第395話 フクロウ男


『レイラは僕に何て答えて欲しい?』とフクロウ男は言う。『もしも僕が正体を明かしたとして、果たして君はそれを信じてくれるだろうか?』

「試してみれば良い。チャンスは誰にでも等しく与えられている」

『それはどうだろう。そもそもチャンスは与えられるものじゃないよ。掴み取るものだ』

 フクロウ男はそう言うと、壁一面に設置されていたモニターに眼を向ける。薄暗い廃墟の街に聳え立つ高層建築群の周囲には、色とりどりのホログラム広告が投影されていて、彼は興味深そうにそれらの広告を眺めていた。背中に回した手は、腰のあたりで組まれていて、指先には恐ろしい鉤爪がついていた。


「つまり、俺に正体を明かすことは出来ない?」

 私がそう言うと、フクロウ男は残念そうに溜息をついた。

『そうじゃないんだ。色々と複雑でね。君を混乱させたくないだけなんだ。分かるかい? 時には真実を知らない方が物事をスムーズに進めることが出来る。これはそういったタイプの話なんだ。知るべきじゃないことを知った人間は、大抵の場合、厄介な面倒事に巻き込まれる。僕は君の親友として――良いかい? 『親友』として、君が知るべきことじゃないと考えているんだ。友達の忠告に耳を傾けることは、大切な事だろ?』


 私は沈黙したままメンフクロウの頭部を見つめて、それからモニターに視線を向けた。呼吸するように瞬いていた高層建築群の航空障害灯が、時間の静止した世界ではピタリと止まって見えた。その人工的な赤い光の周囲には、廃墟の街に降り積もるはずだった無数の氷の結晶が確認できた。

 私はモニターから視線を外すと、フクロウ男に言った。

「俺たちは親友だったのか?」

『親友だよ。僕たちが出会ったのは随分と昔の事だよ。あれだよ『君は若く情熱に溢れていた』ってやつだよ。それより、僕はお酒を飲みたいんだ。レイラも飲むかい? とっておきのお酒を持っているんだ。きっとレイラも気に入ってくれる』

 そう口にしたフクロウ男の手には、亜麻色のラベルが貼られたボトルが握られていた。


 フクロウ男がボトルを持ってテーブルに近づくと、今までそこに存在していなかった趣味の良いカットグラスが、テーブルにひっそりと置かれていることに気がついた。私の困惑とは対照的に、彼は慣れた手つきでボトルの栓を抜いて、ボトルの底を片手で持ちながら琥珀色の液体をグラスに注いだ。それからテーブルの反対側に向かい合うようにして立っていた私に向けて、片方のグラスを滑らせる。

 そしてフクロウ男は目の前のグラスを持ち上げた。しかしグラスの縁にくちばしが当たって、上手く酒を飲む事が出来なかった。彼はあれこれと試行錯誤したが、やがて飲むのを諦めた。


 それからフクロウ男は、彼の手には小さ過ぎるグラスをそっとテーブルに戻した。哀し気にカットグラスを見つめていたフクロウ男に私は言った。

「残念だよ。何か特別な意味のある酒だったんだろ?」

 しゅんとしていたフクロウ男は顔を上げ、奇妙な角度に首を傾げながら言った。

『良いかい、レイラ。美味しいお酒を飲むのに、特別な理由なんて必要ないんだ。飲むのに適したタイミングがあるだけなんだ。きっと今はその時じゃなかったんだ。それだけのことさ』

 フクロウ男がそう言うと、テーブルに載っていたボトルとカットグラスの存在が曖昧になって雲散するように消えていった。まるで幻覚を見ているようだった。

「今のあれは、何かの魔法なのか?」と私は困惑しながら訊ねる。

『魔法? まさか、全然違うよ』

 フクロウ男が笑うと、真っ白で綺麗な羽毛が照明の光を反射して煌めいた。


「それなら質問を変えるよ。あんたは何の為に俺を探していたんだ」

 私の言葉にフクロウ男は、まるで本物の『フクロウ』のように私を見つめる。

『まだその時じゃないって分かっていたんだけど、どうしても会いたかったんだよ。何度も言っているだろ。それに、レイラに重要な忠告がしたかったんだ』

「忠告なら既に聞いたよ」

『いいや、君はまだ何も聞いていないよ。それよりレイラは僕がどうやって君を見つけられたのか、考えてみたかい?』

 私はハンドガンの銃口を下げると、フクロウ男の黒い瞳を見つめた。

「どうやって見つけた?」

『君たちの言葉で語られる異界の『門』が、この宇宙にどれほど存在するのか、想像した事はあるかい?』

「いや」

『なら想像した方が良い。想像することはとても大切な事だ。時にはその想像力が僕たちを生かす』フクロウ男はそう言うと、恐ろしく鋭い鉤爪をテーブルの上で滑らせる。するとテーブルの表面が簡単に削り取られていく。


