第378話 違和感
居住区画に建ち並ぶ建物は、その全てがドーム型の天井を支える柱のように真直ぐに伸びていたが、我々が向かう先にあった建物だけは中途半端に崩落し、中央で綺麗に二つに分かれていた。天井から吊るされている建物は軋み、時折不気味な金属音を響かせていた。
天井一面に設置されているモニターには、夜空が映し出されていて、暗い空を背景にして吊るされていた建物を見上げながら私は溜息をついた。
「なあ、カグヤ。この建物はこの状態でも本当に安全なのか?」
『破壊された階層が剥き出しになって見えるから、余計に不安になると思うけど、今のところ崩壊する兆しは無いよ』
「破壊ね……」
『うん。この建物は経年劣化で内部崩壊を起こしたんじゃなくて、強い衝撃で内側から破裂するようにして破壊されている』
カグヤが言うように、破壊された建物の残骸が広範囲に渡って散乱し、周囲にある建物の外壁には瓦礫が食い込んでいて、道路にも外壁の一部が散乱していた。
「何かが建物内部で爆発したのか?」
『兵器開発をしていた企業の施設だから、その可能性はあると思うけど……』
「けど?」
『開発した兵器の実証実験を、わざわざ居住区画でやるとは思えない』
「それもそうだな……ところで、この建物に公衆浴場があるのか?」
『ううん。浴場施設がある建物は崩壊した建物のずっと先にある』
私はシズクを抱き直すと、子供たちと共に目的の建物に向かうことにする。
子供たちを浴場に連れて行くことに決めたのは、彼らが広場に設置されていた水飲み場の水道で適当に身体を洗っていたからだ。子供たちは何処からか拾ってきた布を、蛇口から出る茶色い水で濡らし身体を拭いていた。しかしそれでは身体を清潔に保つことは出来ず、さらに少ない水量も相まって、子供たちは身体を拭くことそのものを面倒くさがり、まともに身体を綺麗にしていなかった。
「どうして身体を綺麗にしないといけないの?」と、私の右手を握っていた男の子が言う。
「色々な病気になることを予防する為だよ」
「色々……?」と男の子は茶色い瞳を私に向けた。
「感染症とか、皮膚の病気とか……」
そこでふと疑問が浮かぶ。
「チハル」と、私はすぐ隣を歩いていた少年に訊ねる。
清潔な衣類が入っていたコンテナボックスを抱えていたチハルは、不思議そうな顔で私を見上げた。
「なんでしょうか?」
「チハルたちは病気になったことがあるか?」
「ありますよ。ですが通常の人間よりも免疫力が高いので、余程の事が無い限り病気になる事はありません」
「……例えば、人擬きとの戦闘とかはどうだ?」
「戦闘で負った傷の所為で感染症になることはあります。ですが、人擬きに変異するようなことはありません」
私は左腕で抱いていたシズクを抱き直しながら言った。
「つまりチハルたちは、人擬きに変異することはないのか?」
「はい。僕たちは……と言うより、人造人間は人擬きウィルスに対する完全な免疫を持っています。だから絶対に変異しません」
「そうだったのか……」
『知らなかった事だらけだね』と、カグヤがぽつりと言う。
武装した子供たちが建物に入ってエントランスホールの安全確認を行う前に、居住区画を警備するドローンを招集することにした。
「カグヤ、ドローンの数は?」
『居住区画を警備するドローンは、全部で五十機ほど配備されているけれど、すぐに使えるのは十八機だね』
「機体は故障していないってペパーミントが言っていたけど、すぐに使用できない理由が何かあるのか?」
『起動時にエラーが起きて、ソフトウェアの初期化が必要になっているみたい』
「修復できそうか?」
『もうペパーミントが始めてくれているから、大丈夫だと思う』
すると何処からともなく、無数のドローンが飛行してくるのが見えた。
警備用ドローンはバスケットボールほどの大きさの球体型の機体で、白と黒に塗装された機体の周囲には、ホログラムで警告表示と共に警光灯が投影されていた。また機体の周囲には重力場が生成されているので、旧式のドローンのようにローターが無くても飛行することが出来ていた。そのドローンは我々の周囲を軽やかに飛行すると、腹の底に響く重低音のブザーを鳴らし、生体情報のスキャンを始めた。
機体の中心にあるカメラアイから、子供たちに向かって放射状にレーザーが照射される。彼らはドローンの登場に驚いていたが、危険は無いと事前にチハルに伝えてもらっていたので、子供たちが混乱してドローンにライフルを向けることは無かった。
ドローンは我々のスキャンを終えると、機体下部に収納していたレーザーガンを展開し、建物内部に向かって次々と飛行していった。
『大丈夫みたいだね』とカグヤが言う。『ドローンは正常に動いている』
