第399話 同志


 施設の最深部に同行してくれることになったのは、白蜘蛛のハクとイーサンだった。正直、生死にかかわる危険な場所に向かうことになるので、部隊を引き連れていきたかったが、彼らには予定していた通り、子供たちを地上に連れて行ってもらうことを優先した。子供たちを危険に晒すことは、今までの努力を無駄にすることでもあったからだ。

「レイラさんは、僕たちと一緒に来てくれないのですか?」と、チハルは不安にじっと耐えながら言った。

「まだ施設に大事な用があるんだ。でも安心してくれ、チハルたちと一緒に地上に向かうのは、俺が信頼する仲間たちだ」

「仲間ですか……」


 不安な表情を見せ、顔を伏せるチハルを安心させるために、私は装備の点検を行っていたミスズとナミを近くに呼んだ。彼女たちは、ヤトの戦士たちと、イーサンの傭兵部隊に所属していた精鋭の隊員たちで編成された混成部隊と共に、地下施設に駆けつけてくれていた。


「さっきも紹介したけど、彼女たちは俺の大切な仲間で、同時に誰よりも守りたい家族でもあるんだ」と私は言う。

「家族ですか?」とチハルは顔を上げて、ミスズとナミを見つめた。

「ああ。家族の大切さを誰よりも理解しているチハルになら、俺がどれだけ彼女たちを信頼しているか分かってくれると思う。そしてだからこそ、俺は仲間にチハルたちの護衛を任せられるんだ。分かるな?」

「はい……」

 チハルを不安にさせないように、私は笑みをつくる。

「そんな事を言われても、すぐに理解できるとは思ってないよ。でも俺が傷ついても戦い続けたように、チハルたちのために戦ってくれる人間がこの世界にはいる」

「でもレイラさんは、地上の人たちが良い人間じゃないって、そう言いました」

「そうだな。でもそんな世界だからこそ、寄り添い合って、手を取り合って生きている人間がいる。そうやって俺たちは互いを大切にして、信頼し合っているんだ」


「皆が平等で、理想的な世界ですか?」と、チハルは私に青緑色の瞳を向ける。

「いや」と私は頭を振る。「もっと良い世界さ。ここでは誰も感情を強制されていない。俺たちが一緒に生きていけるのは、同じ理想を抱く同志だからだ」

「同志……ですか?」

「ああ。俺とチハルが同じように物事を考えて、同じ未来を見ようとしているように、彼らも同じ考えを共有し、より良い世界で生きられるように努力している」

「他人と生きるには努力が必要なんですね」

「多かれ少なかれ、理解し合おうとする努力は必要だよ。所詮、他人の集まりなんだから。でもだからと言って、他人を信頼しないで、孤独に生きても自分は平気だなんてフリをするには、人間の生きられる時間は短すぎる」

