第337話 入場ゲート〈娼婦〉re


 鳥籠に続く大通りは、行商人と輸送コンテナを運ぶ多脚車両、そして隊商を護衛する傭兵たちで混雑していた。商人たちの多くは寒さをしのぐために厚手の外套を羽織っていたが、商人たちのために働く労働奴隷は貧相な恰好をしていて、白い息を吐きながら作業していた。


 その労働奴隷のそばには、真面目に仕事しているのかを見張る護衛の傭兵たちが立っていて、かれらは思い思いの銃器を手に周囲の動きに警戒していた。目的の鳥籠まではまだ少し距離があったが、大通りに面した廃墟の至るところに商人たちの出店や天幕が張られていて、通りは多くの買い物客で賑わっていた。


 天幕の向こうから立ち昇る無数の人煙を眺めていると、人波を掻き分けるように重武装の集団が姿を見せた。服装や装備はそれぞれ異なっていたが、首巻だけは揃いの黄赤色のものを使用していた。


「鳥籠の警備組織ですね」とノイが耳打ちする。

「俺たちが注意しなければいけない連中でもあります」


 周囲に睨みをきかせる警備隊から視線を外したあと、外套の襟を立て、それからノイに質問した。


「鳥籠の警備隊がこんな所で何を?」

「商人たちが不正を働いていないか、見張っているんですよ」


「不正? 鳥籠はこの場所でも商人たちの商売を管理しているのか?」

「そうっすね。ここは鳥籠の外ですけど、それでも商売をしている人間から場所代としてそれなりの額をきっちり徴収しています」


「つまり警備隊は人擬きや変異体から商人たちを護衛しているのか?」

「そういう話になっていますけど、ほとんどの場合、商人たちは自前の護衛で対処します。何か起きても警備隊の連中は知らん顔です」


『それでも商人たちがお金を払うのはどうしてなの?』カグヤがたずねる。

「それはあれですよ、警備隊に目を付けられたら、そもそもこの場所で商売させてもらえないからですね」


 多くの人間でごった返す通りを見渡しながら言う。

「たしかに商売するには、理想的な環境なのかもしれないな」


「商人たちを護衛する傭兵も多く集まっているんで、人擬きに対処しやすいですし、入場ゲート付近の区画で商売できれば、金持ちの上客にありつけます」


「レイダーたちからの襲撃は警戒していないのか?」

 略奪者たちが襲撃するのに適した環境であるとは言えないが、それでも頭のネジが外れた連中なら、命を惜しまず襲撃をやりかねない。


「それはないですね」ノイが頭を振ると、彼の綺麗な金髪が揺れる。

「そもそも鳥籠を実効支配してる連中が、このあたりを支配していたレイダーギャングだったんですよ。だから鳥籠に手を出すようなレイダーはとっくに駆逐されてます」


『そういうことね』とカグヤは納得する。

 急に辺りが騒がしくなったかと思うと、戦闘用の改造が施された作業用パワードスーツを操る警備隊が通りの向こうからやってくる。重機のアームにも見える無骨な腕の先には傷だらけの人間がいて、頭から引きられていた。


「あれは?」

「私刑ですかね。鳥籠内で犯罪や不正をやらかした人間だと思います」


「それなら、あれは見せしめか」

「趣味の悪い見せしめですね……」


 旧式の大型パワードスーツを操る男性が天幕の張られた商店の前で立ち止まると、数人の労働奴隷がキャスターのついた檻を押しながら天幕から出てくる。その仰々しい檻の中には、ライオンに似た四肢動物の変異体が入っていて、パワードスーツの男性はその檻の中に罪人だと思われる人間を放り込んだ。


 三メートルに近い体長を持つ変異体は、傷ついた罪人の周囲を唸りながら歩くと、急に男の頭部に噛みついた。傷だらけの男は抵抗することもなく、人形のように頭を乱暴に振り回されてしまう。獣は容赦なく男の頭部に牙を食い込ませ、そして身体から頭部を引き千切ってしまう。


 それから獣は人間の血液でべったりと濡れた口元を舐め、首から噴き出す血を飲み、そして男性の腹を裂いて内臓を食べ始めた。見ていて気分の悪くなる光景だったが、多くの人間が集まってその光景を眺めていた。中には歓声を上げる者もいて、我々とは相容れない不気味な集団に感じられた。


