第344話 賭け試合 〈異界〉re


 闘技場のフィールドに足を踏み入れると、昆虫型の小さなドローンが何処からともなく飛んでくる。それらのカメラアイが私に向けられると、〈ジャンクアリーナ〉に設置された巨大なスクリーンに私の姿が表示される。


 拡張現実で表示していたインターフェースを見ながら、周囲を飛び回るドローンの操作を試みるが、どうやら私が所持するのとは別の端末で制御されているのか、操作はまったく受け付けなかった。


 小型ドローンの操作を諦めると、化けネズミのガーニーが横たわっていた場所に視線を向ける。しかし死骸は片付けられていて、赤黒く広がっていた血溜まりにも砂が被せられていた。同様に地面をのたうちながら動き回っていた寄生虫の姿も見えない。


『寄生虫の処理は済んだみたいだね』

 内耳に聞こえるカグヤの声にうなずいたあと、人気ひとけのない観客席に視線を向ける。


「〈ジャンクアリーナ〉は連中の大事な収入源になっているみたいだからな、管理は徹底しているんだろう」


『賭け試合で溜め込んできた収入の大部分を、誰かさんに奪われようとしているけどね』

 私は肩をすくめると、鉄格子で閉鎖された薄暗い通路の向こうに目を向ける。


『それにしても、誰も来ないね』

「そうだな」


 顔中にピアスをしていた男性にアリーナまで連れて来られたが、対戦相手の姿はおろか、警備隊の姿も確認できなかった。


『レイを襲うための算段をつけるのに忙しい、とか?』

「計略を練る集団には見えなかったけど」


『きっとインテリレイダーの集まりなんだよ』

「それは嫌な集まりだな」


 空を仰ぐと、雲ひとつない秋の透き通った綺麗な青空が見えた。

「なぁ、カグヤ」と、〈ジャンクアリーナ〉の高い壁の先に止まっているカラス型偵察ドローンを見ながら言う。「ハクとマシロがどこにいるのか、分かるか?」


『ちょっと待ってね……』彼女はそう言うと、拡張現実で表示されていたインターフェースに周辺地図を表示する。『今は……倒壊した建築物の辺りにいるみたいだね』


 地図上で点滅を繰り返す青い点を見つめながら言う。

「この鳥籠に来るときに通ったトンネル状の建築物だな……」

『そう。地下深くに恐ろしい生物が潜んでいるってレイが言っていた場所だね』


「あんなところでハクたちは何をやっているんだ?」

『さぁ? 危険な遊びをしていなければいいけど』


 闘技場のフィールド全体を見回すように視線を動かして、それからカグヤに言った。

「ハクと話せるか試してみるよ」


『レイとハクの間にある、あの不思議なつながりを使うの?』

「そうだ。それで少し集中するから、アリーナで何か動きがあったら知らせてくれるか」


『了解。周囲を見張ってるね』

 カグヤがそう言うと、ベルトポーチから偵察ドローンが出てくる。


 光学迷彩を使用して姿を消していくドローンを確認したあと、瞼を閉じて集中し、瞼の裏に見えている暗闇に意識を溶け込ませていく。すると闘技場の壁や廃材の軋む音、乾燥した空気を運ぶ風の音が聞こえなくなっていく。


 ふと瞼を開くと、恐ろしげな暗闇の中に立っていることに気がついた。自分の存在もあやふやで不確かな場所に、青白く発光する淡い光源が見えてくる。朧気で、それでいて儚い光は細い糸のように闇に向かってすっと伸びている。


 それがハクと私をつなぐ糸なのだと瞬時に理解する。理由は分からなかった。しかし夢を見ているときに、初めて訪れる場所であるのにもかかわらず、周囲の状況をハッキリと認識し、夢の中の出来事を理解できるように、私にはそれが何を意味しているのか分かった。この糸を辿たどればハクに会えるのだ。


 暗闇の中を歩いていると、私を取り囲む闇に無数の〝何か〟の気配を感じる。それらはこちらの様子をうかがうように、息を潜めてじっと私を見つめている。それらの気配に気がついていないフリをしながら闇の中を歩いた。


 そこに潜むものたちの正体は分からなかった。しかし少なくとも、彼らの標的になっていることは分かった。油断してしまったら、途端に肉を裂かれ、骨を砕かれ、魂の最後の一滴まで絞り出すまで私を喰らい尽くすことだけは分かっていた。古の時代より、深い闇の底にうずくまっているものたちは、そういう存在だった。


 ぼんやりとした闇の奥を眺める。すると闇そのものが網膜に不定形の存在を映し出す。不定形の存在はしばらくすると音もなく崩れ、別の存在があらわれる。まるで世界の果てのように静止した空間の中で、深淵に潜むものたちが映し出す不気味な闇だけが動いていた。


