第336話 偽善 re
賞金稼ぎの集団から手に入れていた装備や鹵獲した
プラチナブロンドの美しい女性とはそこで別れることになったが、知り合ったばかりだったので、劇的な展開は何もなく一言、二言声をかけて別れた。どこか異界めいた
多脚車両の操縦をノイに任せると、上空を旋回していた〈カラス型偵察ドローン〉から受信する映像を眺めながら周囲の状況を確認する。
昨夜は危険な区画で野営をしたが、人擬きからの襲撃もなく静かに過ごせたので疲れは残っていなかった。対照的に、あの流浪の民はハクのことをずっと警戒していて、まともに休めなかったと思う。やはりどれほど安全だと言われようと、〈深淵の娘〉を目にすると人々は恐怖してしまう。ハクの存在そのものが彼らの精神に影響していたのかもしれない。
しかしそれでも面倒なことが起きなかったのは、彼らが我々に対して敵意を抱かず、親切に接してくれたからなのかもしれない。
『それで』と、カグヤの声がコクピット内に聞こえた。
『レイはあの集団が純粋な人間じゃなくて、異界からこの世界に渡ってきた種族だって考えてるの?』
コクピットシートに身体を深く沈めながら答えた。
「ああ、その可能性が高いと思っている」
『その考えが間違っていなければ、レイが〈リンダ〉っていう女性から感じ取っていた異質な〝気配〟のことも説明できるかもしれないけど……本当にそうなのかな?』
「俺たちの世界には異界からやって来た種族が沢山いる」
『コケアリや豹人、それにヤトの一族……』
「そうだ。二足歩行して会話ができる蟻だっているんだから、その中に人間に似た種族がいても何ら不思議なことじゃないと思うんだ」
『でも――』とカグヤは反論する。
『嘘をついていなければだけど、そのリンダって子は異界について何も知らなかった』
「かれらの先祖がこの世界にやってきたのは大昔のことだった。だから若い世代が知らないだけなんじゃないのか?」
『つまり、ずっと昔に地球にやってきた〝異界〟の住人が、荒廃した世界の共同体に溶け込んでいく中で、自分たちのルーツを忘れてしまったってこと?』
「さすがに忘れるってことはないと思うけど……まぁ、そんな感じだな」
『そう考えると、たしかにあり得そうな話に思えてくるけど……』
「俺たちが気づいていないだけで、他にもそんな種族がいるのかもしれない」
「それ、面白い仮説ですね」と、車両を操縦していたノイが言う。「俺も支持しますよ」
『ノイもあの集団から何か異様な気配を感じた?』
カグヤの質問に青年はうなずく。
「あの集団って言うより、リンダって女性を見た時に感じましたね」
『そう言えば、彼女の素顔を見たときにひどく驚いていたね』
「恋人がいるんで、すごく情けないことなんですけど、彼女を一目見たときに――あの感情を説明するのは難しいんですけど、どうしても彼女を自分のものにしたいと考えちゃったんですよ」
『彼女の存在を独占したいって感情に支配された?』
「そんな感じですね」
『やっぱり彼女が身にまとう特異な気配に魅了されたのかな?』
「それは分かりません。でも感情が溢れてきて、激しい妄想に取り憑かれたように彼女のことしか考えられなくなりました」
『遠目に見ただけなのに、そんな風に感じるのは確かに異常だね』
「そうなんですよ。不思議なのは、その感情を抱くのが彼女を視界に捉えている間だけってことです。目を放した途端に、その感情は消え失せるんです。現に今は何も感じないし、どうしてそんな馬鹿げたことを考えたのかも分かりません」
『人間を強く魅了する何かを――それこそ魔法のようなものを、あの集団は自然と身にまとっているのかな?』
「その可能性はマジであると思いますよ」青年はうなずいて見せる。
「それに不思議なことがもうひとつあるんですよ」
『それは?』
「レイラさんが彼女のそばにいても平常心でいられたことです」
『それはね』とカグヤが苦笑しながら言う。『レイが異界の生物から精神攻撃を受けやすい体質だって発覚したから、体内のナノマシンを使って精神を安定させる作用のある鎮静剤を投与できるようにしたからなんだ』