「レイラさん、行きましょう」

 ノイの言葉にうなずいたあと、商人で込み合う入場ゲートに向かう。


「カグヤ」と外套の襟で口元を隠しながらつぶやく。

「周辺に何か怪しい動きをする人間はいるか?」


 カグヤは我々の上空を飛んでいたカラスの視界を通して、周囲の状況確認を素早く行う。

『ううん。おかしな動きをする人間はいないみたい。でも人が多すぎて全員を調べることはできないから、そっちでも警戒はしておいて』


「了解」

 入場ゲート付近はさらに多くの人間で溢れ、入場のための審査を待つ長蛇の列ができていた。


「面倒ですけど、ここは待つしかありません」

 列の先を見ていたノイに、念のために、もう一度だけ確認する。

「入場のさいに調べられるのは〈IDカード〉だけなんだよな?」


「そうですね。彼らの端末で生体情報の確認も行われますが、武器を持ち込むことも特に制限されていないので、そんなに厳しい審査はありません」


「それなら問題なさそうだな」と、銀色のカードを取り出しながらつぶやく。


 その〈IDカード〉は昨夜の内に作成していた偽造カードで、私の偽名と新たな職業が記載されていた。もちろん、生体情報を確認されても問題が起きないようになっている。旧文明の施設では容易に身分を偽ることはできないが、かれらが使用する古い装置なら問題なく騙せるだろう。


 しかし賞金稼ぎたちの件もあるので、用心するに越したことはない。自分たちが審査されるまでの間、上空のカラスに頼んで、ハクが身につけている信号発信機の位置情報も確認してもらう。


 ハクとマシロは、ノイが車両を停車した廃墟の周辺にいるようだったので、すぐに反応を見つけられた。けれどすぐに建物内に侵入してしまったので、それ以上信号を追うことはできなくなってしまった。


『危険な遊びをしていなければいいんだけど……』カグヤが心配そうに言う。

 しばらく列に並んで商人たちの愚痴を聞いていると、数人の若い女性が列に並んだ人間を品定めしながらやってくるのが見えた。


『あれは娼婦ですね』と、ノイが声に出さずに言う。

『鳥籠を支配する組織と深いつながりがあるんで、相手にしないほうが賢明です』


 娼婦は十代後半か二十代の若い女性の集まりだった。彼女たちは私とノイのそばで立ち止まると、胸元の大きく開いたセーターに厚手の外套をまとった気の強そうな女性が近づいてきた。彼女は口元だけで微笑んで見せる。そのさい、小さな八重歯が見えた。その歯は黄ばんでいて、食べ滓がついていた。


 その女性から視線を外すと、彼女の後方に立っていた若い子に目を向けた。小柄で華奢だったが、芯が強そうな女の子だった。艶のある栗色の髪をしていて、その髪は短く切り揃えられていた。


 娼婦たちの中で彼女だけが印象に残ったのは、視線が合っても彼女の表情が変化しなかったからだ。彼女の灰色の瞳と同じように、彼女にとって私は色褪せた風景の一部でしかなかったのかもしれない。


「ねぇ」と、集団の中心にいた気の強そうな女性が甘ったるい声で言う。

「貴方たちも〈ジャンクアリーナ〉に参加する予定なの?」


「いや」

 女性の目を見ずに素っ気無く返事をすると、彼女は目を丸くして驚いた。おそらく今まで誰にもそんな態度を取られたことがなかったのだろう。彼女を一目見ただけだったが、私にはそれが分かった。彼女にとって男性は金を貢いでくれる道具で、自分をスポイルしてくれる存在でしかないのだ。


「冷たい男なのね」と女は言う。

「それとも、それは若い子の気を惹くために、ワザとそうしているの?」


 私は何も言わなかった。

「ねぇ、貴方の名前を教えてくれる」と彼女は我慢強く言う。


「ベンだ。ベン・ハーパー」

「あまり聞かない名前ね」


 彼女は頬に手を当てると、流し目で私を見た。それから茶色い瞳を僅かに潤ませて、上目遣いで私を見つめる。


「貴方が闘技場に行かないのは、商人さんたちの護衛をしている傭兵だから、なのかしら?」

「そうだ」


「でも時間はあるんでしょ? 私たちと遊ぶ気はない?」

「俺たちが金を持っているように見えるか?」


「残念ね。貴方のように〝イイ男〟なら値引きをしてもよかったんだけれど、私は自分を安売りしないの」


「そうか」

「機会があれば、また会いましょう」

 彼女が他の女性を連れて立ち去るさい、体臭のきつい女性が近づいてきてワザと身体に触れていったが、灰色の瞳を持つ子は最後まで我々に無関心だった。


『あんな格好をしているのに、自分を安売りしないんだってさ』

 カグヤが苦笑すると、私は肩をすくめて、それからノイに質問した。

「なぁ、ノイ。〈ジャンクアリーナ〉ってなんだ?」


「鳥籠を支配している連中が開催している人気の見世物ですね。人間に刃物だけを持たせて、変異体やら何やらと戦わせる闘技場があるんですよ。たぶん〈ジャンクアリーナ〉はそれのことですね」


