第330話 瓦礫の街 re


 高層建築群の間に冷たい風が吹き、廃墟の街に冬の訪れをささやく。


 長く冷たい季節に備えて、神々の国から追放された哀れな不死者たちは巣籠もりの準備を始める。彼らは両手に抱えきれないほどのご馳走を用意し、それを巣に運び込み眠りにつく。残念ながら贅沢はできない。夏の間に捕えていた甲虫を食べるのが関の山、廃墟の街で捕まえた痩せ細った人間がいれば上等だ。


 けれど食べられるのなら、彼らは何だって喜んで食べる。それが不死者たちに与えられた罪だと教団は虚妄きょもうを口にする。〝永遠を生きたいと願った人々は楽園から遠ざけられ、王国へと続く門は固く閉ざされている。だから彼らは生者を憎んでいる〟のだと。


 それなら、死者に救いが与えられる日は訪れないのだろうか?

 何十年先か、何百年先か、それは誰にも分からない。高層建築群が砂に変わり、山が崩れ、海が乾くころ、かれらは死者の王国を手に入れる。かれらだけの世界だ。


 それが救いになるのかは分からない。けれど少なくとも、彼らは他者を傷つけないで生きられる世界を手に入れる。でもその先に待つのは何だろう?


 ぼんやりとした思考を打ち切ると、高層建築群に目を向ける。軍用規格の多脚車両ヴィードルは順調に瓦礫がれきの街を走行している。


 腐食して崩落した広告看板や建築物の瓦礫、陥没した道路を縦横無尽に走る多脚車両は、六本の脚の間に球体状のコクピットを持ち、それは旧文明の優れた技術で走行時の振動が限りなく抑えられていて、防弾キャノピーを透かして見る外景色にも揺れは感じられない。おかげで瓦礫の散乱する道路でも快適な走行が可能だった。


 枯れたツル植物におおわれていた廃墟の横を通り過ぎ、横倒しになった建物に取り付く。傾斜がきつくなると車両の脚の先から爪を出し、その爪を建物に食い込ませながら登っていく。


 球体状のコクピットは脚の間でくるりと回転し、つねに搭乗者の姿勢を水平に保ってくれているため、傾斜が急になってもコクピット内の環境に変化はなく、身体が逆さになる心配はない。


 建物の屋上に到着すると、アラビア文字が目立つ航空機の巨大なホログラム広告が瞬く建築物に向かって飛び、脚の先に重力場を発生させ外壁に張りつく。旧文明期以前の建物と異なり、特殊な建材が使用された外壁に爪は食い込まないので、重力場を使い建物に張りつくしかない。


「レイラさん」多脚車両を操縦していた青年が言う。

「目的の鳥籠まで、このままヴィードルで行くんすか?」


「……そうだな」後部座席で端末を確認しながら口を開いた。

「無駄な戦闘を回避するため、徒歩での移動はできるだけ避けたいんだ」


「了解っす。それなら、このまま鳥籠まで向かいましょう。それなりの規模の鳥籠なんで、レイラさんのヴィードルが目立つこともないと思います」


 車両を操縦していたのは〝ノイ〟と呼ばれる青年で、かれはイーサンが組織した傭兵部隊に所属していた最年少の傭兵で、金髪に青い瞳を持ち、背が高く痩せた体系をしていた。灰色を基調とした特殊なスキンスーツに、ボディアーマーを兼ねた黒いチェストリグを装着していて、戦闘服の袖からは、びっしりと刺青された腕が見えた。


 派手な恰好をしたヤンチャな青年だったが、戦闘経験が豊富で頼りになる仲間だった。ちなみにノイは我々の組織に所属する女性と恋人関係になっていて、驚くことに彼女は〈ヤトの一族〉の戦士でもあった。


 我々は現在、〈ブレイン〉たちの研究に必要な装置を製作するための資材を購入するため廃墟の街にやってきていた。必要なモノのほとんどはジャンクタウンで入手できたが、手に入らなかったモノもある。そのため、必要な商品が流通していた鳥籠に向かうことになり、神奈川県に点在する〈鳥籠〉に詳しいノイが私に同行してくれることになった。


 ノイとは以前にも仕事をしていて、個人的に彼の仕事を高く評価していたので不満はなかった。しかし〈深淵の娘〉でもあるハクは違った。どうしても一緒に行きたいと言うので、〈鳥籠〉に入れないから退屈してしまうと説明したが、ハクは頑として聞かなかった。


