第390話 肉塊


 消灯時間がやってくると、居住区画のそこかしこに灯されていた照明が消えていった。その途端、人間の気配がしない不気味な静寂が廃墟を支配していく。私は薄闇に視線を向けると、何処からともなく聞こえてくる鉄骨の軋みに耳を澄ませる。

「カグヤ、化け物どもに動きはあるか?」

『ううん。周辺に散って通りを見張っているドローンから、リアルタイム情報を受信して確認しているけど、まだ通りに動きは無いよ』

「そうか……子供たちの様子は?」

『大丈夫だよ。病院跡にいる子供たちの側にはハクが待機してくれているし、チハルが子供たちをまとめてくれている。それに何かあればすぐに脱出できる手筈も整っている』


 カグヤの言葉に頷いた時だった。通りの向こうにある建物の陰から、何かがこちらをじっと見つめている様子が目に入ったが、視覚情報を調整して何かの正体を確認しようとした頃にはいなくなっていた。まるでホラー映画の登場人物になった気分がした。振り返ると遠くに見えていた化け物がすぐ側に現れる。もちろんこれはホラー映画ではなく現実なのだから、そんな事態にはならない。振り向いたとしても見えるのは薄暗い不気味な通りだけだった。


 子供たちと合流したあと、施設を脱出する為の準備をチハルに任せると、私は空間転移を行い拠点に一旦戻った。装備の補給を行い、破壊されていたドローンの残骸を作業用ドロイドに預け、粘土板をペパーミントに届けた。それから私は地下施設に戻ってきた。今夜、化け物どもが襲ってくる予感がしていた。そしてその予感が現実になることも分かっていた。

 化け物の狙いが人間の記憶であるならば、奴らの標的は私になるはずだ。だから子供たちが拠点にしていた病院跡から距離をとり、通りの一角で待機する。白蜘蛛と離れるのは不安だったが、ハクの攻撃では化け物どもを殺しきることは出来ない。だからハクには警備用ドローンと共に子供たちの護衛を任せることにした。思惑通りに事が推移すれば、化け物は私を攻撃してくるはずだ。


『反重力弾の威力は既に調整済みだよ』とカグヤが言う。『強力な重力場を周囲に発生させて、標的を引き寄せて圧殺する効果範囲は狭くなったけど、その分、撃ち出されるプラズマの速度が増している。だから化け物を捉えるのが簡単になっていると思う』

「ありがとう、カグヤ」

『でも反重力弾の扱いには充分に注意してね。射撃を誤り、攻撃を外せば施設に甚大な被害が出る』

「分かってる。でもこの戦いは、俺たちが生き残ることを優先にしている。少しぐらいの被害には目をつぶるつもりだ」

 私はそう言うと、インターフェースに表示される反重力弾の残弾数を確認する。

『そうだね。このゴミに埋もれた廃墟で私たちが得られるものは何もない』


 かつては数千の人間が暮らしていた居住区画には、住人による暴動が残した大量のゴミと、破壊された機械人形の残骸ばかりが残されていた。そこに建ち並ぶ建物には、我々にとって価値のあるものは恐らく残されていないだろう。閉鎖された空間で突如発生したパンデミックは、制御の出来ない混沌を生み出し、恐怖はやがて人々から生きる希望を奪い、どうしようもない絶望となって彼らに容赦なく襲いかかった。


 それからどれほどの時間を要して、施設の住人が根絶やしにされていったのかは分からない。数カ月だったのかもしれないし、数年間、絶望に抗い最後のその時まで戦い続けた人間がいたかもしれない。しかし結局、秩序の失われた世界で彼らはひっそりと死んでいった。誰にも知られること無く。そして墓標のように建ち並ぶ廃墟の建物だけが残された。


 遠くで水滴の滴る音が微かに聞こえると、私は思考を打ち切って音に集中した。それは徐々に近づいて来ているようでもあった。私は通りに視線を向けて、薄闇に潜んでいるものに備えた。

 それは身体中の肉が垂れ下がる太った人間の姿をした化け物だった。頭部は太い首に埋もれ、短い腕と足は醜い胴体から垂れ下がった円錐型をしていた。その化け物がこちらに向かって歩くたびに、身体のあちこちについた脂肪が揺れ、盛りあがり、垂れ落ちる。粘液の糸を引いた厚ぼったい脂肪の奥には、妖しく発光する二つの瞳が私に向けられていた。そして艶のある頭頂部からは、絶えず気色悪い粘液が滴り落ちている。


 私は化け物に向かってハンドガンを構えた。ホログラムサイトが浮かび上がり、銃身の形態が変化していく。十字に開放された銃身内部では、紫色の光の筋が銃口に向かって進むのが見えた。すると銃口の先の空間が陽炎のようにぼんやりと歪んでいくのが確認できた。