「人間の寿命は、僕たちと違ってあまりにも短い……」

「なあ、チハル。彼女たちを信じてみてくれないか? 決してお前たちを裏切るような事はしない」

 チハルは目を伏せると、何かを考えて、それからしっかりと頷いてくれた。


『レイ』とカグヤの声が内耳に聞こえる。『そろそろ移動しよう。化け物が戻ってくるかもしれない』

「そうだな」私は頷いて、それからミスズとナミに声をかけた。「地上の様子はどうなっている?」

「駅構内の人擬きの処理は終えています。けど、大猿の襲撃は続いています」

「あの猿に似た異界の化け物か……」

「はい。彼らはどうやら夜行性の生物で、この時間帯は攻撃が活発化しています」

 インターフェースで時間を確認すると、完全に日が昇るまでにしばらく時間がかかりそうだった。

「何か対策は?」

「駅構内に陣地を構築したので、そこで朝まで待機するつもりです。移動は襲撃が落ち着いてからになると思います」

「そうだな……少なくとも、肉塊の化け物が徘徊するこの施設にいるよりかは、安全だな」


「大丈夫です」とミスズが言う。「子供たちの事は必ず守りますから」

「そうだぞ。子供たちの事は私たちに任せておけ」とナミも大きな胸を張った。

「ああ、頼んだよ。それから警備用ドローンも使えるように、ミスズに指揮権を移しておくから、上手く活用してくれ」

「そいつらはレイラが使った方が良いんじゃないのか?」と、ナミが我々の周囲を飛んでいた数機のドローンを見ながら言った。

「いや、俺たちは戦う為に研究施設に向かう訳じゃない。あくまでも異界の領域に繋がる『門』を閉じることが目的なんだ。だから戦闘は出来るだけ避けるつもりだ」

「そうか……でも、絶対に戦闘になるぞ」

「そうだな」と私は肩をすくめた。


「あの、レイラさん」とチハルが私の袖を引っ張る。

「どうした?」

「もしも……もしも母に会うことがあったら、これを届けてくれますか?」チハルはそう言うと、リュックから綺麗にたたまれたドクターコートを取り出して、私に手渡した。

「任せてくれ。彼女に会ったら必ず渡しておく」


 バックパックにドクターコートを入れると、ミスズから円盤状の金属板を幾つか受け取った。それは手の平に収まる銀色の小さなものだった。

「これは?」

「ペパーミントさんから預かっていた通信装置です。念のために持って行ってくれって、頼まれたものです」

「通信?」

「もしも異界の領域に向かうことになっても、データベースとの通信接続が切断されない為のものです」

「異界の領域か、確かにこの装置が必要になりそうだ」

 円盤状の装置は照明を反射させ、その眩しさに私は目を細めた。

「カグヤさんの操作する偵察ドローンに、必要なソフトウェアが既にインストールされているので、すぐに使用できる状態にあります」

「了解。助かるよ」

「いえ、それより気をつけてください」とミスズは琥珀色の瞳を私に向ける。

「大丈夫だよ。絶対に生きて帰る」


 それから部隊が地上に向かう前に、輸送ヴィードルのコンテナで眠っていた子供たちの寝顔を見ていくことにした。元気のなかったシズクも、今はぐっすりと眠っていた。彼女たちにも良いニュースを持ち帰ることが出来れば良いと思っていたが、それには多くの困難が伴うだろう。

 ミスズたちが部隊を分けて、数台の大型エレベーターに乗り込み、地上に繋がる駅へと向かうのを見届けると、居住区画に続くゲートで待ってくれていたハクたちと合流する。


「レイ」とイーサンが言う。「天井にできた穴は、ハクに手伝ってもらって塞いだ方が良い」

 エレベーターホールの天井に視線を向けると、亀裂が広がってぽっかりと大きな穴が出来ているのが見えた。

 肉塊の化け物がホールに侵入する際に使用した場所だ。

「そうだな。ハク、あの穴を塞ぐことができるか?」

 白蜘蛛は長い脚を使って上体を起こすと、パッチリとした大きな眼を天井に向ける。

『うん。もんだい、ない』

「なら一緒にやろう。化け物どもが二度とあそこから侵入できないようにしよう」


 天井に向かってワイヤロープを展開する銃弾を数発撃ち込むと、ハクは天井に跳びついて、その金属ネットを補強するように、穴の奥に糸の塊を吐き出していった。ハクの糸は徐々に硬化していって、穴を完全に塞ぐことができた。ハクが吐き出す糸なので強度は保証されている。それに人間がいなければ、化け物もここにやってくる事は無いだろう。それは半ば願望のようなものだったが、私は自分にそう言い聞かせて安心することにした。これ以上、問題は抱えたくなかった。


「カグヤ、最深部にある研究施設とやらには、ここからどうやって行くんだ?」

 イーサンが訊ねると、視線の先に拡張現実で表示されたディスプレイが現れて、研究施設までの経路を青色の矢印で示した。

 タクティカルゴーグルを通して地図を確認したイーサンが言う。

「高速車両は破壊されているから、歩いて昇降機のある場所まで向かうしか無さそうだな」

「そうだな」と私は頷く。「戦闘は避けたかったけど、どこかで化け物たちから襲撃を受けることになりそうだ」

「小さな化け物よりも気がかりなのは、肉塊型の人擬きだ。お前さんとの戦闘記録を見たが、やつが持つ装甲は厄介だ」

『確かにね』とカグヤの操作するドローンが何処からともなく姿を見せる。『この機体の動体センサーを駆使して進むつもりだけど、動かない人擬きを見つけるのは難しい』

「出てきたら、反重力弾で始末すれば良いさ」と私は言った。

「それも良いけど」とイーサンが言う。「この先には、もっと危険な敵が潜んでいるかもしれない。だからハンドガンの弾薬は節約した方が良い」

 ホルスターからハンドガンを抜くと、私は手元の兵器を見つめる。

「そうだな……無駄撃ちは出来ない」


 居住区画に続く通路に向かう前に、フクロウ男から受け取っていたお守りを失くしていないか確認する。先程の戦闘で防弾ベストも戦闘服も酷い事になっていたが、幸いな事にお守りは無事だった。

『準備は良い、レイ?』とカグヤが言う。

「ああ、行こう」

 放水路に繋がる区画でも使用されていた水も通さない特殊なシールドの膜を越えると、水平型エスカレーターが設置されている道幅のある通路を歩いた。周囲はゴミや機械人形の残骸で溢れ、いくつかのバリケードも設置されていた。その即席のバリケードの周囲には、人間の骨も散らばっていた。


