第376話 無謀


 机に放置されていたゴミの間に、ホログラムの青い線で施設の全体図が投影されていた。私はその地図をぼんやりと眺めながら、これからの事について考える。

 地上に向かう為には、主幹エレベーターが設置されている『エレベーターホール』に行く必要があったが、そこに辿り着くまでには、人擬きが潜む危険な通路を移動する必要があった。

 そして多くの区画は、隔壁によって移動が制限されている。私の持つ権限で、それらの隔壁を開放できる可能性はあったので、心配する必要はそれほどなかったが、問題は他にもある。


 閉鎖された施設に取り残されていた多くの人擬きは、活動を継続する為のエネルギーが得られず、ほとんどの個体が、まるで眠るようにして動かない状態だった。しかしどういう訳か、施設の通路には活発に動いている個体がいて、それらの個体は『肉塊型』の人擬きのように、融合し恐ろしい化け物になって施設内を徘徊していた。彼らに活力を与えた『何か』が、施設の外からやってきた事は何となく予想できた。それは施設の壁に開いた穴から、偶然に迷い込んできた昆虫や、野生動物の可能性もある。しかし確かな事が分からない以上、警戒し、より大きな脅威に備える必要はあると考えていた。


 しかし地上に帰りたいだけというのならば、そこまで思い悩む必要は無い。空間転移の為の『門』を開いて、拠点に帰れば良いだけだからだ。ではどうして地上に向かう為の方法を模索しているのか、それは至って簡単なことだ。子供たちを施設に残して、拠点に帰る訳にはいかなかったからだ。子供たちの食料は尽きようとしていて、頼れる大人もいない状況で、子供たちを監獄のような場所に残して帰れるほど私の神経は図太くなかった。


 私は溜息をつくと、床に敷かれていたクッションに座っていたシズクに目を向ける。彼女は汚い床に手をついて、チョコレートを包んでいた銀紙を折って遊んでいた。が、力の加減が上手く出来ないのか、銀紙は簡単に破れていた。

「それで、これからチハルはどうするつもりなんだ?」

 私がそう訊ねると、チハルは肩に下げていたレーザーライフルを長椅子に立てかけて、その隣に座った。

「食料を手に入れる為に、備蓄倉庫に向かおうと考えています」

「恐ろしい変異体がいるんじゃないのか?」

「でも僕が行かなければ、いずれ子供たちは餓死してしまいます」

「こんなことは余り言いたくないけど、備蓄倉庫から食料を入手してくるのは、君たちの母親だった『シキガミ』でも難しい事だったんだろ?」

「それでも、戦闘に適した身体を持つのは僕だけなんです。だから僕にしか出来ない事だと思っています」


『戦闘?』とカグヤが疑問を口にする。『第三世代の人造人間は、戦闘を主目的に創造されていないって聞いていたけど、例外もあるのかな?』

 チハルの言葉には私も困惑していた。

「三世代の人造人間なのに、チハルは戦闘が出来るように設計されているのか?」

 私の遠慮のない言葉に、チハルは怒ることなく答えてくれた。

「いえ、純粋な戦闘用という意味ではありません。あくまでも僕の身体能力が、他の子供たちと比べて突出しているだけのことです」

「そういう事か……でも、それなら尚更、危険を冒す必要は無いんじゃないのか?」

「仕方ないんです。僕が知っている食料の在り処は、備蓄倉庫だけなので……」

 チハルはそう言うと、力なく微笑んだ。


「ひとりで行くつもりなのか?」

 私の言葉にチハルは力強く頷いた。

「はい。僕の権限で開くことが出来る隔壁の先は、既に仲間たちと調べ尽くしました。残念な事に、その限られた区画には変異体がいるだけで、食料はおろか、食料に繋がる手掛かりも得られませんでした。そしてその無謀な探索で、大切な仲間を失くしました。僕はこれ以上、誰も失いたくないんです」

「チハルの気持ちは分かるけど、チハルに何か起きたら、仲間たちはどうなる」

「何もしなくても、いずれ僕たちは全滅します」

 そう言ってチハルは目を伏せる。


「そうだな……」

 私はそう呟くと、深い溜息をついた。子供たちの置かれている状況が、既に詰んでいるのは理解できていたし、その困難な状況を打開する為に、チハルが命を懸けようとする気持ちも分かる。が、彼らの最後の希望でもあるその作戦は、やはり命を捨てるような無謀な行為でしかなかった。貫通弾でも倒せない化け物を、レーザーライフルで相手に出来る訳がない。


