第358話 空間転移 re


 薄暗い水槽のなか、それまで青藍色の発光を繰り返していた〈ブレイン〉たちが、ふと発光しなくなる。すると神経細胞にも似た集合体の中心にいた〈ブレイン〉が、一際強い輝きを放つようになるのが見えた。


 それに呼応するように、黄色や黒のケーブルでつながれていた個体が強い光を発していくと、皺だらけの脳を思わせる胴体が、縦に裂けていくようにして開いていくのが見えた。たちまち〈ブレイン〉の周囲は赤黒い体液や肉片らしきモノで汚れていく。しかし漂っていた体液は水流にのってすぐに四散し、水槽内は清潔に保たれる。


 そして〈ブレイン〉のグロテスクな死骸から、あの〝遺物〟が姿を見せた。それは灰色の石にも見える〝リング〟の状態が維持されていて、以前の状態と変化していないように見えた。


 我々と〈ブレイン〉の群れを隔てる水槽の特殊ガラス、そのすぐ近くにいた個体は、浮き沈みすることなく漂っていた遺物のそばに向かって泳いでいく。そして脊髄神経にも似た触手を伸ばし、まるで手で掴むようにして遺物に触手を絡みつかせていく。


 それからブレインは遺物を持ってこちらに向かって泳いでくる。

『でも、君に知っていてほしいことがあるんだ』


 青年の声が薄闇の向こうから聞こえてくる。

『僕らは誠意をもって、この遺物の解析を進めてきたけれど、これがどのような原理で〈空間転移〉を可能にするのか分かっていないんだ』


「待ってくれ」と困惑しながら言う。

「それを所有していた化け物が、空間のゆがみを利用して〈混沌の領域〉に続く〈神の門〉を開いたことは知っている。でも、それがどうして〈空間転移〉の話につながるんだ」


『どうしてって……』女性の声が聞こえる。

『その化け物がしていたことが、まさにその〈空間転移〉だったからだよ』


 ブレインの触手が絡みつく遺物を見つめて、それから頭を横に振った。

「そうだったな……すまない。動揺していたんだ」


『動揺? 何に?』

「〈空間転移〉に似た現象は何度か見たことがある。それはまさに奇跡と呼べる類の現象だったけど、人類がその技術を確立していた事実に驚かされたんだ。そしてソレよりも優れた技術があることを聞かされて、さらに動揺した」


『さっきも思ったんだけどさ、それは何の冗談?』感情のない声で青年が言う。

『原理や技術に関してはともかく、〈不死の子供〉が〈空間転移〉そのものについて知らないはずがない。君たちは地上でも宇宙でも〈空間転移〉を多用していたし、〈空間転移〉が引き起こした事故の解決にも君たちの部隊が派遣されていたことは知ってる』


「事故?」思わず首をかしげる。

『……そう言うことか』と〈ブレイン〉は勝手に納得する。

『それも人類お得意の機密事項とかいうやつなんだね』


 記憶喪失について隠していたことを思い出して、それから適当に言葉を並べて取り繕う。

「所属していた部隊が違ったんだ。俺の部隊では〈空間転移〉を使用しなかった」


『でも君は混沌の気配をまとっている。それは君が異界に関係のある人間だという証拠でもある。それなのに、君は〈空間転移〉について知らないと言う。それは可笑しくないか?』


「異界を探索する特殊部隊の兵士だからといって、上層部の人間が何を考えているのかまでは分からないよ。それに、現場に出ている兵士に軍の機密情報なんて知りようがない」


『そうかな……』

『そんなことより』と若い女性の声がする。

『いい加減、研究に関しての報告をしましょうよ』


『そうだね。気になることはまだあるけど……とにかく、この遺物を使うことで君は自由に〈空間転移〉することが可能になる』


「どうやってその遺物を使うんだ?」

『待って』と女性の声が聞こえる。

『ちゃんと説明をするから慌てないで』


 すると幼い男の子の声が聞こえてくる。

『えっとね、今も遺物の解析は終わっていないんだ。だから僕たちにも分からないことはたくさんあるんだ。それでね、研究はまだ途中だから遺物の能力の一部しか使えないんだ』


『そう言うことだ』と、青年が無愛想に言う。

『今はまだ限定的な使い方しかできない』


「限定的っていうのは……?」

『あなたのお人形さんから――』と、女性の声が答えてくれた。

『あなたが混沌の生物と戦ったときの映像を見せてもらった』


『お人形さんじゃないよ』と男の子が言う。

『ペパーミントだよ。ちゃんと名前で呼ばないと、また喧嘩になっちゃうよ』


『そうだったわね』と女性の素っ気無い返事が聞こえた。

『その〝ペパーミント〟に映像を見せてもらったの』


「それで? その映像を見て何か分かったんだ?」


『とにかく興味深い映像だった。森の様子や、豹の頭を持つ人型の生物、それに二足歩行する大きな蟻。でも私が一番驚いたのは、混沌の生物がいかにして遺物を使用していたのか……戦闘の結末を見せてくれなかったのは残念だけど、それでも貴重な情報を手に入れられた』


