第372話 悲鳴


 青白い照明の薄明りに照らされた通路の白い壁には、ずっと以前にこびり付いた血痕の乾いた跡があって、それは通路の奥に向かって続いていた。

「人擬きの血なのか?」

『そうだろうね』とカグヤの声が内耳に聞こえる。


「生命活動に必要な栄養素が得られないにも拘わらず、奴らはどうやって文明崩壊時から今日まで活動し続けられていたんだ?」

『見当もつかないよ。でも、人擬きは他のどんな生物よりも代謝速度が遅い。だから身体の機能を維持する為に、獲物を頻繁に狩る必要は無い』


「人擬きは飲まず食わずでも長時間、存在し続けられる……でも限度はある」

『熊が冬眠をするように、じっとしていたのかもしれない。だから作業員たちが使っていたこの通路には、他にも人擬きが潜んでいる可能性が充分にある。それが弱り切っていて、レイとハクの脅威にならないとしても、警戒はした方が良い』


 ハーネスベルトで胸元に吊るしていた歩兵用ライフルをしっかりと構えると、私は白蜘蛛と共に通路の先に向かう。道中では数体の人擬きを処理することになる。


 カグヤの言うように、施設の建設時に使用されていた作業車両用通路には、作業服やヘルメットを身につけた人擬きの個体が残っているようだった。人擬きウィルスに感染した人間が作業員の中にいたのか、あるいは施設の住人の間で感染が広がったのか、確かな理由は分からない。

 いずれにしろ、通路は封鎖され、彼らは文明崩壊時から今日この時まで、何も無いこの通路を徘徊し続けていたのだろう。


 それは地獄だな、と私は思う。人擬きに人間らしい意識が残っていない事は分かっているが、数世紀もの間、同じ通路に閉じ込められるなんて、想像しただけで気が狂いそうになる。……いや、そもそも彼らは文明崩壊以前に感染した個体なのだろうか?


 我々は施設に生存者がいないと仮定して行動しているが、この施設が社員のシェルターも兼ねていたのなら、何処かに居住区画がある。そこには生きた人間が施設にはいるのかもしれない。


 しばらく歩くと、通路の先に半壊したマイクロバスが見えてくる。車体後部が押し潰されるように破壊されていて、車内はひどく散らかっていて、血液や体液による染みが残されていた。しかし不思議な事に、人擬きの姿は見当たらない。


『凄まじい力で押しつぶされているね』とカグヤが言う。

「そうだな。でも事故にしては不自然だ」

『事故じゃないなら、これだけのことを仕出かした『何か』が、この通路の何処かにいるって事だよね』

「何がいると思う?」


『分からないけど……厳しい環境で生きている生物は、獲物に遭遇した時に確実に仕留められるように、身体を進化させる傾向がある。獲物を捕まえる為だけに特化した器官を手に入れた昆虫や、毒を持った生物が典型的な例だね』

「この通路の何処かにいる人擬きは変異を繰り返していて、俺たちの想像もつかない恐ろしい化け物になっている可能性がある?」

『うん』


 すると静かな通路に奇妙な呻き声が響いて、ベチャベチャと水分を含んだ不気味な音が聞こえるようになる。マイクロバスの屋根に乗っていたハクがトントンと屋根を叩いて合図すると、私は車内の窓から顔を出して通路の奥に視線を向けた。等間隔に設置された照明が、人型生物の影を壁に映し出す。


 私はライフルから手を放すと、太腿のホルスターからハンドガンを抜いてその場から移動する。そして通路の向こうからやってくる生物の死角になるように、マイクロバスの陰に隠れた。


 姿を見せたのは、複数の人擬きが融合した『肉塊型』と呼ばれる個体だったが、そのグロテスクな個体は『巨人型』にも見劣りしない巨躯をもっていた。また胴体を含めて、左右非対称の手足には幾つもの短い腕が垂れ下がっていて、それぞれの手の平には唇と歯のついた口があった。肉塊型の人擬きは歩く度に、足の先についた腕を踏み潰していた。


 人擬きの頭部は、瞼の無い瞳にビッシリと埋め尽くされていた。施設に対する被害を恐れて、貫通弾の使用を極力控えていたが、化け物の悍ましい姿を見て、私はすぐに考えを変えた。


 弾薬を貫通弾に切り替えると、ホログラムサイトの標準を肉塊型の頭部に合わせ、躊躇することなく引き金を引いた。甲高い金属音と共に撃ち出された弾丸は人擬きの身体に食い込み、衝撃で幾つかの腕と、胴体から飛び出していた足を体液と共に飛び散らせたが、化け物はビクリと身体を震わせただけで、こちらに向かってまた歩き出した。


