第364話 実験


『身内になる?』

 会議室の何処かに設置されているスピーカーから、カグヤが発した疑問の声が聞こえてくるとエレノアは頷いた。

「率直に言うと、ヴェルが妊娠しているみたいなの」

「ヴェル……」と私は天井に目を向けながら思考する。「確か、ノイが付き合っていたヤトの子だよな。彼らの使う古い言葉で『赤い花』の名前を持つ子だったような……」

「ヴェルカ・フローナにそんな意味があった何て、今まで知らなかったです」

「ヤトの一族が子供に『名付け』をするとき、彼ら独自のやり方があるんだ」

「独自ですか?」と、エレノアは私に菫色の瞳を向けた。

 私は頷いて、それから彼女の質問に答えた。

「子供が産まれてから最初の満月の夜に、父親は目隠しと耳栓をして住処の外に出かけていく。そして『何か』を感じるまで漠然と歩くんだ」

「何か?」

「そうだ。それはその時にしか感じることの出来ない不思議な感覚らしい。もちろん目隠しをした父親の周囲には仲間がいて、怪我をしないようにサポートしてくれている。そして『何か』を感じた時に、目隠しと耳栓を外す。その順番もその時の気持ちで変わる。そうしてその時に初めて目にするもの、あるいは初めて聞いた音が彼らの子供の名前になる」

「不思議ね」


 それまで黙って葉巻をふかしていたレオウ・ベェリが口を開いた。

「儂らは異界の領域を移動する為の特殊な能力を混沌の神々に与えられていた。だから必然的に儂らは数多の領域を旅する種族でもあったのだ」

『だからヤトの一族には珍しい名前を持った戦士が多いんだよ』とカグヤが言う。『紫の水草とか、ひとつめの怪鳥とか』

「見知らぬ土地に住処を持つことになったからな……多くの名前に色が含まれるのも、その所為だな。儂らには学が無く、また儂らが旅した土地が余りにも多く、見るもの全てが新しく、その土地に根づく動植物の名を知らないからでもあった」

 そう口にしたレオウ・ベェリの名が意味するのは『緑色の豹』だった。


 ヤトの一族は、私が異界の領域と呼ばれる不思議な世界を旅した時に出会った『混沌の追跡者』と呼ばれていた種族だった。

 彼らは異界の領域に侵入した者たちを執拗に追い、集団で狩ることを運命づけられた醜い生物でもあった。けれど何の因果か、彼らは私を追っている最中に『最果ての地』に辿り着き、そこで『混沌の意思』の呪縛から逃れることが出来た。

 混沌の神々が混沌の生物に与える影響力がどのようなものなのかは、私にはさっぱり分からない。けれど混沌の意思から解放された彼らは、『ヤト』と呼ばれる『異界の神』の加護を得て、私を追ってこの世界にやってきた。それ以来、彼らは私とカグヤを中心にした組織を作り上げて、私と共に行動するようになっていた。


 ちなみにヤトの眷属になった彼らは、異界に渡る為の能力を失っていた。しかし代わりに彼らは美しい容姿と高い肉体能力を得ることになった。彼らはその事に満足していたが、レオウ・ベェリを最も喜ばせたのは、やはり混沌の意思から解放された事なのだろうと私は考えていた。彼らは産まれて初めて、本当の自由を得ることが出来たのだ。


「確かに名付けに関しての儀式は不思議だ」とイーサンが言う。「でも本題から逸れている。俺たちが話し合う必要がある問題が残っているだろう?」

『問題って言うのは、二人のお祝いをどうするのかって事?』とカグヤが訊ねる。

「そうじゃない。ヴェルの妊娠についてだ。俺はレイとカグヤがどう考えているか聞きたいんだ。二人には自覚が無いようだが、ヤトの一族が属している組織の責任者はお前たち二人なんだからな」

 イーサンの言葉に私が頭を傾げていると、カグヤがイーサンの質問に答えた。

『以前にも言ったと思うけど、私たちはヤトの一族の自由を奪うつもりは無いんだ。だから子供が出来たとしても、私たちは二人を応援して、子供を安全に出産できて、何の心配も無く子育てが出来る環境をつくることしか出来ない。それにね、ずっと同じ環境で若い男女が過ごしていたら、恋愛感情くらいは生まれると思っている。だからそういう関係になるのは、驚くような事でもないんじゃないのかな?』

「そうだな」と私はカグヤに同意する。「それにヤトの一族の族長はレオウ・ベェリだ。まずはレオウと話し合うべき問題だと思う」


「妊娠したことについては、既に話はしてあるの」とエレノアが言う。

 私はイーサンの隣に座っていたレオウ・ベェリに視線を向ける。鈍色の長い髪を三つ編みにして、後頭部でひとつに纏めていた彼は、目尻に皺を寄せて葉巻をふかしていた。ヤトの一族は常に戦いに身を置いていた種族だった。それはつまり年長者が生き残れない過酷な世界でもあったことを示唆している。