「そうか」

『やっぱりあなたはせっかちなのね。でもいいわ、結論から言えば、あなたは自由に空間を移動することはできるけれど、あの混沌の生物とまったく同じことはできない』


『〈空間転移〉するために特別な装置が必要になる』と青年の声が続いた。『君にも分かり易いように説明すると、君はその遺物を使って、いつでも何処でも、自由に空間の歪みを発生させることができる。その超自然的な歪みは、君が〈空間転移〉するさいに使用する入り口のことだ。でも出口は固定されたものを使用する。その遺物と共鳴する特殊な物質を使用して製造された装置に向かって、君は〈空間転移〉することになる』


 私は腰掛けていたコンテナボックスから立ち上がると、水槽に近づくように歩いた。

「その〈空間転移〉を使用することで、何か問題は発生するのか?」


『問題?』と男の子の声がした。

「ああ、空間をまたいで移動するたびに、新たな宇宙を創造したりするような、そんな馬鹿げたことをしないで済むのか知りたいんだ」


『君にたずねたいことがある』青年が得意げに言う。

『君は〈ワームホール〉について何を知っている?』


 水槽のなかで漂う〈ブレイン〉を睨みながら言う。

「俺は科学に疎い人間だ。でもだからと言って馬鹿な人間じゃない。お前は見下す相手を間違えているよ」


『そうだね。誰にでも不得意なものはある。君たち〈不死の子供〉は創造するよりも、壊す方が得意だからなね』


「どれくらい壊すことが得意なのか、その身で試す気になったらいつでも言ってくれ。協力は惜しまない」


『彼のことは気にしないで』女性の声が聞こえると、青藍色に発光していた〈ブレイン〉が近づいてくる。『あなたは遺物によって生成されたたトンネルを通って、瞬間的に空間を移動するだけ。だから別の宇宙は誕生しない。でもあなたの行動で宇宙が創造されなくても、宇宙は今この瞬間にも無限に誕生し続けている。だから気にすることなんてひとつもない』


「そのトンネルは――」と質問をした。

「どこかに設置される装置につながるんだったな?」


『ええ、そうよ。私たちはその装置のことを〝転移門〟と呼称している。装置の詳細な情報や設計図はペパーミントが持っている。だからあとは彼女がやってくれるはず』


「その〈転移門〉の危険性について、もう一度教えてくれないか」


『安心して、事故は起きないわ。人類が使用していた不安定な〈空間転移〉と異なり、異次元や異界につながる〈神の門〉が出鱈目に開くことはない。今のあなたがこの遺物を使ってできることは、空間の歪みを利用して開いた〈転移門〉の間を行き来するだけ。


『でも、そうね――』と、彼女は続ける。『あなたが使用している〈転移門〉の装置を、もしも誰かが破壊してしまったら、〈転移門〉は強制的に閉じて、あなたの手足は切断されるかもしれない。けど身体の予備を幾つも持っている〈不死の子供〉なんだから、それは問題にならないでしょ?』


 薄暗い水槽の奥から巨大な〈ブレイン〉が姿を見せると、水槽内に漂っていた死骸の周囲に無数の〈ブレイン〉が集まるのが見えた。そして触手を使い死骸からケーブルを引き抜くと、大きな〈ブレイン〉の胴体にケーブルの先端を突き刺すようにして無理やりつなげていく。


 無数のケーブルが絡みついていた〈ブレイン〉が皺だらけの身体を痙攣させると、無数の〈ブレイン〉がその個体の周囲に集まってきて互いの触手を絡ませていく。


 新たに誕生したニューロンのような集合体を眺めていると、遺物を所持していた〈ブレイン〉が、集合体の中心にいた大きな〈ブレイン〉の胴体に異物を接触させるのが見えた。すると遺物は〈ブレイン〉の肉体に食い込むように埋まっていき、やがて見えなくなった。そして〈ブレイン〉の集合体は情報を交換するように、あちこちで光の点滅を繰り返した。


『研究は続けさせてもらうよ』と、青年の声が聞こえる。

『だけど君に信用してもらうために少し無理をした。これからはゆっくり遺物の研究を進めていくことになる。解析が進んで遺物の正体が理解できれば、いずれ装置の設置を必要とせずに〈転移門〉を自由に開くことができる。だから今はそれで我慢してくれ』


「我慢も何も、今でも驚異的な代物だ」


『ちなみに〈転移門〉の出口に設置される装置を動かすためのソフトウェアは、すでに完成している。君の人形――ペパーミントに協力してもらって〈データベース〉から拾ってきたり、新たに書いたりしたコードで動くようになっているんだ。だけど一度も動作しているところは見ていない。だからこの場で〈転移門〉を開いて見せてくれ。僕たちはそこで得られるデータを使用して、ソフトウェアの改善を行う』


