第363話 掟 re


 拠点のテーブル上に投影されていたホロスクリーンには、横浜の中華街を中心にして形成された〈砂漠地帯〉の映像が表示されていた。その〈砂漠地帯〉は、旧文明期に海を埋め立ててつくられた土地に向かって広がっているが、埋め立て地のすべてが砂漠に没したわけではない。


〈砂漠地帯〉で知られた奇妙な地域は、旧文明期に使用された新型爆弾によって形作られた巨大なクレーターの内部に形成されていて、横浜の限られた地域のことでしかなかった。しかしそのクレーター内に一歩でも足を踏み入れると状況は一変する。まるで異空間に迷い込んだかのように、広大な砂漠が姿をあらわす。


 断層の露出した岩棚が飴色の大地に何処までも広がっているのが見えた。その岩棚の向こうには、まるで高層建築物が激しい熱によって瞬時に溶かされたような、そんな恐ろしい造形をした赤錆色の奇岩が立ち並ぶ不思議な光景が見えてくる。


 それらの奇岩のなかには、風雨に晒され岩肌が削り取られたことで、キノコのような形をした岩もあれば、古代の神殿跡を思わせる石柱が並ぶ場所もあった。しかしその中で最も奇妙だと感じたのは、汚染地帯へと続く深い渓谷のそばに存在する巨大な都市遺跡だった。


 数百メートルはありそうな長方形の大岩が立ち並び、至る所に無数の穴が開いている。その姿はカッパドキアの地下都市へと続く入り口、もしくは、ブラジルのセラード地帯に存在する巨大なアリ塚群を思わせる奇観を呈していた。


 しかしそれらの大岩は自然に造形されたものだとは思えなかった。削れた大岩のあちこちに金属製の人工物が露出しているのが見えていたからだ。


 そしてその都市には数え切れないほどの住人が生活している。都市と言うのだから生活の営みがあるのは当然のことだ。しかし住人は人間ではない。そこで暮らす異形の民は、二足歩行する人型の昆虫にも似た奇妙な種族だった。


 彼らは体高が二メートルほどの異種族で、触角のないミツバチに似た頭部をしていて、スズメバチのような凶悪な大顎を持っていた。そして大きな複眼の周囲には、細く短い灰色の体毛がビッシリ生えている。


 それ以外の身体の大部分は鈍い光沢を帯びた緑青色の甲皮で保護されていた。それは人間とは逆方向に関節が曲がっている太く強靭な二本の脚も同様だった。


 その奇妙な生物の中には半透明の大きな翅を持つ者もいて、彼らが飛行しながら大岩に点在する穴に出入りしているのが見えた。また彼らはトカゲに似た巨大な生物を使役していて、そのトカゲに騎乗して、のっそりと通りを移動している姿も見えた。


〈ラガルゲ〉とも呼称される巨大な生物は、五メートルほどの体長があり、ドクトカゲに似た姿をしていた。太い胴体にどっしりとした四肢、そして極彩色の斑点のある鱗を持っていた。


 私はホロスクリーンから視線を外して、それから何の変哲もない白色の天井に視線を向けた。横浜の海岸近くにある保育園、その地下施設の拠点に用意された会議室で〈砂漠地帯〉の偵察映像を確認していた。


「どう思う?」

 テーブルを挟んで向かいに座っていたイーサンが言う。


「この映像は、レイから借りたドローンと、部隊で使っていた旧式のドローンを使って〈採掘拠点〉の周辺を偵察したさいに撮影されたものだ。都市の全体は把握できなかったが、中々のものだろう?」


〈インシの民〉で知られた生物の都市をじっと眺めて、それから言った。

「彼らが人間に敵対的な勢力なら、この都市の存在は厄介だと思う」


 イーサンはうなずくと、咥えていた煙草に火をつけた。彼は元々〈ジャンクタウン〉で情報屋をしながら、名のある傭兵団を率いていた手練れの傭兵だ。記憶を失っていた私に色々と世話を焼いてくれたのも彼だった。今では、この世界で命を預けられるほど信頼できる数少ない仲間になっていた。


 そのイーサンは煙を天井に向かって吐き出す。イングランド出身だという彼は、彫が深く見栄えのいい顔をしている。背が高く、狼のように鋭い眼光の持ち主だったが、同時に何を考えているのか分からない不気味さも持ち合わせていた。


 その姿は遠目から見ればワイルドな風貌な格好のいいオッサンだが、普段はよれよれの背広を着ている酒臭い小汚いオッサンでしかなかった。


 イーサンのとなりには美しい女性が座っている。彼女は傭兵部隊に所属していて、家族以上の濃い繋がりと結束を持つ部隊の中でも、最もイーサンと行動を共にしている女性だ。


 エレノアは菫色の瞳を持つ美しい女性だった。くすんだ金色の長髪は綺麗に切り揃えられていて、傭兵らしく戦闘の邪魔にならないように背中でひとつにまとめられている。彼女は戦闘に適した野暮ったい格好をしていたが、彼女の持つ上品さは失われず、人々の視線を惹きつける官能的なスタイルを維持していた。


