第339話 少女 re
大通りを離れて狭い通りに入ると、
相変わらず通りは人で溢れていて、歩くのにも苦労した。通りを行き交う人々の人種はさまざまで、武装した旧式の機械人形を連れた傭兵や、半裸の奴隷を連れた行商人、それに昆虫を連れた〈蟲使い〉もいて、廃墟で生きる人々の展覧会を見ているようでもあった。
『それで、レイは何を考えているの?』
カグヤの声が内耳に聞こえると、周囲を見回しながら答える。
「どうやって金を工面するのか」
『そんなにあの集積回路がほしいの?』
「あれが手に入れば、拠点周りの強化が図れる。拠点の警備を機械人形や〈セントリーガン〉に任せることができれば、今まで巡回警備していたヤトの部隊を、他の場所で活躍させられると思うんだ」
『たしかに警備の強化は期待できるけど――』
前方で傭兵同士の喧嘩が始まると、我々は人だかりを避けて路地に入って行く。その先はどうやら広場になっているようだった。途中、喧嘩の仲裁に向かう警備隊のパワードスーツと
広場には何処からか持ち込まれたホログラム投影機が設置されていて、巨大なスクリーンに年代物のポルノ映画を上映していた。シアターになっているようだ。
美しい女性の
「兄ちゃん邪魔だ」
そう言って擦れ違った傭兵は、数人の仲間と娼婦を引き連れてスクリーンのそばに向かう。ポルノ映画を楽しんでいた群衆に視線を向けると、娼婦と一緒になって映画を楽しんでいる様子が見られ、彼らは周囲の視線を気にすることなく痴態を繰り広げていた。
群衆は場の持つ異様な雰囲気に呑まれ高揚し、快楽を高める薬物を使用して日常を忘れようとしていた。実際にそうなのかは分からないが、そう感じられた。
『なんだか、ひどく場違いなところに来たみたいだね』
「たしかに」とカグヤに同意する。「レイダーたちが娯楽を提供するためだけに築きあげた鳥籠が、繁盛している理由が何となく分かったよ」
『つねに死のストレスに晒される商人や傭兵たちが、欲望を発散できるための環境を提供している。需要はあるんだから、繁盛しないわけがない』
「レイダーらしい商売の在り方なのかもしれないな……」
我々はシアターを離れると、人波を縫うように先に進む。人々の頭上には旧式のドローンが飛び交っていて、銃器店のホログラム広告や、幻覚作用のある薬物の広告が絶えず表示されていた。
「なぁ、ノイ。さっきの電子機器の販売店みたいに、武器関連の遺物を販売しているような店はないのか?」
「ありますよ」と青年は人を避けながら言う。
「でも警備隊の連中が見張ってるんで、俺たちは近づかないほうがいいと思います」
「さすがにレイダーでも、銃器店の警備は真面目にやっているのか」
「はい。それに賞金稼ぎたちが出入りしている酒場にも近いんで、見つかったら厄介なことになりますよ」
「それなら避けたほうがいいな」
噂の〈ジャンクアリーナ〉は、ジャンク品や廃材を用いて築かれた高い壁に囲まれた円形の闘技場だった。壁の内側でどんな試合が行われているのかは分からなかったが、先ほどから人々の歓声が絶えず聞こえていた。
「賑わっているみたいだな」
錆びた鉄板や
「なんの試合をしているか、確認してきます」
ノイはそう言うと、闘技場の周囲に集まっていた群衆の中に入って行く。
『私もドローンを使って闘技場の様子を確認してくる』
カグヤがそう言うと、青色の輪郭線で縁取られたドローンが飛んでいくのが見えた。
「ねぇ」小さな声がして振り向くと、先ほどまで娼婦たちと一緒にいた若い女性が近くに立っていた。「やっぱり、ベン・ハーパーも試合に出ることにしたの?」
彼女の灰色の瞳を見つめて、それから言った。
「娼婦たちと一緒にいた子だな。仲間とはぐれたのか?」
「娼婦じゃない」
小柄で華奢な女の子はそう言うと、背中に腕を回してサブマシンガンを抜いてみせた。
「私はね、彼女たちの護衛をしていたんだよ」
その若い女性を近くで見ると、最初に感じていたよりもずっと幼い印象を抱く。少し特別な容姿をもっているけれど、いたって普通の女の子に娼婦の護衛ができるようには見えなかった。けれど否定して彼女の機嫌を損ねたくなかったので、具体的に何をしているのか質問することにした。
