第374話 板チョコ
負傷した少女を携帯型担架に乗せると、我々は避難経路の先に向かう。担架で少女を運んでいたのは子供たちで、彼らは負傷者の扱いに慣れているのか、不満を口にすることなく、何度か交代しながら少女の搬送を行っていた。
ちなみに我々のいる通路は居住区画に直接繋がっているようだったが、幾つかの箇所に隔壁が設置されていて、区画の安全性が確保されていたので、人擬きによる攻撃の心配をしないでも良いとのことだった。
その通路の先に視線を向けると、灰色のバトルスーツに身を包んだ子供の集団にちょっかいを出している白蜘蛛の姿が見えた。ハクは逆さになって天井を移動していたが、時々、長い脚を伸ばして子供たちの背中を突っついていた。その度に子供たちは驚いてハクと距離を取っていたが、直線の続く通路に逃げ場は無く、すぐにハクに追いつかれていた。
マスクに備えられていた簡易スキャンを使用して白蜘蛛の身体を調べて、ハクが先程の戦闘で怪我をしていないことを確認した。それが終わると『ハガネ』の液体金属を操作し、頭部を覆っていたマスクを外した。
薄暗い照明が設置されていた長い通路には、剥き出しの配管や太いケーブルがそこかしこに設置されていて、まるで蛇が這うように通路の先に延々と続いていた。とにかく埃臭い場所で、通路の隅には塵や埃が堆積していた。
『管理が行き届いているとは言えないけど、随分と厳重に防護された施設だね』
内耳に聞こえるカグヤの声に同意すると、すぐ隣を歩いていた少年に私は声をかける。
「訊ねても良いか?」
少年はマスクを装着していない私の顔をじっと見て、それから頷いた。
『構いませんよ』
「この通路に人擬きが侵入してくる事はないのか?」
『施設に繋がる幾つかの通路や区画には、今でも変異体が徘徊している場所もありますが、この避難経路には侵入されていません』
「その状態で、居住区画の安全性に問題は無いのか?」
『はい。この施設は企業の所有物なので、不法侵入に対する万全の備えがあります。施設に侵入できたのは、現時点で貴方だけです』
「企業の施設ね……それなら、お前たちも企業に所属している人造人間なのか?」
私がそう言うと少年は立ち止まった。
『どうして分かったんですか?』
「何が?」と、私も立ち止まって訊ねる。
『僕たちが人造人間だという事です』
「仲間に人造人間がいるんだ」
『そうでしたね……すみません。人間と話をしたのが初めてだったので、少し動揺していました』
少年はそう言うと、また歩き始めた。
『と言うことは、施設に人間はいないってことだね』
カグヤの言葉に私は頷いて、それから少年に訊ねた。
「……それで、どうして俺の仲間に人造人間がいると分かったんだ?」
『レイラさんの情報を参照した際に、すでに人造人間と契約していることが表示されていたからです』
人造人間は義眼や情報処理の為のマイクロチップを脳に埋め込まなくても、インターフェースが視界内に表示されていて、データベースとの接続も可能になっていることを思いだした。旧文明期の鋼材で出来た軽くて頑丈な骨格は持っているが、肉体の構造は人間のそれと大きな違いはない。しかしそれでも遺伝子情報を操作された人造人間は、自然に産まれてくる不完全な人間よりかは、遥かに優れた身体能力を有している。
「俺について他に何が分かったんだ?」
少年は腕を組むと、しばらく天井を見つめた。
『高度な保護機能によって情報が隠蔽されているので、レイラさんが軍人であることは分かりますが、僕たちの権限ではそれ以上の情報は得られません』
「それは残念だ。ところで、俺の名前は知っているみたいだから、自己紹介の必要は無いな」
『残念……ですか?』少年は私の言葉に頭を傾げて、それから慌てるように言った。『……あっ、失礼しました。僕の名前は『チハル』です』
「よろしく、チハル」
「よろしくお願いします、レイラさん」
チハルはそう言うと礼儀正しく頭を下げて、それからフルフェイスマスクのバイザーを開放した。頭頂部に向かってバイザーが開いていくと、男にも女にも成り得る未分化な綺麗な顔立ちが見えた。少年は睫毛が長く、灰色がかった青緑色の不思議な瞳を持っていた。
私はチハルの綺麗な瞳を見ながら訊ねた。
「訊きたいことがもうひとつある。その格好を見る限り、君たちが施設の警備員をしているようだけど、大人はどうしたんだ? どうして子供に警備を任せているんだ」
「この施設に大人がいないからですよ」と性別の不確かな、変声期特有の声でチハルは言った。
ちょうどその時、通路の先から子供の悲鳴が聞こえてきた。どうやらハクに捕まった子供が声を上げたみたいだ。それを見たチハルが慌てて仲間のもとに向かおうとする。
「安心してくれ」と私は少年の肩に手を置いて言う。「ハクは君たちに危害を加えるようなことはしない」
「ハク……あの大きな蜘蛛の名前ですね」
「そうだ。『深淵の娘』に会ったのは初めてか?」
私がそう訊ねると、チハルは発光する綺麗な瞳でハクを見つめる。
