塊に熔かされていった。


『レイ!』

 カグヤの声に反応して私は咄嗟に後方に飛び退き、這い寄る皮膚から距離を取ると、ハクの糸に捕らえられていた化け物に向かって立て続けに反重力弾を撃ち込んでいく。しかし敵の数が減ることは無かった。天井に生じた亀裂からは大量の玩具の兵隊が降ってきていた。三頭身の身体を持つ樹脂製の人形はマスケット銃を胸に抱いて、パタパタと可愛らしい動作で隊列を組むと、私とハクに向かって一斉に銃口を向ける。

 そのマスケット銃から、連続した乾いた射撃音がホールに鳴り響き、辺りに白煙が立ち込めると、電光を帯びた肉片が凄まじい速度で飛んでくる。ハクは空中に跳躍し天井に張り付いて攻撃を躱し、私は無意識的に液体金属を操作すると、身体の側面全体を覆う大盾を形成し攻撃を防いだ。しかしその際の衝撃は凄まじく、私は跳ね飛ばされるように宙に浮きあがる。


 着地すると同時に身体を液体金属の装甲で覆い追撃に備えた。が、視線を玩具の兵隊に向けると、ハクがその隊列に突っ込み、三頭身の人形を鉤爪で切り裂いていく様子が目に入る。その瞬間、黒い影が振り下ろされるのが視界の隅に映った。私は身体を硬直させていた装甲を反射的に解くと、仰け反るように身体を動かして攻撃を躱した。先程まで私の身体があった場所を、継接ぎの皮膚を纏った異様に長い腕が通過し、轟音を立てながら床に深く突き刺さった。


 私はすぐ近くにいた化け物に向かって身体を捻ると、至近距離で貫通弾を数発撃ち込んだ。甲高い金属音と共に撃ち出された銃弾を腹部に受けた化け物は、跳ね飛ばされるように後方に吹き飛び、貫通弾の凄まじい衝撃で螺旋を描くように回転しながら、床を転がっていく。その間、化け物は耳の痛くなるような絶叫と共に、気色悪い体液を周囲に撒き散らしていた。


 継接ぎの皮膚を纏う化け物の身体は激しく痙攣し、銃弾で破壊された腹部からは、緑色の泡のようなものがじくじくと噴き出していた。化け物の四肢は痙攣により震え、頭部を床に何度も打ち付けながら振り回されていた。そしてその間も、奇妙な絶叫がホールに響いていた。その叫びに共鳴するように、亀裂が生じていた天井の一部が勢いよく崩落し、大量の玩具の兵隊と大男がホールに降ってくる。


「切りが無いな」舌打ちと共に悪態をつくと、私はハンドガンを構えて、出現した大量の化け物に対して効果範囲を制限しない反重力弾を撃ち込もうとした。が、次の瞬間には腹部に凄まじい衝撃を受け吹き飛び、高速車両のプラットホームに繋がるガラス張りの壁を破壊しながら通路に転がっていった。

 すぐに上体を起こそうとするが、下半身の感覚が無く、足に力を入れることができなかった。と、すぐ近くに停車していた車両が凄まじい衝撃を受けて、車体を凹ませ、轟音を立てながら壁に衝突した。車両の停車していた場所には皮膚を繋ぎ合わせた化け物が立っていた。


 無理やり癒着されたような、そんな歪な痕が残る皮膚は盛り上がり、脇腹からは幼い子供のものだと思われる無数の腕の皮が、萎んだ風船のように垂れ下がっている。その化け物は繋ぎ合わせた皮膚の奥から、白濁した瞳を私に向ける。冷たい視線だった。まるで道端に捨てられたゴミを見つめる眼だ。そこには私に対しての感情は一切含まれていなかった。怒りも憎しみも存在しない。


『みなさん、ようこそ』

 化け物から低い声が聞こえた。それは老人のしゃがれ声にも聞こえた。

『旅にご案内します。食事の時間です』

「何を言っているんだ?」私はそう言うと、足の感覚を確かめるようにつま先を動かした。

『記憶の迷宮へようこそ。食事はテーブルについて、非常口はご遠慮ください』

 騒がしい射撃音が続くホールに視線を向けると、子供たちと戦闘している玩具の兵隊が見えた。白蜘蛛は子供たちの援護に向かおうとしていたが、複数の大男から猛攻を受けて、子供たちの援護にいくことが出来ないでいた。

