第十部 欲望

第362話 スカベンジャー


 廃墟の街でジャンク品を漁っているスカベンジャーは、戦闘を生業にしている傭兵や、隊商を率いる商人たちからは嫌われている。彼らはスカベンジャーを『ゴミ拾いのネズミ』と言って嘲笑う。彼らがスカベンジャーを蔑む理由は、何となく分かる。それは誰でもスカベンジャーとして働けるからだ。信用が無くても、高価な装備を持っていなくても、誰にでも出来る仕事。危険な廃墟の街に向かい、ジャンク品を漁る気概を持っていれば、拾ってきたジャンク品や鉄屑を売って生活できる。

 だから路上で暮らす孤児や、その日暮らしの酔っ払い、それに薬物中毒者がスカベンジャーになる。そして傭兵や商人は、そんなスカベンジャーを底辺の人間として扱う。ゴミ拾いで生計を立てるしか能の無い人間として。


 だけどスカベンジャーは、ある意味では戦闘を専門としている傭兵たちよりも優れているし、店を構える商人のように狡猾だったりする。何故なら、略奪者や変異体が徘徊する危険な廃墟の街で生き残るには、己の身を守るために正しく銃器を扱う技術が必要だった。加えてスカベンジャーは、廃墟の街で手にしたジャンク品を適切な値段で売る鑑識眼も持っていなければいけないからだ。


 けれど、もちろん全てのスカベンジャーが優秀な訳じゃない。多くの場合、彼らは若くして廃墟の街で命を落とすからだ。そしていい歳だからと言って優れたスカベンジャーという訳でも無い。彼らは適切な引き際を学んだに過ぎない。経験によって危険なものを見極める目が鍛えられたのだ。けれど彼らは臆病すぎる故に、生活水準の質が向上することは無い。臆病であることを悪く言っているのではない、でも何事にも限度があると思っている。


 どうしてスカベンジャーについて考えているのか、それは私がスカベンジャーで、今まさに瓦礫の中に埋まるジャンク品を漁っているからだった。

『何か見つけられた?』と女性の柔らかな声が内耳に響いた。

「いや」私はそう言って頭を横に振ると、ガラスの無い大窓の向こうに広がる廃墟の街に視線を向けた。

 静寂が支配する廃墟の街に、その静けさをもたらしている雪が降っていた。湿り気の無い、さらさらとした粉のように細かい雪だ。昨夜から降り続いていた雪の所為で、街は一面の白に覆われていた。


 その真っ白な雪は、廃墟の街に横たわる巨大な建設人形や、傷痕のように街の至る所で目に出来るクレーターを覆い隠していた。

 と、騒がしい銃声がひっそりとした街に反響する。銃声のした方角に視線を向けると、真っ白な雪の中を何かが動いているのが見えた。

「カグヤ」私がそう言うと、雪の中を走っていた何かの輪郭線が赤色の線で縁取られて、私の視界に表示される。足跡の残っていない、まっさらな雪の上を走っていたのは人間だった。


 私の思考電位を拾い上げて、走っていた人物を拡大表示してくれたのはカグヤだった。彼女は地球の静止軌道上にある軍事衛星に搭載されていた『自律式対話型支援コンピュータ』のはずだった。しかし彼女には謎が多く、今では正体不明の存在になっていた。だけどカグヤが人工知能では無いことが判明したあとも、彼女に対する私の気持ちに変化は無かった。

 私はカグヤの事を信頼していたし、同様に彼女からも信頼を得ていた。そして重要なのはカグヤの姿形ではなく、相棒として常に私を助けてくれている彼女の姿勢だった。何の見返りも無く彼女から与えられる助力は、何ものにも代え難い。


『こんな雪の日に、人間が廃墟の街で何をしているんだろう?』

 カグヤの言葉に私は頭を振る。

「分からない。でも近くを移動していた隊商からはぐれた可能性があるな」

『ねえ、見て』

 カグヤがそう言うと、私の網膜に投射されていた映像が切り替わって、対象の側を飛行していた偵察ドローンからの映像が表示される。

 その映像には、貧相な身形をした人間を追いかける人型の生物が映っていた。

「人擬きに追われているみたいだな……」と私は呟いた。


『人擬き』は廃墟の街を彷徨う不死の化け物の名称だ。

 ぼろきれになった衣服を身に纏うその醜い生物は、両腕の肘から先が千切れていて、髪が抜け落ちた頭部はうっ血しているかのように茄子紺色をしていた。

 それはかつて人間と呼ばれていた生物の成れの果てだ。今では人間の原型を僅かに留める人喰いの化け物でしかない。人擬きは旧文明期以前の人間が作り出した不死の薬『仙丹』によって、この世界に誕生した不死の化け物だと言われていた。


