第394話 責任


 ひんやりとした隔壁に触れると、騒がしい警戒音と共に天井付近に設置されていた警告灯が点滅し、ゆっくりと隔壁が開放されていく。隔壁の周囲に投影される複数の警告表示を横目に見ながら、道路の先から迫ってくる化け物にハンドガンを向ける。

 子供たちは隔壁が開くまでの間、近くの建物に避難してくれていたので、反重力弾の破壊に巻き込む心配をする必要が無かった。だから効果範囲を制限しない反重力弾を化け物に使用する。撃ち出されたプラズマの球体は、周囲に生成した強力な重力によって、数体の大男を捕らえ、彼らの身体を引き寄せ押し潰していった。


『レイ!』

 カグヤの声と共に視界の先に警告が現れると、間を置かずに肩甲骨に凄まじい衝撃を受けた。倒れてしまわないように踏ん張り、視線を上げるとレーザーライフルを構えた大男の姿が見えた。彼らが手にしたライフルは放電し、バチバチと火花が発生していた。

「肉片を飛ばしてきたのか――」

 ベルトポーチから紺藍色の小さな球を幾つか取り出すと、強く握ってから足元に落とした。赤色に発光する線が引かれていた球は、地面で砕け、周囲にドーム型のシールドを発生させる。何層にも展開されたシールドは、大男たちのライフルから撃ち出される肉片による攻撃を確実に防いでいた。しかしシールドは短時間しか生成されない。発光しながら凄まじい速度で飛んでくる肉片を防ぐには、余りにも頼りなかった。


 ハンドガンをホルスターに戻すと、素早くライフルを構えた。

<自動追尾弾を選択しました。攻撃目標を指示してください>

 女性の声を内耳に聞きながら、大男たちが手にしているライフルを標的として選択していく。電光を放ち発光していた化け物のライフルが、標的を示す赤色の線で縁取られていくのを確認すると、私は引き金を引いた。

 連続した射撃音のあと、肉片を射出する為のエネルギーを溜めこんでいた化け物のライフルに次々と銃弾が命中し、蓄えられていた膨大なエネルギーを暴走させる。そして次の瞬間、複数の場所で眩い閃光を放つ爆発が起きた。衝撃に呑み込まれた化け物は跡形も無く消滅する。

 轟音と共に生じた衝撃波は、周囲の建物や空間を支える柱にダメージを与えた。


 大男に姿を変えた化け物からの攻撃が一時的に止まった隙をついて、隠れていた子供たちが隔壁の向こうに駆けて行く。警備用ドローンと輸送ヴィードルを含む子供たち全員が隔壁の向こうに辿り着くと、最後まで隔壁の前に残って安全を確保していた私とハクも隔壁の先に向かう。

『隔壁は完全に閉鎖するね』

 私はカグヤの言葉に頷くと、立ち昇る砂煙の向こうからこちらを睨んでいる集団の動きに注意を向ける。


 隔壁が完全に閉じると、何処からともなく静かなクラシック音楽が聞こえてくる。廊下を支配する静寂さと、ゴミひとつない清潔な環境に子供たちが戸惑っているのを余所に、私は隔壁に設置された強化ガラスの小窓から化け物たちの様子を確認する。

 先程まで人間の姿に擬態していた化け物は、ぶよぶよとしたぬめりを持った肉塊に変化すると、アスファルトに出来た割れ目に沁み込むようにして姿を消していった。地中に張り巡らされた配管の中を移動して、我々のあとを追って来るつもりなのかもしれない。


 絨毯が敷かれている廊下の先に視線を向けると、素通しのガラス張りの壁で仕切られた空間が見えた。その入り口には、ホログラムで『オートタクシー』という文字が投影されていた。カタカナで書かれた文字をちらりと見て、それから素通しのガラスを確認する。

『車両の専用通路だね。区画間の移動を素早く行う為のものだよ』

 カグヤの言うように、ガラスの向こうには線路のような銀色のレールが敷かれている。しかしレールは地面だけじゃなく、左右の壁にも敷設されていて、通路のずっと先まで伸びていた。


「カグヤ、その車両は今も動くのか?」

『確認するから、通路の入り口近くに設置されているコンソールに触れて』

 移動する前に隔壁の小窓に視線を向けて、肉塊の化け物が迫ってきていないか、もう一度だけ確認する。

「瀬口早苗を探索する為に、ドローンは残してくれたか?」

『大丈夫だよ。ちゃんと残してきた』

 私は滅茶苦茶に破壊された通りをじっと見つめた。


 とにかく不安だった。その不安は息苦しいまでの圧迫感を私に与えていた。奴らの心中でどのような心変わりがあったのかは分からないが、肉塊の化け物が子供たちを標的にしていることは、先程の戦闘で明白になった。これ以上、子供たちの命を危険に晒す訳にはいかない。どのような手段を用いても、子供たちのことは守らなければいけない。

