第380話 発光体


 居住区画に投影される極彩色のホログラムによって、柱のように建ち並ぶ建物に幾つもの影が生まれ、それらは光の瞬きに合わせて踊るように揺れ動いていた。

『レイ、お腹の傷は大丈夫?』と、カグヤの優しい声が内耳に聞こえる。

「熱を持ってズキズキと痛む」

『それは錯覚だと思う……レイの体内にあるナノマシンのおかげで、痛みは完全に制御されているから』

 脇腹近くの傷口に手を当てると、確かに痛みは感じなかった。そこが傷ついているのは分かっていたし、痛みがあるのも分かる。でもそれを感じることは出来なかった。傷口に触れた手の平に視線を向ける。けれど血液は付着していなかった。

『液体金属がすぐに負傷箇所を認識して、傷口を圧迫してくれたんだ。だから出血は最低限に留まった』

「そうか……」

『どうしたの?』

「動きを重視した形態だとは言え、ハガネが生成していた装甲を簡単に貫いた」『それにはハガネも驚いているみたいだった』

「驚く?」

『レイが損傷して初めて攻撃されたことに気がついたみたい。それで急いで止血しようと液体金属を伸縮させていた』


 建物の外壁に跳びついて周囲の警戒をしていた白蜘蛛に視線を向けると、廃墟になっていた建物からチハルが駆けてくる。

「レイラさん、大丈夫ですか?」とチハルは相当に慌てていた。

「問題ないよ。それより、さっきの援護射撃には感謝するよ。完全に油断していた。もう少し遅れていたら、あの化け物に捕まっていたかもしれない」

「いえ……当然の事をしただけです……」

 不安そうな顔をしていたチハルの丸刈り頭を乱暴に撫でると、警備用ドローンが近づく発光体に反応するように設定を変更する。周囲に敵の気配は全く感じられなかったが、相手の正体も分からない以上、警戒は怠らない方が良い。

 警備用ドローンがそれぞれの配置についたのを確認すると、私はチハルと一緒に廃墟の病室に戻る。


「随分と慌てていたな……チハルはあれの存在を知っていたんだな」

 私がそう言うと、チハルは目を伏せた。

 チハルは居住区画が安全だと言っていたが、幼い子供たちの周囲には常に武装した子供たちを待機させて警戒していた。それはつまり、居住区画に潜む得体の知れない存在の事を、チハルが認識していたことの証明でもあった。

「あれが夜な夜な徘徊していたことは知っていました……」チハルはベッドに腰掛けながらそう言った。

 謎の発光体によって居住区画に灯る不気味な明かりを見ながら、私は訊ねた。

「奴らはいつも現れるのか?」

「はい……」

「そもそもあれは何なんだ? 最初はただのホログラムに見えた。でも違った。あれは確かに実体を持っていた」

「僕たちも最初はホログラムだと思っていました。けど、あれは異質なものだから、絶対に近づいてはいけないって母に注意されて、それ以来、絶対に近づかないようにしていました」

「異質なものか……なら教えてくれ、チハル。あんな危険な化け物が居住区画を徘徊しているのに、どうして教えてくれなかったんだ?」

「ごめんなさい……あれは僕たちには無害だったから、何も起きないし、してこないと思っていました」

『無害?』とカグヤが驚く。『あんなに狂暴で狂った存在なのに?』


 チハルが話した事について考えながら、私は病室に目を向ける。

 あれほどの騒ぎだったにも拘わらず、子供たちは熟睡していた。危機意識が無いのか、それとも夜中の騒ぎに慣れているからなのかは分からなかった。あるいは、あの化け物が無害だと知っていて、安心しているのか……いずれにしろ、子供たちが眠れていることに私はホッとした。


「あの奇妙な化け物から攻撃された事は、本当に一度も無いのか?」

 眠っている子供たちに気を遣って小声で訊ねると、チハルはこくりと頷く。

「でもチハルたちは警戒はしていた」と私は続けて言った。

「あれが居住区画に潜んでいた変異体に襲いかかって、食べている場面に何度か遭遇しました。それ以来、怖くなって常に警戒するようにしていました」

「食べていた?」

「はい。時計を手にしたウサギが、変異体をむしゃむしゃと食べていました」

「時計? どうしてウサギが時間なんて気にするんだ」

「分かりません……でもその時計が、懐中時計と呼ばれる旧文明の遺物だと母に教えてもらいました」

『大昔の童話に登場したキャラクターだね』とカグヤが言う。


「チハルたちの母親も、あの化け物には攻撃されなかったのか?」

 私の言葉にチハルは頭を振った。

「積極的に危害を加えようとしない限り、あれは母に攻撃することは無いと言っていました」

「母親は化け物の正体を知っていたのか?」

「いえ、奇妙な隣人だとは言っていましたけど……」

『不思議だね』とカグヤが言う。『機械人形である『シキガミ』には反応せず、生物に対しては、それが人擬きでも容赦なく襲いかかる。主のいない機械人形が、初めから自分たちの脅威にならないと知っているような、そんな素振りをみせている』