 私は胸の中心に吊り下げていたライフル手に取ると、ストックを引っ張りだして構えた。それから眼下に見えていた人擬きに素早く照準を合わせた。

 必死に逃げている人間を追っていた人擬きは、まだ人の原型を保っている『人型』の人擬きだったが、その他にも、長い年月をかけて四足歩行に特化した姿に変異し、獲物を執拗に追う事で知られている『追跡型』や、数世紀もの長い時を廃墟の街で生き続け、他の人擬きや人間を喰い殺し、その肉体に取り込んだ所為で醜い姿になった『肉塊型』と呼ばれる存在も確認されていた。


 引き金を引くと、雪がしんしんと降り続く白い街に銃声が木霊した。

 人擬きが倒れたのを確認すると、銃口から白煙が立ち昇るライフルを下げた。

 基本的に人擬きを殺すことは出来ないと言われている。それには人間を不死の化け物に変異させるウィルスが関係していると言われていた。細胞を活性化させる不死の因子の所為だとも言われているが、それが本当なのかは分からない。文明の崩壊した世界では、人擬きを研究する為の環境が無く、率先して研究をするような物好きがいない。だから人擬きの生態を詳しく知る者はいない。


 だから殺すことの出来ない人擬きに遭遇すると、廃墟の街に生きる人々は、人擬きを殺す事では無く、無力化する事だけを念頭にして戦う。足を潰して行動不能にしたり、頭部を破壊して思考力を奪ったりと、対処の仕方は状況に応じて変化する。もっとも、私が所持する旧文明期の兵器ならば、人擬きを殺すことが可能だった。ライフルから撃ち出される銃弾が生成される際に、抗ウィルス剤を運ぶナノマシンが銃弾に含まれるとか何とか。詳しい事は分からないが、とにかく不死の存在である人擬きを殺すことが出来た。


 私はガラスの無い大窓から身を乗り出して、周囲の様子を確認する。それから後方に下がって助走の為の距離を確保すると、大窓に向かって駆けて、躊躇なく空中に跳びあがる。私が跳んだ場所から地面までの距離は、数十メートルの高さがあった。この高さから落ちたら、ただの怪我だけでは済まされない。しかし落下していく私の脚部を『ハガネ』と呼ばれる液体金属の装甲が覆っていく。その液体金属には、旧文明期の脅威的な技術で製造された特殊なナノマシンが含まれていて、それは装甲の表層にシールドを生成し、着地の際に発生する衝撃を吸収してくれた。


 雪の積もった道路に立つと、私は人擬きから逃げていた人間の姿を探した。

『レイ、あそこだよ』カグヤがそう言うと、道路の先で蹲っている人間を強調するように、人間の頭上に表示されていたマーカーが発光を繰り返す。

 私は周囲に敵対的な存在がいないことを確かめて、それからライフルを構えながら人間に近づいて行った。

 降り積もった雪の中で蹲っていた人間の側には、大量の血痕が残されていた。

「吐血したのか?」

 私はそう言いながら、瀕死の状態になっていた男の側にしゃがみ込む。

『この寒さの中、ずっと走っていたから肺をやられたのかも』とカグヤは言う。

「吸い込んだ冷たい空気で、肺が凍り付くような寒さだとは思えないけど?」

『それはレイがハガネで身体を保護しているからだよ。廃墟の街の冬は常に氷点下になる厳しいものだよ』

 私はカグヤの言葉に頷くと、男が人擬きによって負傷させられていないか、注意深く確認する。

 

 人擬きと対峙した際に気をつけなければいけない事は、人擬きの攻撃で傷を負わされることだ。もしも人擬きに噛みつかれたり、鋭い爪で引っ掻かれたりした場合、その人間は高い確率で人擬きウィルスに感染してしまう。負傷した状態を放置し適切な治療を行わなければ、ゆっくり人擬きに変異していき、最後には感情の無い人喰いの化け物に変わる。


 廃墟の街に生息する多くの人擬きが、そうやって誕生した個体だった。彼らは人擬きとの戦闘を生き延びることが出来たが、何かしらの方法で人擬きに傷付けられた事で、人擬きウィルスに感染し、そして人擬きに変異した個体だった。それらは人擬きの二次感染体と呼ばれる個体でもあった。