 私はゆっくり息をついて、それから自分に言い聞かせるように小声で言った。

「良いか、これはお前が始めた戦いだ。誰もお前の救いなんて求めていなかったんだ。……でもお前は救うと決めたんだ。死を伴う困難が待ち受けていようが、子供たちの命に対する責任はお前の手の中にあるんだ……」


 自分自身の行動が周囲に及ぼす影響や、遭遇する出来事、それを運命のいたずらと呼ぶ人間がいる。流れ着いた先に、たまたま問題が転がっていた。ただそれだけの事だと。私もずっとそうだと考えていた。物事は結局、成るようにしかならないと。でもそれは、自分自身が問題に介入することで、物事に与えてしまうかもしてない影響の責任から逃れる為の詭弁でしかなかった。


『奇妙な巡り合わせだったんだ。でも、お前たちが死んだのは俺の所為じゃない、だってそうだろう? お前たちが始めたんだ。これも運命だと思って諦めてくれ』と、誰かが言う。

 でも子供たちの命は、そんな詭弁じゃ済まされない。私が地下施設にやってきた事に、何かしらの運命的な意図があったなんて言うほど、私はトロイメライに耽る夢想家でもない。けれどこの施設で何が起きているのかを知ってしまったのだ。救いの手を差し伸べなければ、子供たちが死ぬことを知ったのだ。他の選択肢が私にあっただろうか?


『レイラは愛情深い人間なんだな』と、浅黒い肌を持つ美しい女性が言う。

 違うんだ。私はそんな人間じゃない。ただ後悔したくないだけなんだ。

 責任を負いたくなかっただけなんだ。だから他人事のように問題に介入しては、持て余す強大な力で問題を更に複雑にしてきた。けれど私が直面している問題は、幼い子供たちの無垢な命が関わる問題だ。今までのように軽い気持ちで、他人事のように関わるようにはいかない。

 自身が背負う命の重さに押し潰されないように、私はゆっくり息を吐き出す。

 大丈夫だ。今までだって困難な状況に打ち勝ってきたんだ。

 気持ちが落ち着くのを待って、それからやっと私は隔壁を離れた。


 子供たちの側に行くと、しばらくハクと共にその場で待機するように言い聞かせた。フルフェイスマスクのバイザーから不安そうな顔を覗かせる子供たちに笑顔を見せて、何も問題が無いと安心させる。少し通路の先を偵察しに行くだけだと。

 それから廊下の先にあるガラス張りの壁に向かって歩いて行く。廊下の左右には幾つかの部屋があって、開いた状態で放置されていた扉からは、木製のテーブルとイスが綺麗に並べられている様子が確認できた。しかし特に注意すべきことは無かったので、部屋の事は無視してガラス張りの壁に近づく。すると壁に収納されていたコンソールが、周囲の動体反応を検知して自動展開する。


 コンソールには素通しのディスプレイに、用途不明の差込口が幾つかついていた。コンソールに触れると、それらの差込口の用途を表記する文字が投影される。IDカードを差し込む専用のスロット、それに生体情報をスキャンする為の光学装置、社員証の差込口までついていた。

 壁の先が透けて見える半透明のディスプレイには、地下施設の全体図が表示され、車両で移動可能な経路が路線図のように表示される。

「車両が動くなら、直接エレベーターホールまで移動できそうだ」

『えっと……』とカグヤが言う。『車両は無理やり動かすことは出来るみたいだけど、問題が幾つかある』

「俺は何をすれば良いんだ?」

『ううん。レイは何もしなくても良いよ。進路上に数体の人擬きがいるみたいだから、それを轢き殺す許可を与えるだけで良い』

「轢き殺す?」

『つまり通路内に障害物があっても、車両が緊急停止しないようにするんだ』

「そういう事か、俺の権限で出来るのか?」

『うん。警備室で手に入れた操作権限で出来る』

「それなら車両を動かしてくれ、子供たちを連れて移動するには、この施設は危険すぎる」

『了解、少しだけ待ってて』


 しばらくすると、車両の到着を知らせる通知がホログラムで投影される。ディスプレイにはレールが敷かれた通路内を移動する流線形の車両が映し出される。黄色を基調としていて、車両全体に青色の塗料で縞模様が描かれている。そして驚くことに、その車両は通路内を浮遊しながら凄まじい速度で移動していた。

