第369話 積雪
どうすればこの場を安全に切り抜けられるのか考えながら、上階に残された物資を漁っていると、階下から大型生物の咆哮が聞こえてくる。カグヤの遠隔操作する偵察ドローンの映像を確認すると、群れの中で喧嘩を始めた生物の様子が映しだされていた。
毛足の長い灰色の毛皮を持つ猿にも似た筋肉質な大型生物は、集団で群れの一頭を掴まえると、無理やり床に押し倒して腕を押さえつけていた。掴まっていた生物は声の限り吼えて威嚇していたが、ほかの個体が頭部や腹を何度も殴打し始めると、嫌な音が上階まで響いてきた。
集団に殴られ致命傷を負った生物が動かなくなると、他の個体が腹部に噛みついて、ぱっくりと開いた大きな傷口から、一心不乱に仲間の内臓を食べ始めた。肉の取り合いはやがて別の喧嘩に発展していった。静寂に包まれていた建物は、大型生物の騒がしい声に支配され始めた。
『レイ。機械人形の到着は遅くなる』とカグヤの声が聞こえた。
「積雪の所為だな……」
『うん。付近を警備をしていた機械人形も、雪の所為で建物に着くまで結構な時間が必要になる』
「なら機械人形の増援は諦めた方が良いな」
『だから代わりに攻撃ドローンをそっちに向かわせた』
「助かるよ。ドローンの到着にはどれくらいの時間が?」
『数十分』
カグヤはそう言うと、ドローンが到着する予測時間をインターフェースの隅に表示してくれた。
「それまで奴らが喧嘩を続けてくれたら良いんだけど、そうはいかないか……」
受信している映像を見ると、灰色の毛皮を赤黒い血液で濡らした大型生物が階段を上がって来る様子が確認できた。
「あの大猿は、ここに放置されている死骸が目当てなのかもしれないな」とナミが鈍色の髪を揺らしながら言う。
「その可能性はあるな……物資の中に対人地雷があったから、それを死体の側に設置して俺たちは上階に向かおう」
「死体を餌にして、奴らを攻撃するのか?」
「騒ぎを聞きつけて、階下にいる群れがやってくる可能性はあるけど、何もしなくても奴らは直にやってくるだろうからな」
「だから先手を打つのですね」とミスズが言う。
「そうだ。もう余り時間が無い、準備を手伝ってくれるか?」
「任せてください」とミスズは力強く頷いた。
地雷が保管されていたコンテナボックスの中には、強力な対車両地雷も保管されていたので、それも活用することにした。それから壁に立てかけられていた山刀も手に取る。ベルトに通して使える革製のケースもあったので、さっそく腰のベルトに装着して使うことにする。
『山刀なんて持ってどうするの?』とカグヤの声が聞こえる。
「ハガネの液体金属で刃を覆って強化すれば、それなりの強度と鋭さになるから、いざって時に頼りになると思うんだ」
『あぁ、確かにそうだね。レイにはヤトの刀があるけど、あれは使い所に困る遺物だから……』
「こいつなら、混沌に由来する遺物が周囲に及ぼす影響を気にせず使えるからな」
それから我々は手分けして階段とバリケードの先にも地雷を設置していった。特に大猿が目当てにしている死体の側には、複数の場所に念入りに地雷を設置していた。ちなみに数の少なかった指向性散弾は、上階に向かう階段に設置することにした。
『それにしても』とカグヤが言う。『車両を破壊することを目的にした指向性散弾があるってことは、この集団は監視するだけじゃなくて、私たちのヴィードルを攻撃することも視野に入れて行動していた可能性があるね』
「ただの賞金稼ぎじゃないのかもしれないな」
『そうだね。大部隊による攻勢を前提に、私たちの拠点の偵察をしていた可能性がある』
「奴らの監視記録が見つかれば、相手の勢力が分かるかもしれないんだけど……」
『屋上に行けば、送信端末くらいは見つけられるんじゃないかな?』
「どうだろうな、奴らのテントには携帯端末も残っていなかったからな」
『痕跡を残さない為の処置?』
私は網膜に表示される指示に従いながら、地雷を設置していく。
「昨夜の襲撃が階下にいる大猿の仕業だと仮定したら、その騒ぎが無ければ、俺たちは奴らに監視されていた事にも気がつけていなかったからな」
『自動攻撃タレットを破壊したのはどうしてだろう?』とカグヤが言う。
「作戦行動中に、侵入してきた大猿に反応した攻撃タレットに焦ったんじゃないのか?」
『相手は周到に準備をしてきていたみたいだし、相当な手練だった。なのに、そんなミスをするのかな……?』
「奴らは姿を隠すことの出来る優秀な装備も所有していたみたいだし、何か対策をしていた可能性もある」