「あの……」と、チハルは言いづらそうにしながら口を開いた。「レイラさんは、どうしてこの施設に?」

 私は地上で起きた事と、その所為で地下に迷い込んでしまったことを話した。

「大猿ですか……?」

「ああ。灰色の毛皮を持つ猿に似た大きな生物だよ」

 カグヤがホログラムディスプレイに『大猿』の映像を表示すると、チハルの感情に合わせて青緑色の瞳が僅かに発光した。

「この化け物のことを知っているみたいだな」

「はい。隔壁の向こうにいるのを、何度か見かけたことがあります」


 その大猿についてチハルに詳しく教えてもらうと、居住区画に隣接する幾つかの区画に大猿が入り込んでいることが分かった。

「仲間たちと施設を探索している際に、大猿に遭遇したのか?」

「いえ」とチハルは頭を振る。「監視カメラの映像を表示するディスプレイが、今も故障せずに動いています。監視する区画は自由に操作できませんが、映像が順不同に表示されていて、それで他の区画の様子を見ることが出来るんです。そのおかげで、変異体と戦闘していたレイラさんの存在を知ることが出来ました」

 チハルが言うように、警備室の壁に埋め込まれていたディスプレイの幾つかは、暗転を繰り返しながらも、施設の各区画の映像を表示していた。その中には、廊下を徘徊する人擬きの姿が確認できるディスプレイもあった。


「偶然に俺を見つけて、それで助けに来てくれたのか?」

「はい。レイラさんが戦っていた変異体は、とても危険な個体だったので、仲間たちと相談して直ぐに助けに向かいました」と、チハルは当然のように言う。

「俺の事を少しも疑わなかったのか?」

「疑う……ですか?」

「そうだ。もしも俺が悪人だったらどうするつもりだったんだ?」

「悪人?」

 チハルは私が言いたいことを少しも理解していないのか、ぽかんとした表情で私を見つめていた。

「例えば、俺が子供たちを傷つける可能性のある人間だと考慮せずに、助けに向かったのか?」

「はい……えっと、レイラさんは僕たちを傷つけるのですか?」

「いや」と私は頭を振る。「でも、そういうことをする人間もいる」

「そうですか……そんな人間がいるとは考えもしませんでした」チハルはそう言うと丸刈り頭を掻いた。すると白いフケがぱらぱらと彼の肩に落ちた。


「質問に深い意味はない。だから俺が言う事を悪く捉えないでもらいたい」

「分かりました」とチハルは緊張しながら頷いた。

「自分たちの事を傷つけるかもしれない人間が、悪意を持った者たちが地上にいる事を、チハルたちの母親は教えてくれなかったのか?」

「罪を犯す人間がいることは母から学びました。けれど、僕たちを傷つけるような人間がいるとは思っていませんでした」

「どうして?」

「理由が無いからです。僕たちは誰の事も傷つけていません」

「理由が無くても、他者を傷つけようとする人間はいる」

「どうしてでしょうか? 僕には理解できません」


『シキガミは……』とカグヤが言う。『ううん、シキガミだけじゃない。もしかしたら、子供たちが外に出ることをデータベースは想定していなかったのかも』

「だから地上の事は何も教えていなかったのか……?」

 カグヤの言葉を聞いて、子供たちが生まれてきた理由が益々分からなくなる。

「地上の事ですか?」とチハルは頭を傾げる。

「いや、何でもない。取り敢えず、その問題は横に置いておこう。それは追々学んでいけば良いからな。それよりも外に出る方法を探そう」

「施設からの脱出は困難だと思います。でも、施設の外からやってきたレイラさんなら、隔壁の先に行くことは出来ると思います。もちろん、危険な変異体は沢山いますが……」


 チハルは机に積まれていたゴミの中から、国民栄養食のパッケージを拾い上げると、開封済みの箱を揺らして中身があるか確認していく。何度か同じことを繰り返して中身の残っているパッケージを見つけると、ビニールからブロック状の固形食を取り出した。それから鼻に近づけて匂いを嗅ぐと、口を大きく開いた。が、口に入れる前に思い直して、シズクに食べるか確認していた。

 シズクがいらないと頭を振ると、チハルは私にも食べるか訊ねてきた。

「ありがとう。でも遠慮するよ」

「では失礼します」

 チハルはそう言うと栄養食を口に含んで、それから飲料水を探し始めた。


『ねえ、レイ』とカグヤの声が内耳に聞こえた。『施設に大猿がいるって事は、異界に続く『門』が、地下区画の何処かに開いたことは確実で、最悪、この施設内の可能性もある』