 それゆえにヤトの部隊は若い子たちで構成されている。壮年の戦士は数人しかいない。が、数え切れないほどの戦闘を生き延びた彼らは、戦士として突出した能力を持っていた。それは族長であるレオウも同様だった。彼は老いていたが、一族で最も戦闘能力を有した戦士のひとりだった。


「実はな、儂にも良く分からんのだ」とレオウが言う。

『名付けみたいに、出産に関しての仕来りとか儀式とか、そういうものは何も無いの?』とカグヤが質問する。

「儂らは異界の地を旅しながら、ひたすら戦う種族だった。そこに男女間の違いはなく、女性も常に戦場に出ていた」

『うん?』

「つまりな、出産に関してのあれこれのことについて、儂は良く知らんのだ。身重になった女性は時期が来れば、戦闘の合間に子供を産んでいたからな」

「戦闘の合間に? そんな適当な事をやって、よく今まで生き延びてこられたな……」失礼だと思ったが、私は率直な感想を口にした。

「そうだな。例え乾燥した砂漠にいたとしても、ジメジメとした深い森でもそれは変わらなかった。我々は人間とは違うからな、衛生面をそれほど気にする必要も無かったのかもしれない」


「人間か……」と私は呟いて、それからハッとした。「ヤトの一族は人間に似ているけど、厳密に言えば人間じゃないよな」

「そうですね」とエレノアが頷く。

「子供はどうなるんだ? 人間なのか? それともヤトの眷属になるのか?」

「気になるのはそこなの?」

「行為は出来ているんだから、身体の構造に大きな違いはないと思う。もちろん色々と考えなければいけない事はあると思う。臓器の違いや遺伝子的な違い。けど妊娠しているのなら、それらの問題が影響しなかった可能性がある」

「だから子供の種族が気になる?」

「ああ」と私はエレノアに頷いて、それからレオウに視線を向けた。


 レオウは葉巻を灰皿にのせ、それから困った表情をして腕を組んだ。

「レイラ殿も知っていると思うが、儂らは元々、混沌の化け物だった。そしてとても醜い容姿をしていた。だから他の種族との間で子供をもうけたことは一度も無い」

「どうなるのか、レオウにも分からないのか……」

「だが異界の地で見てきたことが役に立つかもしれない」

『異界……』とカグヤが言う。『そっか、異界には多くの知的生物がいて、種族の違いがあっても、彼らが同じ街で生活しているって聞いたことがある。それなら、他種族同士での婚姻もあった可能性がある』

「そうだ」とレオウは頷いた。「我々は混沌の属する生物だったから、それらの都市からは敵対され攻撃の対象だったので、都市の生活事情には疎い。が、捕らえた種族同士を交配させる『実験』をしていた物好きな種族から話を聞いた事がある」


「交配実験……? それはまたとんでもない事をする奴らがいるんだな」とイーサンが呆れる。

「混沌の勢力に属する者たちに、道徳を説くような者はいなかったからな」レオウはそう言うと、皮肉な笑みを見せた。「その者たちは儂らよりも二回りも身体が大きく、三つの顔をもっていた。それに青い鱗のある体表をしていて、左右対称の六本の腕をもっていた。彼らは秩序に連なる存在を憎み、それを破壊することを目的に生きていた」

『三面六臂……まるで仏教の神様みたいだね』とカグヤが言う。

 レオウは葉巻をふかすと、思い出すように言葉を口にしていく。

「実際には神に似ても似つかない生き物だったが、やることは神のように残酷だった。彼らは捕らえてきた人型の種族を檻に入れては、怪しい術で交配を強制していた。それで分かったことは、おおよその人型生物は繁殖行為が可能である、ということだった」


「交配を強制か……捕らえられていた人々は、本当に実験動物のような扱いを受けていたんだな」

 私がそう言うとレオウは頷いた。

「もっと恐ろしい事をしていた奴らも多くいる。そういう世界での出来事について、儂は話をしているんだ」レオウはお気に入りの葉巻をじっと見つめて、それから話を続けた。「子供は一部の例外を除いて、ほとんどが母親の種族的特長を受け継ぐことになった。しかし当然、父親の特徴も受け継ぐことになる。例えば人間の男性と妖精族の女性の間に産まれる子供は、妖精族の身体的特徴を持って産まれてくるが寿命に大きな差が生じる」

『妖精族はどれくらいの寿命を持っているの?』とカグヤが質問する。

「人間の半分も生きられない種族もいれば、人間からすれば、永遠に近い時を生きる者たちもいる。前者の場合、人間ほどの寿命が得られるが、後者の場合は人間ほどの寿命しか生きられなくなる」