 その間、化け物は警戒すること無く、まるで健康の為に始めた散歩を楽しむように、ゆったりとした足取りで私に近づいて来ていた。化け物の纏う粘液は生物発光する深海生物のように、僅かに発光していた。私はその緑色の光を見ながら引き金を引いた。撃ち出された光弾は化け物に真直ぐ飛んでいって、でっぷりした胸に食い込んだ。その瞬間、金属を打ち鳴らしたような甲高い音が周囲に響き渡り、化け物の動きが止まった。


 化け物は前に進もうと、たっぷりと脂肪のついた短い足を出鱈目に動かしていたが、その場からは一歩も動けず、先に進む事が出来なくなっていた。そしてもう一度、甲高い金属音が響き渡った。すると化け物の醜い身体は、胸の中心に食い込んだ発光する球体に向かって凄まじい力で吸い込まれていった。

 皮膚は裂け、脂肪や肉が重力に押しつぶされ液体に変わり、嫌な音を立てて砕けていた骨は、粉々になるまで潰されていった。そうして醜い姿をした化け物の身体は、瞬く間にビー玉ほどのサイズの球体になるまで圧縮されていった。そして反重力弾に含まれる得体の知れない作用によって、分子が再構築されたことで、石のようにも見える紺色の球体が出来上がっていった。


 宙に浮かんでいた球体が地面に落下し、鈍い音を立てるのと同時に、建物の上階から太った大男が次々と飛び降りてきた。その勢いと衝撃は凄まじく、落下の衝撃で道路に敷かれていたアスファルトは放射状に割れ砂煙が立った。

 同一の個体に擬態しているようにも見えた化け物に向かって、私は反重力弾を撃ち込むと、通りの向こうから駆けてくる太った大男に視線を向けた。その大男は身体中から粘液を滴らせ、脂肪を揺らしながら真直ぐ私に向かって来ていた。私はすぐに反重力弾を撃ち込むと、横に飛び退くようにして化け物の突進を避けた。

 光弾を受けた化け物が甲高い金属音と共に圧殺されていくのを横目に、私は次の化け物に備えた。


『美味しい培養肉を食べよう!』と太った大男が野太い声で言う。『肉が僕たちの身体を大きくする! 美味しい培養肉をご家庭に直送!』

 建物の上階から降ってきて、手足を骨折させた大男の身体に放電現象が生じる。

『レイ、化け物が爆発しようとしてる!』とカグヤは焦る。

「分かってる」

 太った化け物に反重力弾を撃ち、目の前に迫ってきていたアニマトロニクスで出来た恐竜の攻撃を間一髪で避けた。ヴェロキラプトルにも似た小型の恐竜が身体を捻り繰り出す尾の一撃を、肩に生成した大盾で受け止め、後方に後退りながら反重力弾を撃ち出す。が、恐竜じみた機械の化け物は身を低くしてプラズマの球体を避けると、私に向かって跳びかかる。

 太く鋭い爪が身体に食い込み、地面に押し倒されながらも、私は防弾ベストからチタン合金のナイフを抜き、恐竜の首に突き入れた。しかしそれでも化け物は気色悪い粘液を大きな口から垂らし、私に噛みつこうとする。


 ナイフから手を放すと、ハンドガンの銃口を恐竜の首にあて、貫通弾を撃ち込んだ。甲高い射撃音と共に化け物が金属製の部品を撒き散らし、衝撃で跳ね跳ぶと、私は恐竜の胴体に反重力弾を撃ち込んだ。肉塊に変化していく部品と共に圧殺されていく恐竜を眺めていると、後方で鉄骨の軋む嫌な音がした。

『さっき外した反重力弾が、建物に被害を出したんだ』

 カグヤの言葉に反応して振り向くと、建物の基礎部分に巨大な穴がぽっかりと開いているのが確認できた。

「倒壊する危険性は?」

『どうだろう? まだ大丈夫だと思うけど……それより、また新手が来たよ』

 通りに目を向けると、自動車ほどのサイズのマカロンが跳ねながらやってくるのが見えた。そのマカロンに挟まれたクリームがアスファルトに滴り落ちると、そこが何処であろうと、蒸気を上げながら灼け、熔けだしていった。


「今度はお菓子の化け物か」

 そう言ってハンドガンを構えた時だった。横手から急に現れた大男に殴られて私は地面を転がる。

『あの時の大男だ!』とカグヤが声を上げた。

 視線を上げると、灰色のバトルスーツを着た大男が立っていた。

「人擬きと戦っていた奴か――」

 後方に素早く飛び退くと、私が先程までいた場所に大男の拳が飛んできて、地面に食い込みアスファルトを粉砕する。

『レイ!』

「今度はなんだ!」

 突進してきた巨漢を避けながら私は思わず声を荒げた。

『兵隊の大群がハクを襲ってる!』

「大群が? そんなもの何処から出てきたんだ」

『分からない、出現するまで反応は捉えられなかった。気がついたら玩具の兵隊に包囲されていた』


 猛進してきた化け物の攻撃に反応できずに生じた僅かな隙をつかれ、化け物に組みつかれてしまう。私はすぐに大男の顔面を殴るのと同時に、拳の先に生成した刃を大男の顔面に突き刺した。

