第366話 汚染地帯〈精神世界〉re


 白い雪は〈廃墟の街〉の何もかもを覆いつくして、汚染された大地を芯まで凍らせているように見えた。その生命の気配が感じられない街の通りをひとり歩いていた。


 積雪で足場の不確かな通りを歩いていると、建物から突き出す熱を持った管から蒸気が噴き出しているのが見えた。その場所からは、管の熱で解けた水が高層建築物の上階から勢いよく流れ落ちてきていた。


『この先は進めそうにないね』

 カグヤの声が内耳に聞こえた。


「迂回するしかないか……」

 私はそう言うと、滝のように流れ落ちてきた水が建物の壁面に沿うように氷の柱をつくりあげているのを眺めた。綺麗な光景だったが、すぐ近くに雪を被った人間の死骸が横たわっていた。


『レイを狙ってやってきた賞金稼ぎかな?』

 カグヤの言葉に頭を横に振る。


「どうだろう。拠点の正確な位置を把握していて、多脚車両ヴィードルを所持していれば、俺たちの拠点にたどり着ける距離にいるけど……」


『この積雪で歩いて拠点まで向かうのは無理がある?』

「ああ。仲間とはぐれたレイダーの可能性がある」


『レイダーか……彼らの気を引く何かが近くにあるのかな?』

「わからない。レイダーは何処にでもいるからな」


 酷い凍傷を負った死骸のそばを離れると、足元に気をつけながら路地に入って行く。それからしばらくすると急に吹雪いてきて、世界は瞬く間に白く染まって視界がきかなくなる。その状態を嫌い、逃げるようにして高層建築物のエントランスに入って行く。拠点を出たときには快晴だったが天気は急変していた。


『この吹雪で探すのは難しそうだね』

「そうだな……汚染が広がっている場所は分かっているけど、この天候だと探索は難しいかもしれないな」


 数か月前に拠点に対して行われた襲撃、その際に砲撃で残された未知の化学物質の回収が今回の探索の目的だった。砲撃の被害に遭った場所は化学兵器の影響で危険な汚染地帯となっていたので、調査を先延ばしにしていた。


 しかし気候変動による影響なのか、北国並みの雪が降り積もるようになると、拠点の周囲に積雪しない地点が複数あることが確認できた。それらの場所は、襲撃以降に汚染地帯となっていた場所でもあった。


 ドローンで調査を行うと、砲撃の着弾地点が夜中になると緑色の淡い光を放っていることが観測できた。光を放つ何かしらの物質が存在していることも確認できた。


 未知の科学物質の調査は機械人形かドローンに任せればいいのだが、拠点で暇をしていたので、白蜘蛛のハクを連れて久しぶりに雪の降り積もる地上に出てきていた。ずっと地下に籠っていると、嫌なことばかり考えてしまうので、気晴らしをしたかった。


「カグヤ、ハクがどこにいるのか分かるか?」

 すると拡張現実で地図が浮かび上がり、ハクの位置情報が表示される。


「ずいぶん遠いところにいるな……」

『この吹雪で迷子になってるのかも』


「たしかにハクは雪に慣れていないから、どこかで迷子になっている可能性はあるな……」


『呼びかけてみれば? ふたりには不思議なつながりがあるから、私たちの現在位置を伝えられるかもしれない』


「そうだな……ハクと話せるか試してみるよ」

 薄暗いエントランスを歩いて、雪が入ってこない場所まで移動した。


 この世界には〈深淵の娘〉と呼ばれる凶悪な大蜘蛛の種族が存在する。厳密に言えば彼女たちは蜘蛛ではないが、その生態は未だ謎に包まれていて、彼女たちについて分かっていることは少ない。


 たとえば、彼女たちが神々に連なる存在だとされる〝母〟を持っていることや、旧文明の人類と同盟関係にあったことは分かっている。しかし残念ながら、彼女たちが人類と同盟を結んでいた理由は謎のままだった。ちなみに、ハクは汚染地帯を徘徊する〈深淵の娘〉たちの亜種で、〈深淵の姫〉と呼ばれる特殊な個体でもあった。


 そのハクは〈不死の子供〉たちの血液を体内に取り込んだことで、我々の間に特別なつながりができていた。そのつながりを使うことで、まるで物語に登場する魔法使いのように、我々は遠く離れていても〈念話〉を介して気持ちを伝えることができた。