「深淵の娘……いえ、残念ながら僕の権限では情報が得られないみたいです」
「ハクの姉妹たちはとても危険な種族だ。だからハク以外の深淵の娘に出会ったら、逃げることを進める」
「分かりました」とチハルは神妙な顔つきで頷いた。
「それで、大人についてだけど――」
「物心ついた時から、この施設に人間の大人はいませんでした」と、チハルは私の言葉を遮るように早口で言った。
「物心ついた時から……? 待ってくれ、チハルは何歳なんだ?」
「十四歳になります」
『なります?』とカグヤが疑問を口にする。『チハルは子供型の容姿を持つ人造人間じゃなくて、普通の人間のように今も成長しているってこと?』
私はチハルにカグヤの疑問を投げかけた。
「はい。そうですよ」と、チハルは当たり前の質問に答えるように言った。
『そう言えば、ペパーミントも自分が見た目通りの年齢しか無いって言ってたよね』とカグヤは言う。『どういう訳か分からないけど、私は第三世代の人造人間が、機械人形を製造する時みたいに、大人の状態で誕生するんだとずっと思ってた』
「俺も同じだよ」と私は答えた。
今までに出会った『カイン』や『アメ』といった人造人間たちの持つ異質さが、そう言った考えのもとになっているのかもしれないけど、改めて自分がペパーミントについて何も知らない事に気づかされる。自分が他人に対して余り関心を持ってないことは、自分でも良く分かっているつもりだったけれど、仲間に対しても自分は不誠実な人間だったのかもしれない。
信頼する大切な仲間だと口で言っても、結局のところ、私は仲間について何も知らないし、知ろうともしてこなかった。仲間を信頼して裏切られるのか怖かったのだろうか? それとも、私には端から誰かを信じる勇気が無かったのだろうか?
「――何が同じなんですか?」とチハルは頭を傾げた。
「いや、なんでもないよ。それより、大人たちはどうしたんだ。もしかして変異体に……」
「殺された?」
「そうだ」
「いえ、変異体の所為ではありません。ただ単純に僕たちが産まれてくるまで、この施設の居住区画に生物はいなかっただけのことです」
「いない?」
「はい。施設で暮らしていた人間たちは、とうの昔に亡くなっていたんです」
「それなら、どうやってチハルたちは?」
「それは僕にも分かりません。外部から施設のシステムに命令があって、僕たちを創造する為の装置が稼働した……としか、僕には答えられませんし、分かりません」
「外部からの命令?」
「データベースです」
「それはシステムによって既定された行為なのか、それとも何か人為的な操作がシステムに対して行われたのか?」
「分かりません」
チハルはゆっくり頭を横に振った。
チハルが嘘を言っているようには見えなかったけれど、敵意を感じ取れる瞳のおかげで、チハルが何か隠し事をしている雰囲気を僅かに感じとれた。
ハクに抱えられていた子供がいつの間にかハクと遊んでいて、無邪気な声で笑っていた。その声を聞きながら、施設で産まれてきた子供たちについて私は考える。
「レイラさんは『シキガミ』と呼ばれる機械人形をご存じですか?」とチハルは私に訊ねる。
「知っているよ。彫像のように美しい姿を持った特殊な機械人形だろ?」
「はい。そのシキガミに僕たちは育てられました」
「シキガミに育てられたのか……この場にいる以外にも、子供は?」
私はそう言うと、黄色いタグが付けられている子供たちに目を向けた。
「います。居住区画で留守番をしている子たちが数人います。産まれた時期は違いますけど、僕たちは全員で三十三人いました」
「今は?」
「二十七人です」
子供たちの間に死者がいたことを知ると、途端に虚しい気持ちになった。
「原因は病気か?」
「いえ、変異体との戦闘で亡くなりました」と、チハルは楽しそうに笑う仲間を見ながら、ワザと素っ気無く言ってみせた。
「そうか……どうして変異体と戦闘を? 居住区画にいる限り、危険は無いはずだ」
「居住区画に侵入されない為の戦いでした」
「侵入者に対する施設の備えは万全じゃなかったのか?」
「外部からは侵入できません。しかし変異体は施設内にも相当数いました」
「もしかして施設内にも感染者がいたのか……」
「そうです。幸いな事に、僕たちは『母』から戦い方を教わっていました」
「だから子供たちだけで戦ったのか」
「はい。警備室に残されていた古い装備を改修して、何とか戦える状態に出来たので……」チハルはそう言うと、胸部の装甲に軽く触れた。
「チハルたちの母親は、シキガミは今も居住区画に?」
私がそう訊ねると、チハルは一瞬だけ目を伏せて、それから何も無かったように言った。
「変異体に殺されました」
「そうか……」
「はい」
しばらく歩くと居住区画に繋がる最後の隔壁が見えてきた。
「この隔壁の先は変異体の侵入できない完全な安全地帯になっています。そこでレイラさんとハクさんのこれからについて考えましょう」