「ああ」とノイは納得する。「だから大丈夫だったんですね。いくら美人に慣れているからって、あの態度は不自然でしたからね」
「いや、ちょっと待ってくれ」思わず質問する。
「鎮静剤のことは一言も聞いていないんだが」
『ちゃんと話したよ。レイの精神が少しでも不安定になると、ナノマシンが反応するように設定したって』
「そうだったのか……」愕然としながら言う。
『そうだったんだよ。そんなに驚くことかな』
「いや、驚くよ。感情すらカグヤに支配される可能性があるってことだろ?」
『ずいぶんと話を飛躍させたね……でも、そんなことは絶対に起きないから安心して。あくまで鎮静剤を投与するだけで、レイの感情に作用する薬剤を投与するわけじゃないからね。それに、そのナノマシンには思考そのものを制御するような能力はないから』
「それが可能なナノマシンが存在するってことか?」
『当然でしょ。それより、あの集団に拠点の位置を教えていたけど、どうするつもりなの?』
「ああ」と気持ちを切り替える。
「リンダたちは行商人として〈廃墟の街〉を
『だから?』
「彼らが警戒して生きていく必要のない、安心して暮らせる場所を与えたかったんだ」
『レイは拠点の周囲に街でもつくる気なの?』
「街は大袈裟だけど、彼らが拠点に来るなら何か考える必要があると思っている」
『どうして? 私にはよく分からないんだけど、彼女たちと少し話をしただけでしょ? それなのに、レイが救いの手を差し伸べる理由がまったく分からない』
「集団の中に子どもがいるのを見ただろ?」
『うん』
「彼らが産まれの不幸の
『たしかに大変な生活だけど……でも、レイはそうやって苦しんでいる人たち全員を救うことはできないよ』
「分かってる。それが偽善と呼ばれるような行為なんだってことも、ちゃんと理解している。でも自分に救える人間がいるなら、手を差し伸べたいって思ったんだ。もちろんリンダたちが拠点に来てくれるのかは分からない。彼らには彼らの事情があるからな。でも、例えこの偽善が自分自身の慈善心を満たすためだけの行為だとしても、子どもたちがその行為で救われることに変わりはないだろ?」
『そうだけど……』とカグヤが唸る。
『でもいつかは限界がやってくる。そのときに苦しむのは、レイが救いたいって願った人々なのかもしれない』
「そのときには、きっと自分自身を責めて嫌な思いをするかもしれない」
『それでも人々を助けることを止めない?』
「正直それは分からない。結局のところ、俺は自分自身の判断基準でしか人を救わない。だから独善的で矛盾を
『そんなことはないと思うけど……』
「いや」と私は頭を振る。
「わざわざ客観視しなくても、自分のことだからそれは分かっている」
「でも」とノイが言う。「それも悪くないと思いますよ。少なくともレイラさんは誰かを救おうとしている。そこに判断基準があるのは当然です。極論ですけど、幼い子どもと老いた傭兵のどちらか一方しか救えないような場面に遭遇したら、誰だって子どもを救う。所詮、人間は感情で動く生き物ですからね、そこに理屈はないんですよ。だから俺はレイラさんがやりたいようにやればいいって思ってます」
「そうか……そう言ってもらえると、何だか気が楽になるよ」
「まぁでも、カグヤさんの言うことも分かります」とノイは言う。「レイラさんがスーパーソルジャーだとしても、誰も彼も救うことはできない。人間ひとりにできることは高が知れてますからね。でも大変なときは仲間に頼ればいいんだと思います。レイラさんが弱者の味方であるように、俺たちもレイラさんの味方なんですから」
『なんだかノイらしくないけど……すごく嬉しいこと言うね。ノイのこと、すごく見直しちゃったよ』
「そうっすか?」と青年が照れくさそうに笑う。
