第341話 戦闘準備 re


 案内された部屋はロッカールームになっていて、ゴミで散らかった部屋に入ると、背の低いピアスだらけの男性は私を部屋に残して何処かに行ってしまう。室内にあるロッカーのほとんどは扉が破壊されていて、壁や床に乾いた血がこびりついていた。


 床に散乱するゴミを足で退かしながらロッカーのひとつに近づくと、扉が閉まっていたロッカーの中身を確認していく。


 そこには溶けた蝋燭に囲まれるようにして、人擬きの首が置かれていて、ロッカーを開いたことに反応して人擬きはゆっくり瞼を開いた。私はしばらく化け物の白濁した瞳を見つめて、それからロッカーを閉じた。となりのロッカーを開くと、〈国民栄養食〉の空のパッケージと分解されたライフルの部品、それに何故か水鉄砲が大事そうに置かれていた。


『レイ』カグヤの声が内耳に聞こえる。

『あそこに置いてあるのが、試合で使っても大丈夫な武器だと思う』

 テーブルに無造作に置かれていた刃物の輪郭が青色の線で縁取られていくのが見えた。


 ひどく汚れたテーブルには大量の刃物が並べられている。それらの武器の中には、刃がつぶれたコンバットナイフや錆びたマチェット、それに消防斧やブッチャーナイフなど、見慣れない刃物も多く置いてある。驚いたのは、適当に切断された道路標識を鉄棒に溶接した剣のようなものまであることだった。


 思わず溜息をついて、それからカグヤにたずねた。

「ネズミの化け物に対抗できそうなものはあるか?」


『確認する』

 カグヤがそう言うと、どこからともなく偵察ドローンがあらわれて、テーブルに載せられていた武器にスキャンのためのレーザーを照射する。


 スキャンしている間、ロッカールームを見回して何か使えそうなモノがないか調べる。傭兵たちと化けネズミの試合は終わったと聞いていたが、廊下の先からは群衆の歓声が今も聞こえてきていた。どうやら通路の先から直接、闘技場に向かうことができるようになっているようだ。


『調べてみたけど――』カグヤの声が聞こえる。『使えそうなものはなかったよ。ナタは今にも折れそうだし、ククリナイフは野菜を切る包丁代わりにもならない』


「刃物が使えないのは予想通りだけど、さすがにこれはマズい状況だな」

 小型の核融合電池が柄尻にダクトテープで固定されていたナイフを手に取る。

「このコンバットナイフは?」


『何だろう? 自作のホットナイフかな?』

 持ち手についたスイッチに触れると、ナイフの刃が見る見るうちに赤熱していくが、甲高い音と共に刃が砕けてしまう。


「これはダメだな」

 核融合電池を回収しようと思ったが、ダクトテープでベタベタしていたので諦めてナイフをテーブルに戻した。


『そのハンドアックスなら使えると思う』

 テーブルに突き立てられていたハンドアックスを手に取る。ソレは血液が沁み込んだような赤黒い傷だらけのウッドハンドルに、墨色のブレードを備えていた。


「手に馴染むけど、刃毀はこぼれしているな」

『それなら〈ハガネ〉の液体金属でブレードをコーティングすれば?』


「それは面白そうだな。でも、そんなことが可能なのか?」

『できるんじゃないのかな? 〈環境追従型迷彩〉を使用すれば、ブレードの表面に違和感が出ないように擬装できるし、レイがハンドアックスのハンドルを握ってる間は刃の強度が保てると思う』


「ハンドアックスも身体の一部だと認識させるのか……」

 さっそくカグヤの提案を試してみることにした。〈ハガネ〉を起動して右手に少量の液体金属を移動させたあと、ウッドハンドルを握り、手のひらの表面にある液体金属がブレードを覆っていく姿をイメージしていく。