「ここで〈転移門〉を開くのか?」


『ああ、そうだ。出口として機能する装置は、すでに転移先に設置されているはずだ。ペパーミントに手配してもらったからね。その装置が完全な状態で動作しているのなら、君は何処にいても〈転移門〉を開くことができるはずだ』


 ペパーミントはショルダーバッグから別の遺物を取り出しながら言う。

「この遺物を身につけてほしい」


 彼女が手にしていたのは、完全な状態で回収していたもうひとつの遺物だった。その遺物には、光を発する小さな装置が取り付けられていた。


「こいつを身につけるのか?」

 石で作られたような、何の変哲もない〝リング〟を見ながら訊ねる。


「そう。〈転移門〉の出口として機能する装置は、この遺物と対になるように、同様の物質で製造されている。だからこの遺物でなければ、〈空間転移〉はできない」


「〈ブレイン〉たちが研究に使用している遺物では、〈空間転移〉はできない?」

「ええ。そこは人間の指紋と同じよ。それぞれの遺物は微妙に異なる物質でつくられている。だから〈ブレイン〉たちの持つ遺物を使って〈空間転移〉するには、その遺物に対応した装置が必要になる」


「だから〈ブレイン〉たちは遺物を使用することはできない。そういうことだな」

「そう言うこと」


「左手首には〈ハガネ〉の腕輪があるから、右腕がいいのかもしれない……」


 ペパーミントから遺物を受け取ると、右腕をその遺物を通すように嵌める。すると遺物は一瞬だけ金色の輝きを取り戻し、そして収縮していき、ヤトの刺青がある場所の少し上、前腕の中ほどの場所にピタリと張り付くように固定される。


 通知音が内耳に聞こえると、インターフェースに〝リング〟に関する操作項目が表示される。それと同時に遺物に取り付けられていた装置がポロリと地面に落ちるのが見えた。その装置には私と遺物をつなぐための何かしらの役割があったのだろう。


『言い忘れていたことがある』青年の声が何処からか聞こえた。

『その遺物を使用できるのは、混沌に関係のあるものだけなんだ。だから君がそれを使用するさいには、予期しない問題が発生するかもしれない』


「問題?」

 すぐに青年の笑い声が聞こえる。

『当然でしょ? それを使っていた生物は、明らかに混沌の勢力に属する化け物だった。そんな得体の知れないものを使うんだから、問題のひとつくらい起きるさ』


「問題が起きるなんて聞いていないんだけど」ペパーミントがブレインたちを睨みながら言う。「私に隠し事をしていたの?」


『うっかりしていたんだ。それで話すのを忘れただけだよ。隠し事はしていない』

「どんなことが起きるの?」


『〈不死の子供〉の肉体に宿る生気を利用して、化け物たちが支配している領域に続く〈神の門〉が開いてしまうかもしれないし、そのまま生気だけを遺物に取り込まれて、ミイラのように干からびて肉体を失うかもしれない。もしかしたら、〈不死の子供〉があの映像で見た醜い化け物に変異するかもしれない……それはそれで面白い事象が観測できるかもしれないから、楽しみなのは変わらないけれど』


「ふざけないで!」

『ふざけてないよ。君だって〈混沌の遺物〉を利用する危険性は認識しているはずだ。〈空間転移〉なんて得体の知れない能力を、何の代価もなしに利用できるなんて、まさか考えていないよね?』


 右腕に装着した遺物を外そうとするが、ピタリと皮膚に張り付いていて動かすことができない。


『腕を切断するしかなさそうだね』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、ペパーミントは私を睨んだ。

「今は冗談を言っている場合じゃない」と彼女は言う。


「安全性が確認されるまで、使用しなければいいんじゃないのか?」

 私がそう言うと、青年の苦笑が聞こえる。


『すぐにソフトウェアの改善が行えるように、出口になる装置は起動するように設定していたんだ。だからもうすぐ〈空間転移〉のための〈転移門〉が強制的に開く、君の視界にはきっと装置が設置されている場所が表示されているはずだよ』


 たしかにインターフェースには、横浜の拠点に転移するための項目が表示されていた。

『あれの言ってることは本当なの?』

 カグヤがペパーミントに訊ねると、彼女はコクリとうなずいた。


 すると腕に接していた遺物の裏面から何かが飛び出して、腕に深く突き刺さるのが分かった。その余りの痛みに思わず膝をついた。原因は分からないが、痛覚を制御するナノマシンが機能していなかった。


「レイ!」

 ペパーミントは慌てて私のそばにしゃがみ込んだ。


 彼女に「大丈夫」だと口にしようとしたが、痛みの所為で思考が混乱していて、すぐに返事をすることができなかった。

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