『食事の時間です。座席から離れないでください』

 化け物はそう言うと身体を痙攣させる。その際、貫通弾によって腹部に開いた穴からぶよぶよとしたグロテスクな肉片が滴り落ちて、べちゃべちゃと嫌な音を立てた。


 私は腕を持ち上げて、化け物に向かって貫通弾を撃ち込む。が、化け物は無数の指を生やした奇妙な手で弾丸を受け止めた。その際の衝撃で、化け物が纏っていた人間の皮膚が裂け捲れ上がると、化け物の体内でミミズのように蠢く無数の肉片が見えた。そして貫通弾のあとに撃ちだしていた反重力弾が化け物に接近する。が、またしても化け物は金の砂粒になって地面に散らばると、その場から逃げ出した。

 軋みを上げ、ひしゃげていく高速車両の車体や、銀色のレールが反重力弾によって圧し潰されていくのを見ながら、私は身体の感覚を確かめる。ナノマシンのおかげで痛みは感じなかったが、息が苦しかった。肺にダメージを負ったのかもしれない。


 反重力弾が周囲を徹底的に破壊し終えると、トンネルの先にライオンに似た人面の化け物が立っているのが見えた。大きな身体は茶色い羽毛に覆われ、奇妙な脚は無数の関節を持っていた。

『食事の時間です。みなさんが夢をみる』と化け物は繰り返す。

「奴は何が言いたいんだ?」

『知っている言葉を適当に繋ぎ合わせて、会話をしようとしているのかも?』

 カグヤの言葉に私は頭を振る。

「やつが本当に会話したいのかは分からないけど、腹を空かせているのは分かるよ」

『それなら、これ以上やつを近づけさせないで』

「努力はしてる」

 私はそう言うと無理やり身体を起こして、壁に背中をつけた。

『動けそう?』

「少し休ませてほしい」

『休ませてくれると思う?』

「難しいだろうな」


 人面の化け物は頬を大きく膨らませると、息の代りに発光する無数の蝶を口から吐き出した。煌々とした幻想的な色を発しながら舞う蝶は、トンネル内を不規則に飛び、互に接触すると次々と爆ぜ、薄暗いトンネルを照らしだしていく。

 私は接近してくる美しい輝きを見ながら、ハンドガンの弾薬を切り替え、金属製のネットを撃ち出した。本来は標的を捕縛するのに使用する弾薬だが、細かい網目を持つワイヤロープは、無数の蝶を巻き込み破壊するのに打って付けの攻撃になった。広がった金属ネットは化け物に向かって飛んで行きながら、目の前にあった蝶に接触し、次々と破裂させていった。


 小気味いい連続した破裂音のあと、通路に静寂が戻る。金属ネットに捕らえられた化け物は、しかしすぐに赤黒いどろどろとした液体に変質し、網の間から流れ出し、金属ネットの拘束から逃れ、また人面のライオンに姿を戻していった。

『ヤトを使うしか、あいつを倒す方法は他に無さそうだね』とカグヤが言う。

 私は袖から覗く手首の刺青にちらりと視線を向けると、フクロウ男の言葉を思い出す。危険なのは分かっている。

「それでも、背に腹は変えられない。奴が接近してきたら、刀を突き刺してやる」

 ライオンにも似た化け物は、半身を低くすると、猫が狩りをする時のように、視線を低くしながらゆっくりと私に近づいてくる。


 それから化け物は唸り声をあげ、跳びかかる為に後脚に力を入れ、そして地面を蹴った。脚力で地面が爆ぜると、空中に跳びあがった化け物の姿がゆっくりと近づいて来るのが見えた。極限まで集中した意識が見せるスローモーションの世界。それは、化け物の口の奥で蠢いていた肉片がハッキリと確認できる程のゆっくりとした世界だった。


 しかし化け物の攻撃が私に届くことは無かった。横手から跳び込んできたハクの激突を受けると、凄まじい衝突音と共に化け物は壁に叩きつけられる。絶叫し身をよじりながら暴れる化け物を抑えつけるように、ハクは化け物を下にして壁に張り付くと、無数の脚を化け物の胴体に突き刺し、そして赤黒い糸の塊を化け物に向かって吐き出した。しかし化け物は尚も暴れ、体液を振りまきながらハクに向かって声の限り吼えた。が、ハクは容赦なく化け物の口に鉤爪を突き刺した。


 化け物の身体が激しく痙攣すると、燃えるように発光しだした。その奇妙な炎は実体を持っているのか、ハクは化け物の側を急いで離れると、私を庇うように、すぐ隣に跳んでくる。その間も化け物の身体はパチパチと燃え、そして肉塊に変化すると、風船が膨らむように身体を大きくしていった。

 そして肉塊は青銅の鎧をまとった巨人に変化していく。巨人の頭部が天井に接触しても、変化は止まらない。青銅の巨人は通路を破壊しながら強靭な身体を形成していった。その時だった。無数の飛翔体が巨人の身体に食い込むと、騒がしい音を響かせながら立て続けに炸裂していった。


