第345話 侠気〈ワスダ〉re
地面に横たわっていた男性からアサルトライフルを奪い取ると、弾倉を抜いて残弾を確認し、ついでにチェストリグに挿していた弾倉も回収する。
そのライフルを手に鉄格子の向こう、薄暗い通路に視線を向けると、私に対して敵意を抱いている人間の存在が確認できた。〈ジャンクアリーナ〉の壁を透かして見えていた集団は、全身に敵意を示す赤紫色の
観客席に視線を戻すと、警備隊長のワスダがフィールドに向かって飛んでくるのが見えた。軍用規格の高性能な義足を使用しているのか、ワスダは人間離れした脚力を持っていた。あるいは、過剰に身体改造した〝サイボーグ〟なのかもしれない。
「俺はな」と、見事な着地を決めたワスダが言う。
「旧文明期以前のコメディ映画を見るのが好きなんだ。分かるか?」
「いや」と私は頭を振る。
「俺はドキュメンタリー映画が好きだ」
「そうか」ワスダは苦笑する。「まぁ、とにかく聞いてくれ。この間、俺が見た映画は、山の生活に退屈した獣が街にやってきて、色々と騒動を巻き起こすって感じの映画だった」
「それで?」と、ライフルのチャージングハンドルを引きながら言う。
「その映画では、都会の喧騒に紛れ込んだ獣を追う間抜けな人間たちの姿を、面白可笑しく描いていたんだ」
私はワスダにちらりと目を向けて、それから
「結局、その獣はどうなったんだ?」
「獣は街に暮らす人々を翻弄しながら、やりたいことを好き勝手にやって、最後には馬鹿な人間たちを嘲笑うようにして山に帰っていったよ」
「それは面白いのか?」
「俺は当事者じゃないからな」とワスダは空を仰ぎながら言った。「遠目に見ている分には、面白かったよ。笑わせてもらった」
地面に倒れた隊員たちに視線を向けて、それから訊ねた。
「部下が〝獣〟に翻弄されながら、殺されていく姿を見るのは面白かったか?」
「いや、まったくつまらなかったよ」
ワスダはそう言うと、
「それで……山に逃げ帰れなかった獣はどうなると思う?」
「ここで殺されるだろうな。惨めに。まるで化けネズミのガーニーみたいにな」
「やっぱりそうなるのか」
予想できていたが、うんざりしながら溜息をついた。
「言っておくけど、俺はな、まったく違う展開を望んでいたんだ。いや、マジで。でもな、〈ジャンクアリーナ〉の稼ぎを全部盗られちまったからな。連中の抑えが効かなくなったんだよ。今年の稼ぎくらい、お前にくれてやれって言ったんだけどな、忠告を聞こうとしないんだ」
彼の言葉が理解できず顔をしかめると、ワスダは「やれやれ」と頭を振った。
「しらばっくれても無駄だ。どうやったのかは分からないが、お前が受付の端末を操作して賞金の設定を変更したことは分かっているんだからな」
「見張られていたのか?」
『そんな形跡はなかったけど……』カグヤの声が内耳に聞こえる。
「いや、見張りはいなかった」と、ワスダはニヤリと笑みを浮かべる。
「けど金を盗られたのは事実だからな。大事なのは結果なんだ。分かるだろ?」
「ああ、分かるよ」
「ところで、お前の斧はどうなってるんだ。人間の腕を骨ごと切断できるような代物じゃなかった」
ワスダがこちらに近づきながらハンドアックスに手を伸ばすと、私は反射的に身体を後ろに引いた。するとワスダの拳がこめかみに向かって飛んでくるのが見えた。
攻撃を予測していた私は拳の軌道を視線で追いながら、ワスダの伸びた右手首を
しかしワスダの背中が堅い地面に叩きつけられる前に、私は謎の衝撃波を受けて彼の腕を離してしまう。衝撃で後退り、顔を上げると地面に膝をついたワスダの姿が見えた。
「危ねぇなぁ!」ワスダが怒鳴る。
「もう少しで大事なランドセルを台無しにするところだったぞ」
「手を出すのが悪い」そう言って瞬きをした次の瞬間、ワスダの姿が目の前から消えていて、私の首元に鋭利な刃物が当てられていた。
「このまま押し込むだけでお前を殺せる」かれは静かな声で言う。
「それはどうだろう」と、肩をすくめてみせた。「俺の戦闘服は特別なんだ。半端な刃物じゃ切断することもできない」
「その戦闘服は、この距離で対戦車用の弾丸を受けたらどうなる?」
私が黙り込んでいると、ワスダは柔らかい笑みを見せる。