『人擬きを殺せる銃弾でも、奴を殺せない……?』カグヤは唖然とする。

「どれだけの人擬きが融合したのかは分からないけど、この環境の所為で、今まで確認されていない変異を遂げたのかもしれない」

 私はそう言うと、化け物の頭部に貫通弾を撃ち込む。しかし銃弾は化け物が振り上げた太い腕に命中し、短い腕を数本損傷させただけだった。


 化け物は男性の声にも女性の声にも聞こえる叫び声をあげると、無数の腕を揺らしながら駆けてきた。白蜘蛛はマイクロバスから天井に向かって跳ぶと、逆さになりながら化け物の足元に向かって糸の塊を吐き出す。


 糸の塊は化け物の足に触れると、網のように広がって、化け物の足を雁字搦めにして床に縫い付けた。しかし化け物の足に生えた無数の腕が糸の間から伸びてきて、糸を剥がすようにワサワサと動いて、手の平についた口で糸を噛み始める。


 私も弾薬をワイヤーネットに切り替えると、人擬きに向かって照準を合わせて引き金を引いた。撃ち出された特殊な弾丸は、化け物の目の前で破裂し、金属のネットを広げた。化け物は自身に覆いかぶさった金属の網を無数の腕で引き剥がそうとするが、その度に特殊な金属で構成されている鋭い網が、化け物の身体を締め付けながら肉に食い込んでいった。


 化け物は苦痛を帯びた悲鳴を無数の口から発すると、身体中の至る所から体液や血液を噴き出しなら金属の網を破壊し、拘束を解いてみせた。


 向かってくる巨体に対してハクは強酸性の糸で攻撃するが、化け物は悲鳴を上げるだけで、勢いは止まらない。私は頭部を含め、身体全体を『ハガネ』の装甲で覆うと、化け物に向かって貫通弾を撃ち続けた。


 そして私の眼前に迫った人擬きが腕を振り上げた時、化け物に向かってハクが跳びかかる。ハクと激突した化け物は、凄まじい打撃音と共に後方に後退るが、無数の腕を伸ばしてハクの脚を掴まえた。そして耳鳴りのする悲鳴を上げながらハクを壁に叩きつけた。私は山刀をハガネの液体金属で覆うと、ハクを掴んでいた化け物の腕に斬りかかった。


 しかし山刀では化け物の腕を切断する事は出来なかった。腕に食い込んだ刀身は、化け物の肉の間にある白い金属の塊に衝突して止まる。


 けれど人擬きの注意は引けたようだ。化け物はハクを解放すると、無数の瞳のついた頭部を私の眼前に近づける。そして気味の悪い瞳をクリクリと動かして、嫌な悲鳴を上げて無数の腕を伸ばしてくる。私はすぐに山刀から手を離すと、化け物の胴体を蹴りながら後方に飛び退こうとする。が、桜色と赤黒い肉の間から腕が伸びてくると、爪の無い指で私の足首を掴まえた。


 投げ飛ばされると思った瞬間、ハクの脚が伸びてきて、鉤爪で化け物の腕を切断する。私はその場に倒れると、胸元のライフルを構えてフルオートで炸裂弾頭を撃ち込む。化け物の身体からは、無数の穴が開いた風船のように体液が噴き出すが、化け物は奇妙な悲鳴を上げながら太い腕を伸す。

            

 ハクは長い脚で私を抱えると、マイクロバスの屋根に跳びあがる。

「助かったよ、ハク」

 私はそう言って感謝すると、ベルトポケットから焼夷グレネードを取り出して化け物に向かって放り投げた。化け物は自分から無数の腕を伸ばして、グレネードを掴み、そして眩い光のあと爆炎に包まれる。


 耳に残る嫌な奇声を聞いていると、カグヤの声が内耳に聞こえる。

『あいつがどうして貫通弾に耐えられるのか分かったかも』

「どうしてなんだ?」

『金属繊維だよ』

「もしかして……変異した人たちが着ていた衣類が関係しているのか?」


『そうだと思う。あの特殊な金属繊維の衣類は、少しも経年劣化することなく残っていた。だから無数の人擬きを自身の身体に取り込んでいった過程で、衣類も一緒に取り込んで変異していった。そして金属繊維で出来ている衣類は、体内から排出されずに残ったんだと思う』


「つまり、あのグロテスクな身体にある金属の塊をどうにかしなければ、奴に致命傷は与えられない。そういうことか?」

『そうだと思う』


 黒煙を纏う化け物が一歩踏み出すごとに、灼け焦げ硬くなった肉片が粘液の糸を引いて地面に零れ落ちる。焼夷グレネードでも化け物を焼き尽くすことは出来なかったようだ。気色悪い粘液でヌメヌメと体表を濡らす化け物は悲鳴を上げる。


