第371話 防衛装置 re


 すぐ近くを通り過ぎていく無数の光弾に嫌な汗を掻きながら、赤色灯に照らされたトンネルの先に進む。徐々に光弾の数が減っていることに気がついて振り向くと、先ほどまで我々を追跡していた〈混沌の子供〉たちの動きが止まっていることに気がついた。騒がしかった金切り声や、奇声も聞こえなくなっていた。


 すると、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『追跡を諦めたのかな?』


「というより、この場所が危険なことを知っていたんだ。だから、このトンネルの周囲にだけ、連中は近づかなかったんだ」


『恐れを知らない〈混沌の子供〉たちでも、さすがに旧文明の警備システムとは争えないか……』


「ああ。それより、俺たちは本当に安全なのか?」


『うん、大丈夫だよ。施設の警備システムは正常に機能してる。だから何かのエラーで急に私たちを攻撃するような事態にはならない』


 小さな怪物たちがいなくなり静かになったトンネルをしばらく進むと、青白い色味の光源に照らされた空間に出る。そこは清潔な場所で、トンネルの壁や天井は白色の滑らかな鋼材で覆われていて、コンクリートが敷かれていた空間との間にはハッキリとした境界線ができていた。


 その境界線には、まるでシャボン玉の表層で見られる構造色に覆われた膜のようなものが広がっていた。ハクは私のことを地面に降ろすと、虹色の複雑な色彩を浮かべていた膜のそばに近づく。


「ハク、罠が仕掛けられている可能性があるから、ソレに近づいたらダメだよ」

『ん。きけん、しってる』


 白蜘蛛は可愛らしい声で返事すると、お尻をカサカサと振って薄膜をじっと眺める。


 ハクが興味深そうに薄膜のことを見つめている間に、先ほどの戦闘で怪我をしていないか確認して、それから色彩を変化させていた膜に視線を向ける。


「カグヤ、これはシールドの膜なのか?」

『そうだね。障壁として機能する〈エネルギー・フィールド〉を発生させている装置に、少し特別な仕掛けが施されているみたい』


「何が特別なんだ?」


『旧文明の施設入り口で見られるような、生体情報によって通行を管理する機能もあれば、高速で接近する物体を防ぐ機能や、エネルギーを吸収する機能が備えられている』


「軍用規格の多脚車両ヴィードルや〈ハガネ〉でも使用されている技術だな」


『それ以外にも汚染物質や、特定の条件下で大量の水を通さないこともできるみたい』


「水?」


『うん。トンネルが完全に水没することを想定していたみたい。ほら、ここは都市を水害から守る〈放水路〉としての役割もあるし、海にも近いから』


 背後を振り返ると、今まで通ってきたトンネルに視線を向けた。

「そもそも、企業は何のためにこのトンネルを建造したんだ?」


『詳しいことは分からないけど、施設を建造するさいに使用した資材運搬路を、そのまま施設の専用道路に使用していたみたい』


「……施設につながるトンネルは他にも?」

『ある。例の〈兵器工場〉につながる軌道も、何処かに設置されているみたいだし』


「そうか……ところで、このシールドは安全か?」


『うん。通行許可が出た時点でレイとハクの生体情報は登録されてるから、安全に通過できるはずだよ』


 カグヤの言葉にうなずいたあと、そっと薄膜に触れた。水面に触れるような、僅かな抵抗が感じられたが、それだけだった。痛みはなかったし、無数の警告表示が出鱈目に表示されることもなかった。


「行こう、ハク」

『りょうかい』


 投光器で照らされたトンネルの先には巨大な隔壁が設けられていて、直径三十センチほどのレンズが壁にビッシリと埋め込まれているのが見えた。〈混沌の子供〉たちに向かって放たれていた光弾は、この薄紫色のレンズから照射されていたようだ。それらのレンズは綺麗な状態が保たれていて、曇りひとつなかった。