『それは残念』

「もっとも、こうした実験でもしない限り、奴らと人間の血が混じり合う事はほとんど無い」


「どうしてだ?」と私は素朴な質問をする。

「妖精族の中には、限りなく人間に似た容姿を持った種が存在する。それなら、問題なく共存できると思うかもしれないが、彼らは互いに憎しみ合っている」とレオウは言う。

「何か理由があるのか?」

「人間と妖精族の間には、戦争の長い歴史がある」

『うん?』とカグヤが言う。『もしかして、妖精族は混沌に属しているの?』

「全ての妖精族が混沌の勢力に属している訳ではない」

『意外だね。妖精族って言ったら、すごく綺麗な人たちが沢山いて、人間と協力しながら生きていく種族だと思ってた』

「いや、奴らも醜い姿をしている」とレオウは顔をしかめながら言う。「秩序に連なる妖精族には美しいものたちもいるが、混沌の生物からは憎まれている。だからほとんど姿を見ることは無い」

『混沌から隠れながら暮らしているの?』

「そうだ。理由は色々あるが、混沌とした闇から産まれてくる異形の化け物からしたら、奴らの眩しい程の美しさは、嫉妬や僻み、そして吐き気を催すほどの怒りや憎しみを向ける対象でしかないからな。見つかったら恐ろしい拷問を受けて、数週間かけながらゆっくり殺される」


『憎しみか……きっと彼らの持つ憎しみも、混沌や秩序に連なる神々の意思によるものなんだろうね。そう思うと何だか可哀想だね』

 カグヤがそう言うと、レオウは冷淡な笑みを浮かべる。

「奴ら妖精族が混沌の生物に行う拷問はもっと酷いものだ」

『感情は複雑で難しいね』

「そうだな。憎しみ合っている者たちを交配させるときはもっと難しいと聞いた。どちらか一方に媚薬を飲ませるか、興奮作用のある魔術をかけて強姦させる必要があるからな」

『恐ろしいことをするんだね』

「多くの場合、産まれてくる子供は半狂乱した母親によって殺される。その段階に至ると、誰が可哀想なのか分からなくなる」


「興味深い話だけど、ノイとヴェルの話に戻っても良いか?」と、イーサンは煙草に火をつけながら言う。

『もちろん』とカグヤが答えた。

「産まれてくる子供がヤトの一族の特性を受け継ぐことは理解した」

『随分、あっさり納得するんだね』

「こんな世界だからな」とイーサンは煙を吐き出しながら言う。「現実はさっさと受け入れて、前に進む事が重要だ。それよりも妊娠期間について訊ねたい。人間と同じなのか?」

 レオウは葉巻を咥えたまま天井を見つめる。

「若い子たちを集めるから、詳しい事は彼女たちから聞いてくれ」


「聞いても良いか?」と私はエレノアに言った。「ヴェルは今――」

「二人が付き合いだしたのは私たちが大樹の森に行く少し前からよ」

「二人は若いからな」とイーサンは鼻を鳴らす。「少なくとも四カ月」

「人間と妊娠期間が同じなら、安定期まであと少しか……」

 私はそう言うと、網膜に投射されているインターフェースにヤトの戦士たちの名前と現在、どのような任務についているのか記載されているリストを広げて、彼女の状況を確認する。そのリストでは、ヤトの戦士の配属されている拠点も確認できるようになっていた。

「ヴェルは横浜の拠点に戻っていたのか」

 私の言葉にエレノアが頷いた。

「彼女に戻るように指示したのは私です。でも安心して、代わりの人間はすでに派遣してある」


「それに関しては心配していない」と私は言う。「それよりノイとヴェルに会って、二人の付き合いについて聞かないとダメだな」

『何を聞くの?』とカグヤが言う。

「二人が夫婦になるのか」

『それって重要な事?』

「重要だろ?」


 イーサンは肩をすくめると煙草を揉み消して、それから言った。

「いずれにしろ、こういう事はこの先にも起きるかもしれない。だからこれは俺たちの今後の在り方を決めるテストケースにもなると俺は考えている」

「けれど」とエレノアが続ける。「他の鳥籠と争っている状況では、このような事が続くのは避けた方が良いと思います」

「そうだな」と私は溜息をついた。「部隊に欠員は出したくない」

「部隊の奴らには俺が話を通しておく」とイーサンが言う。

「ヤトの子たちとは私が話をしておきます」とエレノアは私に言う。「ところで、レイラ。医師のあてはあるの?」

「それならジャンクタウンに――」

「クレアね」

「そうだ」

「彼女がこちらの拠点に来られるか、相談しておきます」

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