第329話 目的 re


 水槽の上部に設置されている用途不明のカメラアイにちらりと視線を向けたあと、太腿のホルスターからハンドガンを引き抜いて、弾薬を〈重力子弾〉に切り替えて水槽に銃口を向けた。銃身が十字に開いて内部にいくつもの光の筋が走ると、銃口の先に天使の輪に似た光輪が出現する。


『それは脅しかな?』暗闇のどこからか青年の声が聞こえてくる。

「どう思う?」と私はたずねた。


『質問に質問で返すのは感心しないな』薄闇から聞こえてくる青年の声は素っ気無かった。『でもまあ、脅したくなる気持ちは理解できるよ。君は僕たちの存在に怯えている。だから先手を打ったんだね。でも力を誇示することで、本当に僕たちが従順になると考えたの?』


「考えてはいないさ。けれど俺たちを害することがあれば、いつでも水槽を壊すことができると見せたかったんだ」


『いいや、君にはできないさ。人間は利己的な生き物だ。僕たちを失う損失に比べれば、少し揶揄からかわれる何てどうと言うこともない。そうでしょ?』


「何事にも限度はある」


『そうだね、でもよく考えてくれないか』青年の落ち着いた声が聞こえる。

『君の兵器でそれが出来るか出来ないかは置いておいて、もしも水槽が破壊されてしまえば、君が〝大切〟だと言っていた仲間たちが、破壊された水槽から溢れ出す特殊な海水に飲み込まれてしまうことになる』


「するとどうなるんだ?」


『死ぬことはないだろうね。その液体は人間にとって毒ではないし、寧ろ摂取することで人体の活動に必要な栄養素を得ることだってできてしまう。でもこの広大な空間で君たちは離れ離れになってしまう。水流に運ばれて空間の深層にたどり着いてしまったら、君たちはどうなるのだろうか? 次に会うのは一年後か、それとも十年後か、それは誰にも分からない』


「そんなことにはならないさ」


『そうだね。でも何が起きるのかは誰にも分からない。だから君は今、水槽を破壊するようなことはしない。絶対に。でも君は意思表示をしなければ目的を成し遂げられない』


 水槽の向こう側で青藍色の発光を繰り返すグロテスクな生物を見ながら私は言った。

「俺の目的とは?」


『さぁ?』と、今度は女性の声が聞こえてくる。

『〈不死の子供〉たちが何を考えているのかなんて私たちには分からないわ。でも目的があるからこそ、貴方はこの場所に来た。人を動かす原動力になっているのは、何かを得ようとする目的にあるのだと私は学んだつもりだったけど、間違っていないでしょ?』


「人間について色々と知っているみたいだな」


『まさか』と、女性は鼻を鳴らす。『私たちが人間について知ることができたのは、水槽のデータライブラリーに保存された情報のおかげよ。でも限られた僅かな情報だけで、人間のすべてを知っているかのように振舞うつもりはない』


「データライブラリー?」

『古い時代の、娯楽性を追求した映画やドキュメンタリー映像が見られるようになっているの』


「水槽の中で〈ブレイン〉たちは自由に〈データベース〉に接続できるのか?」


『私たち専用のデータライブラリーに接続できるだけよ。念のために言っておくけど、外部とはつながっていないから安心して』


「どうして俺が心配していると?」


『さぁ? そのライブラリーだけど、小説や漫画と呼ばれるモノも自由に閲覧できる。人工知能が作製してくれるモノもあるから、際限なく読める。おかげで作品に夢中になって、何年も漫画ばかり読んでいる仲間もいれば、膨大な数の作品すべてを確認しようと挑戦する仲間も大勢いる』


 私は水槽の奥に目を向けて、薄闇の中で漂っている無数の〈ブレイン〉を視界に入れる。


「ここですいぶんと快適な暮らしをしているのね」とペパーミントがつぶやく。


『たしかにその通りよ』と、女性の声が答える。『娯楽とは無縁な生活を送っていた私たちが夢中になれるものが、この場所には沢山ある。でもそれはある意味、牢獄と同じなのかもしれない』