 すると液体金属はハンドアックスのブレードに移動し、刃の表面を液体金属の薄膜で覆っていく。ブレードは一瞬、白銀に輝くが、すぐに光沢のない墨色の刃に変化していく。


『ハンドアックスの見た目は問題なさそうだね』

 カグヤの言葉にうなずくと、ブレードの強度を確かめてみる。


 錆びたマチェットの刃に、ハンドアックスのブレードを軽く叩きつけると、マチェットの刃が砕ける。


「強度にも問題はないみたいだ」

『むしろ強化されているように見える』


 ハンドアックスを持ったまま近くに置かれていたパイプイスに座る。

『ねぇ、レイ』

「うん?」


『さっきのハンドガンのことだけどさ、わざわざ奴隷の女の子を買わなくてもよかったんじゃないのかな?』


「奴隷を買ったつもりはないよ。彼女の自由を買ったんだ」

『同じことだと思うけどな……』


「全然違うよ。それに、それだけの価値がハンドガンにはあった。そうだろ?」

『でもあのハンドガンは普通の人にはゴミでしかない。そうでしょ?』


「だから代価を支払う必要はなかった?」

『うん……』


「カグヤの言いたいことは分かるよ。言いわけをするつもりはないけど、ハンドガンを目の前にして気分が高揚したんだ。あのときは冷静じゃなかった」


『精神安定の設定をもう一度操作したほうがいいのかも』

「それは止めてくれ」


『冗談だよ』

「どうだかな……」


 遠くから聞こえてくる歓声に耳を澄ませて、それからカグヤに言った。

「でもそれで気がついたことがある」


『なに?』

「俺たちは旧文明の遺物を今まで見逃していた可能性がある」


『ああ、そういうことね』私の言いたい事を察したカグヤが言う。

「結局のところ、貴重な遺物の多くは〈データベース〉に関する権限がなければ操作できない。だからこそあのハンドガンはゴミも同然な扱いを受けていた」


『そうだね。現にハンドガンの所有者は登録されていなかった。軍で使用されている装備の全部が絶対にそうだとは言わないけど、基本的に〈データベース〉に登録された所有者の生体情報を紐付けすることで、やっと装備をまともに使用できるようになる。歩兵用のライフルもレイの権限で登録しているからこそ、ノイやヤトの一族も使用できるようになっているくらいだしね』