『対策?』とカグヤは疑問を浮かべる。『例えば、攻撃タレットから映像を送信させない妨害電波を発信する。とか?』
「大樹の森での戦闘を覚えているか?」
『そういえば、カルト教団の『不死の導き手』が、そんな装置を使っていたね。レイは、彼らも同じような装備を所有していたと思うの?』
「可能性はあるし、その考えが間違っていなければ、俺たちが気づいていないだけで、他の警備地点に設置されている自動攻撃タレットも既に破壊されている可能性がある」
『それはマズいね。動体センサーが侵入者を検知して、攻撃タレットが起動しない限り、映像が拠点に送られて来ることは無いから、破壊されていても私たちに知る由もない』
「完全に俺たちの準備不足だ。せめて攻撃タレットが正常に稼働しているのか知る為の、信号発信機を取り付けておくべきだったんだ」
『攻撃タレットは鹵獲品だったからね……』
大猿の荒い息遣いと足音が聞こえると、私は階段の側を離れて、先行していたミスズとナミがいる上階に向かう。
奇妙な大猿が野生動物のように、環境の僅かな変化を感じて、私の匂いを追って上階に向かってくると思ったが、大猿は匂いなど気にせず、そのままフロアーに放置されていた死体に真直ぐ向かって行った。そしてバリケードに阻まれて怒り狂った。余りに激しく怒っていた大猿は、何度もバリケードに身体を衝突させ、錆の浮いた自動販売機をなぎ倒して、椅子やテーブルを窓の外に放り投げていた。そしてバリケードの先に仕掛けられていた地雷を踏んで、爆発によって発生した衝撃で壁に叩きつけられていた。
ドローンから届く映像を拡大表示すると、大猿の足が大きく損傷して、大量の血液を流していることが確認できた。が、それでも大猿を倒すことは出来なかった。大猿は咆哮すると、八つ当たりをするようにバリケードに身体を打ち付けて、腐食したパイプイスを乱暴に壁に叩きつけた。そして階下からも咆哮が聞こえてくると、大猿の大群が上階に向かってくる。
『レイ、直ぐに隠れて』
カグヤの言葉に頷くと、広い空間に乱雑に並んでいたテーブルの間を通って部屋の奥に向かう。網膜に投射されている簡易マップには、ミスズとナミの位置、そしてミスズたちが室内に設置していた対人地雷の位置が表示されていた。だから迷う事もなければ、地雷を踏む事も無かった。
私が移動している間も、階下からは連続した破裂音と共に、大猿の騒がしい奇声が交互に聞こえてきていた。すると階段からそれまでに無い轟音が聞こえてくる。カグヤの遠隔操作で指向性散弾による攻撃が行われたのだろう。直ぐに映像を確認すると、無数の鉄球で身体を破壊された大猿の死体が階下に転がっていくのが見えた。それを見た他の大猿は、黄ばんだ牙をみせるように吼えた。
『もっと怒らせたみたいだね』カグヤが怒り狂っている群れを映しながら言う。
「死を厭わない行動は、異界の生物に見られる特徴だな」
『そうだね。野生動物なら、この場から逃げ出している』
「奴らに対処しないと、俺たちもこの建物から出られないって事だな」
『最悪な事にね』
ミスズとナミが潜んでいた柱の側に私も身を隠すと、胸の中心に吊るしていた歩兵用ライフルのストックを伸ばしてライフルを構える。安全装置の解除をインターフェースで行うと、照準を薄暗い室内に向ける。
するとガラスの無い大窓から差し込む日の光に照らされながら、灰色の毛皮を血液で汚した大猿の姿が見えてくる。ミスズとナミに射撃開始の合図を送ると、私も大猿に向けて射撃を開始した。無数の銃弾を受けると、大猿は血を噴き出しながら地面にドスンと倒れる。銃弾が通用するのか不安だったが、どうやら効果はあるみたいだった。
我々は弾薬を無駄にしないように的確に射撃を行いながら、上階に次々と現れる大猿に対処していた。けれど次第に処理しきれず、大猿の侵入を本格的に許してしまう。そして至る所で対人地雷の爆発に巻き込まれる大猿が増えていった。広い空間に並べられていたイスやテーブルが、爆発に巻き込まれて大猿と共に派手に飛んでいくのを見ていると、大きな個体が真直ぐ向かってくる。
私はライフルから手を離すと、太腿のホルスターからハンドガンを抜いて、向かってくる個体に対して貫通弾を撃ち込んだ。
甲高い金属音と共に撃ちだされた質量のある銃弾は、大猿の身体に食い込み、その衝撃で大猿の巨体を後方に吹き飛ばした。貫通弾の威力は凄まじく、厚い毛皮を貫通した弾丸を追うように、大猿の身体は奇妙な捩じれ方をした。引き千切れた手足や内臓は螺旋を描きながら、周囲に撒き散らされ、後方からやって来ていた大猿に向かって飛んでいった。