「玩具の街か……」と私は溜息をついた。「ここに初めて来た時に、ホログラムで再現された人形と接触したけど、攻撃されなかったのはどうしてなんだ?」

「危険な発光体は、基本的に夜にしか現れません」とチハルは言う。

「夜か……」

「でもそれが確かな情報だと保証することは出来ません。一目見ただけでは、それが危険なホログラムだと区別することは出来ないので……」 

 病室の窓から見えていた明かりに視線を向けると、居住区画に漂っていた腐臭と共に、臓物と血液の匂いが窓から忍び込んでくるような気がした。その臭いはやがて喉の奥で痰と絡み、我々を窒息死させる毒に変わるのだろう。


「確かにあのヘンテコな人形は、姿形だけで敵だと判別することは難しい」

『化け物の正確な数や戦い方も分からないのに、片端から攻撃して実体があるか確かめる訳にもいかないし、さすがに今回は相手が悪すぎる』

 カグヤの言葉に頷くと、私はチハルに言った。

「チハルたちが攻撃されなかったのは、この街の住人だからなのか?」

「住人ですか?」とチハルは頭を傾げる。

「あの狂った人形が言っていたんだ。君も玩具の街で、僕たちと一緒に暮らす仲間にならないかって」

「仲間ですか……確かに物心ついた頃から、あの奇妙な発光体は身近にいましたけど、僕たちはあれの仲間じゃありません!」

「分かってる。けど、もう隠し事は止めてくれ。俺が知っておかなければいけない事があったら、事前に教えて欲しい」

「ごめんなさい……」

「良いさ」チハルの頭を撫でると、私は窓の外に目を向けた。


 それから私は難しい顔をしていたチハルに眠るように言いつけると、廃墟になった建物から出た。

 通りのずっと向こうに視線を向けると、目眩がするほどの明かりに照らされている区画が目に入る。日が昇るまで明かりは消えないのだろう。

『レイ』

 可愛らしい声がすると、白蜘蛛が私のすぐ側に音も無く着地した。

「周囲の警戒、お疲れさま」

『うん!』ハクは元気よく答えると、触肢で地面をトントンと叩く。

「さっきの戦闘でハクは怪我をしなかったか?」

『だいじょうぶ』

 ハクはそう言うと、脚を伸ばしてみせてくれた。

「化け物を攻撃したはずだけど、汚れていないな……綺麗にしたのか?」

『ううん。よごれ、ない』

 ハクが触肢を互いにゴシゴシと擦ると、細かい毛がパラパラと地面に落ちた。

「どういうことだ?」と私は頭を傾げる。

 確かにハクは化け物の背中に何度も鉤爪を刺し、膨れた奇妙な胴体を貫いていた。それなのにハクのフサフサとした体毛には、化け物の体液が一切付着していなかった。まさかあの人形は、本当に実体のないホログラムだったのだろうか、それとも亡霊だったのだろうか?


『実在するのか分からない正体不明の敵か……』と、イーサンの声が内耳に聞こえる。『また厄介な化け物が現れたな』

「そうだな……」と私はハクの体毛を撫でながら言う。

『化け物退治の依頼を受けて、異界の化け物と対峙した事は何度もあったが、あんな奴を見るのは俺も初めてだ』

「そう言えば、イーサンは異界の生物を駆除する仕事もしていたんだよな」

『ああ。でも俺が相手にしていたのは、大猿みたいな肉食獣じみた化け物と、真っ白な化け物がほとんどだった』

『真っ白な化け物……もしかして『混沌の子供』たちのこと?』とカグヤが訊く。

『レイから名前を聞くまでは知らなかったが、そいつらの事だな。と言っても、集団からはぐれて迷子になった個体だったけどな』


『とにかくだ』とイーサンが言う。『居住区画はお前さんの言う通り、安全な場所じゃない』

「だからこそ、この場所には留まれない」

『けど難しいな……お前さんは幼い子供たちを連れて、人擬きや得体の知れない化け物が徘徊する施設を移動することになる。子供たちの中には、幼くて体力が無い子もいる。そういった子供たちにとって、緊張を強いられながら長時間歩くことは不可能だ』