『宇宙が無限に存在するように、それらの世界を繋ぐように存在する『門』も無限に存在する。その門を使って探し物をするのは、とても大変なことなんだ。それは例えば――』

 気取った舞台俳優のように、腕を大きく広げたフクロウ男の言葉を遮りながら、私は言った。

「なんとなく想像できるよ。俺も今まで多くの世界を見てきた」

『……それは良かった』

「でも俺の事を見つけることが出来た」


 フクロウ男は私の右手首にチラリと視線を向けながら言う。

『その『やんちゃな蛇』の扱いには注意した方が良い。これが忠告だ。レイラのことを見つけられて僕は幸せだけど、奴らはまだ君の事を諦めていない。僕がレイラを見つけ出したように、いずれ彼らも宇宙の果てから君を見つけ出す。その時には、とても残念だけれど、僕は君を守ってあげることが出来ない』

「守る? 俺は誰かに守られる立場の人間だったのか?」

『親友を守るのは、友として当然の事じゃないのかな? それとも僕たちが眠っている間に、世界の理に変化が生じたのか?』

「俺の知る限り、世界は相変わらず狂ったままだよ」

 私の言葉にフクロウ男はうんうんと相槌を打つ。


『それが秩序の無い世界の素晴らしいところだよ。仮に僕らが一個の精神に統合された存在だと考えてみて。そこには個の感情と言うものが存在しない。あるのは完全に統制された世界だけ。誰かが右に顔を向けろと言えば、全ての生命体が右を向いて、誰かが左に顔を向けろと言えば、誰もが左に顔を向ける。確かに愉快な世界ではある。でも僕は嫌いだ』

「何を言っているんだ?」

『つまりさ、僕たちは壊れた存在なんだ。秩序を持って生きるようには出来ていない。だってそうでしょ? 生命はまさに混沌の化身さ。でもそれを抑えつけようって考えた者たちが存在する。僕と君は彼らを憎み、いつの時代も敵対してきた。分かるかい? 秩序の破壊者がどのような存在として、この世界で認識されているのかを』

「分からないよ。そもそもこの話が何処で決着するのかも俺には分からない。結局、あんたは何が言いたいんだ?」


『記憶の消失』とフクロウ男は首を傾げながら言う。『それは厄介な問題だね。肉体を失った際の代償としては、余りにも馬鹿げた『呪い』だと思うけどね』

「肉体を失った?」

『死んだ際の記憶を持っていない。と言うのは、あるいは幸運なことなのかもしれない。あの日、僕らが全てを失った日だ。君は命よりも大切なものを多く失ったのだから……けれど失ったものを必死に取り戻そうとする過程で、君は更に多くのものを失ってしまっている。皮肉な事だと思わないか?』


 皮肉な事だと思わないか、と、フクロウ男の声が頭の中で反響する。

「さっきから随分と婉曲的な物言いをするんだな。何かを伝えたいのなら、俺にも分かる言葉で話してくれ、雲を掴むような話にはうんざりしているんだ」と、私は嫌な予感を頭から追い出すように言った。

『随分と直接的な表現だと思ったけど?』

 吐き気と共に息苦しさを感じながら、私はフクロウ男に訊ねた。

「それなら、俺は本当に死んだのか?」

『正確には死んでいない。何故ならレイラの魂は不滅だから。でも肉体は死んだよ。英雄の死に様としては、悲惨な死だったよ』

 視界が狭まり足に力が入らなくなると、私はテーブルに手をついて身体を支えた。自分の死に動揺しているだけじゃない。思い出してはいけない『何か』を、身体が必死に拒絶しているのだ。


「俺は――」

 私は言葉に詰まって口を閉じ、それからもう一度言葉を口にした。

「俺は死んだのか……?」

 フクロウ男はこくりと頷いた。

『不幸は連鎖するものだよ。君の魂を守ろうと、多くの者が同じ運命を辿った。でも気に病むことは無いよ。こう解釈すれば良いんだから『バッドエンドは済ませた。これからは、暗い穴から這い上がる栄光の物語だけが続く』ってね』