高層建築群に面した大通りから狭い路地に入って行くと、ノイは廃墟の薄暗い駐車場に入って行った。緩やかな傾斜を下っていくと、完全に水没してしまった空間に出る。ノイはそのまま暗闇を進むと、壁際に積まれた廃車の陰に多脚車両を止めた。
「まだ鳥籠の門は閉まっているので、もう少し人通りが多くなってから俺たちも鳥籠に向かいましょう。それと予定を変更して、ここからは歩いて鳥籠に向かうことにします」
『それは目立たないため?』
カグヤの質問にノイは振り返ってからうなずいた。
「賞金稼ぎの傭兵たちの件もありますから、目立つ軍用車両で鳥籠に入るのは避けたほうがいいです」
「他にも鳥籠で注意を払うことはあるか?」
略奪者たちが実効支配する鳥籠に入るのは初めてのことだったので、問題を起こさないためにも注意すべきことを前もって確認したかった。
「そうですね……まずは何と言っても目立たないことですかね。レイラさんはすでに賞金稼ぎの連中に狙われてるんで、不自然にならないように、それとなく顔を隠したほうがいいです」
『それならさ』とカグヤが言う。
『ノイがひとりで買い物に行くのはどう?』
「それはそれでマズいっすよ。危険な鳥籠をひとりで歩いていたら目立ちますし、買い物のさいに大金を持ち歩いているって知られたら、もっと大変な事態に巻き込まれます」
『そっか……』
「目立たないようにすればいいんだな。それならいつもと変わらないな、買い物を済ませてさっさと帰ろう」
『喧嘩もダメだよ』とカグヤが言う。
「分かってるよ。誰かに絡まれない限り、俺から手を出すつもりはないよ」
『絡まれないようにしないとダメなんだよ』
彼女の言葉に溜息をつくと、装備の確認を行う。
「食料を持っていく必要はなさそうだな」
「そうっすね」とノイが言う。「今回は予備の弾薬があれば充分です。……あっ、でも一応バックパックは背負って行きましょう。荷物すら持っていない人間は怪しいですからね」
「たしかにそうだな」
衣類やタオルといった軽めの物でバックパックを膨らませたあと、我々は車両を降りた。
「ペパーミントさんが支給してくれたライフルは少し目立ちますけど、武器を手放すわけにはいかないんで、何か言われたら新型のレーザーライフルだって誤魔化しましょう」
「了解。鳥籠ではノイの指示に従うよ」
私はそう言うと、水没した駐車場に目を向けた。敵意を示す赤紫色の
「レイラさん、行きましょう」
ノイの言葉にうなずくと、物音ひとつしない駐車場を離れた。
廃墟の駐車場から出ると、向かいの建物の壁面に張り付いていたハクが我々のそばにそっと着地する。
「今までどこに行っていたんだ?」
ハクは
『ちょっと、あそぶ』
「ずいぶん早い時間から遊びに行っていたみたいだけど?」
『たんけん、だいじ』
「廃墟の街を探検していたのか……それは楽しかったか?」
『ん。でも、はっけん、ない』
「探検家はきつい仕事だからな、さすがのハクでも新発見は難しいさ。それで、マシロも一緒だったのか?」
『マシロ、いっしょだった』
天井のない崩れかけた廃墟から突き出していた枯れ木が揺れると、太い枝に座っていたマシロが姿を見せた。
「ハクたちに大事な話があるんだ」
『なぁに?』とハクは可愛らしい声で言う。
「俺とノイはこれから鳥籠に向かう」
『それ、しってる』
「拠点を出たときにも話していたけど、ハクたちには危険な場所だから、鳥籠には絶対に近づかないようにしてほしい」
『きけん、きついな』
「そうだ。だから俺たちが戻ってくるまで、どこかで時間をつぶしていてくれないか?」
『ん。つぶす』
ハクはそう言って地面をトントンと叩いた。
「でも廃墟の街にも危険な場所は沢山ある。そういった場所にも近づかないように注意してくれ」
『ひと、ダメ』
「そうだ。無闇に人間に近づくのもダメだ。人間は武器を持っていて危険だから、俺たちと一緒にいないときはできるだけ人間を避けてくれ。人擬きの棲み処もダメだ」
『ん』
「約束だよ」
『やくそく』
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