 退屈していたハクが外壁に跳びつくのを見ながら私は言った。

「移動の助けになるようなものがあれば良いんだけど、居住区画には軌道車両の類は存在しない。だから地上に向かう『エレベーターホール』まで、どうにかして歩いて行くしかない」

『警備用ドローン以外に使えそうなものは無いのか?』

「どうだろうな、機械人形のほとんどは破壊されているみたいだし、使える機体があっても、移動の助けにはならなさそうだ」


『ぴったりのもの見つけてきたわ』とペパーミントの声が聞こえた。

『子供たちを抱っこして運ぶことの出来る機械人形でも見つけたのか?』

 イーサンが茶化すように訊ねると、ペパーミントはきっぱりと答える。

『いいえ。見つけたのは荷物の運搬を行う軍用自律型輸送ヴィードル』

「軍用? どうしてそんなものが居住区画に?」と私は驚く。

『レイ、忘れたの? そこは日本の軍需産業を担う企業だった『エボシ』の施設でもあるのよ』

「居住区画の何処かに、エボシの製品が破壊されずに残されていたのか?」

『ええ。施設の警備システムを使ってカーゴドローンが無いか探していたら、偶然に見つけることが出来たの』

『ドローンか……』とイーサンが言う。『確かにカーゴドローンがあれば、子供たちを小型コンテナに乗せて快適に移動できたが、ドローンはダメだったのか?』

『完全に破壊されていたわ。施設で暴動が起きた際に、破壊されてしまったんだと思う。カーゴドローンは食料や武器の運搬には欠かせないものだから、狙い撃ちにされた可能性がある』

『そういうことか』


「それで、その……」

『自律型輸送ヴィードル』とペパーミントは言う。

「その輸送ヴィードルは、すぐに使える状態なのか?」

『機体の整備は必要だけど、ソフトウェアの初期化をしたら動かせると思う。だからそこで少し待ってて、輸送ヴィードルを向かわせるから』

「整備は簡単に出来るのか?」

『いいえ。ちゃんとした設備が必要になる』

「なら使えないのか?」

『問題ないわ。レイが空間転移の『門』を開いて、輸送ヴィードルを拠点に届けてくれたら、整備は私がする』

「それは可能なのか?」

『もう気付いていると思うけど、門を通過出来ないのは生物だけで、物資なら問題なく運ぶことが出来る』


『それなら、拠点から何か役に立つものを運んできた方が良いんじゃないのか?』

 イーサンの言葉にペパーミントは溜息をついた。

『残念だけど、私たちの所有している軍用ヴィードルは、砂漠地帯にある拠点を警備する為に出払っている。雪の中では使い物にならないから、砂漠に派遣しようって言ったのは貴方でしょ? それともそれを忘れてしまうほどに、貴方はボケたのかしら?』

『そうだったな』と、イーサンはペパーミントの辛辣な物言いを聞き流す。


「なあ、ペパーミント。物資を運ぶことが出来るのは、何となく分かるよ。少なくとも服を着た状態で『門』を通過できるんだからな。でもヴィードルは大丈夫なのか?」

『人工筋肉を使った生体脚を持っているけど、あれは最早生命とは呼べないものだし、固定された意識に紐づけされた精神を持つ知的生物でもない。機械から発生する電気信号で動くものでしかないから、レイが触れていれば、問題なく門を通過できると思うの』

『触れるね……』とイーサンが言う。『それなら、機械人形の集団を数珠繋ぎにして、レイが手を引きながら先導すれば、機械人形の軍団を輸送することも出来るんじゃないのか?』

『それは分からないけど、無理なんじゃないかな?』

『理由は?』

『機械人形には高度な人工知能が搭載されているからよ』

『それなら自律型輸送ヴィードルもダメなんじゃないのか?』


 私は二人の討論を聞きながら、警備用ドローンを使って発光体の監視をすることにした。飛行していったドローンから受信する映像が視界に表示されると、数え切れないほどの発光体が集まっていて、奇妙な行列を作っているのが確認できた。その中には、輝く水銀を滝のように口から吐き出す金魚や、無骨な大剣を背負った青銅の巨人、金色に輝く小判に埋もれた招き猫の姿も確認できた。

『見て、レイ』

 カグヤの言葉で視線を動かすと、ハヤブサの頭を持った上半身裸の男が、暗い天井に向かって松毬を掲げながら集団で歩き、その後方に可愛らしいテディベアの行列が続いているのが見えた。

「悪趣味な百鬼夜行だな……」

 チハルの言う事が正しければ、この狂気のパレードは毎夜行われている事になる。誰にも知られること無く、地下深く行われる奇妙で儀式じみた行進は不気味で、ひたすら無意味な行いに思えた。

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