第396話 意識


 何処からともなくクラシック音楽が聞こえてくると、廊下の先から白蜘蛛がとことこやってくる。フサフサとしたハクの体毛を無意識的に撫でようとすると、紫紺色のお守り袋を握っていたことを思いだした。

 私はフクロウ男から受け取っていたお守りを眺めて、それから廊下に視線を向けたが、もちろんそこにフクロウ男の姿は何処にも無かった。

 不思議な事に、そのお守りを握っているだけで、先程まで心の内にあった動揺や、子供たちに対する不安が無くなっていくような感覚がした。その奇妙な感覚の中には、ある種の高揚感にも似た感情が含まれている。それはまるでヤトの刀を使用している際に覚える全能感に近い。


 意識に作用する不思議なお守りを黙って眺めていた私を不審に思ったのだろう、ハクは私の肩にトンと触肢をのせると、パッチリした眼でお守りを見つめた。

『におい、する』とハクの幼い声が聞こえた。

「匂い?」私はそう言うと、お守りを鼻に近づけて匂いを嗅いでみたが、なんの匂いも感じられなかった。

『くさい、ちがう』と、ハクはくすぐったい響きを持った可愛らしい声で言う。

「気配ってことか?」

『けはい、しってる』

「お守りに残る気配を知っているのか? それとも、その単語をしっているのか?」

 私が困惑しながら訊ねると、ハクはじっと私は見つめ、それから身体を傾けた。

『うん?』


 ハクの疑問の声に答えようとすると、カグヤの声が内耳に響いた。

『レイ、肉塊の化け物が私たちを追って来るかもしれないから、ここから早く移動しよう』

 隔壁の側で不安そうに待機していた子供たちに視線を向ける。

「そうだったな、早いところ移動しよう」

 お守りを防弾ベストのサイドポケットに入れると、ハクと共に子供たちの側に向かう。

「ところで、カグヤは何か異変に気がつかなかったか?」と私は訊いた。

『異変?』

「カグヤも気がついていないのか」

『何の事?』

「あとで話すよ。それより、あの車両はもう動くんだよな?」

『うん。貨物用の車両を選択したから、輸送ヴィードルも問題なく乗り込むことが出来る』

「貨物車か……この地下施設には何でもあるんだな」

『兵器研究開発施設だけど、核防護施設の役割も持っているからね。それに住人の為の食料が毎日大量に必要になるでしょ? それを食料プラントのある区画から居住区画に輸送しないといけないから、貨物車両は必要なんだよ』

「地下施設で生活の全てが完結するように出来ていたんだな」

『そうだね。でもだからこそ、人擬きウィルスのパンデミックに対処することが難しかったんだと思う』

「閉鎖され隔絶された空間には、逃げ道が無かった」

『瀬口早苗が追い詰められて、異界の領域に救いを求めた気持ちも何となく分かる』


 子供たちと共に廊下を移動して、ガラス張りの壁によって隔てられている通路に向かう。その際、フクロウ男と話をした部屋にちらりと視線を向けたが、薄暗い部屋はひっそりとしていて、あの空間での出来事が全て夢幻のようにさえ感じられた。あるいは、フクロウ男はまだあの薄暗い部屋にひっそりと立っていて、モニターに表示される廃墟の街を眺めているのかもしれない。

 存在そのものが不確かなフクロウ男の面影を意識から閉め出すと、私は目の前の問題に集中する。


 通路の入り口に設置されたゲートには、黄色く発光するテープのようなホログラムが投影されていて、足元に注意を促す警告が表示されていた。我々はその警告を見ながらゲートを通過し、車両のプラットホームに立つ。そのホームの先には車両専用のトンネル状の通路が設置されていて、ホームよりも一メートルほど低い段差ができていた。重力場を発生させる銀色のレールは、等間隔に照明が設置されていた暗い通路に沿って敷かれていた。


 黄色と青の塗装が施されている流線形の車両が浮遊しているのを見て、子供たちが驚いていると、車両の屋根に収納されていた三角形のドローンが音も無く宙に浮き上がり、生体認証の為のレーザーを我々に向かって照射し始めた。扇状に広がるレーザーを頭部から足の爪先まで浴びると、ドローンの機体上部に警告表示が投影される。

「未登録の生命体?」

 ドローンが表示させた警告を見ながら私は呟く。

『それは気にしなくても大丈夫だよ』とカグヤが言う。『警告表示はシステムの規定に従って表示されているだけで、搭乗に関する手続きは既に済ませてあるから、問題なく乗車できる』

