第377話 知識


 夕暮れになると、居住区画の天井に設置されていたモニターの一面に、夕陽で赤く染まる空が映し出される。すると建ち並ぶ無人の建物に、何処からか混沌の気配が這いよってきて、近寄り難いじくじくとした闇を広げていった。換気口からは、腐った水の臭いと共に、腐肉の臭いが溢れ出し、居住区画を腐臭で満たしていく。

 もうすぐ夜になる。化け物たちが巣穴から這い出して来る夜だ。

 居住区画の安全は確保されているとチハルは言っていたが、今ではその言葉も信じられなくなっていた。


 廃墟の街にいるミスズたちは、既に増援の部隊と合流し、猿に似た化け物の討伐を開始していた。戦闘の様子はカグヤによって常にモニターされていたので、彼女たちが無事だということは把握していた。しかし廃墟の街に巣くう脅威を考えれば、手放しに安心できる状況でもなかった。


『ねえ、レイ。居住区画の警備システムから得た情報を見せてもらえる?』

 内耳に聞こえるペパーミントの声に頷くと、接触接続によって入手していた居住区画の暗号化されたデータを彼女に送信した。

『ありがとう。レイの助けになるようなものが、居住区画に残っていないか調べてみるわね』

 ペパーミントがそう言うと、すぐに通知音がして、ジュリと山田の名前がインターフェースに表示される。

『レイ、物資の調達が完了したよ』と、拠点にいるジュリの声が聞こえた。『コンテナボックスに詰め込んで、空間転移に使う『門』の前まで運んであるから、すぐに回収できるようになってる』

「ありがとう、ジュリ。……それで、物資のことなんだけど――」

『大丈夫だよ。俺たちの生活に影響は出ない。安心して冬越しが出来るように、あらかじめ余裕を持って物資の準備をしていたから、少しくらい備蓄の放出をしても、何も問題は無い』

「そっか、助かるよ」

『うん。取り敢えず清潔な衣類に、数日分の戦闘糧食を用意したけど、何か足りないものがあったら、門を開く前に言ってね。すぐに用意するから』

「分かった」


『それから』と山田の声が聞こえた。『子供たちに温かい食事を用意しているから、準備が出来たら連絡するね』

「子供たちは随分とお腹を空かせているみたいだから、それはすごく助かるよ。でも無理をさせていないか?」

『ううん。大猿の討伐でみんな拠点から出払っていて、食堂で働いている女性たちも暇をしていたから、ちょうど良かったよ』

「そうか。俺の代りに彼女たちに感謝しておいてくれ」

『分かった。レイも余り無茶な事はしないでね』

『了解』


 赤く染まる広場に目を向けると、何人かの子供たちが白蜘蛛と一緒に追いかけっこをして遊んでいるのが見えた。げらげらと笑いながら走っている子供たちとは対照的に、作業車専用通路で黄色いタグをつけていた子供たちは、レーザーライフル片手に周囲の警戒をしていた。居住区画が安全だと分かっていても、廃墟の建物から滲み出る底知れぬ恐怖が、彼らに緊張感を与えているのかもしれない。


 広場の隅に視線を動かすと、幼い子供たちが集まっていて、ゴミで散らかった床に座ってぼうっと遊ぶ子供たちを眺めている光景が目に入る。

「遊ぶ体力も無い子供たちか……」

『あるいは、自意識が育っていない子供たちの可能性もある』

「自意識?」

『人造人間の『アメ』が教えてくれたことを忘れたの?』

「えっと……悪い、忘れた。なんのことだ?」

『第三世代の人造人間は、専門職につく人間たちを補佐する為に誕生してくる』

「それは憶えてるよ」

『でね、それとの関連性は分からないけど、ペパーミントみたいに感情が豊かな人造人間は、珍しい存在だって話していたでしょ?』

「そうだったな……でも、どうして自意識が芽生えないんだ?」

『……それはアメに訊いてなかったから分からないけど、個々の感情は不要だと思ったんじゃないのかな?』

「まさか感情が仕事や研究の邪魔になるとでも考えたのか?」

『それは分からない。もしかしたら人間と契約することで、その環境に適応して感情が生まれていくのかもしれない。だから人間のいない世界で、自意識が芽生えたのが珍しいって意味じゃないのかな?』

「あぁ、そういうことね」


『あくまでも私の推測だから、それが正しいって事じゃないよ』とカグヤは言う。

「分かってる。でもそれが正しいなら、チハルやシズクにはどうして自己意識が芽生えたと思う?」

 私はカグヤにそう訊ねると、銀色のペンで地面にホログラムの落書きをしていたシズクに視線を向けた。

『どうしてだろう? チハルは集団の最年長で、育ての親である『シキガミ』と接する時間が長かったから、責任感やら何やらで、感情が芽生えたって考えられる』

「でもシズクは違う」

『そうだね。こんなに幼い子供なのに、他人を思う優しさも持っている』

「お腹が空いているのに、少ない食料を俺に分けようとした……」

『この施設で誕生した第三世代は、他の人造人間とは違う何か特別な感情を持って産まれてくるのかな?』

「そうなのかもしれない。でも、それならどうして彼らはそうやって産まれてくる必要があったんだ?」

『お手上げだよ。私には見当もつかない』


『こんな風に考えられない?』とペパーミントの声が聞こえる。『その子供たちは、施設に『何か』が侵入した際に、施設の警備システムが産み出した人造人間で、彼らは無人の施設を防衛する為に誕生する訳だから、人間がいなくても自意識が芽生えるように、調整されていた』

