第335話 流浪の民 re
高層建築群が月の光を浴びて、まるで深海生物の体表のように、ヌラヌラと妖しく光を反射させる。
その高層建築群から視線を外すと、まるで防壁を築くように、数台の
多脚車両のコンテナにのって周囲の監視をしていた人間のほとんどが重武装だったが、集団の中心に視線を向けると、幼い子どもの姿も確認できた。
「かれらは何者なんでしょうね」多脚車両のコクピットシートにゆったりと座りながら、大きな欠伸をしていたノイが言う。
「さあな」と、ハクの背で横になっていたマシロの翅を撫でながら言う。「行商をしているとか何とか言っていたけど……」
「どこにも定住しないであちこち移動してる〝流浪の民〟とかですかね?」
「大量の生活物資も運んでいるみたいだから、その可能性はあるな」
「ところで」とノイが言う。
「マシロの翅をずっと触ってますけど、何かあるんですか?」
「翅に付着してる鱗粉を調べようと思っていたんだ」
私はそう言うと、手のひらに鱗粉が付着していないか確認する。
「鱗粉って、マシロが姿を隠すのに使ってる不思議な粉のことですか?」
「たしかに粉っぽいけど、体毛から進化したものだと言われているんだ」
「レイラさんは物知りっすね」
「〈データベース〉で調べただけだよ」
「へぇ」とノイが何故か感心する。「〈データベース〉にはそんな使い方もあるんすね。地図を表示したり、互いに連絡を取ったり、映画や漫画を楽しむものだと思っていました」
「ほとんどの人間はそういう使い方しかしないみたいだな」
興味が湧いたのか、ノイはコクピットから身を乗り出しながら訊ねる。
「それで、その鱗粉について何か分かったんですか?」
「何も分からない」と私は正直に言う。
「翅全体に細かく生えている白い毛のようなものが、その鱗粉なんだけど……」
「それを周囲に散布して、身体全体に付着させていましたよね」
「そして光の屈折を利用して姿を隠していた。と思うんだけど。そこで何が行われているのかは分からない。せめて鱗粉がどのように作用するのか分かれば、新しい装備の開発に役立てられるんだけどな……」
こちらにじっと複眼を向けていたマシロに許可を取ってから、彼女の腕に触れる。マシロの細腕も白い毛に覆われていて、どうやらその毛も全て鱗粉で覆われていると分かった。
「ダメだな。俺に分かるのは触り心地がいいってことだけだ。それ以外のことはまったく分からない」
「ペパーミントさんに頼んで、マシロの身体を詳しく調べてもらうっていうのはどうですか?」
「それはマシロがすごく嫌がるんだ」
「あぁ」とノイは納得する。「服を着るのも以前は嫌がっていましたもんね」
「今はハクの糸で編んだシャツを着てくれているけど、本当はボディアーマーやコンバットブーツも使ってもらいたいんだ」
「それは難しいみたいっすね……そういえば、森にはマシロの姉妹が沢山いるんですよね?」
「マシロの姉妹なら〈母なる貝〉の聖域にいるけど、何か気になることでもあるのか?」
「人間たちに見つからないようにしないとダメだなって思って」
『人間?』カグヤの声が内耳に聞こえてくる。
『人間がどうしたの?』
「ほら」とノイが言う。「マシロたちは〈
『うん、たしかにそうだね。森の民でも一部の呪術師くらいしか、マシロたちの存在を知らなかった』
「でも今はその存在が明確になったじゃないですか」
『もしかして、森の民がマシロの姉妹に何かをすると考えてるの?』
「そうっすね。彼女たちはみんな綺麗な容姿をしていますし〈御使い〉は、人間に近い姿をしていて神秘的な存在じゃないですか。もしも奴隷商人や、ミュータントを商品として扱ってる連中に存在が知られたら、大変なことになると思いますよ」
『言われてみれば、たしかにそうだね……彼女たちは魅力的な商品に見えるかも』
「森の民の族長たちに存在を知られただけでなく、大樹の森にある鳥籠でもマシロたちのことは噂になっている」と私は言う。
「それはマズいっすよ。森の民の統一はまだできていないし、自分たちの利益のためだけに〈御使い〉に手を出そうとする連中はきっとあらわれますよ」
「何か対策を講じないとダメか……」
「でもまぁ、マシロだけでもめちゃくちゃ強いから、姉妹たちに手を出すのは手練れの傭兵団でも相当に難しいことだと思いますけどね」