「それは、〈ブレイン〉たちが好奇心を抑えることができないから?」


『そう。私たちは見たり、学んだりすることで得られる刺激を知ってしまった。知識を深めれば深めるほど、さらに多くの知識や刺激を求めるようになってしまったの』


「まるで薬物依存症の患者みたいね」

『もっと酷いわ』


『外の情報はどうやって得ていたんだろう?』カグヤの声が内耳に聞こえた。

 私はハンドガンの銃口を下げると、〈ブレイン〉たちに訊ねた。


『研究員たちの日常会話や、研究対象から得ていたのさ』と、青年の声が聞こえてきた。

「それで〈不死の子供〉たちについて知ったのか?」


『そうさ。君たちは混沌と深い縁でつながっているからね。とりわけ興味をもったのさ』

「深い縁……? 人類は混沌と敵対関係にあると思っていたが、俺は思い違いをしていたのか?」


『いいや、その認識は正しいよ。でも君たちの魂を縛っているものは、混沌に由来するものだ』


「それはもしかして、〈不死の子供〉たちが異界の神々と交わした契約について話しているのか?」


『そうだね』

「あれはただの噂じゃないのか?」


『いいや、君たちは種の存続のために――つまり人類のために犠牲になることを選択しなければいけなかった』

「犠牲……異界の神との契約がその選択だと言うのか?」


『悪いけど、それがどんなものなのかは知らない。でも君たち人類が大きな秘密を抱えていることは間違いない』


「俺たちに干渉して挑発するのは、その契約と何か関係があるのか?」と私は率直に訊ねる。「それとも、刺激とやらが欲しいから行き過ぎた悪戯をしているのか?」


『いいや、まったく関係ないね。人類にとって僕らはとても不快な容姿をしているみたいだけど、混沌とはまったく関係ない生き物だからね』


「それなら、〈ブレイン〉たちの目的は何だ?」


『目的?』青年の笑う声が聞こえる。『僕たちに目的なんてものはない。どうして人間の枠にはめようとするんだ? いい加減に理解してくれ、僕たちは人類とは根本的に異なる種なんだ。同じ言葉を話すからといって、同じように考えているとは限らない。さらに言えば、人間が僕たちとどんな風に接するのか興味があるけれど、それに対して何かを得ることはないし共感することもない。結局のところ、僕たちは僕たちにしか関心がないんだ』


 それは広大な海で孤独に生きてきた〈ブレイン〉たち特有の性質なのかもしれない。世界の中心にあるのはいつでも自分自身の思考で、それ以外の物事は、自身の思考を拡張させる要因でしかない。あるいは食物を摂取することで、身体の機能を維持する生物と同じようなものかもしれない。


 それがなければ生きていけないが、食物を口にするのは栄養を補給するためだけではない。かれらも本能に従い、子孫を残すために危険を冒すこともしなければいけない。かれらは危険だと分かっていても、本能の赴くままに触手を伸ばし、知識を吸収していく。しかしそれがなくとも彼らは生きていける。何千年も何もない世界で生きてきたのだから。


「なら教えてちょうだい」ペパーミントが言う。

「貴方たちは何がしたいの?」


『何も。ただ海水の中を漂っているだけさ』ハッキリした青年の声が聞こえる。

「話にならないわ」


『理解し合う必要はないんだ』

「なら、俺がお前たちに目的を与えてやる」

 ワザと傲慢な態度でそう言って彼らの反応を注意深く観察する。


『それはどんな目的?』

 薄闇の中からあらわれたブレインが発光すると、溌剌はつらつとした女性の声が聞こえてくる。


 私の傲慢な態度には無関心だった。〈ブレイン〉たちの関心事の外にある物事の多くは、やはりすべて意味のないものとして処理されるのかもしれない。


「〈ブレイン〉たちには研究を手伝ってもらいたい」

『それが〈不死の子供〉の目的?』と女性の声が聞こえる。


「そうだ。俺から見返りに差し出せるものはないが、研究で得られる知識や刺激そのものを与えることができる」


『いいわね』

『いいや』と青年は言う。

『何を研究させてくれるのかを知るまで、僕は賛成できない』


「貴方たちに選択権はないわ」とペパーミントが言う。


『研究を手伝わなかったら、君はどうするんだい?』青年の冷笑を含んだ声が聞こえる。

『水槽を破壊するのかい? 僕は別にそれでも構わないよ。僕たちは――』


「止めて。クドクドと同じ話をしないで。貴方たちの特質について聞かされるのにはウンザリしているの」


『お人形さんは、ご機嫌斜めよ』高飛車な女性の声がする。

「貴方は黙ってて」ペパーミントはぴしゃりと言う。


『レイラは――』と幼い男の子の声が聞こえる。

『僕たちに何を研究して貰いたいの?』


『異界の遺物かしら』女性の声がすると、大きな〈ブレイン〉が近づいてくるのが見えた。

『いいや』と青年の声がする。『兵器だよ。人類が望むものは、いつだって兵器なんだ』


『そうかしら? 私は混沌の生物の死骸の調査だと思うわ』

『違うね。それを僕たちに頼んでいた研究員は出ていったきり戻ってこないし、〈不死の子供〉は兵士だ。兵士が求めるものは混沌の生物をほふることのできる兵器だ』


『でも基礎研究は大事よ。それに彼は私たちのことを信頼していない。見て、あの顔。あんな目で私たちを見ている人間が、信用できない生き物に兵器の研究を任せるはずがない』