 立ち並ぶ支柱の向こうに視線を向けると、ガラスのない窓枠から通りが見えたが、景色は白くけぶり、となりの建物や通りに転がる瓦礫がれきは見えなくなっていた。


 白い息を吐き出して気持ちを落ち着かせると、瞼を閉じて集中した。そして瞼の裏に見えていた暗闇に意識を溶け込ませるようにして、ずっと遠くに感じる存在に意識を向けた。すると廃墟の街に吹き荒ぶ風の音が徐々に小さくなり、強風に吹かれて軋んでいた鉄骨の音も聞こえなくなっていった。


 ふと瞼を開くと、凍えるような闇の中に立っていた。その暗闇に漂う冷気は鈍い痛みとなって感じられた。しかしズキズキとした痛みが身体の何処から生じているのかは分からなかった。あるいは〝魂〟と呼ばれるようなモノが、痛みを感じているのかもしれない。


 その冷たい闇のなかで、ゆらゆらと青白く発光する淡い光源が見えてくる。朧気で、それでいて儚い光は、細い糸となって闇に向かってすっと伸びていた。その光を見失わないように、ゆっくり近づいていく。


 暗闇のなかで〝何か〟がいずる音が聞こえてくる。細い光のそばで立ち止まると、息を潜めてじっと闇の向こうに目を向ける。すると淡い光に照らされるようにして、ヌメリのある黒い体表を持つオオサンショウウオに似た巨大な生物が姿を見せた。それは瞳を持たず、粘液に覆われた身体を引きずるようにしてのっそりと闇の中を移動していた。


 五メートルほどの体長がある生物の群れは、こちらに興味がないのか、一度も振りかえることなく、光が届かない闇の中に消えていった。しかし生物の荒い呼吸音と足音は、まるで洞窟の中で木霊す虚ろな響きのように耳元で聞こえていた。


 しばらくして不気味な響きが聞こえなくなると、嫌な金縛りから解放されて、また闇の中を進むことができるようになっていた。


 細い光の道をたどりながら闇の中を進むと、まるで砂場で遊ぶ幼い子どものように、暗闇の中でしゃがみ込んでいる子どもの背中が見えてくる。


 何も身につけていない幼い子どもは、赤い斑模様のある真っ白の肌を持ち、燐光を帯びた皮膚は闇の中で幻想的に浮かび上がる。その子どもは私の存在に気がつくと、立ち上がって手招きする。


 幼い子どものそばに立つと、彼女は私に深紅の瞳を向けて優しく微笑んでみせた。それから彼女は小さな手で地面を指差した。


 薄緑の淡い光を放つ石が転がっているのが見えた。その綺麗な輝きを放つ石に触れようとして、存在も不確かな腕を伸ばした。すると暗闇の中から物悲しい呻き声が聞こえてきた。それは尾を引くように残響する。


『レイ』

 カグヤの声に瞼を開くと、真っ白な雪が積もる通りが見えた。


「どうしたんだ?」

『奥に何かいる……たぶん、人擬き』


 ガラスのない窓枠から吹き込んでくる風の音に雑じって、微かな呻き声がエントランスホールの奥から聞こえてくる。


 すぐに〈ハガネ〉を起動すると、液体金属で形成したマスクで頭部全体を覆った。それから視界を調整すると、薄闇の向こうにあるものを拡大表示した。


「あれは……〈侵食型〉の人擬きだな」

 角張った柱に寄りかかるようにして座っていた人擬きが見えた。


『調べてくるね』

 カグヤが遠隔操作する偵察ドローンが、もぞもぞと腰のポーチから出てくる。


 ドローンが飛んでいくのを見ながら、太腿のホルスターからハンドガンを引き抜いて、人擬きに照準を合わせながらゆっくり近づいていく。


 人擬きは気絶しているようにも見えたが、時折物悲しい呻き声を上げていた。その人擬きの背中からは、脈打つ肉と血管が扇状に伸びていて壁に食い込んでいるのが見えた。それは倒木に網目状に広がっていく菌糸にも似ていた。


『その人擬きは、まだ完全に〈侵食型〉に変異してないみたいだね。このまま変異が進んで手が付けられなくなる前に処分したほうがいいと思う』


〈侵食型〉の人擬きは動くことはないが、食虫植物のように獲物を誘き寄せる腐臭を身体から放っていて、近づいてきた昆虫や小動物を肉の触手で捕らえ、それらを栄養に成長していく。


 放っておくと変異が進んで、建物を覆いつくす勢いで広がっていく。その腐臭は別の人擬きも引き寄せてしまうため、放っておいたら大変なことになる。だからそうなる前に〈侵食型〉に対処しなければいけない。拠点の近くでそんな化け物が育つのは放置できない。