騒がしい警告音と共に隔壁が左右に開いていくと、色とりどりの色彩で発光するホログラムが見えてきた。壁には幼い子供が描いたと思われる稚拙な落書きがあったが、どうやらそれはインクで直接壁に描かれたものではなく、発光するホログラムの線によって描かれているようだった。天井に目を向けると、ホログラムの投影機が等間隔に設置されていて、それらによって表示されたウサギが廊下を駆けまわっているのが見えた。
その廊下は先程の通路と同様に、それなりの横幅も高さもあったので、大きな身体を持つハクも施設内の移動が自由にできそうだった。ハクはさっそく走りまわるウサギに興味をもったのか、抱えていた子供を解放してウサギの後を追いかけ始めた。ホログラムで騒がしい廊下を注意深く見ると、あちこちに携帯食品のパッケージやプラスチックゴミが散乱しているのが見えた。壁や床の至る所には汚れによる染みがあって、換気もまともにされていないのか、ひどい臭いがした。とても衛生的な環境とは言えなかった。
『酷い環境だね』とカグヤが言う。
「そうだな……」と私は同意して、それからチハルに訊ねた。「掃除ロボットや整備ロボットはどうしたんだ?」
「僕たちが産まれた時には、すでに故障していました」
「居住区画の外には沢山いたけど」
「この閉鎖されたこの区画にはやってきません」
「そういうことか……」
ゴミがあちこちに転がっている廊下を歩いていると、壁にホログラムの絵を描いている小さな女の子の姿が見えた。彼女は手に持った白いペンを動かして、チューリップにも見える花の横に緑色の出鱈目な線を引いていた。絵を描くことに熱中しているのか、ハクや他の子供たちが側を通っても、見向きもしなかった。
私は少女の横にしゃがみ込むと、彼女の横顔を見つめる。
『四歳か五歳くらいの子だね』とカグヤが言う。『施設には、こんなに小さな子供もいるんだね』
「彼女も人造人間なのか?」
『うん。間違いないよ』
「何を書いているんだ?」と私は訊ねる。
「てぃんかー・べる。ようせいさんだよ」
少女はそこで初めて私の存在に気がついた。彼女はじっと私を見つめて、それから小さな声で言った。
「おめめがあかい……ないてるの?」
「いや、目は元々そういう色なんだ」
「かなしいの? それともびょうきなの?」
「そうじゃないんだ。えっと……」
私が返答に困っていると、彼女は左手に握っていた固形食である『国民栄養食』を私に差し出した。
「ほしい?」
「いや、お腹は空いていないんだ」
「そっか。わたしはね、おなかがすいてるの」
背中のバックパックをおろすと、戦闘糧食のチョコレートを少女に差し出した。
「これはなに?」と少女は頭を傾げた。その際、短く雑に整えられていた黒髪が揺れた。
「チョコレートだよ。食べてごらん」
「おいしい?」
「ああ。とても甘くて美味しいよ」
少女の為に硬い板チョコを小さく割って、それから彼女の小さな手にのせた。
「少し硬いから、口の中で溶かすようにしてゆっくり食べてね」
少女は頷くと、チョコレートの欠片をぽいと口に放り込んだ。それから見る見るうちに笑顔になっていった。美味しかったのだろう。少女は手に持っていたペンと国民栄養食をそっと床に置くと、立ち上がって私の袖を掴んだ。
『餌付けは成功したみたいだね』とカグヤが軽口を言う。
私は頭を振ると、銀紙に包まれていたチョコレートを少女に手渡した。彼女は嬉しそうに受け取ると、囁くように私にお礼を言った。
「ありがとう」と。
「食料は足りているのか?」と、私はチハルに訊ねた。
チハルは口を開きかけたが、すぐに口を閉じて急に難しい顔をした。
「どうしたんだ? 別に隠すような事でも無いだろ?」
『そうだね』とカグヤも言う。『出生の秘密も初対面の人に話すくらいに無防備なんだから、今さら隠し事されても困る』
少女が口の周りをチョコレートで汚しているのをじっと見ながらチハルは何かを考えていたが、やがて口を開いた。
「正直に言うと食料は足りていません。どんなに節約したとしても、数カ月も持たない状況です」
「居住区画に食料プラントは?」
「掃除ロボットと同じです。故障して使い物になりません。今までは研究室に繋がる備蓄倉庫で食料を手に入れていましたが、今はそれも出来なくなっています」
板チョコにかじりついている少女を見ながら、私はチハルに訊ねた。
「何が問題なんだ?」
「備蓄倉庫に向かう廊下には、恐ろしい変異体がいます」
「そいつが邪魔になっているのか……以前はどうしていたんだ?」
「母が備蓄倉庫まで向かって、食料を手に入れていました」
『そっか』とカグヤが言う。『シキガミが亡くなって、子供たちだけで人擬きの化け物に対処しなければいけなくなったんだね』
「そのようだな……」
少女のごわごわした髪を撫でながら、何処までも理不尽な世界に対して私は深い溜息をついた。
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