 だから今回はハクとマシロも同行している。けれどハクたちが今何処にいるのかは分からない。気がついたらいなくなっていたので、結局、廃墟の街で遊びたいからついてきただけだったのかもしれない。


「それにしても、必要なコンピュータチップが簡単に手に入るといいんですけどね……」

 ノイはペパーミントから受信した買い物リストを全天周囲モニター表示しながら言う。


『入手するのが難しいと思うの?』

 カグヤの声がコクピット内に設置されたスピーカーから聞こえると、青年は肩をすくめてみせた。


「物自体は簡単に見つかると思うんですけど、鳥籠の商人たちは色々と複雑な事情を抱えていますからね。とんでもない値段を吹っ掛けられる可能性があります」


『複雑な事情?』

「これから向かう鳥籠は、レイダーたちが住民を虐殺して占拠した場所なんですよ」


『鳥籠を占領したあと、レイダーたちは略奪稼業を止めて、まっとうな生き方をするようになったの?』


「いえ、ある程度の秩序は保たれていますが、連中は今も危険なレイダーギャングですよ。現にあそこは奴隷商人が多く集まる鳥籠になっていて、依存性の強い薬物や飼い慣らされた変異体、それに軍用規格の危険な〈サイバーウェア〉を取引する鳥籠として有名で、とてもまともな稼業とは言えませんよ」


 モニターに表示される地図を確認しながらノイにたずねる。

「商人たちの事情っていうのは?」


「鳥籠の責任者に支払うショバ代が異常なほど高いんすよ」

 ノイはそれだけ言うと、錆の浮いた非常階段を蹴ってとなりの建物に飛びついた。


「つまり、ギャングが求める法外な〝みかじめ料〟を支払うために、商人たちは商品の値段を吊り上げているのか」


「そういうことっすね。ペパーミントさんに頼まれたチップセットは、流通量が少ない希少品だから、下手したらとんでもない額で買わされることになります」


「それは面倒だな……」

『ねえ、ノイ』とカグヤが言う。

『商人たちが素直にショバ代を払う魅力はなんだと思う?』


「鳥籠のですか?」ノイは建物の壁面に飛びつきながら言う。

『そう。だってそんなに値段を高く設定したら、お客さんが減っちゃうでしょ』


「鳥籠で取引されている商品が特別なんですよ。奴隷も一級品で、戦闘用に調教された変異体も売ってますし、あの鳥籠でしか入手できない商品って付加価値があるんですよ」


『だから高くても買う?』

「そんな感じですね。あとは……立場を誇示するために買い物をする商人もいますね」


『立場? もしかして、ここで買い物ができる俺さまは偉いんだ。ってやつ?』

「そうっすね」とノイは苦笑する。「そんな感じです」


 上空を飛行していた〈カラス型偵察ドローン〉から受信する映像を見ながら、ノイに声をかける。


「ノイ、この先に人擬きが潜んでいるみたいだ。警戒して進んでくれ」

「了解」かれはそう言うと、無数の瓦礫が転がる道路に向かって飛びおりた。


 基本的に〈人擬き〉を殺すことはできないので厄介だったが、それよりも気をつけなければいけないのは、人擬きの攻撃で傷を負わされて感染してしまうことだった。もしも人擬きに噛みつかれたり、爪で引っ掻かれたりした場合、その人間は〈人擬きウィルス〉に感染し、数日で理性を持たない化け物に変化してしまう。


 瓦礫に埋もれた街を徘徊している人擬きの多くは、何かしらの方法で傷つけられたことで感染して、人擬きに変異した個体だった。


 新たなに人擬きに感染した個体と、はるか以前から廃墟を彷徨さまよっている個体の区別をつけるのは簡単だ。初期の人擬きは何度も変異を繰り返してきた所為で人間離れした姿をしていて、衣類を身につけていない。何年も廃墟の街を彷徨ってきたからなのか、かれらの衣類はすり切れ、ボロ切れになって失われてしまっている。


 そしてもうひとつ違いがある。ずっと昔から廃墟を彷徨ってきた人擬きは、特定の棲み処を持ち、夜間に行動し、闇にまぎれて奇襲することを好む。しかし感染して間もない個体は、特定の棲み処を持たず、昼夜を問わず廃墟の街を彷徨っている。