 旧文明期の〝遺物〟でもあるハンドガンを使って人擬きを殺すと、その死骸を火炎放射で焼いた。エントランスホールは広く、風も強く吹いていたので、室内に煙が充満することはなかった。炎によって人擬きの肉が収縮していくと、グロテスクな肉の表面にある無数の腫瘍が破裂して膿が噴き出していく。


『レイ!』

 ふいに幼い女の子の声が聞こえると、白蜘蛛のハクが建物に飛び込んでくる。


 フサフサとした白い体毛で覆われた大蜘蛛は、小刻みに身体を震わせて体毛についた雪を払い落とす。ハクは軽自動車ほどの体長があるので、一度ですべての雪を取り除くことはできなかったようだ。背中からお尻にかけて――正確に表現するなら、頭胸部から腹部にかけて赤い斑模様がある箇所に付着していた雪を払い落しながら訊ねた。


「もしかして、迷子になってたのか?」

 ハクはカサカサとお尻を振る。

『まいご、ちがう。ハク、みつけた』


「緑色のやつか?」

『ん。いっしょ、いく』


 外に視線を向けて、吹雪が落ち着いているのを確認する。

「それを見つけた場所は遠いのか?」


『ううん。すぐ、ちかく』

「こっちに来る途中で見つけたのか?」

『たぶん』


『近くにある砲撃地点は……』カグヤが言う。

『レイダーの死体を見つけた辺りにあるみたいだね』


「近くまで来ていたんだな……なら吹雪く前に移動しよう」


『こっち』

 ハクはそう言うと、少しも躊躇することなく外に飛び出していく。


 降り積もった雪の上を転がるようにして遊んでいたハクの後を追うと、不自然に雪が積もっていない場所に出る。


『見て、レイ。レイダーたちの死体がある』


 泥濘ぬかるみに顔を埋めるようにして死んでいた略奪者の死体が複数確認できた。死体のそばには、砲弾の衝撃が残した窪みがあって、ぼんやりとした緑色の光を放つ石が窪みの中心に転がっているのが見えた。ゴロゴロとした石は手のひらに収まるほどの大きさしかなく、それらの石は無数に存在していた。


 遠くから汚染地帯を見つめる。

「カグヤ、周囲の汚染状況は?」


『レイの立っている場所は正常値が出ているけど、雪が積もっていない地点に一歩でも踏み込んだら、大変なことになる』


「化学兵器による影響なのか?」

『正直に言うと、私には見当もつかない』


「そうか……〈ハガネ〉は汚染地帯でも耐えられそうか?」


『うん。ハガネの仕様書に記載されている情報が正確なら、それは宇宙服の代りにもなるくらいだから、汚染対策も充分に施されている』


「了解」

〈ハガネ〉の金属繊維で形成されたタクティカルスーツの状況を確認して、それから汚染地帯に侵入していく。フルフェイスマスクも装着して全身を覆っているので、汚染の影響を受けることはないだろう。


 ハクも何事もなく汚染地帯に侵入していたが、それに対して驚くようなことはしなかった。ハクの姉妹である〈深淵の娘〉たちが活動している地域の多くは汚染地帯だったし、ここに来るまでに耐性があるのかハクに確認していた。だから大袈裟に驚いて心配することはなかったが、それでもハクが未知の化学物質に近づくと冷や冷やした。


「ハク、そいつは俺が回収するから触っちゃダメだよ」

『りょうかい』ハクは舌足らずの子どものように可愛らしく言った。


 バックパックの中から汚染廃棄物を回収するために使用される専用のケースを取り出す。それからハガネを操作して指の先に長い爪を生成して、箸でつかむようにして幾つかの石を回収する。


 淡い光を放ち、熱を帯びていないにもかかわらず周囲の環境に影響を与える石が化学兵器によって生成されたものなのか、あるいは砲弾に含まれていた物質なのかは分からない。しかし拠点の研究室で解析を行えば、有益な情報が得られるかもしれない。


『レイ』カグヤが言う。

『ここから拠点に直接戻るの?』


「戦闘服や装備の汚染除去が行われていない状態で〈転移門〉を使うのは、さすがにマズいと思う」そう口にしながら、早足で汚染地帯を離れた。


『そうだね。〈空間転移〉を可能にする装置が設置されているのは拠点の敷地内だから、歩いて帰ったほうがいいかも』


 汚染地帯に侵入して息絶えた略奪者たちの周囲には、彼らの装備や物資が残されていたが、回収する気にはなれなかった。ハクに声をかけると、拠点に向かって歩き出した。

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