「もっとも、連中が支配する土地で暮らす〝権利〟とやらを獲得した俺たちに害はないみたいだがな――」


 そこでイーサンは金色の瞳を私に向ける。

「連中と共存できる権利を獲得したのは覚えているか?」


「もちろん」と私はうなずいた。

「〈インシの民〉の戦士と決闘を行い、その戦いに勝利した」


「そうだ。だから連中は俺たちには干渉しないことになっている」

『少なくとも、今までは何もしてこなかった』


 端末からカグヤの声が聞こえると、イーサンはうなずいて、それから言った。

「これを見てくれ」


 彼が手元の端末を操作すると、ホロスクリーンの映像が切り替わる。すると都市を俯瞰していた映像が拡大表示される。その映像には〈ラガルゲ〉に騎乗する〈インシの民〉と、そのオオトカゲのあとについて歩く無数の人間の姿が見えた。人間は男も女も関係なく裸にされ、金属製の枷と鎖で首と手をつながれていた。


「これは?」

 思わず顔をしかめながらたずねた。


「連中の食料だ。鎖でつながれている人間の多くは、〈砂漠地帯〉に残る旧文明期の遺跡群を探索しに来て、連中に捕らえられたスカベンジャーとレイダーだ」


『捕らえられた?』

 カグヤが疑問を口にする。


「待ってくれ」と私は言う。

「連中は人間を喰うのか?」


 私とカグヤの疑問に答えたのはエレノアだった。

「そう、彼らは雑食で何でも食べます。もちろん、人間も例外ではありません。あそこで捕らえられている者たちのほとんどは、〈インシの民〉の土地に無断で侵入し、彼らの戦士と決闘して勝てなかった集団の生き残り」


「ほとんど……?」と私は言う。

「つまり、あそこには決闘とは何の関係もなく捕らえられた人間もいるのか?」


 イーサンはエレノアから差し出された灰皿に煙草の灰を落としながら言う。

「それは俺たちが目くじらを立てるような問題じゃない。そこにいる人間は、〈砂漠地帯〉の鳥籠〈紅蓮ホンリェン〉の連中が取引に使う〝罪人〟だ」


「紅蓮……大陸から日本に渡ってきた華僑の人々が暮らす大規模な〈鳥籠〉だな」


「そうだ。だからもしも人身売買に関して文句があるなら、それは〈インシの民〉に訴えるんじゃなくて、〈紅蓮〉に訴えるべき問題だ。けど、それをすることは勧められない。彼らには彼らの掟がある。それは〈砂漠地帯〉という異質な空間で暮らす者たちの問題であって、〈廃墟の街〉で生きている俺たち部外者には関係のないことだからだ」


「そうだな」と、肩をすくめる。

「罪人をどう処理するのかは〈紅蓮〉の問題であって、それを否定するつもりはないよ」


「よかった」とエレノアが言う。「この映像を見て分かるように、〈インシの民〉とは争わないほうがいい。私たちは彼らの足元にも及ばないから」


「爆撃なら何とかできるんじゃないのかって考えていないよな?」

 イーサンはそう言うと、口の端に笑みを浮かべる。


「まさか」頭を横に振る。


「それは考えないほうがいい。かつて〈ヤマナシ〉って呼ばれていた地域に広がる〈大樹の森〉に生息する〈コケアリ〉たちと同様、連中の都市は地下深くに続いているかもしれない。地中貫通爆弾を使えるなら、あるいは俺たちにもチャンスはあるかもしれないが、罪人どものためにやるようなことでもない」


「わかってるよ」


「とにかく」とエレノアは言う。「私たちは〈インシの民〉と交流を持ったほうがいいと思います。彼らがどのような生態を持ち、どのように〈砂漠地帯〉を支配しているのか、隣人として知る必要がある」


「交流か……まずは交易ができるか確かめてもいいのかもしれないな」


「そうね。彼らが欲しがる食料は提供できそうにないけれど、例えば衣類なら交易品にできるかもしれない」


「そう言えば、〈インシの民〉は身体を隠すために布を使っているな」


「彼らが纏っている布は、〈砂漠地帯〉で頻繁に起きる砂嵐から身体を守るための物なのかもしれません」


「それなら、交流の糸口になりそうだな……」


「〈採掘拠点〉にはノイがいる」イーサンは煙を吐き出しながら言う。

「ノイに部隊を任せて、〈インシの民〉とコンタクトを取ってもらおう」


「そうだな。ノイは信頼できるし、〈ヤトの戦士〉に支援させれば問題が起きても対処できるかもしれない」


「とりあえず、〈砂漠地帯〉に関する報告はお終い」とエレノアが言う。「つぎは〈五十二区の鳥籠〉についてですね」


「製薬工場のある鳥籠だな」

 イーサンはうなずいて、それから煙草を灰皿で揉み消しながら言った。


「レイの首に賞金をかけた連中が所属している鳥籠でもある」

「俺の記憶が正しければ、〈五十二区の鳥籠〉は俺たちと争わない約束をしていたはず」


「その通りだ。俺たちは連中が支配していた旧文明期の施設に侵入し、そこで管理されていた鳥籠の資産を奪った。そして今後俺たちに関わらないように約束させたうえで、時間を設けて一定の期間で金の返金に応じることになった」