「護衛……? 君は警備隊の人間なのか」
「違う」と、彼女は栗色の髪を揺らす。
「個人的に依頼を受けて、彼女たちの護衛をしていただけ」
「それで、その仕事は終わったのか?」
「ううん。今は彼女たちの仕事が終わるのを待っているの」
少女はそう言うと、闘技場のそばにある三階建ての建物に視線を向けた。
「あぁ、そういうことか……」と私は納得する。「でもここにいていいのか? 護衛するなら、彼女たちのそばについていないといけないだろ?」
「たしかに行為の最中は無防備になるから、本来は彼女たちのそばにいなければいけないんだ。でもね、この鳥籠で娼婦に手を出そうとするのは、命知らずの愚か者だけだから」
「だからそばについていなくても大丈夫なのか?」
「そう。それに、あの行為を近くで見せられるのは苦手なんだ」
「たしかに……それなら、君は休憩をしているってわけか」
「そう」
私は周囲を見渡して、それから彼女に訊ねた。
「何か食べるか?」
「
彼女そう言うと、無表情で私を見つめる。
「ああ、そうだ」
「もしかして、私の気を惹きたいのか?」
「猫を飼ったことは?」と、露店に向かって歩きながら
少女は眉を寄せて、それから灰色の瞳でじっと私を見つめた。
「猫を飼ったことはない」
「実は俺も飼ったことはない。でも痩せた猫を見るとひどく悲しくなるんだ」
彼女は顔をしかめたあと、こちらに右耳を向けて言葉の続きを待った。
「それで?」
「とくに深い理由はないよ」
露店で正体不明の肉が刺さった串焼きを適当に買うと、人通りの少ない場所に行って彼女と一緒に食べた。独特な甘辛いタレは好みではなかったけど、食感や味は悪くなかった。
彼女はお腹を空かせていたのか、夢中になって串焼きを食べていた。
「ベンは、猫を飼いたいの?」と少女は口の周りをタレで汚しながら言う。
「どうだろう」と肉を咀嚼しながら考える。「本当は飼いたいと思っているけど、忙しくて世話ができないんだ。だから飼えないかもしれない」
「猫の相手をしてあげられないのは可哀想だから?」
「ああ、そうだ」
「そっか……でも飼いたいなら、市場に行けばいいと思う。あそこには尻尾が二本に分かれている可愛い子猫がいるんだ」
「それは本当に猫なのか?」
「当然でしょ」
「俺の知っている猫は、尻尾が一本しかない」
「そういう種類の猫もいる。ここで人気があるのは、大きな牙を持つ猫だ」
清潔なハンカチを取り出したあと、彼女の口元を拭いた。彼女は怪訝な表情を浮かべたが、とくに気にしている様子はなかった。
「君の年齢を
質問に対して、彼女はまた顔をしかめた。
「私は身体を売らない」
「そういう意味で訊ねたんじゃない。ただの会話だよ」
「そう」
「それで?」
「十四」
「ずっとこの鳥籠で暮らしてきたのか?」
「そうだ」
彼女はきょろきょろとよく動く瞳で周囲を見ながらうなずく。その姿は、食べ物を横取りされないように警戒している猫に似ていた。
私も周囲に怪しい動きをする人間がいないか確認しながら訊ねた。
「他の子どもたちと一緒に
「違う。お父さんは汚染された地下施設の清掃員だったんだ」
「だった?」
「ずっと昔に死んだ。清掃員の寿命は短いから」
「無神経な質問だったな」
「何が?」と彼女は首をかしげる。
「いや。何でもない。それで、君はレイダーたちに育てられたのか?」
「違う。ちゃんと保護者になってくれた人がいる」
「それは意外だな。こんな鳥籠にも、そんな親切な人間がいたのか」
「うん」
彼女はそれだけ言うと、肉に噛みついた。そこにノイがやってくる。
「あれ? その子って、入場ゲートで絡んできた娼婦たちと一緒にいた子ですよね」
「ああ、そうだ」そう言いながら、ノイの為に買っていた串焼きを渡す。
「あっ、どうも」彼は串焼きを受け取ると、無言で肉を食べ始めた。
「それで」とノイが食べ終えるのを待ってから切り出した。
「今はどんな試合が行われていたんだ?」