私の視界に投射されていたインターフェースには、ドローンから受信する十八の映像が表示されていた。それらの映像の中からひとつだけピックアップすると、残りを消した。それなりの速度で飛行するドローンの視点映像からは、次々にスキャンされていく建物内部の調度品や装置が映し出されていた。ドローンのスキャン速度も相まって、機体が静止すること無く流れるように建物内を移動していく様子がハッキリと見られた。
「随分と優秀なドローンだな」
『大樹の森で入手した『攻撃支援型ドローン』と機体構造は基本的に同じだけど、この施設で使用されているのは規格統一された製品みたいだからね。情報の処理速度に違いはないけど、システムが最適化されているんだよ』
「……俺たちが使っている六機の機体とは、具体的に何が違うんだ?」
『あのドローンの人工知能には、整備士によって特殊な調整がされているんだ』
「特殊? 例えば?」
『簡単に例えると、ここで使用されている警備用ドローンは、機械仕掛けの人形と同じで、ソフトウェアによって与えられた指示を正確に実行することは出来るけれど、指示が無い限り、何かをすることは無い。逆に私たちが所有しているあの六機のドローンは、何かしらの指示を与えられなくても、自らの意思で考え行動できる人工知能をもっているんだ』
「随分と個性的なドローンだと思っていたけど、そんな理由があったのか」
『うん。旧文明期の自律機械のほとんどは、高度な人工知能を搭載しているけれど、与えられた役割から逸脱した行動は絶対に取らない。掃除ロボットは互いに仲間意識を持っていて、意思の疎通を行いながら施設の掃除を的確にするけれど、掃除という役割以外の事は絶対にしない。でもあの子たちは違う』
「そう言えば、大樹の森にある研究施設を調査する時、ペパーミントがドローンにセンサーを取り付けようとしていた際に拒否していたな」
『うん。最近は拠点の警備をサボって、ハクと一緒に周囲の建物を探索していた機体もあった……』
私に抱かれていたシズクは、ひとりで話していた私に不思議そうな視線を向けていたが、それでも離れる気が無いのか、私の首に腕をしっかりと回していた。
「警備用ドローンは、あいつらと違って職務に忠実ってことか」
『そうね』と内耳にペパーミントの声が聞こえた。『だからこそ施設に異変が起きた時に、出動しなかったことが不自然なんだけどね』
「何か分かったのか?」
『機体のログを調べてみたんだけど、出動要請はあったみたいね。でも、より高い権限を持つ何者かによって待機命令が出されて、それを優先事項としたみたい』
「どうしてそんな事が?」
『分からない。レイの考えていた通り、居住区画では大規模な暴動があったみたいだけど、その理由はまだ判明していないし、当時の記録も意図的に消去されている』
短い電子音が内耳に聞こえると、インターフェースに建物内の安全確認が済んだことを示す通知が届く。閉鎖された幾つかの扉の先は確認できなかったが、取り敢えず建物内に人擬きの姿は無かったようだ。外壁を伝って移動するハクに目的の階層を教えると、私は子供たちと共に建物内に入っていった。警備用ドローンには、引き続き建物周辺の偵察を指示することにした。
エントランスホールに入ると同時に建物内の照明が灯る。子供たちはひどく驚いている様子だった。
「きっとレイラさんが一緒だからですね」とチハルは言う。
「俺の持つ権限に、施設のシステムが反応したと考えているのか?」
「僕はそうだと思います。広場を中心に多くの建物を探索しました。けど照明が僕たちに反応することは一度もありませんでした」
「暗い状態で探索していたのか?」
「はい」
「人間が持つ権限が必要とされていたのか?」と、私は周囲に目を向けながら呟いた。
残念ながらエレベーターは故障していて動かなかったので、我々は非常階段を使って上階に向かうことになった。つるりとした白い壁で覆われた無機質な建物に、人の気配はなかった。しかし散らかった室内にかつて大勢の人間がいて、慌てて何処かに移動した形跡は残されていた。床に残された書類やファイルボックスを見ながら、私は不思議な違和感を抱えていた。が、その正体は掴めずにいた。
社員の為に設けられた公衆浴場の扉は閉鎖されていたが、接触接続で簡単に開くことが出来た。そしてロッカールームに転がる数体の白骨死体を見て、私は違和感の正体に気がついた。
居住区画には人間の死体が全く残されていなかったのだ。暴動が起きた形跡は確かにあった。建物の間に敷かれた道路にはバリケードが組まれた場所もあったし、積み上げられていた機械人形の残骸は、そのほとんどが警備用ドロイドのもので、機体の装甲には弾痕らしきものがあった。しかし肝心な人間の遺体が何処にも無かったのだ。