「なぁ、カグヤ」

『うん?』


「この装置は、何のために造られたんだと思う?」

『敵対する勢力からの攻撃に備えていたんじゃないの』


「でもこの施設が建造されたのは、文明が崩壊する以前なんだよな?」


『……そう言えば、そうだったね。産業スパイから企業の施設を守るにしては、すごく過剰な防衛装置に見える』


「もしかしたら、異界につながる〈転移門〉が同時多発的に開く以前から、地球には人類の脅威になるような存在がいたのかもしれないな」


『〈わざわいの地下王国〉につながる〈無限階段〉は地底のどこかに存在していたんだから、混沌の勢力による侵略は、すでに起きていたんじゃないのかな?』


「それにしては、あまりにも無防備な施設が多く存在する」


『人類全体が侵略の事実に混乱しないように、例えば一部の特権階級の人間だけが真実を知っていた、とか?』


「それは陰謀論じみた説だな」


『たしかにそうだけど他に考えられる理由は思いつかないし、深く考察するには、私たちの持っている情報は少なすぎる』


 レンズに映りこむ自分自身の姿をぼんやりと見ていると、ハクもレンズのそばに来て、自身の姿が映りこむレンズに大きな眼を向けた。


『隔壁の開放は遠隔操作で行われるけど、私たちの持つ権限では無理みたい。でも何処かにメンテナンスハッチがあるから、そこを通れば施設内に侵入できると思う』


 周囲に視線を向けるが、それらしいモノは見当たらない。すると、天井に向かって伸びる矢印が視界に表示される。高い天井に視線を向けると、青い輪郭線で縁取られたメンテナンスハッチが見えた。


『ねぇ、レイ。〈転移門〉を開いて拠点に帰らないの?』


「〈混沌の子供〉たちの脅威は去ったし、少しだけ施設を探索していこうと思うんだ。拠点に帰ったら、ここには二度と戻ってこられなくなるだろ?」


『それはそうだけど……』

「何か気がかりなことがあるのか?」


『大昔の〈放水路〉には、あの怪物たちが数え切れないほど潜んでいた。あれは〈混沌の先兵〉だって、ハカセが言ってたこと憶えてる?』


「ああ。連中がこの場所にいるってことは、広大な地下区画のどこかに〈神の門〉とも呼称される〈転移門〉が存在しているってことも」


『それなら――』


「だからこそ探索したほうがいいんじゃないか? 拠点のすぐ近くに〈混沌の領域〉につながるような危険な場所が存在するんだ。それを放っておくのはマズい」


『たしかにそうだけど……』

「拠点に混沌の生物がやってきたのも、その所為せいなのかもしれない」


『あの大猿のこと?』


「そうだ。だからせめて地下区画の詳細な地図を手に入れよう。その情報があれば、〈神の門〉を捜索するための部隊や装備を念入りに準備して、地下に派遣することもできる」


『うん……わかった。でも〈大樹の森〉の地下にある研究施設みたいに、あまりにも危険な場所だったら、躊躇ためらわずに拠点まで撤退してね』


「ああ、そのつもりだよ。それにハクも一緒だから、無茶なことはしない」


 ハクに頼んで天井まで連れて行ってもらうことにした。トンネルの壁に使用されている建材は、ハクの脚でも問題なく登れるものだったので、苦労することなくメンテナンスハッチのある場所までたどりつけた。


『ハッチを開くね』

 カグヤの言葉にうなずいたあと、ライフルの銃口をハッチに向ける。縦につなぎ目があらわれると、メンテナンスハッチが左右にスライドするように開いていく。


「敵はいないみたいだな……」

 悪意や敵意を感じ取れる瞳をもってしても、その存在を感知することのできない生物は存在する。だから油断せずに構えていたが、ハッチの先に生物の気配は感じられなかった。


『トンネル内の整備と掃除のための自律型ロボットが待機する場所だったみたい』


 彼女が言うように、その狭い通路には充電装置が並び、壁には腐食していない金属製の電線管が通されていた。通路は隔壁の先に続いているようだったが、メンテナンス用の通路は人間が使うことを考慮して造られていなかった。先に進むほど通路は狭くなっていく。


「カグヤ、この通路は使えない」

『そうだね。バックパックなしならって先に進めそうだけど、ハクが入るのは完全に無理だね』


「他に道はないか?」

『待って、少し調べてみる』


「ハク、少しだけそこで待っていてくれるか?」

『ん。すこし、だけ』


 カグヤが施設のネットワークに侵入している間、通路の先に何があるのか調べることにした。ハクのハーネスにバックパックを吊るしたあと、それから狭い通路に入っていく。ハクも通路の先が気になるのか、天井に逆さになったままパッチリした大きな眼で通路の先を覗き込んでいた。


 その通路に侵入すると、充電装置につながれていた掃除ロボットのディスプレイが一斉に起動して、記号で簡略化された表情があらわれる。掃除ロボットは人がいることに驚いているのか、何度か瞬きしたあと、互いにビープ音を鳴らして会話を始める。しかし複雑なデータのやり取りだったので、私には彼らの言葉はまったく理解できなかった。


『レイ、分かったよ』カグヤの声が聞こえた。『通路の先に配電盤があるみたい。すぐ近くにキャビネットが設置されてるから、まずはソレを探して』


「それを操作するのか?」

『うん。〈接触接続〉で操作するから、そこまで這って移動して』


「了解」

 電線管や充電装置に戦闘服が引っかからないように注意しながら進む。目的のキャビネットはベージュ色のありふれたものだったが、キャビネットを開くための持ち手は見当たらなかった。