『混沌の子供たちの事もあるし、その可能性は充分にあるな……』と私は声に出さずに言った。『大猿の痕跡を辿ることが出来れば、地上に繋がる道を見つけられるかもしれない』

『やっぱり子供たちを連れて、施設から脱出するつもりなの?』

『施設の惨状を見ているのに、チハルやシズクを見捨てることは出来ないだろ?』

『そうだけど……小さな子供を連れて地上に向かうのは、すごく大変だよ』

『でも俺たちがやらなければ、彼らはこの寂れた施設で、誰にも知られること無くひっそりと死んでいくことになる』

 折り紙で遊んでいたシズクが立ち上がると、長椅子に載っていた飲みかけのペットボトルを両手で慎重に持つ。それからシズクはチハルの側に歩いていった。

「ハル、あげる」

「ありがとう、シズク」チハルはそう言うと、ペットボトルを受け取ってからシズクの頭を撫でた。


 施設に関する情報の取得が済むと、私は椅子から立ち上がる。

「皆で脱出する前に、まず何か食べた方が良いな」

「皆で脱出……ですか?」とチハルは困惑する。

「そうだ。こんな場所で飢え死にはしたくないだろ?」

「そうですけど……脱出は不可能です」

「チハルの言う通りなのかもしれない。でもまだ挑戦してもいないのに、諦める気は無い」

「でも――」

「それより」と私はチハルの言葉を遮る。「どこかに広い食堂はないか?」

「食堂ですか?」

「食堂じゃなくても良い。子供たち全員が入れて、ゴミが散乱していない場所だ」

 チハルは腕を組んでしばらく何か考えていたが、結局答えは出なかった。


「カグヤ」

『探すから少し待ってて』

 カグヤの言葉に頷くと、私はシズクを抱きかかえる。

「行こう、チハル」

 警備室を出ると、白蜘蛛が子供たちと遊んでいた広場に向かう。

「待ってください」

 チハルはそう言うと、長椅子に立てかけていたレーザーライフルを手に取る。


「なあ、チハル」

 階段を下りながら私は言う。

「なんでしょうか?」

「さっきの戦闘で負傷した女の子は何処に?」

「階下に警備員たちの為に用意された休憩室があるんです。彼女はそこのベッドで安静にしてもらっています」

「負傷者は彼女だけか?」

「……いえ、彼女以外にもいます」

「それなら、まずはその休憩室に行こう。予備のオートドクターが幾つかあるから、まずは子供たちの治療をしたい」

「ありがとうございます……」


 負傷者が寝かされていた部屋の環境も決して良いとは言えなかったが、少なくとも周囲はゴミで散らかっていなかった。黄ばんだシーツの上に寝かされていた負傷者は、治療済みの女の子の他に、熱に浮かされ、酷く汗を掻いた男の子が二人いた。傷口から細菌が入ったのか、患部が化膿していて酷い状態だった。

 抱いていたシズクをチハルに預けると、オートドクターを使って二人の治療を行う。手足の傷はひどく化膿していたので、消毒をしても効果は無いと思ったが、一応、未開封の飲料水で傷口を綺麗にすることにした。


「レイラさんには、とても感謝しています。しかし僕たちには、レイラさんに返せるだけのものがありません」と、それを見ていたチハルが言う。

「見返りが欲しいからやっている訳じゃないんだ。だから気にしないでくれ」

 薄暗い休憩室に目を向けると、負傷者たちの世話をしていた男の子がパイプ椅子にちょこんと座っているのが目に入った。男の子は退屈しているのか、ぶらぶらと足を揺らしていた。

 私はバックパックの中から、戦闘糧食を幾つか取り出すと、飲料水の入ったペットボトルと一緒にテーブルに載せていった。念のために携行食を持ち歩いていて良かったが、私が所持している食料品はそれで最後だった。

「負傷者の為に食料を残して行くから、彼らが目を覚ましたら、それを食べさせてくれるか?」

 男の子はしばらく私の顔を見つめたあと、テーブルに視線を向けた。それから何かをゆっくり考えて、こくりと小さく頷いた。

「君の分もあるから、心配しなくても大丈夫だよ」

「……ありがとう」と男の子は小さな声で言った。


 私に向かって腕を伸ばすシズクを抱くと、チハルと共に広場に向かう。その間、地上で大猿の討伐を行っていたミスズとイーサン、そして拠点にいるペパーミントと通信を繋いで、現在の状況について話し合うことにした。話し合いには、拠点の物資を管理しているジュリと山田にも参加してもらう。

 何処か広い場所で、空間転移の為の『門』を開いて、拠点から食料品を調達してくる必要もある。

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