第389話 記憶
長い間、何も見えない暗闇の中に横たわっていたような気がした。身体の節々が痛み、震えるほど寒かった。それなのに身体の中心からは、熱を持った痛みを感じる。それは今まで経験した事の無い痛みだった。腹の中に異物が挿入されている気がした。真っ赤になるまで熱せられた鉄の杭が、鼓動のたびに身体の奥に挿し込まれては、ゆっくり引き抜かれる。粘度のある血液で濡れた鉄の杭は、滑るように肉の間を通って、痛みを発する繊細な神経を傷つけていく。
まるで拷問にかけられている気分だ。激痛が短い間隔で波のように押し寄せ、そして唐突に去っていく。一瞬の静寂は安心感をもたらすのと同時に、絶望を運んでくる。私に出来ることは痛みが去っていくのを祈り、歯を食いしばって耐えるだけだった。
何処からともなく血の臭いが漂ってくる。血液と臓物の混じり合った臭いだ。
ゆっくり意識が覚醒していくと、乾いた血液がこびりついた手の平が見えた。それが自分自身の手だと気がつくまでしばらくの時間を必要とした。何度か手を握りしめて握力があるか確認していると、足先に瓦礫が転がっていることに気がついた。その瓦礫を辿って視線を動かすと倒壊した建物が目に入った。
破壊され完全に倒壊した建物を中心にして、周囲の建物にも相当な被害が出ているようだった。それらの建物は、居住区画の天井を支える柱のように建ち並んでいたので、天井が崩落してこないか心配になった。その天井に目を向けると、外の景色を映し出していたモニターにも被害が出ているのが分かった。巨大なモニターパネルが落下していて、道路脇に停車していた車両を派手に潰していた。
拘束衣を身につけた少年との戦闘が残した破壊を茫然と見つめたあと、恐る恐る腹部の傷を確かめる。戦闘服は大きく裂けていて、傷口には包帯が巻かれていた。驚いた事に先程まで感じていた苦痛は、気怠さと僅かな脱力感を残して嘘のように消え失せていた。体内のナノマシンが正常に機能しているからなのだろう。
少年の姿をした奇妙な化け物から受けた攻撃は、液体金属の装甲を貫通していた。試しに液体金属を操作すると、包帯の上から傷口を覆う薄い装甲の膜が現れた。どうやら『ハガネ』に深刻な被害は出なかったようだ。
安心したからなのか、そこでようやく自分自身が地面に敷かれた毛布に座っていて、背中を預けるようにして白蜘蛛に寄り掛かっている事に気がついた。私は凝り固まった身体をゆっくり動かしてハクの様子を眺める。白蜘蛛は触肢を使って、吐き出していた細い糸を器用に編んでいた。
「ハク」と私は言葉を口にしようとするが、喉が渇いていて声がかすれてしまう。
『起きたの、レイ?』とカグヤの声が内耳に聞こえた。
私は何度か咳払いして、それからカグヤに返事をした。
「起きたよ」
『身体の調子は?』
「今は痛みを感じない」
『良かった……』
安心するカグヤの声を聞いて、何故か私もホッとする。
「あれからどうなったのか、教えてくれるか?」
『レイが化け物の腕を切断したことは憶えてる?』
「ああ、ぎりぎりだったけど、ハクが攻撃される前にハガネで腕を切断した」
『その腕が切断されたことで、行き場を失った膨大なエネルギーが暴発して、凄まじい爆発を引き起こしたんだ。当然、近くにいたレイも巻き込まれそうになったけど、機転を利かせたハクが糸を使って、レイを建物の外に一気に引っ張り出してくれたんだ』
私は視線を落とすと傷口に触れた。
「ハクのおかげで俺は助かったのか……」
『うん。今回は本当に危なかった』
私は溜息をつくと、カグヤに訊ねた。
「あの化け物はどうなった?」
『爆発に巻き込まれて、跡形も無く消滅した』
「自爆か……呆気ない幕切れだな」
『うん。でもダクト内に潜んでいる肉塊の量を考えれば、もっと強力な個体がいても不思議じゃない』
「あんな化け物が大量にいるのか……」
『確かな事はまだ何も分からないけど、覚悟はしておいた方が良い』
「そうだな……ところで、あれからどれくらいの時間が経った?」
私はそう言うと、インターフェースで現在時刻を確認する。
『三時間と少し。爆発のあと、すぐに駆けつけてくれたチハルに手伝ってもらって、レイにオートドクターを使用したんだ。レイは身体が修復されている間、ぐっすり眠ってた』
「カグヤがチハルと話をしたのか?」
『そうだよ。通信して、普通にお願いしたよ』
「そうか……それで、子供たちに被害は出たか?」