 白銀色に輝く刃は大男の顔面を貫通したが、少しも効果がないのか、大男は猛烈な力で私を投げ飛ばした。液体金属で生成した装甲で身体を保護していたおかげで重傷は負わなかったが、それでも私は建物の壁を破壊しながら吹き飛び、建物の反対側に出て地面を転がった。旧文明の鋼材で建造された建物の壁を破壊する衝撃にも驚いたが、その衝撃を吸収する『ハガネ』の性能にも改めて驚かされた。


 私は気を取り直すと、素早く立ち上がってハンドガンを構えた。しかし建物の奥から現れたのは大男ではなく、虹色の角を持つユニコーンだった。

 ユニコーンは砂煙の向こうから虹の尾を引きながら、優雅に駆けてみせた。が、どれほど美しい生き物でも、恐ろしい化け物に変わりはない。ユニコーンに照準を合わせ、引き金を引いて圧殺すると、通りの向こうから駆けてくる恐竜から逃げるように薄暗い建物に入って行った。


 エントランスホールに設けられたカウンターの陰に隠れると、建物の狭い入り口に向かってハンドガンを構える。

「カグヤ、ハクの様子を教えてくれ」

『無事だよ。ハクの攻撃で露出した肉塊の核を、ドローンがレーザーガンで焼いているところ』

「ハクは大丈夫なんだな?」私はそう言うと、建物に侵入しようとしていた恐竜に向かって反重力弾を撃ち込んでいく。

『うん。でも大きな個体が来たら大変なことになる』

「通りはどうなっている? あの奇妙なパレードは始まったのか?」

『ううん。まだ動きは無いよ』

「それなら予定変更だ」

『変更? どうするつもり?』

 天井を破壊しながら太った化け物が上階から姿を見せると、私は化け物に光弾を撃ち込んで建物の窓から外に飛び出した。


「今夜もあの奇妙なパレードをやり通して、俺たちを見逃してくれると思っていたけど、どうやら奴らは本気で俺たちを殺しにきているみたいだ。だから予定を早めて居住区画から脱出する」

『分かった。チハルに伝えるよ』とカグヤは言う。

「隔壁の近くで合流できるように、周辺の偵察をしていたドローンにも指示を出しておいてくれ」

 そう言って通りの向こうに目を向けると、人間から剥いだ無数の皮膚を纏う化け物がぽつんと立っているのが見えた。その化け物のずっと後方には、百体ほどの太った大男が立っていた。それらの化け物が発する僅かな光で、通りはぼんやりとした緑色の光に照らされていた。


『瀬口早苗を襲っていた化け物だ』とカグヤが言う。

 その化け物は皮膚が垂れ下がる腕を持ち上げ、私にゆっくり向けた。攻撃を想定して装甲の強度を最大限に高め、まるで鋼鉄の置物のように身体を硬化させた。しかし化け物からの攻撃は無く、太った化け物の群が私に向かって歩いて来るだけだった。変化が起きたのは、化け物の大群が数十メートルほどの距離まで私に近づいた時だった。

 ハンドガンを構えた私の目の前で、化け物どもはグロテスクな肉塊に変化していって、通りの真ん中に向かって寄り集まり、粘液を纏う不定形で恐ろしく巨大な肉塊に変わっていった。


 それはやがて灰色の骨を形作り、赤黒い筋肉を形成し、太い血管と共に淡黄色の薄い脂肪の膜に覆われていく。すると轟音と共に天井のモニターが次々と崩落し、ぬめりを持った臓器が天井の隙間から噴出し、肉塊に覆いかぶさっていった。それらの臓器からは、おびただしい量の体液が流れ出し、周囲の建物や構造物を熔かしていった。その臓器はやがて肉塊に癒着し、凄まじい勢いで血管が網目状に張り巡らされていき、そして青白い皮膚に覆われていった。


『巨人だ……』とカグヤが呟いた。

 私は目の前で誕生しようとしていた人型の恐ろしい化け物に向かって、ハンドガンの引き金を引いた。威力を制限されていない反重力弾は、すべすべの皮膚を纏う巨人の身体に食い込み、甲高い金属音を響かせながら、巨人の身体もろとも周囲の建物を猛烈な勢いで吸い込んでいった。

 しかし化け物の身体は受精した卵細胞のように分裂を繰り返し、絶えず新たな細胞を生成しながら肉体を維持しようとしていた。

『レイ、逃げよう』と、その光景を眺めていたカグヤが言う。『あの巨人を消滅させるには、もっと強力な攻撃が必要だ』

 私は頷くと、腹の底を震わせるような化け物の咆哮を聞きながら駆け出した。

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