「冗談だよ、ちょっとしたお遊びだ。俺もまさかあんなに綺麗に投げられるとは思っていなかったからな、ついカッとなったんだ。分かるだろ?」
ワスダの特徴的な義手が変形していて、右腕の前腕から銀色の反った刃が出現していた。私の脇腹に添えられていた手に視線を落とすと、左腕も変型していて、手のひらに穴が開いていて、砲口らしき箇所が青白く発光しているのが見えた。
「刃物は使わないんじゃなかったのか?」
そう訊ねると、ワスダは鼻で笑った。
「こいつは俺の身体の一部だからな、刃物の内に入らないのさ」
「詭弁だな」
私はそう言うと、ハンドアックスのハンドルを握り直した。
「そう言うお前はどうなんだ?」
「俺がなんだ?」
「その斧を細工してるのは分かってるんだ」
「何でも知っているんだな」
「言っただろ? 俺は特別なんだ」
ワスダはそう口にしながら、ゆっくり距離を取る。
「さっきの話だけどよ、詳しく聞かせてくれないか?」
ワスダは腕をもとの状態に戻しながら言った。
「どの話だ」
「おめえの正義の話に決まってんだろ。理由が聞きたいんだよ」
「それを知ってどうなる?」
「俺はお前のことを諦めちゃいないんだ。だから俺の提案を蹴る理由をハッキリさせたい」
「お前たちが悪者だからだよ」
そう言うと、カラス型偵察ドローンとカグヤが操作するドローンから受信する〈ジャンクアリーナ〉周辺の映像を素早く確認する。
「悪者だと?」ワスダの顔が歪む。「くだらねぇこと言ってんじゃねぇぞ。何が悪だ。善悪なんてものは立場で変わるんだよ。俺は、俺の正義のために働いている。てめぇだってそうだろ?」
「いや」と、私はキッパリ言う。
「俺はあんたたちみたいに、無垢な人間を
「無垢な人間だとぉ?」
「弱者のことだよ。言わなくても分かっていると思うけど、お前らは自分たちの利益のために弱者を食い物にしている」
「だからどうした。少なくとも俺たちは連中に――廃墟で人擬きに喰い殺されるしか能がないような連中に仕事を与えて、安全に眠られる場所と、糞を垂れるための食事を与えてやってるんだ」
「それこそ詭弁だな」そう言うと、観客席に潜んでいた警備隊の人間に標的用のタグを貼り付けていく。「お前たちは、自分の理想を弱者に押しつけて、くだらない善意に酔いしれているだけだ」
ワスダは一瞬、険しい顔で私を睨んだが、すぐに冷淡な笑みを浮かべる。
「お前は違うのか?」
「違うな」と頭を横に振る。「まったく違う。俺は地獄から救い出した人間を、また地獄に放り込むようなことはしない」
「そいつは仕方ない。俺たちはそう言う世界で生きているんだ。俺たちみたいなヤクザ者が隙を見せたらお終いなんだよ。分かるだろ? 血気盛んな連中がやってきて喰われちまう」
「まるで神父を相手しているみたいだ。言い訳だけはしっかりしている。あれもこれも悪魔の
ワスダはワザとらしく大きな溜息をついた。
「お前には分からねぇよな、しがらみをもって生きてねぇもんな。結局、お前は所属してる集団に対して責任を持ったことがない。だからそんなことが言えるんだ」
「責任なら持っているつもりだ」すぐに反論する。
「いや、持ってねえな。なら聞くけどよ、お前の所属する組織の人間が他所の野郎に傷つけられたらどうする?」
「報復をする。二度と手が出せないように徹底的に」と私は即答する。
「もちろんケジメをつけさせるよなぁ、お前はそういうやつだもんな。でも、相手にも家族がいるかもしれない。そいつらはお前の言う弱者だ。その弱者も殺すんだよな? 違うとは言わせねぇぞ。だってそうだろう、稼ぎ頭を失くして、この世界でどうやって生きていくんだ?」
「それは――」
「ああ? 聞こえねぇな。ハッキリ言ってくれよ。結局、正義のヒーローさまも外道の鬼畜生でしたってな」
ワスダの明滅を繰り返す瞳をじっと見て、それから言った。
「たしかにワスダの言うことは正しいのかもしれない。俺にあんたらを悪者だと罵る筋合いはないのかもしれない」
「そうだろ? おめぇだって大事な仲間を破門にできねえもんな。よそで揉め事を起こしても、しっかりと面倒見ねえといけないもんな! てめぇも俺たちも同じなんだよ。そこんところ、分かってくれよ」