『みんな元気だよ。あの化け物の狙いは、最初から最後までレイだけだったからね。子供たちは廃墟の病院でご飯を食べてる』
「狙いはやっぱり人間の記憶か……」
「それとね、残念なお知らせがある』とカグヤが言う。
「教えてくれ」
『戦闘に参加していたドローンの半数が破壊された』
「広場で発生した衝撃波にやられたのか?」
『うん。部品は再利用できるから、子供たちに残骸を回収してもらったけど』
「旧文明の貴重なドローンを破壊されたのは痛いな」
『今回は相手が悪かった』
「何もかも迂闊だったよ」
緊張し強張っていた身体の力を抜くと、白蜘蛛のフカフカとした体毛を背中で感じながら今後について考える。
「もうすぐ化け物どもの奇妙なパレードが始まる」
『そうだね。今夜は最大限の警戒をした方が良い』
「何が切っ掛けになったのかはまだ分からないけど、奴らは俺たちを積極的に攻撃してきている。子供たちも標的にされる可能性があるから、もう油断は出来ない」
天井のモニターに目を向けると、暗くなった空が見えた。
「……ミスズたちの状況を教えてくれるか?」と私はカグヤに言った。
『イーサン率いる部隊は、一時間ほど前に地下施設に繋がるエレベーターホールの近くに辿り着いた。でもそこは商業施設を備えた地下鉄の駅でもあったんだ』
「地下鉄か……いかにも人擬きが潜んでいそうな場所だな」
『うん。駅から地上に繋がる経路は瓦礫で埋まっていたから、地上から危険な生物がやってくることは無いけど、地下鉄は人々の日常生活に密接に関わる交通機関だから、大量の人擬きが潜んでいるのは間違いないない』
「厄介だな……エレベーターホールはイーサンたちだけで確保できそうか?」
『それは心配ないよ。ミスズとナミも一緒だし、イーサンの部隊は戦闘のプロだよ。それに今は人擬きを殺せる装備も所持してる。だから心配しなくても大丈夫だと思う。問題があるとすればエレベーターだよ。起動させて操作するには、レイの権限が必要だからね』
「カグヤの操作する偵察ドローンも一緒なんだろ? なんとか出来ないのか?」
『残念だけど、セキュリティの関係でエレベーターを操作するには、ある程度の権限を持った人間の接触接続が必要になるんだよ』
「俺が起動させないとダメなのか」
『うん。それに駅構内の安全を確保する為に、イーサンは陣地の構築を優先させてる。人擬きを掃討しないと、子供たちを移動させるときに危険だからね』
「確かに異界の化け物も地下区画を徘徊しているから、駅構内は制圧しておかないと危険だな」
私はゆっくり立ち上がると、装備の確認を行う。戦闘服は汚れと血痕で酷い状態だった。上着は大きく裂け、ダメになった防弾ベストは何処にあるのかも分からなかった。不幸中の幸いだったのは、ベルトポーチに異常が無く、装備が揃っていたことだ。ハンドガンの形態変化に使用する特殊な弾倉にも問題は無かった。私は毛布の上に置かれていた歩兵用ライフルを拾い上げて、状態を確認する。
『チハルが瓦礫の間から見つけてきてくれたんだよ』とカグヤが言う。
「あとで感謝しないといけないな」
私はそう言うと、太腿のホルスターに手を伸ばした。
『ハンドガンも探したんだけど、見つからなかった』
「あの化け物に攻撃された時に失くしたのか……」
インターフェースを操作し、ハンドガンの捜索を行う項目を選択した。すると横倒しになり、重なり合っていた瓦礫を透かしてハンドガンの輪郭が青色の線で強調される。
ハンドガンを拾いに行く前にハクを撫でると、助けてくれた事に感謝する。
『うん』と、ハクは糸を編むのに夢中になっていて、適当に返事をした。
私はもう一度ハクの体毛を撫でると、瓦礫の側まで歩いていった。先程の戦闘で大量の血液を失っていたが、オートドクターとナノマシンのおかげで違和感なく歩くことが出来た。今回ばかりは化け物じみた自分自身の身体に感謝した。
鉄筋が飛び出している瓦礫に注意しながら歩いて、ハンドガンが埋まっている場所まで向かう。山のように重なり合った瓦礫の勾配を上がると、足元の瓦礫を退かしていく。
それなりの重さのある瓦礫も難なく退かすことが出来たので、戦闘に関しては心配する事も無いだろう。砂や塵に汚れたハンドガンを拾い上げると、システムチェックを行い、その辺に転がっていた瓦礫の鉄筋を次々とハンドガンに取り込んでいった。旧文明の建物は軽くて強度のある特殊な鋼材を利用して建造されているので、弾薬に困ることは無いだろう。次に化け物に襲われたら、反重力弾で圧殺してやる。