 彼女の言葉にうなずくと、ハンドアックスのブレードを眺めながら言う。

「ジャンク品として扱われている電子機器の中にも、必要な権限がないから使用できなかった貴重なものがあるのかもしれない」


『そう言えば、横浜の拠点で使用してる〈シールド発生装置〉も、すごく貴重な物なのに闇市でただの鉄棒として売られていたね』


「〝我々は使用方法も分からない遺物に囲まれながら生きている〟」

『うん?』


「チップセットを買うときに店主が言っていた言葉だよ」

『そんなことも言ってたね』


「これからはジャンク品も注意深く確認したほうがいいのかもしれないな……」

 ロッカールームの扉が開くと、この部屋まで私を案内してくれた男性が入ってきた。彼は私の姿を見つけると、嬉しそうに小走りで近付いてくる。


「よう、兄ちゃん。試合に出る準備はできたのかよ?」

「ああ。準備ならもうできている。ついでに武器も選んでおいた」


 私はそう言うとハンドアックスをひらひらと振った。

「そいつでいいのかよ、もっと大きいのがあるぜ」


「いや、他は刃が丸くなっていて使い物にならなかったんだ」

「よう、そういうことかよ。兄ちゃん、いい目をしてるな」


「たいしたことないよ」と私は苦笑する。

 男性は脇に抱えていたタブレット端末からデータケーブルを引っ張り出すと、私に差し出す。


「兄ちゃんのよ、端末にケーブルを接続してくれよ」彼は唇のピアスを揺らしながら言う。

「これは?」


 男性に訊ねながらベルトポーチから情報端末を取り出す。

「兄ちゃんが試合に勝ったらよ、賞金が自動的に送金されるようにするんだよ」


 データケーブルを受け取って眺めていると、男性はまた口を開いた。

「よう、兄ちゃんよ。安心しろ。そいつは〈データベース〉のシステムを利用した取引だ。俺たちが悪用できるものじゃないぜ」


『彼の言ってることは正しいよ。ハッキングの心配はない。それにレイが持ってる端末は、賞金稼ぎたちから奪ったものだから、問題が起きたら端末を適当に売り払えばいい』


 カグヤの言葉にうなずいたあと、ケーブルを端末に挿し込んだ。

「ちなみに、あの化けネズミを殺したら、どれくらいの賞金が出るんだ?」


 私が訊ねると、背の低い男性は眉のピアスに触れながら言った。

「よう、大金だぜ。見せてやるからちょっと待ってくれよ」

 彼はそう言うと端末を素早く操作する。「これくらい貰えるぜ」


 画面に表示された額を見て驚く。

「たしかに大金だ。こんなに賞金を出して、闘技場の運営に支障はでないのか?」


「よう、兄ちゃんよ」と男性はケラケラ笑う。

「心配しなくても化けネズミに勝てる奴なんて今までいなかった」


「ひとりも?」

「知ってるか? 手練れの傭兵も銃を持たなければ、そこら辺にいる人間と変わらないんだぜ」


「それなら、俺がネズミを殺す初めての挑戦者になるのか」

 私の言葉に男性は腹を抱えて笑った。

「そうなるかもしれない。でも気にしないでくれ、代わりのネズミはいくらでもいる」


 端末の操作が終わると、ピアスの男性はニヤリと笑みを浮かべた。

「よう、これで準備ができたぜ。あとは試合に出るだけだ」


「歓声が聞こえるけど、誰かが試合に出ているのか?」

「警備隊長の〝ワスダ〟さんが、罪人どもを相手に試合をしているのさ」


「ワスダさんね……つまり、罪人たちを見せしめにして殺しているのか」

「まあ条件は同じだからな。恨みっこなしなんだよ。それにワスダさんに勝てたら解放されるって条件で殺し合いをやってるからな」


「その隊長さんも刃が潰れたナイフで戦うのか?」

「そうだ。でもよ、ワスダさんは強いからよ、罪人を甚振いたぶって殺すんだよ」


「見せしめに変わりはないか……それなら、俺の試合はその見世物のあとか?」

「罪人たちはもうすぐ死ぬ。次は兄ちゃんの番だよ」


 男性が廊下の先に向かって歩き出すと、私は〈ハガネ〉を起動して頭部全体を覆うマスクを形成する。鬼にも悪魔にも見えるマスクは、黒を基調とした赤い塗装ではなく、光沢のない墨色に変化させておく。それはマスクを地味なものにするための処置だった。


「うん?」と男性が振り向く。

「よう、兄ちゃん。カッコいいヘルメットだな」


「そうか?」

「ああ、俺の趣味だな。兄ちゃんが死んだらよ、俺が貰ってもいいか?」


「もちろん」と私は言う。

「死人には過ぎたものだからな」


「さすがに根性のある兄ちゃんは言うことが違うな」男性は上機嫌に言う。

 建物から出るとトタン屋根のある廊下を通って闘技場に向かう。〈ジャンクアリーナ〉に近づくと、群衆の歓声がさらに騒がしく聞こえてくるようになる。


「兄ちゃん、こっちだ」と、ピアスの男性は数人の用心棒が警備していた薄暗い通路に入って行く。通路の先に見える明かりと一緒に鉄格子の陰が目に入る。


「鉄格子が開いたらよ」と彼は言う。

「それが試合開始の合図だ」


「そしてネズミと戦う?」

 私が質問すると、彼は笑みを見せる。

「そうだ。簡単だろ?」


「ああ、すごく簡単だ」

「そうだ!」と、ピアスの男性は声をあげる。

「こいつを忘れるところだったぜ」


 そう言って彼は胸ポケットから針が汚れた注射器を取り出す。

「出場者のための興奮剤だよ。必要だろ?」


「いや、俺には必要ないよ。それはあんたが使ってくれ」

「そうか。それは助かるよ」


 彼はいそいそと注射器をポケットに戻した。

「よう、それじゃあな、兄ちゃん」彼はそう言うと、鉄格子を閉じた。


 私は通路の先に見えていた明かりに向かって歩いた。

『剣闘士になった気分は?』と、カグヤが茶化す。


「ゴミ山で英雄になる気はないよ」

『でも〈ジャンクアリーナ〉のチャンピオンにならなければ、大金は得られないでしょ?』


「何度か試合に勝ってチップの代金が手に入ったら、すぐに出ていくさ」

『ベン・ハーパーはここで伝説になるんだね』


「ああ。正体不明の挑戦者として、この鳥籠で噂になるだろう」

 闘技場はドローンの視界を通して見るよりもずっと広く、バスケットボールのコート二面分ほどの広さのある円形状のフィールドだった。そのフィールドには、廃車のフレームが積み重なって作られた障害物があちこちに置かれていた。


 フィールドを囲む観客席は熱狂する人々で埋まっていて、〈ジャンクアリーナ〉がどれだけ人気があるのか理解できた。


『みんな娯楽に飢えているんだね』カグヤが言う。

「そうみたいだな」群衆の大歓声が聞こえてくる。


『化けネズミの登場だよ』

 フィールドの向こうに見えていた鉄格子が開くと、毛のない熊にも見える巨大なネズミが出てくる。その瞬間、フィールドを囲む高い壁の上に設置されていた観客席から、大音量の歓声が聞こえる。そして私の目の前の鉄格子も開いていく。

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