「今は大きなネズミと数人の傭兵たちの戦闘でしたね」
「ネズミ?」と思わず顔をしかめる。
「はい。傭兵たちは思い思いの刃物を持って、ネズミと戦っていましたね」
「それって試合になるのか?」
「たぶん、一方的にやられますね」
「まあ相手はネズミだからな。負けようがない」
「いえ」とノイは頭を振る。
「負けるのは傭兵たちですよ」
短い通知音が内耳に聞こえると、偵察ドローンから受信した映像が拡張現実で浮かび上がる。その映像を拡大すると、ネズミと戦闘している傭兵たちの姿が見えた。しかし想像と違い、ネズミは巨大な化け物だった。体毛のない変異体で、体長は二メートルほどあり、鋭い牙を持っていた。その異様な姿は皮膚病を患った熊にも見えた。
ネズミと対峙していた傭兵たちは薬物でも使用しているのか、ニヤニヤと笑みを浮かべながら毛のない化け物に突進して、そしていとも容易く首を噛み切られて死んでいた。
「あれはネズミって言わないだろ」と呆れながら言う。
「異界からやってきた化け物って言われたほうがまだしっくりする」
「何の話をしてるんだ?」と、数本の串焼きを食べ終えた女の子が言う。
「試合だよ」
「試合?」
「端末を使って試合を観戦していたんだ」
「どうやって見てるんだ?」彼女は疑うような目で私を見て、それから壁に囲まれた闘技場に視線を向けた。「闘技場に入るには入場料を払わないといけないし、覗き見できないように警備隊がしっかりと対策をしてる。だから試合を見ることなんてできない」
「秘密があるんだ」と私は苦笑する。
「秘密……それなら私にも見せてくれるか? 試合を観戦したことがないんだ」
周囲に人がいないことを確認してから、こちらに右耳を向けていた少女に言う。
「端末を貸してくれ」
「持ってない」と彼女は頭を振った。
「それなら、俺の端末を貸してあげる」
バックパックから情報端末を取り出して彼女に手渡す。その端末は賞金稼ぎたちから奪ったもので、カグヤによってすでに初期化されていた端末だった。
「使い方は分かる?」ノイが優しく訊ねると、彼女は頭を横に振った。
ノイが操作方法を教えて画面に試合の映像を表示してあげると、彼女は笑顔になる。
「すごいな。本当に外にいても試合が見られるんだ」
今まで無表情だったのが嘘のように、彼女は少女らしい柔らかな笑みを見せた。
カグヤのドローンは闘技場の全体が見える位置に移動する。毛のないネズミは逆三角形の筋肉質な胴体を持っていて、近づく傭兵たちを次々と殴殺していた。傭兵たちが攻めあぐねていると、ネズミの化け物はホッケーマスクをつけた傭兵の身体を持ち上げて、その場で傭兵の腹を裂いて、内臓を食べ始めた。それには観客も大きな歓声で答えた。
「これは気色悪いな……」と少女は顔をしかめる。
たしかに野蛮な試合風景だったが、それよりも気になったことがあった。
「マスクをつけていても試合に参加できるのか」
「できるよ、防具の使用は禁止されていないから」
「そうなのか?」とノイに訊ねる。
「そうっすね。試合に参加するさいに求められるのは、身分を証明する〈IDカード〉だけなんで、べつに顔を見せる必要はありません」
『もしかして、試合に参加するつもりなの?』
カグヤの言葉にうなずく。
「正直に言えば、参加したい」
『あの集積回路ために命を危険に晒すの?』
「それはいつもと変わらないだろ?」
『でも今回は賞金稼ぎたちのこともある』
「戦うのはレイラじゃない、あくまでも〝ベン・ハーパー〟だよ。〈ハガネ〉を使って顔を隠せば、賞金稼ぎたちに存在が知られることもない」
「正直――」とノイが言う。「レイラさんはすごく目立つんで、参加するのは避けてほしいですけど、でも確かに手に入る賞金は魅力的ですね。あのネズミみたいな化け物を相手にしないとダメみたいですけど」
「それなら大丈夫、化け物との戦闘は慣れている」
これは本当のことなので、カグヤも反論できなかった。
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