そう思って通路の向こうに視線を向けると、黒いドレスを着た女性が立っているのが見えた。死人のような白い肌に、黒い口紅、アイメイクが涙に滲み頬に黒い線を引いているのが見えた。
「拘束衣の次はゴシックファッションか」
そう言って女性にハンドガンを向けると、彼女の姿は幽霊のように朧気になり霧散した。
『反応が消えたね』
「でもホログラムじゃなかった。肉塊に戻って何処かに行ったんだろう」
『私たちの前に現れる化け物は、ホログラムだけじゃなくて、施設内を徘徊している人擬きの姿も参考にしているのかもね』とカグヤが言う。
「なんのことだ?」
『化け物の格好だよ。この居住区画にだって、警察のような役割を持った組織はあったと思うし、閉鎖された環境で生きていた住人の間に犯罪者はいたと思う。もちろんその中には精神を病む人間もいたはずだよ』
「拘束衣を身につけた人擬きがうろついていて、それを偶然、見かけた化け物が姿を真似た?」
『うん。そうだと思う』
「人間だけじゃなくて、人擬きにも擬態しようとしたのか?」
『その結果が、あのグロテスクな肉塊なんだと思う』
「まさか、肉塊型の人擬きを真似て、奴らはあんな醜い姿になったのか?」
『ずっと考えていたんだ』とカグヤが言う。『偶然だったのかもしれないし、もっと大きな意思によって作為的に仕組まれていたことなのかもしれないけど、いずれにせよ『瀬口早苗』に擬態した異界の生物は、知恵を手に入れることが出来た。もしもあの生物と同種の生命体が、異界の洞窟に大量に潜んでいて、その光景を目撃していたとしたら、彼らは自我と、それから知恵を手に入れて、瀬口早苗のようになりたいと望んだと思うんだ』
「カグヤは面白い事を考えるんだな」と私は素直に感心しながら言った。
『そう考えないと、あの生物が擬態に固執する理由が分からないんだ』
「人間になりたいと望んで、異界から地球に渡ってきた。でも施設の人間は人擬きウィルスに感染していて、僅かな本能だけを持つ不死の化け物になっていた」
『うん。だから仕方なく人擬きの記憶を取り込んで、人擬きに擬態したんだ』
「これだけの規模がある施設で、人擬きをほとんど見かけない理由の説明にはなるけど……人間と人擬きは全然違う。なんで人擬きなんて相手にするんだ」
『見分ける事が出来なかったんだよ』
「人間と人擬きを?」
『人間にとってあの生物が未知の生命体だったように、あの生物にも人間は未知の存在だった。区別する事なんて初めから出来なかったんだよ』
「だから手当たり次第に人擬きの記憶を取り込んで擬態して、人擬きの本能に従うように、寄り集まって肉塊になっていった?」
『もしもあの生命体の望みが、何かに成り代わることなら、あながち間違った推測でもないと思う』
私は黒いドレスを着た女性が立っていた通りに目を向けると、カグヤの言葉に頷いた。
「そうだな。まだ納得は出来ないけど、その可能性はある」
白蜘蛛の側に戻ると、ハクが一生懸命に編んでいた布をプレゼントしてくれた。
『レイ、まもる』
腹部に視線を向けると、包帯に血液が滲んでいるのが見えた。確かにこの状態で化け物と戦闘するのは無謀だ。
「ハク、ありがとう」
『うん。いと、じょうぶ』
私は上着を捲ると、ハクの糸で出来た布を腹部に巻いて、しっかりと固定した。
「よし、それじゃ子供たちのいる場所に行こう。化け物どもの行進が始まる前に、戦闘準備を終えたい」
『ついでに空間転移の為の『門』を開いてくれる?』とカグヤが言う。
「良いけど、拠点に何か用があるのか?」
『粘土板を届けるついでに、壊れたドローンを拠点に運んで置いて欲しいんだ』
「ドローンは何処に?」
『広場の近くにまとめてあるよ』
「了解」
『新しい戦闘服もジュリに用意してもらうよ。レイが着てるのは、もう使い物にならないからね』
「良い考えだ」
『ペパーミントがすごく心配してたよ』とカグヤが言う。
「話の途中で相手が死にかけたら、確かに驚くし心配する」
私はそう言うと、周囲に視線を向けて怪しいホログラムが無いか確認した。
『茶化さないの。拠点に戻ったら、無事だったことを伝えるんだよ』
「分かってる」
『レイは目を離すと、すぐに無茶をするから』
私は肩をすくめると、通りの向こうに現れたホログラムに注視した。
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