第397話 悪夢


 のんびりと飛行しながら、閑散としたエレベーターホールを偵察していた警備用ドローンを眺めていると、ドローンが絶対に近づかない場所があることに気がついた。そこは居住区画に繋がる通路の入り口で、高速車両を使用しなかった場合、ホールに出入りが可能な唯一の場所でもあった。その通路には水平型のエスカレーターが設置されていて、通路に沿って投影されているホログラムディスプレイが幾つも確認できた。


「カグヤ、あの通路の先にドローンは偵察しに行っていないけど、何かあるのか?」

『あそこには特別な仕掛けがあって、生体認証によって通行を制限するシールドが常時展開されているんだよ。システムによって監視されてるから、ドローンを配置する必要が無いんだ』

「そのシールドは人擬きや、肉塊の化け物を通さないのか?」

『これを見て』

 カグヤがそう言うと、拡張現実によって床下にある配管が立体的に表示される。

「地中の配管にシールドの膜が重なっているな」

『うん。この場所は施設の主要な出入り口でもあるから、配管やダクトから施設に不正に侵入されることがないように、シールドの膜は床下にも伸びているんだ』

「それなら、肉塊の奇襲を警戒しなくても大丈夫そうだな」

『そうだね。私も調べて分かったんだけど、車両の通過するトンネルにもシールドは張り巡らされているから、向こうからも化け物が侵入してくることは無い』

「出発前に車両のドローンからスキャンされていたのは、シールドを通過する為の生体認証だったのか」

 私は施設の防犯装置に感心しながらそう言うと、ホールの先にあるエレベーターに視線を向ける。

「そのシールドがあったから、今まで肉塊の化け物が地上に行くことを阻止できていたのかもしれないな」

『あぁ、その可能性はあるね』とカグヤが適当に同意する。


 ソファーで眠っている子供たちの様子を確かめると、チハルがやってきて私の隣にちょこんと座った。

「眠れないのか?」

「緊張しています」とチハルは答えた。

「そうだな。地上での暮らしは、この施設のそれとはまったく違う生活になる。だから不安になるのも無理はない。それに、この施設ともお別れだ」

「はい……」

「やっぱり、母親のことが気がかりか?」

「もしも許されることなら、母を探しに行きたかったです……」

「残してきたドローンが捜索してくれている。だからまだ希望はあるさ」

「そうですね……」

 チハルはそう言うと、忙しなく視線を動かして周囲の様子を確認する。

「まだ気になることがあるのか?」

「あの、このあとはどうするのですか?」


「そう言えば、チハルたちにちゃんと説明していなかったな。今は地上につながる駅構内の人擬きを殲滅して、安全確保を優先している段階なんだ」

「駅ですか?」

「ホールの先にエレベーターがあるだろ?」と私はチハルの視線を誘導する。「それを使って一気に地上に向かうんだ。でもそこにも危険な変異体がたくさん潜んでいるから、それを地上にいる仲間たちに手伝ってもらって、処理している段階なんだ」

「レイラさんのお仲間ですか?」

「ああ。チハルたちにとっては見知らない大人だけど、不安になることは無い。彼らもチハルたちを助けるために、尽力してくれている味方だから」

「大人ですか……」

「それに、彼らはデータベースに登録されていないけど、ちゃんとした人間だ。だから怖がる必要もない」


「データベースに登録されていない人間が存在するのですか?」とチハルは驚く。

「チハルたちが地上に関してどれほどの知識を持っているのかは分からないけど、現在の地上は文明が崩壊し、廃墟に埋もれた世界になっているんだ。その文明を支えていた人類は、危険な変異体として地上を彷徨い、残された僅かな人間は、壁に囲まれた鳥籠と呼ばれる集落で生活を続けているんだ」

「鳥籠ですか……」

「ああ。彼らは端末を所持していなければ、データベースに接続することも出来ない。そして接続できる者にとっても、データベースはライブラリーにある娯楽を提供する道具としか使用されていない」

「僕たちと同じような状況ですね」

「そうかもしれないし、もっと酷い状況の人間もいる」


「そうですか……あの、レイラさんは、どうして僕たちの為に戦ってくれるのですか?」チハルはそう言うと、真剣な表情で私を見つめた。

 私はチハルの少年特有の男にも女にも成り得る綺麗な顔立ちを眺めながら考える。睫毛が長く、灰色がかった青緑色の瞳は、人造人間特有のものでは無く、遺伝子的多様性に富んだ人間の特徴でもあった。


「それが人間として当然の行為だと思っているからだよ」と私は言った。「チハルたちだって、俺とハクを助けに来てくれただろ?」

「でも、地上の人間は他人に親切じゃないと聞きました」

「地上で生きていくのは厳しいからな」

「それなら尚のこと、人間は互いに助け合うべきじゃないのでしょうか? 僕たち兄妹は助け合って今まで生きてきました。そしてそれは、争うことで状況がもっと酷いことになるって、子供の僕たちでも分かったからです」