「暴動が起きた際に地上に逃げようとして、エレベーターホールに詰めかけた人間のものか?」と私は骨を跨ぎながら訊いた。

『そうだね』と、ドローンを使って周囲をスキャンしていたカグヤが言う。『でもホールに繋がるゲートは、あらゆる人間を通さないように設定されていたから、人々は通路で足止めされることになった』

「あらゆる人間か……」

『うん。データベースの解析が進んで分かったことだけど、権力のある人間も、幼い子供も、皆等しく施設に閉じ込められた。所謂、バイオハザードに区分されるような事態が発生していたから、施設は完全に封鎖されたんだよ。これを見て』

 カグヤがそう言うと、拡張現実で再現された人々の映像が通路に表示される。


「旧文明期の人間か」と、動きを止めていた女性の前に立ったイーサンが言う。

 旧文明の人間が皆そうであるように、背の高い女性は驚くほど美しく、そして幼い子供を胸に抱いていた。再現された数百人ほどの人間が、通路の向こうからこちらに向かっている状態で動きを止めていたが、子供の数は恐ろしく少なかった。

『地球は人口が管理されていたからね』と私の思考を読んだカグヤが言う。

「だから子供が極端に少ないのか……」

 壁際に立っていた警備隊員の装備を確認していたイーサンがカグヤに訊いた。

「この映像は何処から?」

『施設のデータベースに残っていた監視カメラの映像を、いくつか繋ぎ合わせて再現したものだよ。ほとんどの映像は残っていないけどね』


 イーサンはタクティカルゴーグルを外すと、ハクにゴーグルの先を覗くように言った。ハクは天井から下りてくると、そっとゴーグルを覗いて、それから驚いて後方に跳んだ。

『おばけ、いる』

「お化けじゃないよ」とイーサンが笑う。「いいか、ハク。このゴーグルには、昔の人間の映像が映っているんだ」

『むかし……やっぱり、おばけ?』

「あぁ、ある意味、こいつらはお化けだな」とイーサンは苦笑した。


『そう言えば』と、ハクたちの様子を見ていたカグヤが言う。『ハクの為にも、データベースのシステムに接続できるゴーグルを用意した方が良いのかもしれないね』

「ゴーグルか……確かに軍隊で活躍する軍用犬も専用のゴーグルを装着するし、ハクの安全を考えれば、防弾機能を備えたゴーグルはあった方が良いな」

『うん。ハクは字も読めるようになってきたし、インターフェースで情報を得られるようになれば、もっと活躍できるかもしれない』

「そうだな。拠点に戻ったら、ペパーミントと相談して、ハクの眼に合わせた専用のゴーグルを製造してもらうか」

『それならタクティカルベストも欲しいね』

「ハクが身につけてくれるのかは分からないけどな」

『でもハクが装備しているのを見たら、マシロも身につけてくれるかも』

「マシロは子供じゃないから、そんなに簡単にはいかないと思う」

『そうかな。マシロも結構、単純な子だから装備してくれると思うけどな』


 我々は娯楽施設に繋がる通路とは反対の道に入って行く。そこもひどい状態で、バトルスーツを身につけた状態で白骨化した警備隊員の死体も多く残されていた。

「人擬きウィルスに感染する前に死んだ奴らか」と、イーサンはレーザーライフルを拾い上げながら言った。

「暴動の際に殺されたものたちだろうな」

 私はそう言うと、死骸の側に転がっているフルフェイスマスクを眺めた。マスクの中には頭蓋骨が入っていた。


『レイ、肉塊型がこの先にいる。気をつけて』

 カグヤのドローンから人擬きの位置情報を受信すると、私は素早く敵の位置をハクに伝える。天井に張り付いていたハクは、すぐに床に下りてきた。

「奴らは眠っているみたいだ。慎重に行動しよう」と私は小声で言う。

 通路の脇に設置されているメンテナンス用通路に寝そべるように、幾つもの腕を持つグロテスクな巨体が横たわっている。我々は足音を立てないように通路を慎重に歩いた。通路の先には、バリケードを破壊するように、もう一体の肉塊型がいたが、どうやらその個体も休眠状態で、まったく動きを見せなかった。


 あともう少しで昇降機のある場所に辿りつける時だった。我々のはるか後方に肉塊の化け物が現れた。それは継接ぎの皮膚をまとっていた人型の個体と似た姿をしていたが、人間の皮膚は纏っていなかった。そいつは蠢く気色悪い無数の肉片の集合体でもあった。そしてその化け物の絶叫と共に、我々の周囲にいた人擬きが次々と目を覚ました。

「走れ!」イーサンの声で我々は昇降機に向かって駆けた。

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