「いや、それは違う」と私はキッパリ言う。「お前たちは自ら問題を起こしている。俺があんたらを悪と決めつけられないのは、この鳥籠にいる全員がお前たちと同じ人間だと言い切れないからだ。この鳥籠で生活していても、まっとうに商売をしている商人もいるからな」
「はぁ」とワスダは気の抜けた返事をする。「何度言っても分からねぇ野郎だな。それが俺たちのやり方なんだよ。〝侠気〟なんて古臭い考えは誰も持ってねぇんだよ。でも仕方ないだろ。俺たちが生き残るには必要なことなんだよ。分かるか? この世界に適応した生き方をしていかないといけないんだ」
「堂々巡りだ」と私は言う。
「きっと俺たちが分かり合うことはない」
「俺はな」とワスダは言う。
「お前が本当は何者か知っているんだ。お前が今までやってきたこともな」
「奇遇だな。実は俺も自分が何者なのか、ずっと知りたいと思っていたんだ」
「知ってるか? 廃墟の街には〈五十二区の鳥籠〉と面倒事を起こして、その首を狙われているスカベンジャーがいるんだ」
「噂に聞く男だな。そんな人間が実在すると思うのか?」
「ああ。俺の娘がそいつの世話になっているみたいだからな」
ワスダはそう言うと、ニヤリと微笑んでみせた。
「娘?」と私は顔をしかめて、それから華奢な少女の姿が頭を過る。
「リリーのことを言っているのか?」
「ああ」
「親は地下施設の清掃員って聞いていたけど、あれは嘘だったのか?」
「いや」とワスダは頭を振る。「本当のことだ。あの子の親には借りがあった。だから彼女を保護するためにこの鳥籠に来た」
闘技場の至るところを飛んでいた昆虫型のドローンに視線を向ける。ソレは我々の周囲を飛び交っていたが、会話を記録している様子はなかった。
「外から来た人間を監視するために、娘を使っているのか?」
「いや、そいつは偶然だ」
薄暗い通路に潜んでいる隊員たちを見ながら言う。
「リリーが危険な鳥籠をひとりで散歩していたわけが分かったよ。警備隊長の娘なら、誰も手出ししないからな」
「部下に監視させているから安全なんだよ」ワスダはつまらなさそうに言う。「それより、ベン・ハーパー。いや、〝レイラ〟って呼んだほうがいいか?」
「いつから気づいていたんだ」
「初めからだ。お前は顔を隠そうとしていたみたいだが、入場ゲートを通ったときには、すでに部下がお前の存在を確認していた」
「間抜けだな」
「ああ。間抜けな野郎だ。はじめからそのマスクをつけてりゃ、誰にも気がつかれなかったのにな」
「それで――」と私は言う。
「賞金首のレイラはこれからどうなるんだ?」
「レイラはどうにもならない」とワスダは言う。
「あんたの存在に気がついているのは、俺の直属の部下だけだからな」
「そうか」
「でも〝ベン・ハーパー〟はダメだ。連中の関心事は、ベンに奪われた金にあるからな」
ワスダがそう言うと、彼の姿はぼんやりとしたものに変わっていき、ついには姿そのものが見えなくなった。
『〈環境追従型迷彩〉だと思っていたけど、熱光学迷彩の類なのかも』と、観客席に向かって動く幽霊のような影を拡大表示しながらカグヤが言う。『全身に特殊な皮膚を移植したのかな?』
「わからない」
そう答えると、通路の奥から雪崩れ込んできた警備隊に銃口を向けて射撃を行う。しかし灰色の作業着に黒いボディアーマーを身につけた集団は、全員がシールドを発生させる特殊な装備を身につけていて、銃弾は無効化されてしまう。
「マズいな――」
突然、頭部に凄まじい衝撃を受けて地面に転がる。観客席に潜んでいた隊員の中に狙撃手がいたのかもしれない。起き上がろうとすると数百発の銃弾を浴びせられる。
シールドを維持できなくなった
ボディアーマーを装備していない集団がやって来て、何を血迷ったのか、刃物やら鉄棒で私を袋叩きにする。マスクに食い込んでいた弾丸が〈ハガネ〉に吸収されていくのを待ちながら、しゃがみ込んだままじっと攻撃に耐える。
インターフェースに表示されていた〈ハガネ〉の項目を確認し、ある程度のエネルギーが蓄えられたことを確認すると、そのエネルギーを一気に解放した。すると私を中心にして、凄まじい衝撃波が放射状に広がり、私を取り囲んでいた隊員たちの身体をズタズタに引き裂いていくのが見えた。
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