「その答えは俺にも分からないよ」私はそう言うと、退屈そうにしていた白蜘蛛の体毛を撫でる。「でも、そうだな……地上で共同生活する人間たちは、しょせん他人の集まりでしかないんだ。だから接点の無い人間に対して関心がないんだ。他人が腹を空かせて死んでも、罪悪感なんて覚えない。それよりも自分たちの生活の心配をする。子供に食べさせるパンの代金をどうやって稼ぐのか、廃墟の街でガラクタを漁っている時に、どんな風に身を守るのか、とか。だから他人に優しくする余裕なんて無いんだ」

「でも人間は遺伝子によって――つまり、設計図となる核に少しの違いはありますけど、結局のところ皆が同じ素材で出来ています」とチハルは言う。

「素材ね……確かにそうなのかもしれない。でもだからと言って肉親になれる訳じゃない」

「僕たち人造人間は、厳密に言えば兄弟ではありません。血も繋がっていませんし、設計思想も異なります。物作りが得意な子供もいれば、歌うことが好きな子供もいます。でも僕たちは互いを愛して、兄弟として生きています。人間にはそれが出来ないのでしょうか?」


 チハルの言葉について少し考えて、それから私は言った。

「それが出来る人間もいる。かつては皆が助け合い、平等に生きられるように、個性のない社会を理想とした時代もあった」

「個性のない社会ですか……?」

「これは極端な例だけど、誰もが知る有名人に不幸があると、それを大々的に報道したりして、その人間とほとんど接点の無かった人たちの同情心や、罪悪感を誘ったりしたこともあったんだ」

「何のためにそんな事をするのですか?」

「皆の為に頑張っていた人間に不幸があった。それなら今度は自分がその人間の代りになれるかもしれない。あるいは、その人間を不幸にした社会を変えることが出来るかもしれない。自己を捨て、他人を愛し、互いに助け合えば社会は変化する。そう思わせることで人間の公共心を養うんだ。自分自身が存在しているのは、己の為じゃなく、社会の為にあるんだということを意識の深いところに植え付けていく。個人主義から全体主義へと考えを変えていったんだ」


「それは間違ったことなのでしょうか?」とチハルが頭を傾げる。

「いや、間違ってはいないよ。人間にはもともと他人を思いやる心が備わっているし、秩序立った社会を築く為に、公共にとって利益のある行動をとる。というのは、重要な課題でもあったんだ。でも何事にも限度はある。平等に基づく博愛主義を突き詰めれば、人間の個性と自由は奪われていくものだから」

「博愛主義」とチハルは疑問を浮かべる。

「でもそれは理想でしかない、だから成功しなかった。産まれつき聖人のような人間もいれば、産まれついての悪人も存在する。性善説を信じる人たちには申し訳ないと思うけど、データベースのライブラリーを覗けば、その証拠は幾らでも出てくる。人間の歴史を知れば、人間がどれほど残忍な生き物かハッキリと分かる」

「それは僕には理解できない感情です」

「それが人間に無い、チハルたちだけの特性なのかもしれないな」

「人造人間の特性ですか?」

「第三世代の人造人間が、パートナーである人間に対して抱く無償の愛情。そこに悪意なんて概念は存在しない」


 それまで退屈そうに話を聞いていた白蜘蛛が身体を起こすと、私は反射的に索敵マップを確認した。

『てき、くる』

 ハクの可愛らしい声を聞きながら、私は立ち上がりライフルを構えた。

「ハク、敵は通路の先から来るのか?」

『ううん。あそこ』ハクはドーム型の天井に向かって長い脚を伸ばした。

「カグヤ、予定変更だ。子供たちを今すぐ地上に向かわせる」私はそう言うと、エレベーターを操作する為に端末に駆け寄り、アイドリング状態だったエレベーターのシステムを完全に起動した。

『見つけた』カグヤの言葉のあと、天井の一部が赤い線で縁取られる。

「肉塊の化け物どもは天井を破壊して侵入してくるつもりなのか」

『うん。イーサンに連絡してすぐに迎えに来てもらう。レイは子供たちをエレベーターまで誘導して』


 私はチハルと共に眠っていた子供たちを起こすと、輸送ヴィードルに指示を出してエレベーターに続くゲートを一緒に通り過ぎる。それから子供たちと協力して、周囲に置かれていたソファーやベンチを運んできてエレベーターの前に簡単なバリケードを築いていく。幸いな事に、空港の搭乗待合室を思わせるホールには大量のベンチが設置されていたので、バリケードを築くのは容易だった。