『そうだね』とカグヤは同意する。『でも姉妹たちは隔絶した狭い世界で生きてきたから、人間の使う兵器に対しての耐性がない。だから、早急に対策を講じたほうがいいと思う』
我々の会話に耳を澄ませていたマシロは、櫛状の触角を揺らすと、廃墟の街に広がる暗がりに複眼を向けた。
「何か見えるのか?」
マシロに訊ねたが彼女は無反応だった。だから〈ハガネ〉の動体センサーを起動して周囲の様子を確かめた。しかし動くモノの反応を捉えることはできなかった。
「人擬きですか?」ノイはライフルを手に取る。
「いや」と私は頭を振る。「人擬きの反応は近くにない。でも街は奇妙なほど静かだ」
「たしかにこの辺りは静かですね。真夜中の廃墟の街っていったら、変異体に襲われたレイダーたちの銃声があちこちから聞こえて、人擬きの不気味な叫び声も聞こえてくるものなんですけどね」
「倒壊した建物に埋まっている巨大生物の
「その巨大な生物が、深夜に徘徊する人擬きやレイダーたちを捕まえてると思うんですか?」
「あれだけ大きな生物だからな。生きていくのにそれなりの食料は必要だろ」
「うげぇ」とノイは顔をしかめる。「それは怖いっすね」
念のために敵意を感じ取れる瞳を使って周囲を観察したが、廃墟は驚くほど静かで、敵対的な生物は近くに潜んでいなかった。
『ちょっといいか、レイラ』我々から少し距離のあるところに立っていたガスマスクの女性が機械的な合成音声で言う。『すこし話があるんだ』
「構わないよ」
ジャンク品を漁ることに夢中になっていたハクに声をかけたあと、女性のそばに向かう。
ちなみにハクが触肢を使って漁っていたのは、傭兵たちのパワードスーツから剥がし取った何かの装置で、旧文明の鋼材でつくられた長方形の箱を気に入っているようだった。光沢のある箱の表面に映る自身の姿が気になるのか、それとも他に興味のある何かがその装置に組み込まれているからなのかは分からなかった。でも危険性はなかったので、ハクが飽きるまで自由に遊ばせることにしていた。
「何か問題が起きたのか?」
女性に訊ねると、彼女は周囲に視線を向けて、それからガスマスクを外した。その瞬間、彼女の美しさが言い知れない気配を伴って波のように周囲に広がっていくのが感じられた。
ハクとマシロはそのことに関して無関心だったが、彼女の素顔を遠目から見ていたノイは驚き、そして息を呑んで咳込んだ。
「すまない。このほうが話しやすいと思ったんだ」彼女は私に青い瞳を向けながら言う。
「大丈夫だ。あんたの美しさにはまだ慣れていないけど、そのうち慣れると思う」
「そうかしら?」と彼女は微笑む。
彼女の微笑みの虜になりそうになると、彼女から視線を逸らして平常心を保つ。
「それで?」
「私を残して、仲間たちが先に鳥籠に行っていたでしょ?」と女性は唇を尖らせながら言う。ひとりで待たされていたことに、実は腹を立てていたのかもしれない。
「故障したヴィードルの部品を手に入れるために、彼らは鳥籠に向かったと言っていたな」
「そう、それでね。ヴィードルの部品を手に入れるさいに、欲しかった医療品の調達も済ませたみたい」
「つまり、あんたたちはもう鳥籠に行かないのか?」
「残念だけど」と彼女は言う。「だからレイラが
「俺は構わないけど――」
「良かった」と彼女は私の手を取る。
「値段の交渉をするから、私について来てちょうだい」
彼女に連れられて行った先には――ガスマスクで顔は見えなかったが、おそらく背中の曲がった老人と、その後ろに姿勢よく立つ者たちがいた。全員がお揃いの赤い防具にガスマスクを装着していた。
背中の曲がっていた人間がガスマスクを外すと、白髪の老婆の顔が見えた。老婆からも不思議な気配を感じたが、それはプラチナブロンドの彼女のものよりもずっと弱々しい気配だった。
「ヴィードルの値段交渉を行う前に、まずは〈リンダ〉を救ってくれたことに感謝をしたい」そう言って老婆がお辞儀をすると、彼女の後ろに立っていた者たちも頭を下げた。
「……リンダ?」
そうがつぶやくと、となりに立っていた女性が自分のことだと小声で教えてくれた。
まだ彼女の名前を聞いていなかった自分の迂闊さに辟易していると、老婆は言葉を続けた。