「それは少し強引な解釈だと思う」

『そうかしら?』

「それが正しいなら、どうして彼らを教育するシキガミを用意したんだ?」

『シキガミは別に彼らを教育する為に、その施設にいた訳じゃない。シキガミはあくまでも彼らの育児をしただけ』

「それは同じことだよ」

『全然違うわ。だって子供たちはある程度の知識は既に持って産まれてくるのよ』

「……知識を?」

『そうよ。物心つく頃には、字の読み書きも出来るようになっているし、極端な事を言えば、トイレや歯磨きだってひとりで出来る』


「人造人間は知識を持って産まれてくるのか?」と私は驚きながら訊ねた。

『子供たちは警備室にある装備を修復して使っているって、レイに言っていたでしょ?』とペパーミントは言う。

「それはデータベースを参照したから出来た事じゃないのか?」

『違うわ。チハルって子は、データベースに関する権限がほとんど無いってレイに話していたでしょ』

「そう言えば、そうだったな……」

『実際に、私も彼らと同じだったから分かるの』

「それは……どんな感じがするんだ?」

『何が?』

「色々な事を知って産まれてくる事だよ」

『特に何も感じないわ。結局のところ、それは人間が持ち合わせていない能力なだけで、動物には備わっているものでしょ?』

「なにが?」

『記憶の『継承』よ。草食動物の赤ちゃんが産まれて間もないのに、すぐに歩くのは、周囲に危険な生物がいるのを知っているから。熱帯雨林で暮らす野生動物が、誰に教わる事も無く、毒のある植物や木の実を避けるのと同じような事だと思うの。私たちは知識を持って産まれてくる。それはデータベースによって与えられるものなのかもしれないし、私たちの創造主である『大いなる種族』が、人造人間の核に記憶していた情報なのかもしれない。いずれにしろ、私たちは知識を持って産まれてくる。それはとても自然な事だから、疑問を持った事も無い。もちろん、産まれた際に持っている知識に個体差はあるけれど』


『個体差?』とカグヤが疑問を口にする。

『人間と同じように、得意なことがあれば不得意な事もある。機械いじりが好きな人造人間がいれば、料理をするのが得意な人造人間もいる。兵器製造に関して並々ならぬ情熱を持って産まれてくる個体も存在する』

「それは第三世代の人造人間が持つ自意識にも作用するのか?」

『もちろん。好きな事をしている方が、幸せになれるに決まっているでしょ?』

「幸せか……人間との交流は、自意識の覚醒を早めるのと同時に、人格形成に欠かせないって事か」

『そうね。人間が重要なカギになっているのは確かだけど、人間がいなくてもある程度の自意識は芽生える』

「その場合、どうなるんだ?」

『感情に乏しい『人形』のような人造人間になる』

「だから『大樹の森』の研究施設にいた研究員やブレインは、ペパーミントの事を人形と呼んでいたのか……」

『それもあるけど、あれは単純に侮蔑的な意味合いが強いと思う』

「人造人間は嫌われていたのか?」

『その時代に生きていないから、私には旧文明期の事は良く分からない。でも人類至上主義を掲げる団体が存在していたのは記録にも残っているし、人間の理想形を模して創造された人造人間が、多くの人間にとって疎ましいもので、歓迎されない存在だったことは容易に想像できる』

「なあ、ペパーミント。人間の役割について教えてくれるか? 知識すら持って産まれてくる人造人間たちには、不要な要素だと思うんだ」


『レイ』と山田の声が聞こえる。

「どうした?」

『大切な会話をしている時にごめんね。でも子供たちの食事の用意が出来たから――』

「分かった。拠点との門を繋げるから、運んでおいてもらえるか?」

『もう準備出来てるから、いつでも大丈夫だよ』

 山田に感謝すると、私は門を開く為の広い場所を探すことにする。

『ここで良いんじゃない?』とカグヤが言う。

「そうだな……ところで、広い部屋は見つけられたか?」

『警備室のある建物の上階に、清潔で広い部屋があるみたいだけど、門を開くならここでも良いんじゃないのかな』

 私は周囲を見渡して、それから頷いた。

「そうだな。移動の時間も節約できるし」


 子供たちと何かを話し合っていたチハルを側に呼ぶと、食事の用意をしたから、子供たち全員を広場に集めるように頼んだ。

「負傷者以外の全員ですか?」と、変声期特有の性別不能な声でチハルは言った。

「そうだ。この広場に呼ぶことは出来るか?」

「隔壁を監視している子たちが数人いるだけなので、すぐに呼び出せますよ」

「監視は必要なのか?」

「不安なので配置していただけなので、特に問題はありませんよ」

「それなら呼んでくれないか。ゆっくり食事をしよう」

「分かりました」

 チハルは頷くと、青緑色の瞳を発光させた。仲間たちと連絡を取り合っているのだろう。


 私が広場の中央に向かうと、シズクがついてきて私の手を握った。彼女は何かを言うこともなく、私の顔を紺碧色の瞳でじっと見つめていた。門を開く際には、特に危険なことは無かったので、シズクを側に置いておくことにした。