「カグヤ、この通路にはトンネルに設置されていた防衛装置は無いのか?」

『残念だけど、ここは既に施設内で居住区画に隣接している』

「だから防衛装置は無いのか?」

『あるかもしれない。でもあの防衛装置自体は、住人に向けるには余りにも強力な兵器だよ。だから期待しない方が良い』


 ハクと共にマイクロバスの後方に飛び降りると、マイクロバスが火花を散らしながら通路の隅に転がっていく。車両に突進した化け物は奇妙な頭部を我々に向けると、無数の腕を伸ばしてきた。


「悪いけど、お前と融合する訳にはいかないんだ」私はそう言うと自身の右手首に視線を向ける。「ハク、一瞬だけで良いから、奴の動きを止めることは出来るか?」

『うん。ちょっとまってて』

 ハクは可愛らしい発音でそう言うと、天井に向かって跳んだ。


 ふらふらと向かってくる化け物に視線を向ける。

『ヤトの刀を使うつもり?』とカグヤの声が聞こえる。

「奴を完全に殺すには、反重力弾か重力子弾を使うしかない。でもこんな狭い場所で使うには強力過ぎる攻撃だ」


『確かに施設に被害は出るけど……でも、混沌の遺物である『ヤト』を使用すれば、この場所に混沌との接点を残すことになる。その影響で異界に続く『門』が開いたらどうするの?』


「分かってるけど、他にやりようがない。一太刀で何とかする。混沌の影響がどんなものであるにせよ、一瞬で『門』が開くことは無いだろう」

『でも『門』は、この地下区画の何処かで既に開いているんだよ』


 私はカグヤの言葉を無視して右腕を持ち上げると『ヤト』を意識する。一瞬、化け物の背後に十二単を纏う女性の姿を見たような気がした。


 すると液体金属に包まれていた右腕の刺青が、ハガネの表面に染み出すように浮かび上がる。その刺青の模様は縄文土器に見られる荒々しく、それでいて複雑で美しい模様だった。その模様の中には、己の尾に噛みつく蛇の姿が描かれていた。


 その蛇がスルスルと移動して手の平の中心までやってくると、液体金属に混じることなく、ハガネの表面にぷつりと染み出してきた。染み出した黒い液体は空中に浮き上がるようにしてハガネから離れると、瞬く間に美しい刀を形造った。


 私は腰を低くして刀を両手で握ると、光を反射して妖しく輝く刀身を肩にのせる。悲鳴を上げて突進してくる化け物の背後に移動していたハクが、無数の糸を吐き出す。その糸は化け物の足と背中に絡みついて化け物の動きを止めた。


 私は一気に踏み込むと、渾身の力を込めて刀を振り下ろした。剣術の達人なら、他にやりようは幾らでもあったのかもしれない。しかし私は素人だ。力に任せた一撃を叩きつける事しか出来ない。


 袈裟斬りにも似た形で振り下ろされた刀身は、何の抵抗も無く化け物の肩に食い込むと、滑るように化け物の胴体を斜めに切断した。しかし身体が二つに分れても、化け物は切断された上半身の腕を伸ばして私を掴まえようとする。


 刀を手首の刺青に戻すと、私は冷静に後退って人擬きと距離を取った。化け物の身体には無数の水膨れが出来ていて、それは破裂して体液を撒き散らし始める。ヤトの強力な毒によって人擬きの身体が崩壊を始めているのだ。


 すると嫌な悲鳴を上げながら化け物の下半身から半ば白骨化した人擬きが、まるで分離するように這い出てきて、私に向かってくる。が、その化け物にも毒が回っていたのか、私に右腕を伸ばした化け物の身体は腐り落ちていった。


『終わったみたいだね……』とカグヤが言う。

「そうだな」


 安心してホッと息をつくと、薄明りに照らされていた通路が急に真っ暗になったかと思うと、薄暗い赤色灯がついた。そして通路の向こうから無数の足音が聞こえてきた。天井にいたハクは音に反応して床に飛び降りると、私の隣に向かって跳躍した。驚いているハクを安心させる為に、ハクのフサフサの体毛を撫でると、通路の先に集団の姿が見えた。


 通路の奥に現れたのは、赤色灯の所為でハッキリと分からなかったが、灰色のバトルスーツに身を包んだ武装集団で、その継ぎ接ぎだらけの古いスーツには、無数のひっかき傷と凹みのある装甲がついていた。


 そして全員が完全に頭部を覆うマスクを装着していた。フルフェイスタイプのヘルメットにも似たマスクには、透明なシールドが無く、彼らの顔は見られなかった。そして驚くことに、十数人の集団は全員が子供ほどの背丈しかなかった。


「どうして子供がこんな所に……?」

『油断しないで、レイ』とカグヤが言う。

「分かってる」私はそう言うと、こちらに向けられているレーザーライフルの銃口に視線を向けた。

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