 それからフクロウ男は長い腕を伸ばして天井の隅を指差した。

『奴らは……良いかい? 奴らは僕たちに打撃を与えたと考えている。でも宇宙は相変わらず混沌としていて、僕は君を見つけることが出来た。希望はまだ失われていないんだ』

「希望? それは誰にとっての希望だ……?」

 フクロウ男の瞳は、まるで偽物の宝石のように妖しく輝いて見えた。


『これから少し真面目な話をするね』とフクロウ男は話題を変える。

「自分が既に死んでいた事実を聞かされることよりも、真面目な話があるとは思えないけど、何かを話したいのなら、あんたの好きにすれば良い。俺の意思でこの奇妙な空間に干渉して、どうにか出来るとはとても考えられないからな」

『やっぱり君は変わらないね。でも真剣に聞いて欲しい。僕がこの領域に長く留まると、奴らの注意を引くことになってしまう。人類がこの星を、忘れられた場所にしておきたかったように、僕も奴らからレイラの存在をできる限り隠しておきたいんだ』

 私は黙って頷いた。

『このあと、君はとても困難な事態に陥る。もちろんレイラは、それを回避する事も出来るけど、君がいつだってそうしてきたように、進んで問題に飛び込んでいく。君はそうやって多くの問題を解決してきた。でも今回は相手が悪いんだ。僕が君の側にいられるのなら、誰にも手出しなんてさせないんだけど、僕はこの世界に留まれない。だからレイラの為に特別な『お守り』を用意したんだ』


 フクロウ男はそう言うと、スーツの袖口から飛び出していた黄金色の綺麗な羽根の間から、紫紺色のお守り袋を取り出した。それから長い腕を私に向かって伸ばした。黒く長い鉤爪の先で小さなお守り袋が揺れる。

『どうしたんだい、レイラ?』

 私は心を落ち着かせるように、ハンドガンのグリップを何度が強く握って、その感触を確かめたあと、テーブルの反対側にいるフクロウ男の側に向かってゆっくり歩いて行った。

『受け取ってくれ』


 恐る恐る手を差しだすと、フクロウ男は私の手の平にそっとお守り袋をのせた。

 お守り袋は旧文明期以前の世界で、日本の神社などで入手できた普通の見た目のお守りだった。私はゆっくりフクロウ男と距離をとりながら、お守りを確かめて、それから耳元で振ってみた。すると薄い袋の中で何かがコロコロと乾いた音を立てて転がる。

『コワトリクェの爪だよ。一度だけ君を守ってくれる。でもお守り袋を開いてはいけないよ。御呪いの効果が薄れてしまうからね。もしもその鉤爪が君の呪いを肩代わりして、爪が割れるようなことになったら……十中八九そうなると思うけれど、そうなった時には中を確認しても問題ないよ。見てもつまらないものだけどね』


 フクロウ男はスーツの袖を綺麗に直して、スーツについた羽根を払った。

『さて、そろそろ行くよ。僕たちの再会に相応しい日が、必ずやって来ることを僕は知っているんだ。だから悲しまないでね』

 フクロウ男は何か重要な事を知っている。このヘンテコな生き物は、私のことをずっと探していたと言っていた。それならば、私は彼の持つ情報を知る権利がある。いつまで私は蚊帳の外に置かれなければいけないのだ?


「やっぱり何も教えてはくれないのか?」

 私がそう言うと、フクロウ男はじっと私を見つめて、それからササっと頭を振って綺麗な羽毛を煌めかせた。

『教えることが出来ないんだ。記憶を失う以前の事を知ってしまったら、レイラの持つ世界に対する見方が変わってしまう。そして二度と今の君に戻れなくなる。これはそういった類の繊細な話なんだ。それに今の君はとても動揺している。お酒を飲むのに適したタイミングがあるように、物事を深く理解するのに適したタイミングがあるんだ』

「死んだと聞かされて動揺しない人間なんていない」

『そうだね。でも僕の知っている君だったら『葬式に招待して欲しかったぜ』くらいの事は平気で言ったのかもしれない』

「それは俺の真似か?」

『皮肉屋の君も好きだったよ。もちろん今の君も好きだけどね』


 フクロウ男は綺麗な姿勢で歩いて廊下に出ると、こちらに向かってくる途中で動きを止めていた白蜘蛛に視線を向ける。

『プリンセスは相変わらずだね』

 私はふとフクロウ男の背後に視線を向ける。すると綺麗に磨かれた壁に私自身の姿が映り込んでいるのが見えた。しかしそこにフクロウ男の姿は無かった。

『また会いに来るよ。その時は美味しいお酒を一緒に飲もう』

 フクロウ男は腕を持ち上げて、そして指をパチンと鳴らした。

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