 淡い光を放つ糸に視線を向けると、ひたすら歩いた。その間も、闇の中では不定形の存在が現れては消えていった。朧気な光と闇の間隙を縫って〝何か〟が私に手を伸ばそうとしたとき、糸の先に淡い光をまとう神秘的な子どもの姿が見えた。


 それは幼い女の子だった。少女は真っ白な肌をしていて、皮膚のあちこちに赤い斑点模様があるのが見えた。輝きを帯びた頭髪は真っ白で、腰まで伸びていた。衣類は何も身につけていなかったが、彼女の小さな肩には、真っ白なカイコが止まっていて、そのカイコが翅をゆっくり動かすたびに淡い光の波紋が広がっていくのが見えた。


 私はそっと女の子のとなりに立つ。彼女は私を見上げると、にっこりと微笑む。そして何かに気がついたように、彼女は深紅の瞳を闇に向ける。


 彼女の視線を追うと、深い闇の中でうごめく巨大な生物の姿が見えた。それは青い蛍光色を全身に帯びていて、闇の中にうっすらと輪郭を浮かび上がらせていた。


 その生物の巨体に驚いていると、それは身体の先端をめくるようにして開いていく。すると粘り気のあるヌラヌラとした体表の奥に、人間の身体よりも遥かに大きな牙が円形状に並んでいるのが見えた。生物はぱっくりと開いた口腔を我々に向ける。


『レイ』

 カグヤの声がしてまた瞼を開くと、視線の先にある鉄格子が開いて警備隊の人間が歩いて来るのが見えた。私は息をゆっくり吐き出して、気持ちを落ち着かせる。


『ハクとは話せた?』

「いや、話せなかったよ。でも不思議な体験ができた」


『そっか。でも今はインテリレイダーたちに注意しないといけないから、あとで何を見たのか聞かせてね』


「待たせたな、ベン」と、銀に柿色の塗装がされた特徴的な義手を装着したワスダが言う。「試合の準備に手間取っていたんだ。分かるだろ。あの虫どもが大量に飛び散ったからな、付近一帯の掃除が必要だったんだ」


「分かるよ」と私は適当に相槌を打つ。

「俺も寄生虫を見かけたら殺さずにはいられないから」


 ワスダは私の嫌味に答えるようにニヤリと笑みを浮かべると、彼の背後に立っていた警備隊員を指差した。


「あいつら全員と戦ってもらう」

 ワスダが背負っていた赤いランドセルにちらりと目を向けて、それから警備隊に視線を向ける。


「武装した隊員を五人も相手をしなければいけないのか?」

「ああ。でも安心しろ、ベン。お前はガーニーを殺した男だ。人間くらい簡単に相手できるさ」


「あんたはどうなんだ?」


「俺か?」ワスダはカラスが彫られた自身の胸に手を当てる。

「俺は余裕さ、刃物もいらない。この身体だけで連中の相手ができる。俺は特別だからな」


 ワスダは義眼をチカチカと発光させながら近づいてくる。

「なあ、ベン。もう一度だけ聞くぞ。俺の仲間にならないか? お前が望むものを見返りとして与えてやる。ほしいのはやっぱり金か? それとも女か? 極上のクスリでもいい。お前は〝欲しい〟と言えばいい。そしたら俺が用意してやる」


「教えてくれ、ワスダ。それだけの見返りを得るために、俺は代わりに何をするんだ?」

「鳥籠の治安を守るんだ。俺たちの支配が続くように」


「治安ね」

「そうだ。ありとあらゆる最悪の事態に備えて、行動するんだ」


「魅力的な提案だ」

「そうだろ!」

 ワスダは笑顔になる。頭部に髑髏の刺青がなければ、ワスダの微笑みに人々は魅了されていたことだろう。


「けど――」と私は言う。

「俺は忙しいんだ。この鳥籠にはいられない」


「分かるよ」とワスダは顔をしかめた。

「俺も以前は嫌だったぜ。でも人は変わるものだ。そうだろ?」


「これは個人的な話だけど――」

「個人的な話は好きだ。聞かせてくれ」


「探し物があるんだ。俺が立ち止まっていたら、それを見つけることができない。それにこの場所にいたら、廃墟で救えるかもしれない人間を、助けを求める人々を救うことができなくなる」


「救う?」

 そう言ったあと、ワスダは堪えられずに笑い出す。

「待ってくれ、お前は、ベン・ハーパーは正義のヒーローだったのか?」


 ワスダが笑っているのを見ながら、カラスに周囲の様子を確認してもらう。やはり闘技場のすぐ外に武装した警備隊の人間が何人もいて、アリーナに突入する準備を進めていた。


「なぁ、ベン」ワスダは息を整えながら言う。

「お前は本当に正義のヒーローみたいなことをしているのか?」


「助けを求められたときに、何かしてやれることがあるなら、その時には手を差し伸べるようにしている」


「どうしてだ?」とワスダが真面目に言う。

「どうしてそんな無駄なことをする?」


「無駄?」

「だってそうだろ? ひとり助けたところで、他の場所ではふたり死んでるかもしれないんだ。ここはそう言う世界だからな。それでも誰かを救う価値があると思うのか? お前が助けた人間は、明日、死ぬかもしれないんだ」


