第342話 ジャンクアリーナ re


 人々の歓声に混じって、闘技場に設置された複数のスピーカーから出場者を紹介するアナウンスが聞こえてくる。しかし名前が〝ベン・ハーパー〟で、職業が傭兵と言うこと以外は、すべて実況解説の女性が考えた出鱈目だった。しかし観客に受けは良かったみたいだ。


 なんでも〝ベン・ハーパー〟は過去に何度も〈ジャンクアリーナ〉に出場し、傭兵や人擬き相手に連戦連勝していたという。向かうところ敵なしになったベンは殺し合いに疲れ、戦いから身を引いていた。しかし長い沈黙のあと、誰にも倒すことのできなかった〝化けネズミのガーニー〟と戦う決意をしたという。


 いい感じの紹介をされているのが聞こえた。その出鱈目な設定は受けが良く、観客は私に向かって声の限りの声援を送り始めた。


「化けネズミのガーニー……か」

 やれやれと溜息をついたあと、視線の先を拡大表示する。


 化けネズミは体毛のない〈ハダカデバネズミ〉のようにも見えたが、筋骨隆々とした姿は、やはり毛皮のない熊に近いように感じられた。鋭い門歯が見える口からは粘度の高い涎が垂れていた。細かく薄い毛が僅かに生えている頭部には、通信装置らしきモノが埋め込まれているのが見えた。


『あの装置でネズミの変異体を操作しているのかな?』

 カグヤの言葉に肩をすくめたあと、巨大なネズミの頭部にある傷を見つめる。


「簡単な命令に従っているのかもしれない。あの変異体がその気になれば、闘技場に来ている観客を喰い殺すことも難しくないからな」


『たしかに行儀がいいね。やっぱり命令を待っているんだね』

 会場のどこからか昆虫型の小さなドローンが飛んでくると、我々の周囲を飛び交うようになる。するとドローンが撮影した映像が闘技場の巨大なスクリーンに表示される。


 土が剥き出しのフィールドに一歩足を踏み出すと、化けネズミはこちらに頭部を向けて、獲物の臭いを嗅ぐように鼻をひくひくと動かした。それから変異体は顎を大きく開いて、鋭い叫び声を上げた。その強烈な叫び声に観客席にいた人々は驚き、そして口をつぐんで静かになる。


『来るよ、レイ』

 カグヤの言葉にうなずくと、ハンドアックスをしっかりと握りながら腰を落とした。二本の足で立ち上がっていた化けネズミは四つんいになると、フィールドに積み重ねられていた廃車と瓦礫の山を避けるようにして凄まじい速度で駆けてくる。


 接近する化けネズミの動きを冷静に見ながら歩くと、突撃される寸前に横に飛び退いてネズミの体当たりをかわした。化けネズミは驚いているようだったが、すれ違いざまに尾を叩きつけようとして、毛の生えていない尾を鞭のように振った。身を屈めるようにして尾の一撃を避けると、〈ハガネ〉で強化したハンドアックスの刃で尾の先端を切り落とした。


 化けネズミは高い悲鳴を上げて身をよじり、尾の切断面から体液を撒き散らした。私はすぐに体勢を整えると、化けネズミの頭部にハンドアックスを叩きこもうとして飛びかかる。しかし化けネズミはくるりと身体を捻るようにして攻撃を避けて、そのまま横薙ぎに尾を振る。


 急に死角から尾が出現したように見えたかと思うと、横腹に凄まじい衝撃を受ける。尾を叩きつけられたのだろう。その衝撃に空中を舞い、そして積み上げられた廃車の山に激突する。


『大丈夫、レイ?』

 カグヤの声を聞きながら顔を上げると、化けネズミが猛進してくるのが見えた。横に転がるようにして突進を避けると、化けネズミはそのまま廃車の山に衝突して、崩れた廃車の下敷きになってしまう。


「大丈夫、痛みはない」と、騒がしい歓声を聞きながらカグヤに言う。「〈ハガネ〉がボディアーマーを強化してくれていたおかげで、思ったよりもダメージは受けなかった」


『よかった……それにしても、あのネズミはデカいくせに動きが速い』

「変異を繰り返す過程で異常に発達した筋肉の所為せいなのかもしれない」


 どうやら変異体を怒らせたようだ。化けネズミは怒り狂ったように咆哮したあと、廃車の下から這い出てくる。


 攻撃に備えてハンドアックスのハンドルをしっかりと握って構える。しかしネズミの変異体だからなのか、攻撃は単調で、同じような行動と突進を繰り返すばかりですぐに脅威でなくなってしまう。そうして戦いは観客が期待していたモノにはならなかった。