『澄ました顔の嫌な奴だ』

『あら? 貴方が人間の顔を区別できる何て知らなかったわ』


『常識さ。何なら性別の違いも言い当てることができる』

『あのお人形さんが女性だってことくらい、私にも分かるわ』


『人類の性的区別は外見でハッキリ分かるから、それは自慢にならないさ』

『自慢したかったのは貴方じゃない』女性の笑い声が聞こえる。


『いいや。僕にその概念はないさ』と青年の声が続く。

『またブレインの特質について話すつもり? お人形さんに怒られるわよ』


『それは厄介だな。感情に任せて激昂すると人間は正常な判断ができなくなる』

『思考が鈍るのね。それって面倒だと思わない?』


『いいや、君がそれを楽しんでいたのを僕は知っている』

『昔はね、今はとても退屈な反応だわ』


『それなら、あの機械人形の調査を依頼するつもりだ』

『それこそないと思うな』


『いいや。機械人形の強化をしたいんだ。あれは家庭用の〈マンドロイド〉だから、兵器を満載したいのさ。きっとね』


 私は咳払いをして、それから言った。

「話を続けてもいいか?」


『うん。いいよ』と男の子が言う。

 先ほどまで言い争いをしていた〈ブレイン〉たちがどこかに泳いでいくのを確認したあと、私は口を開いた。


「混沌の生物から手に入れた遺物を調べてもらいたい」

 私がそう言うと、ペパーミントはショルダーバッグから石のような素材でつくられた輪形の物体を取り出す。それは以前、大樹の森の聖域近くで〈混沌の化け物〉と戦った時に入手していたモノで、その化け物が生きていたときには、まるで天使の輪のように光り輝く輪だったモノだ。


『興味深いわね』

 女性の声が聞こえると、水槽の上部に設置されていたカメラアイからスキャンを目的としたレーザーが照射される。


 〈混沌の化け物〉が自由自在に輝かせ、そして大きさを変化させていた輪は、今ではチャクラムと呼ばれる古代インドで用いられた投擲武器とほぼ同じ形状をしていて、手に持てるほどのサイズに変化していた。


 スキャンのためのレーザー照射が終わると、水槽の外壁から液体が染み出し、立方体の箱を形作っていく。それは空中にプカリプカリと浮かび上がり、ゆっくり近づいてきた。


 水槽の表面が強化ガラスだと信じ込んでいた私は驚愕したが、なぜか冷静さを装う。

「この液体は?」と〈ブレイン〉に訊ねる。


『外部との物の受け渡しに使用する単純なシステムだよ。もちろん危険なことは何もない。だからね、その中に異物を入れてほしいんだ。そうじゃないと僕たちはそれを調べられないからね』


「その前に約束してくれないか?」

『何を?』


「もう俺たちを揶揄からかうのは止めてくれ。敵対的な行動も慎んでくれ」


『いいかしら?』と女性の声が聞こえる。

『それを私たちが約束したところで、貴方は私たちを信じてくれるの?」


「残念だけど、〈ブレイン〉を信じることはできない」と私は素直に言う。

『なら教えて、意味のない約束をする理由は?』


「自分の行動が間違っていないっていう安心感がほしかったのかもしれない」

『自分を納得させるための行為……人間の感情は複雑ね』


「俺もそう思うよ」

『それで』と青年の声が聞こえる。

『僕たちにソレを研究させてくれるのか?』


「どうするの、レイ?」

 ペパーミントが小声で質問する。


「こいつを研究してもらうために施設に戻って来たんだ。今までの苦労を無駄にする気はないよ」


 不自然に空中に浮かんでいる液体状の立方体を見つめて、それから遺物を液体の中に落とした。輪は液体の中ほどまで沈んで、そして固定されるように立方体に留まる。


 液体状の立方体はふわふわと水槽の表面まで戻っていくと、ガラスに見える何かに混ざり合うようにして溶け込んでいく。そうして遺物は水槽のなかに入っていく。すると浮かんでいた遺物に無数の触手が一気に伸びてくると、輪はあっと言う間に水槽の暗闇に消えていった。

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