 プラットホームに視線を向けると、白煙を吐き出すライフルを構えたミスズの姿が見えた。彼女は青銅の巨人に小型擲弾を撃ち込みながら通路に向かって飛び降りると、私とハクの側に来た。

「大丈夫ですか、レイラ?」

 ミスズはそう言うと、変化の止まった化け物を睨んだ。

「ああ、何とか大丈夫だよ」

「遅くなりました」

「最高のタイミングだったよ」

 エレベーターホールに視線を向けると、イーサンの指揮する部隊が玩具の兵隊を制圧している様子が見えた。練度の高い、密に連携の取れた的確な攻撃で玩具の兵隊は次々と肉片になるまで破壊され、そして跡形も無く燃やされていった。抵抗を続けていた大男の化け物は、高周波振動発生装置を備えたナミの大鉈で身体を切断され、肉塊が露出すると、ヤトの戦士たちが火炎放射で焼き尽くしていった。


 青銅の巨人に視線を戻すと、私はハンドガンを持ち上げた。

「ミスズ、ここでこの化け物を始末する」

「はい」

「ハク、用意は良いか?」

『うん』

 身体が膨らみ続けていた化け物に向かってミスズが射撃を行い、ハクが無数の糸の塊を吐き出すと、私は威力の制限していない反重力弾を撃ち込んだ。

 空気をつんざく悲鳴と共に、身体を破壊された化け物は、反重力弾の作用により一瞬、身体の動きを止め、そして甲高い金属音と共に発光する球体に向かって、凄まじい勢いで身体が引き込まれていった。


『レイ、あれを見て』

 カグヤはそう言うと、光球に吸い込まれていく化け物の身体の先を拡大表示した。地面に最も近い位置にあった肉片から、かろうじて視認できる細い糸が伸びているのが見えた。それは地面にできた亀裂に向かって続いていた。

「化け物の本体は、あの糸の先か……」

『うん』

 反重力弾の輝きが収束していくと、そこには高密度に圧縮された物体だけが残ることになった。宙に浮いていたそれは、やがて落下し地面で鈍い音を立てた。


 化け物が立っていたトンネルに目をじっと向けて、それから私は言った。

「周囲に反応は?」

『ドローンの動体センサーでは確認できないよ』

 カグヤがそう言うと、ミスズと共にやってきた偵察ドローンが光学迷彩を解いて姿を見せる。

「今の攻撃で、やつを倒せたと思うか?」

『ううん。残念だけど、逃げられたと思う』

「最悪だな」と私は溜息をついた。


「よう、レイラ」とイーサンの声がして私はホームに視線を向ける。「今回は、さすがのお前さんでも危なかったみたいだな」

「そうだな」と私は苦笑する。「救援に感謝するよ。子供たちは無事か?」

「ああ。部隊が保護したよ。負傷者も出ていない」

「良かった」と私は心底ほっとした。

 イーサンがやってくると、私に手を差しだした。私は彼の手を握って、何とか立ち上がることが出来た。

「それじゃ、子供たちを連れてさっさと脱出しよう」と、イーサンはトンネルの惨状を見ながら言う。「ミスズ、すぐに動けるように、子供たちをまとめてきてくれるか」

「わかりました」


 ミスズとハクがエレベーターホールに向かうのを見ていると、短い電子音と共に視界の隅に通知が表示される。

『レイ、娯楽施設に残してきた警備用ドローンが瀬口早苗の痕跡を発見した』

 カグヤの声を聞きながら、私はドローンから受信した映像を確認する。

「場所は?」

『地下の研究室。恐らく瀬口早苗は立ち入り禁止区域に向かったと思う』

「異界の領域に繋がる『門』が設置されている可能性のある場所だな」

『うん……どうするの?』

「行くよ。どの道、肉塊の化け物を外に出さないようにするには、この施設を完全に封鎖しなければいけない。そしてそれは門が閉じていなければできないことだ。それに……」

『それに?』

「子供たちの母親が生きているかもしれない」


 私はしばらく思案したあと、ホームで待っていてくれていたイーサンに声をかけた。

「イーサン、俺はこれから施設の最深部にある研究施設に向かおうと考えている。そこは異界の領域に近い危険な場所でもある。最悪、そこで俺たちのどちらかが死ぬことになるかもしれない。それでも、一緒についてきてくれないか?」

 イーサンはタクティカルベストから煙草のパッケージを取り出すと、ゆっくりした動作で煙草を咥え、オイルライターで火をつけた。

 そして煙を吐き出しながら言った。

「案内してくれ」

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