ロッカールームに残されていた白骨死体は、金属繊維で出来た白い服を身に纏っていて、閉鎖された扉に寄りかかるようにして息絶えていた。グロテスクな人擬きに慣れていたからなのか、子供たちは死体に対して特に反応を示す事は無かったが、チハルを含めた探索組は死体の不自然さに頭を傾げていた。
「施設で死体を見たのは初めてか?」
私がそう訊ねると、チハルは難しい顔をして頷いた。
「変異体は見てきましたが、白骨死体はとても珍しいです」
『この人間が人擬きに変異していないのは、閉鎖された扉の先にいた事が関係しているのかな?』とカグヤが言う。
「人擬きと接触しなかったから、感染しなかった?」
『たぶん……』
「空気感染は?」
『換気システムのフィルターが優秀だった?』
天井に目を向けると、正常に稼働するダクト用の換気扇が見えた。
「取り敢えず浴場を確認しよう」
『そうだね。人擬きがいたら、お風呂どころじゃないからね』
ロッカールームの先は、広い浴室のある一般的な大浴場になっていて、幸いな事に人擬きや白骨死体は無かった。そして清潔に保たれた浴場は、広場とは別の水道管を利用しているのか、あるいは建物に個別の浄水装置が設置されているからなのか、水は飲めるほど綺麗な状態だった。
私は幼い子供たちの世話をチハルや年長組に任せると、念の為にロッカールームに戻って警備を行うことにした。浴場に行くには、このロッカールームを通る必要があったので、人擬きや何やらが来ても、すぐに対処ができるはずだ。
『清潔なタオルがあって良かったね』とカグヤが言う。
「そうだな。旧文明期のありがたい技術のおかげで、タオルは経年劣化していなかったし、固形石鹸の類も残っていた」
『でも住人の姿だけが何処にも無い』
「そうだな」と私は溜息をついた。
『人擬きになって、集団で出て行ったのかな?』
「申し合わせたように人擬きが行動するとは思えないな」
『それなら何処に行ったんだろうね』
「これほど大規模な施設だったんだから、相当な数の人間がいたはずだ」
『うん。社員の家族も収容できる施設になっていたから、人間は沢山いたと思う』
『レイ』
ハクの可愛らしい声が聞こえると、私はロッカーロームの扉を開いた。扉の先にはお尻を振るハクがいて、触肢の間に糸の絡まったドローンがあった。
「そのドローンはどうしたんだ?」
『こわれた』
「壊れた?」
すぐにドローンの行動記録を調べるが、戦闘をした様子は無かった。
『すこし、あそんだ』
「ああ、そういうことか」と私はホッとする。「ハクが追いかけて遊んでいたんだな?」
『そうかもしれない』
「大丈夫、ドローンは壊れてないよ。拘束されたから、動きを停止しただけだよ」
ハクに捕まったドローンは、味方の反応を示すハクに抵抗することが出来ず、人工知能が困惑した末に、一時的に動作を停止する事でその場をやり過ごそうとしているようだった。なるほど、と私は思った。これが仮に六機のドローンの内のどれかだったら、ハクから逃げる為に、糸にレーザーを撃ち込んで抵抗していただろう。しかし警備用ドローンにはそれが出来なかった。
ハクからドローンを受け取ると、絡まったハクの糸をハンドガンで取り込んで、それからハクと遊ぶように設定した。
「なあ、ハク。ドローンを捕まえることが出来るか、もう一度挑戦してみるか?」
私がそう言うと、ハクは興奮して地面をべしべしと叩いた。
『つかまえる!』
「ハクから逃げるようになっているけど、壊さないように注意してね」
『うん』
ドローンから手を放すと、ドローンは重低音のブザーを鳴らし、割れた窓の向こうに凄まじい速度で飛行していった。ハクも窓の外に向かって一気に跳躍すると、ドローンとの追いかけっこを始めた。
『行かせて良かったの?』とカグヤが言う。
「ハクが退屈しない為だよ。今は子供たちを待つ事しか出来ないからな。それに、ドローンが遠くに行かないように設定してあるから、危険な事も無いと思う」
ロッカールームの長椅子に座って子供たちを待っていると、ミスズから通信が来る。猿に似た異界の化け物を討伐していた部隊の様子は、カグヤが常にモニターしていたので、状況は把握していたが、戦闘が落ち着くまで会話は控えていた。
『大猿が占拠していた建物は完全に制圧することが出来ました』とミスズが言う。
「お疲れさま。予定通りに、何体かの化け物は逃がせたか?」
『はい。今はイーサンの指揮する部隊が大猿を追跡しています』
「逃げた先は、やっぱり地下に繋がっていたのか?」
『はい。レイラの予想通り、大猿は地下からやってきています』
「そうか……了解した。監視者たちが建物内に残していた装置の回収が済んだら、ミスズたちは一度拠点に戻ってくれ。地下の本格的な捜索は、万全の状態で行った方が良い」
『分かりました。またすぐに連絡します』
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