『触れるだけで大丈夫だよ。あとは私がやるから』

 手を保護するために〈ハガネ〉の液体金属で形成されていた手袋を解除したあと、キャビネットに触れる。すると短い通知音が聞こえて、蓋の表面が折り重なるようにして開閉していくのが見えた。


 どうして制御盤のキャビネットに、それだけ手の込んだ開閉機構が必要だったのかは分からなかったが、それは気にしても仕方ない問題だった。制御盤には操作のためのタッチディスプレイと幾つかのスイッチがあったが、素人が手を出してもいいものには見えなかったので、それらのスイッチに触れないように操作盤の端に手を置いた。


 しばらくすると、手のひらに静電気の刺激にも似た痛みが感じられ、ディスプレイに大量の文字と数字が表示される。私には出鱈目な数字の羅列にしか見えなかったが、何かのコードなのだろう。


『施設につながる通路の入り口が開いたから、もう戻っても大丈夫』

「この制御盤は、トンネルの先にある防衛装置のモノなのか?」


『ううん。これは照明に使われる電気系統の制御盤だよ。この装置を経由して施設のネットワークに侵入して、レイの権限で施設内につながる隔壁を直接操作した。遠隔操作だと侵入は困難だからね』


「そうか……助かったよ」

 狭い通路で何とか身体の向きを変えると、這ったときに濡らしてしまった床を掃除していた掃除ロボットと視線が合う。


 箱型の小さな掃除ロボットはパチパチと瞬きすると、ビープ音を鳴らしながら道を開けてくれた。掃除ロボットに謝罪と感謝をしたあと、ハクのそばまで戻る。バックパックも忘れずに背負い直すと、ハクに抱えられながらハッチからトンネル内に飛び降りる。


 すでに開放されていた隔壁を通って施設に侵入すると、背後で隔壁が閉じていくのが見えた。トンネルは一本道になっていたので、施設まで迷うことはないだろう。


 しばらく歩くと、赤色灯に照らされた区画が見えてくる。そのずっと遠くに施設の入り口らしき隔壁が見えていたが、そこには大量の白骨死体が積み重なっていた。施設に入ることが許されず、そこで朽ち果てた人々の成れの果てだろうか。


 車両専用の通路だったのか、床には黄色い塗料でセンターラインが引かれていた。しかし周囲に車両はなく、照明の薄明りに照らされた道が続いているだけだった。


 ハクと並んで緩やかにカーブする道を進んでいると、施設につながる隔壁が開放されていくのが見えた。


 反射的に身構えてしまうが、すぐにカグヤの声が聞こえた。

『不安にならなくても大丈夫だよ。ふたりの生体情報が登録されてるから、動体検知で自動的に隔壁が開放されただけ。それに、レイは〈空間転移〉でいつでも拠点に帰ることができるんだから、ビクビクしなくてもいいんじゃない?』


「まだ〈転移門〉には慣れていないんだ。正直なところ、〈ハガネ〉すら上手く扱えていないのに、魔法みたいな能力が急に使えるようになって困ってる」


『そうだね。〈空間転移〉はまるで魔法だ。でも旧文明の人々は、ソレを普通に使いこなしていたんでしょ? 彼らはどんな人たちだったんだろう?』


「わからない……けど、その成れの果てならそこにいる」

 壁に寄りかかっていた〈人擬き〉が立ち上がると、我々に向かってゆっくり歩いてくる。ぎこちない歩きかたをする人擬きは白い服を着ていて、袖から腐った腕がずり落ちる。


『なんだか腐っているみたいだね』

 カグヤの言葉にうなずくと、変異体の頭部に銃弾を撃ち込んだ。


〈人擬き〉は前かがみにドサリと倒れる。


「ハク、他にも〈人擬き〉がいるかもしれない。注意して進もう」

『ん、やっつける』


 ハクはそう言うと、何かを期待するようにベシベシと床を叩いた。〈人擬き〉が完全に息絶えたことを確認すると、しゃがみ込んで死体を検める。


『スキンスーツにも使われているような、特殊な金属繊維が編み込まれた服だね』

「旧文明期のものだな……」


『うん。その人擬きは旧文明の人間で間違いない』

「俺たちを見つけるまで仮死状態だったみたいだけど、〈侵食型〉になるほど変異が進んでいない……」


『たぶん、この場所の環境が影響していると思う』

 薄暗い通路に目を向ける。

「栄養になる生物がいないのか」


『うん。長い間、この場所は封鎖されていた。おそらく昆虫の類もいなかった』

 立ち上がるとハクに声をかけた。

「あちこちに〈人擬き〉がいるかもしれないけど、もう少しだけ調べてみよう」

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