 遥か以前から廃墟を彷徨っている個体と、二次感染体を区別するのは簡単だ。初期の人擬きは、長い時間を掛けて変異を続けた事で、グロテスクな人間離れした姿をしている。また衣服も身につけていない。数世紀も廃墟を彷徨ってきた所為で、彼らの衣類は擦り切れ、ぼろきれになって失われているからだ。


 そしてもうひとつ決定的な違いがある。遥か以前から廃墟を彷徨ってきた人擬きは『巣』と呼ばれる特定の住処を持ち、夜間に行動し、暗闇にまぎれて人々を奇襲することを好む。しかし二次感染体は住処を持たず、廃墟の街を昼夜を問わず彷徨っている。愚鈍で本能の赴くままに行動するので、その行動は予測しやすい。


 この人間を襲ったのは、変異が進んだ二次感染体の人擬きだった。

 瀕死の状態だった男は私に何かを話そうとしていたが、苦しそうに血液を吐き出して絶命した。

『雪に潜んでいた人擬きに遭遇したのかな』とカグヤが言う。

「不運だったな……彼が何か持っていないか確かめてみよう」

 私は死体を検める。男の背負っていたバックパックには、彼の持つサブマシンガンの予備弾薬が幾つかと、携帯食だけしか入っていなかった。

『身元を示すIDカードや、携帯電子端末も所持していないみたいだね』

「それなら」と私は言う。「彼は鳥籠の組合に登録していない同業者なのかもしれないな」

『野良のスカベンジャーってこと?』

「そうだ」


 我々が『鳥籠』と呼んでいる場所は、旧文明期の遺跡周辺につくられた集落の名称で、危険な廃墟の街で人々が安全に暮らし、安らぎを得られる数少ない場所だった。鳥籠に残されている遺跡は様々で、たとえばジャンクタウンと呼ばれる鳥籠には、かつて横浜第十二核防護施設と呼ばれていた避難施設と、軍の物資備蓄施設が存在していた。それらは旧文明の高度な科学技術で建造され、旧文明の不死者と呼ばれていた人類がいなくなった世界でも機能し、人々の生活を支え続けていた。その鳥籠の規模は様々で、数千人が暮らす大規模な鳥籠もあれば、数世帯の家族が隠れるようにしてひっそりと暮らしている鳥籠もある。


 カグヤの操作する偵察ドローンが何処からともなく姿を見せる。

『何処かに彼らの隠れ家があるのかな?』とカグヤが言う。

 私は球体型の小さなドローンを見ながら肩をすくめた。

「分からない。この辺りに来るのは初めてだからな」

『そう言えばそうだったね』

 我々の視線の先には、死んだ男の足跡が大通りに向かって延々と続いていた。

 この天候では気休めにしかならないが、私はライフルの弾薬を火炎放射に切り替えると、男の死体と共に人擬きの死骸に火をつけた。それから男の足跡を辿るようにして廃墟の街を進んだ。


 しばらく進むと、死体の側に屈み込んでいる複数の人擬きと遭遇した。

『さっきのスカベンジャーの仲間かな?』とカグヤが言う。

「それを今から確かめる」私はそう言うと、ライフルを素早く構えた。「カグヤ、周囲に敵性生物がいないか偵察してきてくれ」

『了解』

 カグヤのドローンが周囲の環境に溶け込むようにして姿を消すと、私は人擬きに銃弾を撃ち込んで一体ずつ処理していった。人擬きは二次感染の個体だったので、簡単に対処出来た。私は人擬きが立ち上がってこちらに向かってくる前に全ての個体を処理できた。


 腹を裂かれて内臓を喰われていた人間は、殺されてから僅かの時間しか経っていないのか、彼らの内臓からは湯気が立っていた。私は死体を検めたが、先程の男同様、彼らの荷物にも目立ったものは無かった。私は名もなきスカベンジャーたちの死に溜息をつくと、カグヤのドローンが戻ってくるのを瓦礫の側で待った。


 誰もいない雪の降る廃墟の街にいると、まるで崩落した鉱山に取り残された坑夫の気分になった。そこでは僅かな空気を節約する為に、坑夫たちが身を寄せ合うようにして暗闇の中で周囲の音に耳を澄ませている。そして岩盤が軋むたびに彼らは息を呑む。それは死の音だ。彼らの命を簡単に擦り潰すことの出来る死の音。

 雪がこの地にもたらした沈黙の世界で、私は耳を澄ませた。

 倒壊した建物の何処かで降り積もっていた雪が、大きな塊になって落ちると鉄骨が軋んだ。

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