 強烈な突進を何度か避けながら的確にハンドアックスで身体を切り刻むうちに、とうとう化けネズミの動きは集中力の欠いたものになる。血液を流し過ぎたことも関係していたのかもしれない。先ほどまで元気に傭兵たちを喰い殺していた化けネズミは、今ではよろめきながらふらふらと歩いていた。


「そろそろ止めを刺す」

 そう言ってハンドアックスを握りしめたあと、周囲が驚くほど静かになっていることに気がついた。くるりと見渡すと、驚きの表情で私を見つめていた観客と目が合う。


「まさかの展開に困惑しているのかもしれないな……」

『あるいは、化けネズミが殺されるのを待っているのかも』

「それなら、観客の期待に応えてさっさと終わらせよう」


 足元に広がる血溜まりのなかに立っていた哀れな変異体に視線を戻したあと、真直ぐ駆けていき、化けネズミの頭部にハンドアックスの刃を叩きつけた。肉が裂けて骨が砕ける音が聞こえると、化けネズミは目や鼻、口から大量の血を吐き出した。そして痙攣けいれんすると眼から光が失われていき、ゆっくりと血溜まりのなかに倒れた。


 今や闘技場を支配していたのは静寂だった。化け物を殺すことに慣れていた私には理解できないことだったが、観客の目には恐ろしい存在として映っていたのかもしれない。変異体は死の象徴であり〈廃墟の街〉では絶対者なのだ。その化け物をほふることができる人間は、あるいは人間の姿をした化け物に映っていたのかもしれない。


 しかし静寂はいつまでも続かなかった。実況解説の女性が場を盛り上げると、ベン・ハーパーの勇姿に観客は喝采を送った。私も調子に乗ってハンドアックスを高く上げる。その瞬間、さらに多くの歓声が聞こえて闘技場の壁が震える。


 そこに短い電子音が聞こえる。どうやら賞金が振り込まれたことを知らせる通知音だったようだ。インターフェースに表示される賞金の額を見て驚く。

『化けネズミの絶命を検知したシステムが、自動的に賞金を振り込んだみたいだね』


 闘技場のシステムが完璧に管理されていることに困惑する。

「レイダーたちは〈データベース〉に侵入して、これだけのシステムを構築したのか?」

『と言うより、他の用途で使用されていたシステムに手を加えたのかも』


「そうか……何はともあれ、何事もなければいいんだけどな」と、観客席を見回しながら言う。「これだけの賞金額だ。レイダーたちが不満に思う可能性がある」


『生かしては帰さない……みたいなこと?』

「ああ、そうだ。でもとにかく一旦、受付に戻って話を聞こう」

 そう言って通路に戻ろうとすると、観客席から上半身裸の男が転がり落ちてくる。


 禿げあがった頭部に刺青だらけの男性は、乳首にした大きなピアスを揺らしながら化けネズミに向かって駆けていく。


「ガーニー!」と、麻薬中毒者特有の汚らしい歯を見せながら叫んだ。

「死なないでくれ、ガーニー!」


『化けネズミの調教師かな?』

 化けネズミの死体に抱きつくようにして涙を流す男性を見ながら肩をすくめる。すると男は私に向かって叫ぶ。「


「貴様! よくも俺の……俺のガーニーを殺したな!」

 観客席にいた人々も急展開に驚いているのか、静かになっていた。


「試合だったんだ。殺さなければ俺が殺されていた」

「うるせぇ! 貴様さえいなければ……」


 事態が急変したのは、彼が肩に提げていたサブマシンガンの銃口を私に向けた時だった。化けネズミの身体が破裂して、体液やら内臓やらを派手に撒き散らした。大量の血液を被った男が茫然としていると、化けネズミのジュクジュクした体内に、大量の寄生虫がのたうち回っているのが見えた。


 巨大なミミズに、あるいはハリガネムシにも似た奇妙な生物は、それぞれが二十から三十センチほどの体長を持っていて、親指ほどの太さのある身体をうねうねと動かしていた。


 その奇妙な寄生虫は、化けネズミから飛び散った内臓や体液にも含まれていて、周辺一帯に飛び散っていた。化けネズミに抱きついていた男性の身体に張り付いた寄生虫は、身体の先端に無数の牙を持っていて、それを皮膚に食い込ませるようにして体内に侵入していくのが見えた。


 男性が痛みに悲鳴を上げながら地面に転がると、観客席にいた人々の間でも混乱が起きる。寄生虫が体内に侵入した人々は痛みに叫び声を上げていて、飛び散った寄生虫に驚いた人間が駆け出して、出入口近くで将棋倒しになっているのが見えた。


 のたうちながら近付いてくる寄生虫から距離を取りながら質問した。

「カグヤ、こいつらは?」


『あの化けネズミは、おそらく廃墟で捕まえて飼育した生き物だと思う』と、カグヤは周囲に飛び散っていた寄生虫の輪郭を赤色の線で縁取りながら言う。『野生の化けネズミが腹の中にたっぷり寄生虫を抱えていても何も不思議じゃない』