「〈ジャンクアリーナ〉ね……賞金は出るのか?」


「もちろんでます。優勝すればそれなりの金額が手に入りますし、好待遇で鳥籠の警備組織で働く権利も得られます。でも試合に出場するのは遠慮してくださいよ。俺たちは目立つような行為を控えないといけないんですから」


「分かってるよ、聞いただけだ」

「本当ですか?」とノイは目を細めた。


「それにしても、意外だな」

『何が?』とカグヤが言う。


「国民性と言うか、気質というか、この国ではそういった見世物は好まれないと思っていたんだ。だから闘技場なんてものは存在しないと思っていた」


『国民性?』カグヤが疑問を口にする。

「ほら、ここは日本だろ? ひとつの組織に世界が管理されていたとしても、急に国民性を変化させることはできないだろ?」


『日本人は野蛮な行為を嫌うって思ってたの?』


「そうだな」と私は言う。「贔屓目に見ても、日本では何百年もの間、互いに殺し合ってきた歴史がある。だから野蛮で残酷な人間はいない、なんて言えないけど、少なくとも、野蛮な行為を眺めて楽しむような気質は持ち合わせていないって思っていたんだ。俺が知っている日本人は穏やかで、冷静に物事を判断できる人たちばかりだったから」


『うん?』とカグヤは言う。

『レイがどこで過去の日本人を知ったのかは分からないけど、ここは横浜だからね』


「横浜?」思わず眉を寄せる。

「それが何の関係があるんだ?」


『横浜は日本が開国してからずっと、国際交流が豊かな地域だったんだ。そしてそれは旧文明期にも変わらなかったと思う』


「つまり?」

『そうだな……』カグヤは慎重に言葉を選びながら言う。

『イーサンやノイもそうだけど、日本人を先祖に持たない仲間が沢山いる。だから外国人たちのことを悪く言うつもりはないけど、横浜に多くの移民がいたことは事実なんだ』


「色々な文化が合流する地だった。だから日本人の国民性だけでは語れないってことか……」


『そう言うことだね。現に私たちは今まで、すごく残酷な行為をするレイダーたちと戦ってきた。彼らが全員外国人だとは言わない、悪い人間は人種関係なく存在するからね。でも、そういう行為を好む人間は少なからず存在する』


「頭の片隅に入れておくよ」


『そのほうがいいよ。レイがどこで過去の日本のことを知ったのかは分からないけど、警戒は絶対にしたほうがいいからね。この世界は善人が生き残れるほど甘くない。それはつまり、相対的に強者が生き残る社会システムが構築されているってことなんだ。そして多くの場合、残虐な行為をしてきた人間たちが生き残ってきた』


「おい!」

 ペンキで派手に染めた鉄板を身につけた男性が言う。

「次はお前たちの番だ!」


 我々は男性の指示に従って前に出ると、黄赤色の首巻をした隊員に〈IDカード〉を手渡した。端末にカードを差し込んだあと、その端末を使って我々の生体情報を確認する。


「異常はないみたいだな」と、黄色と青で塗られたボディアーマーを装備した男が言う。

「えっと……ベン・ハーパー。きさまは傭兵をしているみたいだが、何しにこの鳥籠に来たんだ?」


「商人の護衛をしながらここまで来た。だからついでに手に入れるのが難しくなった医療品を買っていこうと思ったんだ」


「医療品ね……」と男性は痰壺に向かって唾を吐いた。

「たしかに今はどこに行っても医療品が不足しているみたいだからな」


「鳥籠同士の紛争は厄介だ」

「そうだな。まあ俺たちには都合がいいけどな」男性はニヤリと笑みを浮かべる。


「もういいぞ。さっさと行け。武器の扱いだけには気を付けろよ。ここでは俺たちが法だ。俺たちに従わない奴はあんな風になる」


 男性の視線の先には、無数の人間の腐った死体が裸の状態で門から吊るされていた。

「忠告に感謝するよ」と〈IDカード〉を受け取りながら言う。


「気にするな。あんたらは俺たちの大事なお客さんだからな。ヤバい薬を買うなり、イイ女を買うなり、稼いだ金を好きに使って楽しんでくれ」

 彼はそう言うと、列に向かって声を上げた。

「おい! 次だ! 早くしろ!」

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