私は貫通弾の残弾を視界の隅に表示しながら、ミスズとナミの弾幕を抜けてきた大猿にだけ射撃をしていった。
しかし大猿の数は一向に減らない。数十体は既に倒していたはずだが、それでも大猿の咆哮や騒がしい奇声が階下から聞こえ続けていた。
「カグヤ、外階段に奴らがいないか確認してきてくれるか?」
『了解。少し待ってて』
私は視界の隅に表示されている攻撃ドローンの到着予測時間を確認して、それから光学迷彩を起動して大窓から出ていくドローンを視線で追った。と、その時だった。不意に柱の陰から大猿が跳び込んでくる。私は山刀を抜くと、刀身を素早く液体金属で覆って、大猿が振り抜いた拳を受け流した。そして女性の腰回りほどの太さのある大猿の腕を切断する。大猿は腕の切断面から血液を撒き散らしながらも、私に真っ黒い瞳を向けて襲いかかってくる。
けれど大猿の攻撃が私に届くことは無かった。大窓から侵入してきた無数の攻撃ドローンが、機体下部に搭載していた機関銃による攻撃を一斉に開始していた。私は銃声を聞きながら、カグヤから受信する情報に目を通して、それから建物から脱出する為にミスズたちと合流して薄暗い通路に入って行った。
ナミは後方の確認をしながら私に訊ねる。
「外階段を使って脱出するんじゃないのか?」
「いや」と私は頭を振る。「外にも奴らの群れが集まっている」
「それなら、どうするつもりなんだ?」
「屋上から隣の建物に脱出する」
「隣ですか?」とミスズが眉を八の字にしながら言う。
「誰かが足場を設置していたんだ。俺たちはそれを使って隣の建物に移る。そこからは、通りの反対に出られる建物の外階段があるから、群れに気づかれずに脱出することが出来る」
大猿を攻撃していたドローンは、イーサンから拠点警備用に提供されたもので、重力場を利用せずに、回転翼を使用して飛行する旧式の機体だった。騒がしいので偵察任務には向かないが、大型の機体は機関銃も搭載できるので、攻撃力は申し分なかった。しかしそれでも、ドローンの一斉射撃を潜り抜けて我々のあとを追って来る大猿もいた。
我々は後方から迫ってくる大猿を処理しながら、なんとか屋上に出ることが出来た。ちなみに屋上に通じる扉は施錠されていなかった。閉鎖されていた形跡はあったので、もしかしたら我々を監視していた者たちによって、扉が解放されていたのかもしれない。
屋上に設置されていた足場は非常に不安定なものだった。ただでさえ積雪で歩きにくい状態なのに、足場は薄い板と鉄骨を組み合わせたものが使われていた。
カグヤの操作するドローンによって、足場の安全性が確認されている間、私は屋上に張られていた天幕を調べることにした。
「俺たちを監視していた人間の情報が残されているかもしれない。俺は調べてから行く。だからミスズとナミは先に隣の建物に向かってくれ」
そう言ってミスズたちと別れると、私はハンドガンを構えながら天幕に入っていった。人はいなかったが、そこには見た事のない装置が並んでいた。装置を詳しく調べる時間が無いので、インターフェースを介して装置の画像を保存していく。それからテーブルに置かれていた携帯端末の幾つかを適当に選んで、ベルトポケットに入れていく。
急いで天幕を出ると、不安定な足場を渡っていたミスズとナミの後を追う。しかし脱出できる安堵感からか、私は完全に油断していた。足場に近づいた時、建物に通じる扉から跳び出してきた大猿の体当たりを受けてしまう。寒さ対策にハガネで全身を覆っていたので、怒った大猿の乱暴な激突にも痛みを感じることは無かった。けれど私に組みついた大猿は、私を離すことなく建物の縁まで行くと、そのまま屋上から落下していった。
落下しながらも私は胸元のナイフを抜いて、大猿の首元に何度もナイフを刺し込んだ。そして大猿が組みついていた腕の力を抜いた瞬間に、何とか身体を離すことは出来た。しかし建物から落下している状況に変わりはない。地面との衝突に備えてハガネを意識すると、可愛らしい声が聞こえる。
『レイ、つかまえた』
何処からか跳んできた白蜘蛛は、私を空中で掴まえて、そしてそのまま真っ白な雪が降り積もっていた場所に音も無く着地した。しかし私にも、そしてハクにも予想できない事が起きた。地面だと思って着地した場所は、凍った水面の上で、氷が割れる音と共に私とハクは水中に沈み込んでいった。
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