「この場所で起きた戦闘についての理由はすでにリンダから聞いています。たしかにリンダは戦闘に巻き込まれた身ですが、貴方の勇敢な行動で救われたのも事実です」
「いえ」と私は頭を振る。
「巻き込んでしまって申し訳なく思っています」
「其の上、襲撃者から手に入れた戦利品も頂けるなんて……」
「気にしないでください」と私は苦笑しながら言う。
実際のところ、手に入れられた装備の量は多かったが、ほとんど旧式の装備だったので感謝されるのは気が引けた。
「いえ」と老婆は頭を振る。
「それでも行商をしている我々には貴重なものなのです」
「そうですか……」
それから我々は鹵獲した多脚車両の値段について話し合うことになったが、そもそも車両を売買するさいの相場が分からなかったので、拠点にいるジュリやヤマダと相談しながら値段を決めることになった。
自分たちだけで車両を回収することになると、輸送機を使用して色々と面倒な工程が必要だったので、安くてもいいから手放すことに決めていた。だから値段交渉で揉めることはなかった。彼らは誠実だったし、彼らが示してくれた値段も妥当だった。だからさらに割引することにした。
「本当にこんなに安い値段でいいのですか?」と老婆が驚く。
「構いませんよ」と私は言う。「ついでにパワードスーツも持っていきます?」
「そんなものまであるのか?」と老婆は大袈裟に驚いた。
「ええ。どうやら襲撃者たちは本気で俺を捕まえようと計画していました」
「そういえば、そんな事情がありましたね……難儀なものだ」
「まったくです。ちなみに捕虜にした女性がひとりいるんですけど、ついでに預かってくれます?」
「構わないが……」老婆は少し困惑する。
パワードスーツや多脚車両を彼らのコンテナに積み込むのは、日が昇ってから行う予定だったが、老婆は先に代金を支払ってくれた。それなりの収入になったので、目的の〈チップセット〉が想像していたよりもずっと高価なモノだとしても、取引できるだけの金は手に入ったと思う。
「色々と助かったよ、レイラ」とリンダは言う。
「気にしないでくれ、これも何かの縁だよ」
月明りに輝くリンダのプラチナブロンドを見ながら私は適当に言う。
それから子どもたちに視線を向ける。大人たちに見守られながらコンテナに入って行く子どもたちはガスマスクをしていなかったので、彼らがリンダと同じプラチナブロンドで、彼女と同様の気配をまとっていることが分かった。
「もしかして」と私は言う。
「一緒に行動している人間は全員、あんたの親戚なのか?」
「そうだ」彼女はうなずいて、それから言った。
「リンダって呼んでくれても構わないぞ」
私は肩をすくめると、彼女は苦笑する。
「私たちは、みんな同じような容姿をしているんだ」
「プラチナブロンドに青い目、そしておそろしいほど整った顔立ち」
「そうだ」と彼女は真剣な面持ちにうなずく。
「だからひとつの場所に留まっていられないんだ。理由は言わなくても想像できるだろ?」
「奴隷商人や、レイダーたちに狙われるからか?」
「そうだ。この容姿の所為で、私たちの一族はずっと昔から流れの生活をするようになったんだ」
「だから顔を隠すためにガスマスクをしているのか……」
「外部の人間に素顔を見せることは、極力避けたほうがいいからな」
「俺には見せてくれたけどな」
「礼儀は大切だ。マスクをしたまま感謝をするのは失礼だろ」
そう言ってリンダは可愛らしく笑ってみせた。
「それなら、他にも仲間がいるのか?」
「仲間は大勢いる。私たちはいくつかの氏族に別れて廃墟の街を
「血を絶やさないため……つまり、婚姻のために合流するんだな」
「そんなものだ」
月明りに照らされたリンダの横顔を見て、それから訊ねる。
「どうしてそんな大切なことを教えてくれるんだ?」
「何故だろう?」
リンダは頬に両手をあてると、何かを考えるように月を見つめた。
「なぁ、リンダ」
「なんだ?」
「先祖が異界からやってきたとか、そんな話を聞いたことがあるか?」
「いかい……?」とリンダは首を傾げる。
「聞いたことないけど、それは何か重要な事なのか?」
「いや」と私は言う。「気にしないでくれ」
「そう言われると、逆に気になってしまうぞ」彼女は頬を膨らませた。
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