我々が作業している間も、破壊されていく天井からは不気味な振動と嫌な音が響いてきていた。


 出来合いのバリケードに、射撃の為に残した隙間からホールを覗き見たあと、私は屈んでチハルと視線を合わせる。

「いいか、チハル。これから敵が押し寄せてくるけど、チハルたちはこの場に留まって、接近してくる敵にだけ対処してくれ」

「わかりました」

「もうすぐエレベーターが来るから、乗り込む準備もしておいてくれ」

「レイラさんはどうするのですか?」

「俺とハクは前に出て敵の注意を引きつける」

「危険です。ここに一緒にいてください」


 チハルの言葉に私はゆっくりと頭を振る。

「俺の考えが正しければ、やつらの目的は人間である俺の生態情報と記憶だ。だから俺が前にいる限り、チハルたちが奴らに攻撃されることは無い」

「それなら僕もレイラさんと一緒に戦います。こう見えても僕は戦闘に――」

「チハル」と私は彼の目を見つめながら言う。「子供たちが頼りにしているのは俺じゃなくて、今まで自分たちを導いてきたチハルなんだ。だから子供たちが動揺しないように、ここに残ってくれ。大丈夫、俺にはハクがついてくれている。だからチハルは自分たちの身の安全だけを考えて行動してくれ」

「でも……」

「大丈夫だ。何も恐れる必要は無い」私はそう言うと、小刻みに震えるチハルの身体をそっと抱きしめた。私が不安を抱えているように、チハルも不安を抱えている。でも今はその不安や恐怖に潰されるわけにはいかない。敵はすぐそこまで迫っているのだ。


 積み上げられたベンチは頼りないが、何も無いよりはマシなのかもしれない。それに、いざというときの為に、子供たちにはシールドを生成する球体型の装置を渡してある。玩具の兵隊が相手なら、エレベーターが来るまでの間、あの奇妙な射撃にも耐えられるだろう。

 私はハクと共にホールの中心に向かうと、肉塊の進攻に備えた。と、天井に出来た小さな亀裂から何かが落下して、床に衝突すると乾いた音を鳴らした。ハガネを操作してマスクで頭部を覆うと、視線の先を拡大する。

 するとまた乾いた音が閑散とした空間に響いた。拡大した視線の先に映ったのは、でっぷりとした腹部を持った十センチほどのゴキブリだった。それが天井から次々と落下してくる。

『気をつけて』とカグヤが言う。「あのゴキブリも肉塊が擬態した生物だよ』


 そして悪夢のような光景が目の前で繰り広げられる。天井に出来た亀裂から大量のゴキブリが滝のように噴出してきたかと思うと、それは奇妙に蠢くゴキブリの山を作っていく。私はハクと共に後退すると、ゴキブリの山からやってくる赤茶色の波を火炎放射で焼き払っていった。ゴキブリは炎に晒されると、気色悪い体液を撒き散らしながら破裂していった。私がゴキブリを焼いている間、ハクは天井に出来た亀裂を塞ぐために、亀裂に向かって糸を吐き出して隙間を塞いでいったが、広がっていく亀裂を止めることは既に出来なくなっていた。昆虫は止めどなく溢れ出ていた。


『僕はファンタズマ!』

 幼い子供の声がホールにこだますと、天井から降っていたゴキブリの滝は止まり、迫ってきていた気色悪い群もピタリと動きを止めた。ゴキブリの群れはその場で長い触覚を小刻みに動かした。

『チョコレートで一致する水面! インプラントの死体が踊るよ。亡き女王の為の皮を剥ごう! 皮を剥ごう!』

 ゴキブリの山がぬめりを持ったぶよぶよとした肉塊に変化していくと、三頭身の人形を形作っていく。樹脂製の皮膚を持った人形を覆うのは、身体に貼りつくタイトなビニールレザーの赤いシャツ、そしてラテックスの黄色いパンツ。


『リスペクトだ! モコイの夜に! モコイの祈りに!』

 その人形が爪先の尖った大きな皮靴を、まるで踊るようにカツカツと鳴らしながら歩いてくると、気色悪いゴキブリの群は小さな人形の為に翅を鳴らしながら道をつくっていく。すると人形が歩く場所にだけ奇妙な空白が生まれることになった。

『血を流す街、玩具のファンタズマにようこそ! お尻は博物館の快楽と貯金!』

 人形は立ち止まると、切れ目の入った口元をカタカタと鳴らし、大きなシルクハットを胸にあて、綺麗なお辞儀をした。その黒い帽子は変化が不完全だったのか、ゴキブリの翅や触角が至る所から飛び出ていた。


 私はライフルから手を放すと、ホルスターからハンドガンを抜いて人形に向かって素早く反重力弾を撃ち込んだ。

 甲高い金属音と共に宙に浮きあがった人形は、短い手足をバタバタと動かしながら、周囲のゴキブリを掴んでは、樹脂で出来た口に放り込んで咀嚼する。

『ポリエステルが血を吸う! カマソッツの翼は長い苦痛のリサイクルだ!』


 そして反重力弾から甲高い金属音が鳴り響くと、発光する球体に向かって大量のゴキブリと人形が引き込まれていった。

 嫌な緊張感と共にその光景を眺めている時だった。人形の背中から細い紐が伸びていることに気がついた。そしてその発光する紐を視線で辿っていくと、人間から剥ぎ取った皮膚を繋ぎ合わせ、それを服のようにして全身に纏っている奇妙な化け物がホールに佇んでいることに気がついた。その化け物は白濁した瞳を私とハクに向けていた。

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