 錆びた鉄格子が開くと、通路から警備隊の人間が闘技場にどっと雪崩れ込んでくる。彼らは背中に大きなタンクを背負っていて、そのタンクにつながっている火炎放射器で寄生虫を焼き払っていく。


「お前ら!」と、上半身裸で両腕に義手を装着していた男が言う。

「一匹残らず焼き尽くせよ!」


 警備隊の人間は私を無視しながら、寄生虫に炎を浴びせる。所在なく茫然と立ち尽くしていると、義手の男性が近づいてくる。


「ベン・ハーパーとか言ったな。お前はこの場所に残れ」

「あんたは?」


「ワスダだ」

 彼は人工眼球バイオニック・アイをチカチカと点滅させながら言う。


「……たしか警備隊長だったな」

「俺の事を知っているのか?」


「いや、詳しくは知らない」

「そうか。それはつまらないな」


 ワスダの胸には翼を広げた片脚のカラスの刺青が彫られていて、脇腹に埋め込まれた装置から幾つかのケーブルが伸びていて、彼が背負っていた赤いランドセルに接続されているのが確認できた。


「もしも――」と、化けネズミの死骸を見ながら言った。

「あれの責任を俺に押し付ける気なら、止めておいたほうがいい。化けネズミはここに来る前から寄生虫を抱えていた。文句があるなら、そこで死んでいる調教師の男に言え」


「その必要はない」とワスダは頭を振った。ワスダは頭髪をすべて剃っていて、頭部全体に髑髏どくろの刺青をしていた。「廃墟で捕まえてきた化け物同士を戦わせて、ここで賭け試合をするときがある。そう言うときには大抵、今と同じような状況になる。だから問題ない、俺たちはこの状況に慣れている」


 逃げ惑う観客が上げる悲鳴と、寄生虫が焼かれる光景を眺めながら言った。

「それなら、俺はなんのために残るんだ?」


「レイダーギャングってやつは、面子ってものをとても大事にしているんだ」

「ヤクザ者らしい言い分だな」


 ワスダはニヤリと笑みを浮かべる。

「警備隊のやんちゃな連中もガーニーに挑戦したけど、誰も勝てなかったんだ」


「だから?」

「俺たちにできなかったことを、貴様はやってのけたってわけだ」


「それが面子に関わるのか?」

「端的に言えばな」


「それで?」

「もう一試合しないか?」


「対戦相手は?」

「警備隊の連中だ」


「賞金は出るのか?」

「もちろん」ワスダは口の端で笑う。「勝てば倍の賞金を出す」


「分かった」と私は即答する。

 ワスダは瞳を発光させながらじっと私を見つめて、それから言った。

「なあ、ベン・ハーパー。お前はすごい男だよ。傭兵なんて止めてうちに来る気はねぇか?」


「俺は商人たちを護衛しながら細々と生計を立ててきた面白みに欠ける人間だ。今さらゴミ山の大将になる気はないよ」

 理由は分からなかったが、ワスダを挑発するような口調で〝ゴミ山の大将〟と言ったが、彼は気にしていなかった。


「商人なのか傭兵なのか良く分からねぇけど、傭兵団に所属してるわけじゃねぇんだろ? それじゃあ、そこいらのスカベンジャーと変わらない。俺の言ってることが分かるか? 先がねぇんだぞ。お前が一言『はい』と言えば、警備隊の他の連中を黙らせてお前を若頭待遇で迎えてやる」


「スカベンジャーもこの世界では立派な仕事だよ」

「なに言ってんだ。ゴミ拾いのネズミ野郎なんて、そこで死んでるガーニーと何も変わらねぇじゃねぇか。最後は惨めに死んでいくだけだ。分かるか、廃墟に殺されんだよ」


「自分の身の丈にあった仕事をしているだけだよ。誰も傷つけないし、他者を利用して金儲けするわけでもない。自分の労働に見合う対価を得て生きているんだ」


「何が身の丈だ」と、ワスダは唾を吐いた。「誰も傷つけないだと? この野郎、てめぇだってレイダーに襲撃されたら身を守るために反撃するんだろ? それにな、旧文明のジャンク品を利用して金儲けしてんじゃねぇか。真面目ぶってふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!」


「考え方も解釈も人それぞれだよ」と頭を振りながら言った。

「てめぇ、この野郎――」

 ワスダは何か言おうとしたが、警備隊のひとりが駆けてきて彼に耳打ちする。


「おい、ベン。闘技場の観客を入れ替えたら、すぐに試合を再開する。それまでは待機室で待ってろ」彼はそう言うと、部下と一緒にどこかに行ってしまう。

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