 愚鈍で本能の赴くままに行動するので、その行動は予測しやすい。我々の進路上にいる個体も、そんな愚鈍な感染体だった。


 ノイは建物の外壁を蹴って空中に飛び出すと、人擬きを踏み潰しながら着地し、我々の存在に気がついて突進してきた別の人擬きの頭部をマニピュレーターアームでつかみ、そのまま瓦礫に叩きつける。グシャリと潰れて気色悪い体液やら何やらが飛び散る。


 背後から迫ってきていた二体の人擬きは、建物の上方から音もなくやってきたハクの糸に捕まり、ベタリと道路にはりつけにされて身動きが取れなくなる。


 ノイはモニターに表示される複数の情報で周囲の様子を素早く確認して、それから防弾キャノピーを開いた。


「処分してきます」

 ノイはライフルを手に取ると、車両から飛び降りて人擬きに向かって歩き出す。基本的に人擬きを殺すことはできないが、我々が装備していた旧文明の兵器なら、人擬きを殺すことが可能だった。


 特殊な合金を使い銃弾が生成されるさいに、抗ウィルス剤を運ぶナノマシンが銃弾に付与され、それが人擬きの不死性に影響を与えるようだ。詳しいことは分からないが、とにかくその武器を使えば、不死の人擬きを殺すことができた。


 しかし貴重な装備なので、誰も彼もが所有しているというわけではない。だから人擬きは依然として人類の脅威であり続けた。


 ノイは多脚車両で踏み潰していた人擬きに近づくと、躊躇ためらうことなく銃弾を撃ち込み、頭を潰して無力化していた人擬きの胴体に銃弾を叩き込む。それから弾薬を〈火炎放射〉に切り替えて、すぐに死骸を焼き払う。死骸を処理するのは、血肉を求めて集まってくる昆虫や、ほかの人擬きを寄せ付けないための処置だった。


 悪臭を放つ黒煙が立ち昇るようになると、臭いに引き寄せられた人擬きが瓦礫や廃車の下からい出てくるのが見えた。まだ変異してからさして時間が経過していないのだろう、濃緑の戦闘服には赤黒い血液がベッタリと付着していた。動きも反応も鈍く、さして脅威にならない相手だった。


 ハクは糸で雁字搦がんじがらめにされていた人擬きを無視して、道路に面した廃墟の建物に入って行く。大きなガラス窓の割れた建物は、土砂と瓦礫に埋もれていたが、ハクは少しも気にすることなく建物内に侵入する。ハクの背に乗っていたマシロも興味深そうに建物の暗闇に視線を向けていた。


『敵を見つけたのかも』

 カグヤの言葉にうなずいたあと、ノイに声をかけて人擬きの処理を頼む。

「こっちは俺に任せてください!」と青年は射撃しながら言う。


 すでに複数の個体が無力化されていたので、かれに任せても大丈夫だろう。

「なにか見つけたのか、ハク」

 白蜘蛛のあとを追いながら声をかけると、薄暗い通路からハクの声が聞こえる。

『たからもの、さがす』


「寝床を飾るジャンク品が欲しいだけか……」

 建物内はひっそりとしていて、人擬きの気配は感じられない。念のため〈ハガネ〉の動体センサーを起動して、周囲に動くモノがいるのか確認したが、目立った反応は検知できなかった。


 地下につづく階段は土砂で完全に塞がれていたが、上階に行くのは可能だった。ハクは脇目も振らずトコトコと階段を上がっていく。


 ハクのあとを追って通路に入ると、天井に昆虫の卵がビッシリと産みつけられているのが見えた。ソレは半透明の薄い膜に覆われていて、それぞれがグレープフルーツほどの大きさで、時折、ぷるぷると震えているのが確認できた。


「ハク、すぐに戻ってきてくれ」

 焦りの感情を受け取ったハクは素直に戻ってくるが、天井に逆さになって移動していたので、今にも卵を潰しそうになっていた。


『どうした、レイ』

 ハクは可愛らしい声で言う。


「その虫の卵を焼くから、建物の探索は諦めてくれるか」

『どうして、やく?』


「この卵を産みつけた昆虫の正体は分からないけど、危険な虫がたくさん産まれてきたら大変だろ」


 ハクはトコトコと身体の向きを変えると、じっと卵を見つめた。

『まるい、きけん?』

「卵は危険じゃない。問題は中身だな」


『たしかに……』

 ハクは天井をトントンと叩く。

『でも、おいしいかもしれない』


『大きなイクラに見えなくもない』

 カグヤの言葉に溜息をつくと、先ほどから姿が見えなくなっていたマシロの位置を確認して、それから〈火炎放射〉で通路を焼き払う準備をした。

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