 インターフェースに表示される空間転移の項目を操作しながら、戦闘服の袖を捲ると、前方の空間に向けて腕を伸ばした。すると前腕の中ほどにあった白銀の『輪』が広がるようにして、腕から離れ、空間の先で浮かんだまま静止する。一瞬、梅の花の香りがしたかと思うと『輪』は楕円形に広がり、その内側に空間の歪みを生成していく。


 シズクは目の前で発生した空間の亀裂に驚き、私の手をぎゅっと握る。開いた『門』の先にはペパーミントとジュリ、そして食堂で働く女性たちと一緒に山田が立っていて、こちら側を興味津々に覗き込んでいた。ハクと遊んでいた子供たちも『門』が出現すると、茫然として立ち尽くしていた。

「ご飯を取ってくるから、ここで少し待っていてくれるか?」

「ごはん?」とシズクは頭を傾げる。


 視界の隅にタイマーが表示されたのを確認すると、ペパーミントが私に手招きをした。私は頷くと、門を越えて拠点に向かう。

「このタイマーは、門を開放できる残り時間を表示しているのか?」

 私がそう訊ねると、ペパーミントは頷いた。

「門に繋がる装置がそっち側に無い以上、門は一方通行だからね。閉じたら戻れなくなるから、急いで物資を運びましょう」

 ペパーミントはそう言うと、物資の詰まったコンテナボックスを私に手渡した。


 ジュリたちの協力もあって、物資を運ぶ作業はすぐに終わった。

「ご飯は温かいうちに食べてね」と山田が言う。

「ありがとう。子供たちが集まったら、すぐに食べさせるよ」

「うん。それにしても酷い場所だね」

「ああ。環境は最悪だよ」

「新しい服を着せる時には、まずは子供たちの身体を綺麗にしてね」

「そうだな……何処かに動いている浴場があるか探してみるよ」

「絶対だよ。人造人間だって言っても、子供たちを不衛生な環境に置いておいたら、変な病気になるかもしれないし」

「分かった」

 山田は目を細めて私を見つめたあと、こくりと頷いた。


 居住区画の様子を眺めていたジュリも顔をしかめながら言う。

「レイから受信する映像でそっちの様子はずっと見ていたけど、まるでジャンクタウンにある廃品置き場みたいな場所だね」

「それだけじゃないさ。この寂れた居住区画には、言いようの無い不気味な気配が漂っている」

「不気味な気配……」とペパーミントが言う。「やっぱり異界の領域が近くにある所為?」

「そうだと思うけど、まだハッキリしたことは分からない」

「私も『門』を越えて、そっち側に行ければ良いんだけど……」

「仕方ないさ」

「いっその事、レイの子供を妊娠してみるのも良いかもしれないわね」

「冗談だよな?」

「冗談よ」とペパーミントは溜息をついた。「それより、警備システムで役に立ちそうなものを見つけた」

「何を見つけたんだ」

「時間が無いから、レイが向こうに行ってから話すわ」

 視界の隅に表示されるタイマーを確認すると、私はジュリたちに感謝をして、それから居住区画に向かう。


 門を閉じると、私はチハルを側に呼んで食事についての説明をした。チハルは同年代の子供たちを集めると、てきぱきと指示を出して、集まってきた小さな子供たちに優先して食事を配っていった。子供たちが夢中になって温かい食事をしている間、武器を所持していた子供たちは、交代しながら広場の周囲の監視を続けた。

 私は監視をしていたチハルと代ると、彼に食事をさせることにした。集団の中心人物がしっかりと食事をしていないと、いざって時に頭が働かず、的確な指示が出せなくなると思ったからだ。チハルは私に感謝すると、ハクに寄りかかって食事をしていたシズクの側に向かう。シズクは危なっかしい手つきでプラスチックスプーンを握っていて、上手に食事が出来ていなかった。


 チハルにご飯を食べさせてもらっているシズクを見ながら、私はペパーミントに訊ねた。

「それで、何を見つけたんだ?」

『複数の警備用ドローンよ』

「その機体は故障していないのか?」と、広場の隅に積まれていた機械人形の残骸を見ながら私は言った。

『ええ。不思議なことに使用した形跡も残っていなかった』

「それは……」

『変だと思うでしょ?』

「ああ。居住区画の惨状を見ているからな」

『ねぇ、レイ。どうして居住区画はそんな風になったんだと思う?』

「住民の暴動……あるいは人擬きウィルスの蔓延による全滅。管理システムに記録は残っていなかったのか?」

『まさか。居住区画の記録は監視カメラの映像を含めて、全て消去されていたわ』

「消去? どうしてそんな事が?」

『さあ、それは分からない』

 食べ物で口の周りを汚している笑顔のチハルを見ながら、私は居住区画の異常性について改めて考える。

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