『車両の周囲に重力場を生成しているんだよ』とカグヤが言う。『ほら、ペパーミントが管理していた兵器工場の地下にも、同じような原理で走る車両があったでしょ?』

「床と壁にあるレールが、重力場を発生させているのか?」

『うん。ちなみに車両内にも別の重力場を生成しているから、あの速度で車両が移動しても、人体にほとんど影響は無い』

 轢き殺されていく数体の人擬きを見ながら、私は車両の安定性に感心する。


「俺たちの拠点にも、こんな車両があったら便利だな」

『拠点に?』とカグヤは言って、それから納得したように声を出した。『確かに拠点間を地下で繋ぐことが出来たら、移動が随分と楽になるね。砂漠地帯にも、大樹の森にも簡単に移動することが出来る』

「車両とレールの設計図は入手できないか?」

『どうだろう……? ペパーミントが解析を進めている管理システムのデータベースにアクセス出来たら、何かしらの情報は入手できるかもしれないけど、トンネルはどうするの?』

「建設人形の『スケーリーフット』にトンネルを掘ってもらうさ」

『良い考えだね。それなりの資材が必要になるだろうけど、旧文明の鋼材は地上の廃墟で幾らでも入手できるし』


 三両編成の貨物専用車両が到着すると、貨物を積み込む為の大きなハッチが左右にスライドするように開いた。私は車両の到着を知らせるリズミカルな曲を聴きながら、ガラス越しに黄色い車両を眺める。それから子供たちと合流する為に廊下を引き返す。

 そして廊下に立っているフクロウと視線が合って、驚きの余り身体が硬直してしまう。そのフクロウは、すらりとしたスタイルの良いブラックスーツを着た人型の身体に、メンフクロウの大きな頭部を持っていた。

 肉塊の化け物が現れたと思って、すぐにハンドガンを抜いて構えたが、どうも様子がおかしい。廊下の先に視線を向けると、私のもとに向かってくる白蜘蛛の姿が見えたが、まるで時を止めたかのように、ハクの身体は空間にピタリと固定されていた。そしてそれは子供たちも同様だった。


『やっと逢えたね』とフクロウ男は響きの良い声で言う。『こっちで話そう』

 フクロウ男はそれだけ言うと、廊下を横切って開いた状態だった扉から部屋に入って行った。その際、三メートルほどの体高を持つ生物は、身体を屈めて部屋に入って行った。私はしばらく混乱し、自分が何を見たのか理解しようと努めた。それからカグヤに声をかけたが、カグヤからの返事は無かった。


 こんなことが出来る異界の生物に心当たりがあったが、もしも『キティ』が私の目の前に現れるのなら、触手の生えた猫の姿で現れるはずだ。フクロウの姿じゃない。

 私はハンドガンを構えると、意を決して部屋の前まで歩いて行く。


 部屋の中央には堂々とした木製の円卓が置かれていて、フクロウ男はそのテーブルに背を向け、腰の後ろで手を組み、壁一面に設置されていたモニターパネルに映し出される廃墟の街の景観を眺めていた。

『ずっとレイラを探していたんだ』と、フクロウ男は振り向かずに言った。『でも君の気配は捉えられなかった。まるで幻影を追いかけるように、僕は君の気配を探し続けた』

 私が口を開こうとすると、フクロウ男は早口で言った。

『ところで、僕たちの心躍る冒険を憶えているかい? 『夢の都』で傷ついた人魚を助けたこともあった。教国の包囲戦では数千の騎兵に囲まれながらも死闘を楽しんだ』

「夢の都?」と私はハンドガンの照準をフクロウの頭部に合わせながら言う。

『忌々しい神々が建造した都市だよ。忘れたのかい、あの山のように巨大なカメどもが港を占拠していただろ。守護神だとか言われているけれど、あれは惰眠を貪る怠惰な生き物だよ』

「悪いけど、フクロウと友達だったことは一度も無いよ」

『うん?』

 そう言うと、フクロウ男は振り返って私を見つめた。

『君は僕の知っているレイラじゃないのか?』

「俺は――」

『いや、やっぱり君は僕の知っているレイラだよ。この姿は気にしないでくれ。都合が良かったから使っているだけなんだ。仮初めの姿ってやつだ』とフクロウ男は早口に言う。『でも君は蠅の姿を嫌っていただろ? だから今日は特別さ。それに、僕もあの姿は余り好きじゃないんだ。でも今日は美少年って気分でも無いだろ? だからフクロウさ。君はフクロウが好きかい? 僕は好きだ。彼らは知性を象徴するんだってね。僕にピッタリだと思わない?』


「聞いても良いか?」

『なにかな?』とフクロウ男は首を傾げる。その際、フクロウの頭部は人間には真似できない角度に捻られる。

「あんたは何者だ?」

 フクロウ男はゆっくりと頭の位置を戻して、それから夜の底を覗き込むような暗い瞳で、じっと私を見つめた。

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