「そうか……」


『何か気になるの?』とカグヤが私に訊ねる。

「子供たちが誕生した理由に、もしもデータベースの何かしらの意思が介入しているとしたら、子供たちはデータベースに登録されていると思うんだ」

『でも子供たちは未登録だった』

 私は順番にスキャンされている子供たちを見ながら頷いた。

「それが例えば登録ミスのような些細な問題じゃないとすれば、子供たちの誕生にデータベースが関与していないことになる」

『確かにデータベースがそんなミスをするとも思えない』

「そもそも子供たちは何処から来たんだ?」

『研究所のある区画じゃないのかな?』

「それなら瀬口早苗に擬態している何かは、施設を自由に移動することができた」

『そうだね……もしかして、瀬口早苗の意思で子供たちが産まれてきたってレイは考えているの?』

「ああ。だけど理由が分からないんだ」

『理由か。案外、深い意味は無かったんじゃないのかな。たとえば擬態するための肉体が欲しかったとか?』

 カグヤの言葉に私は頭を振った。

「それこそあり得ないよ。子供たちは今まで肉塊の化け物に襲われなかったんだから」


 三角形の不思議なドローンが車両に収納されると、私は車両内部の安全を確認する。輸送していた物資の荷下ろしは済んでいたのか、車両は空で、ガランとした空間には何も入っていなかった。これだけのスペースがあるのなら、子供たちを輸送ヴィードルと一緒に乗せることが出来そうだった。

 幼い子供たちの乗った輸送ヴィードルを先頭に、チハルたちが車両に乗り込んだのを確認すると、私は後部車両を確認しに向かう。その車両にも物資はなく、荷物の積み込み作業を行う数体の機械人形が充電装置に接続されているだけだった。


「カグヤ、警備用ドローンはこの車両に入れてくれ」

『レイとハクは?』

「俺たちは先頭車両に乗るよ」

 子供たちの状況をもう一度確認すると、私はハクと共に先頭の車両に入る。その車両も特段変わったところは無い。強いて言うなら、操縦席が存在しない事だけが気になった。

『それじゃ、動かすね』

 カグヤの言葉のあと、車両のハッチが静かに閉じられた。


 動き出す時がそうであったように、車両が止まる際にも振動や音が聞こえることは無かった。どれほどの速度で車両が移動していたのか分からなかったが、体感的に五分も乗車していなかったような気がする。高速で移動する車両にとって、目的の場所があまりにも近かった所為もあるのだろう。

 エレベーターホールに直結したプラットホームに出ると、まず子供たちが揃っているのか確認した。幸いな事に、肉塊の化け物が紛れていることもなく、幼い子供たちはヴィードルのコンテナ内で静かな寝息を立てていた。


「カグヤ、ドローンに偵察指示を出してくれ」

『了解』

 球体型のドローンが次々と飛んでいくのを眺めながら、私は子供たちと共にゲートを通って、エレベーターホールに向かう。ドーム型の天井を持つホールは、想像していたよりもずっと広い空間を持っていたが、閑散としていた。エレベーターに続くゲートには高級そうな絨毯が敷かれていたが、それ以外の場所は旧文明期の施設で見慣れた床材が見えているだけだった。


 そして多くの人間が行き交っていたと思われるホールには、停止した状態で放置された掃除ロボットが数体、寂しげに立っているだけだった。

『周囲に敵性生物の反応は無かったよ』とカグヤが言う。

 昼間のように明るいホールに視線を向けて、ドローンたちの姿を確認する。

「人擬きがいないのは良い兆候だな」

『でも肉塊の化け物は神出鬼没だから、偵察は続けさせる』

「分かってる」


 ホールの壁際にあるソファーの側まで子供たちと一緒に移動すると、彼らを休ませることにした。幼い子供たちと違って、戦闘に参加していた子供たちは歩き詰めだったので、体力が消耗しているはずだ。その間、私はホールに設置された端末に触れてシステムに接続すると、エレベーターの起動を試みた。