「ただの自己満足だよ」と素っ気無く言う。

「いや、違うな。そんな理由で命を危険に晒す奴はいねぇ、もっと他の理由があるはずだ」


「理由?」

「そうだ。俺から与えられる報酬を蹴ってまで人助けを続けようとしているんだ。何か重要な理由があるはずだ」


 私が黙り込んで思考していると、ワスダの部下がやってきて耳打ちした。するとワスダは舌打ちしてから私に言った。


「またあとで聞かせてもらうことにするよ。こいつらはさっさとお前と殺し合いがしたいみたいだからな」


 ワスダが人間離れした脚力で観客席に向かって飛びあがると、灰色の作業着に身を包んだ警備隊の人間が前に進み出た。


「いつまでも突っ立ってんじゃねぇぞ!」観客席にいたワスダが叫ぶ。

「さっさと殺し合いを始めろ!」


 ワスダの声で思考を打ち切ると、眼前に迫っていた女性の攻撃に備える。と、後方から肩を掴まれる、反射的に振り返ると、目の前に迫っていた女性が降り抜いた鉄棒で側頭部を叩かれる。衝撃で左膝から崩れると、彼女の降り抜いた鉄棒が地面を叩くのが見えた。次の瞬間、後方にいた人間の右足が脇腹に叩きこまれる。


 痛みはなかったが、私を蹴り上げた男を八つ裂きにしたい衝動に駆られた。もう一度、私を蹴ろうとしていた男の足を払って立ち上がろうとすると、目の前にハンドガンの銃口が見えた。


 髪一重のところで横に飛び退いて銃弾を避けると、ハンドアックスのブレードを〈ハガネ〉の液体金属で瞬時に覆い、ハンドガンを手にした女性の腕を切断して、返す動作で首をねた。


 首の切断面から血液を噴き出しながら倒れていく女性を巻き込むようにして、数百発の銃弾が撃ち込まれる。指輪型端末スマート・リングが生成するシールドで弾道をそらすと、闘技場に積まれていた廃車の陰に隠れ、すぐに反対側から出ると、サブマシンガンを持った男性の後頭部にハンドアックスを叩きこむ。


 倒れていく男の手からサブマシンガンをひょいと奪い取ると、また廃車の陰に隠れる。すると闘技場に銃声が響き渡り、廃車のフレームを貫通した銃弾が背中に命中する。


 転がるように廃車の陰から出ると、射撃を行っていた女性に向かって銃弾を撃ち込む。しかし彼女もシールドを発生させていて、銃弾は無効化されてしまう。弾薬を撃ち尽くしたサブマシンガンを投げ捨てると、そのまま彼女に向かって突進する。


 そこに廃車の陰から飛び出してきた男が、大ぶりの鉈を持って飛びかかってくる。腰を落として男の攻撃をすんでのところで避けると、男の足にハンドアックスを叩きこむ。片足になってバランスを失った男が倒れて地面に頭を強く打つと、男の頭蓋を砕くように頭部を踏み抜いた。


 そして無数の銃弾を浴びせられる。

『レイ』とカグヤの声が聞こえる。『指輪型端末が発生させているシールドの出力が弱くなってる。このまま銃弾を受け続けるようだったら、〈ハガネ〉の装甲をまとって全身を保護する必要がある』


 カグヤの言葉に返事をせずに死んだ男の手から鉈を拾い上げると、廃車の陰に入る。それからカラスの視界を介して射撃を行っていた者の姿を探し、その男に向かって鉈を投げつけた。


 喉に突き刺さった鉈の所為で窒息していく男を横目に見ながら廃車の陰を出る。あっという間に死んでいく仲間を見て混乱し、こちらに向かって銃を出鱈目に乱射していた女性に向かって駆ける。


 女の頭部に叩きつけようとしたハンドアックスは、まるで磁力の反発を受けたかのように逸れてしまう。しかし諦めなかった。腕を伸ばして胸倉を掴むと、彼女の胸を押しながら足を引っ掻ける。すると彼女は背中を地面に打ち付けるようにして倒れる。


 女性が倒れた拍子に後頭部を打って気絶したからなのか、試合が終わったと判断したシステムによって賞金が送金されたことを告げる通知が視界に表示される。


 しかし賞金の項目には何も表示されず、代わりに賭け試合で得た電子貨幣クレジットが送金されたことを知らせる通知が表示される。自分自身の勝利に賭けていたので、その電子貨幣が送金されたのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る