「返金はちゃんと行っていたのか?」


「もちろん」とエレノアが言う。「けれど鳥籠を管理する幹部と会談できたのは一度きりです。送金も数回しか行われなかった。そして数日前、彼らと共同で管理していた口座との接続も一方的に切断され、口座は完全に破棄されました」


『つまり連中は約束を破るだけじゃなくて、鳥籠の大事な資産も諦めたの?』

 

 カグヤの言葉にイーサンはうなずく。

「あの金は、もう俺たちのものだ」


 それから〈インシの民〉の都市が映し出されていたホロスクリーンに、送金予定だった金の残高を表示した。そこにはとんでもない額が表示されていた。


「そこでだ」イーサンは身を乗り出す。「その金を使って〈採掘拠点〉の開発を進めようかと考えているんだが、それについてレイの考えを聞かせてほしい」


「いいんじゃないか。〈砂漠地帯〉で得られる資源があるから、俺たちは旧文明の装備を製造できているし、予備弾薬も確保できている。すでにあの拠点は俺たちにとって重要な施設になっているからな」


『イーサンの取り分はどうするの?』カグヤが訊ねる。

『傭兵団を維持するための資金も必要でしょ?』


「開発資金の一部が俺たちの取り分になる」イーサンは煙草をもう一本取り出しながら言う。「この際だから言っておくけど、俺たちは傭兵稼業を止めたんだ」


「はい?」

 驚いて思わず間抜けな声を出す。


 するとエレノアが微笑むのが見えた。

「傭兵団の仲間には元々身内しかいないから、解散して離れ離れになるようなことはないの。だから心配しなくても大丈夫です。今まで通り、各拠点の警備は継続する」


「ならどうして?」


「このまま傭兵として誰かのために働いていたら、先がないって気がついたんだよ。これからはレイの組織に加わって、俺たちだけのために仕事をする」


「それは傭兵団を止める理由になるのか?」


「なるさ。もちろん下心はあるが、俺たちはレイに誠実でありたいんだ」


『下心?』

 カグヤが疑問を言葉にすると、イーサンは金色の瞳で私を見つめる。


「〈砂漠地帯〉で手に入る資源で製造される装備や、レイの拠点で手に入る物資のことだよ。俺たちはレイに協力しているから、あの装備の使用許可を得ているが、それはレイが持つ〈データベース〉の権限があるからこそできることだ。そしてそれらの装備は俺たちがこの先、荒廃した世界を生きていくには欠かせない装備でもある」


『でも傭兵団を止めなくても――』


「言っただろ。俺たちはレイとカグヤに誠実でありたいのさ。武器を提供してもらうだけじゃない。これからはレイの仲間や拠点、それから組織に対して同じ責任を持って生きていくことになる。俺たちは互いを信頼し合って、この世界を生き抜くための協力をしていく。でもそれは一時の同盟という繋がりだけではダメだと思うんだ」


『だから身内としての深い絆と繋がりが必要になる?」

「そうだ」


「俺は賛成だよ。イーサンたちのことは信頼しているし、俺たちはこの数か月の間、ずっと一緒にやってきたけど問題はなかった」


「そうね」とエレノアは言う。「これからは同じ看板を背負って生きていくことになる。だから私たちはこの世界で生き残る方法を模索しなければいけない」


「生き残る方法……」


「たとえば〈五十二区の鳥籠〉ね。彼らが何を企んでいるにせよ、これから私たちの障害になることは目に見えている」


「最悪なタイミングで一緒になることになったな」

 私がそう言って苦笑すると、イーサンは頭を横に振った。


「むしろ最高のタイミングだと思っている。そもそも俺たちがレイのことを見放すと本気で考えていたのか?」


「そうだな、ありがとう」


「ちなみに」とエレノアが言う。「レイの取り分も、それと同じくらいの金額があるから、何にお金を使うか考えてね。おすすめは〈砂漠地帯〉に墜落した〈浄水施設〉を警備するための拠点開発」


「〈浄水施設〉か……」あの奇妙な色彩を放つ存在のことを思い出す。「あそこは旧文明の鋼材を得る貴重な場所になっているけど、それなりの危険も潜んでいる。だから俺たちが施設を管理して、警備するための基地を建造する必要はあるな……」


「それともうひとつ」とエレノアが言う。

「話し合わなければいけない大切な問題があるの」


「なにか重要な問題か?」

 緊張するエレノアとイーサンの態度に思わず身構える。

「ええ、私たちは本当の意味で〝身内〟になるのかもしれない」

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