「カグヤ、やれそうか?」

『うん。電力も安定して供給されてるし、問題なく起動できるよ』

「それならミスズたちに連絡しておいてくれるか」

『分かった』


 子供たちの側についてくれていたハクの隣に座ると、私はお守りをポケットから取り出して眺めた。

『ずっと気になっていたんだけど、そのお守りは何?』とカグヤが言う。

 視界の隅にホールの索敵マップを表示すると、それを確認しながらカグヤにフクロウ男について話した。自分で話していても奇妙で馬鹿げた体験だと思えた。

『異界の領域に近づくと、レイは毎回、変な幻覚を見せられているけど、今回のそれは妙にリアリティーがあるね』とカグヤは言う。

「カグヤもそう思うか」

『レイが何処かでお守りを拾っていないって言うなら、信じられるかな』

「俺たちは視覚を共有している。もしも俺が何処かでお守りを拾っていたら、カグヤも気がついているはずだ」

『確かにそうだね。でも……本当に時間は止まったのかな?』


「どういうことだ?」と私はカグヤに訊ねる。

『自由に時間を止められるような生物が存在するとはどうしても思えないんだ』

「異界は無限に存在し、神のように扱われる存在までいるんだ。時間くらい止められるだろ。それにキティは――」

『思い出して』とカグヤが私の言葉を遮る。『キティは時間に細工をしたって言ったんだよ。時間を止めることは出来ない。それを私に教えてくれたのはレイだよ。忘れたの?』

「それなら俺が体験したのは何だったんだ?」

『意識を操作されたんじゃないのかな?』

「それこそあり得ないよ。ハクに気づかれること無く、俺たちに接近することは難しい。ましてや俺の意識を操作するような催眠術をかけて、幻覚を見せる時間もなかった」

『たとえば、魔法や奇跡のようなものが存在していたら、どうだろう?』


 脚を広げて地面にお腹をつけていたハクを撫でながら私は言う。

「異界ならともかく、地球で奇跡を起こすのは難しいだろ?」

『どうして?』とカグヤは言う。

「奇跡やら何やらを使用するには、それを現出させるエネルギーのようなものが必要だと思うんだ。でも地球にそんなものがあるなんて観測されていないだろ?」

『異界の領域には、その正体不明のエネルギーがあるから、自由に奇跡が起こせるってレイは考えているの?』

「ああ」

『でも私たちの宇宙にも、その存在が未だに観測されていない物質があるでしょ?』

「もしかして『暗黒物質』のことを言っているのか?」

『うん。旧文明期以前には、粒子物理学の天才的な学者さんたちが、存在を観測しようと必死になっていた』

「旧文明期にその謎が解明されたと?」

『それは分からないけどさ、もしもそれが解明されていたとしたら?』

「暗黒物質の正体が分かったからって、魔法や奇跡を起こせる訳じゃない」

『でもその物質は人間の体内にも存在しているんだよ』


「つまり旧文明期の人間は、科学によって奇跡を操る事が出来るようになっていたのかもしれないのか? それなら俺にも、水をワインに変えることができて、死者を生き返らせることができるのか?」

『茶化さないで』とカグヤが言う。

「いや、俺は真面目に訊いているんだよ」

『それは分からないよ。あくまでも私たちの宇宙で奇跡が起こせるのかって、話だったんだし。それに奇跡のような事象は何度も経験しているでしょ? 空間転移だって奇跡のようなものだし』

「確かに……」

『科学で説明できないから、私たちは奇跡って言っているだけで、もしも解明されて、再現できる現象になったら、それは奇跡や魔法じゃなくなる』


 しばらくの沈黙があって、それからカグヤは言った。

『人間の行動は産まれついて備わっているものじゃないんだ』

「行動?」と話の筋が見えない私は素直に訊ねる。

『脳に学ばせながら人間は行動を覚えていくんだ。たとえば、指はこうやって動かすんだよ、とか。肺はこうやって動かすんだよって教わるの。そうやって人間は身体全体の動かし方を学んでいく』

「誰がそれを教えるんだ?」

『意識だよ。脳や肉体があるから意識があるんじゃなくて、意識があることで人間として存在できるんだ』

「精神が先か……つまり、それが人間の魂と呼ばれるものなのか?」

『それは分からない。この仮説も旧文明期以前の論文の受け売りだから』


 不死の子供たちは『意識』や『魂』と呼ばれるようなものを新しい肉体に転送、あるいは転写して不死を実現させていた。ふとそんな事を思い出しながら私はカグヤに訊ねた。

「それで、この話は何処に行きつくんだ?」

『さっきの奇跡の話だよ。もしも存在が解明されていない、何かしらの物質を操作する術を肉体に学ばせることが出来るのなら、この宇宙でも奇跡を起こすことは不可能じゃない』

「なら、フクロウ男は実際に俺の目の前に現れたのか?」

『その可能性は充分にあるよ』

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