第328話 大いなる秘密 re


 鋼鉄製の厚い隔壁で閉鎖されていた〈サーバルーム〉の入り口が開くと、空間のゆがみを利用して拡張されていた空間に薄暗い照明が灯る。広大な空間を有する〈サーバルーム〉には、墓石にも見える高さ三メートルほどの黒い長方形の装置がいくつも並び、床は素通しのガラス張りになっていた。


 その強化ガラスの向こうにも、幾重にも重なるガラス張りの部屋が見え、目の前に並んでいるのと同じ長方形の装置が数え切れないほど設置されていた。それらの装置のそばでは、何かの作業を行っている大量の機械人形の姿が見えた。


 いくつもの階層に分かれて存在する〈サーバルーム〉には、果てがないように思えた。それほど多重構造の異質な部屋は深く、そして広大な空間を持っていた。これだけの空間をつくり出すのに、どれほどのエネルギーを必要としたのか想像もできなかった。しかし旧文明の人類は、たしかにこの空間をつくり出せる技術を持っていたのだ。


 そして立ち並ぶ装置の先に〈ブレイン〉たちの棲み処である巨大な水槽が見える。その水槽は足元に広がる階層を跨いで存在している。


 水槽がどれほど深いのかは見当もつかなかったし、そこに潜んでいる〈ブレイン〉たちの数も把握できていなかった。あるいは、仄暗い水の底には我々が思いも寄らない生物が潜んでいるのかもしれない。しかしそれを知ることは現時点ではできなかったし、そんな日が訪れるのかも分からなかった。


 薄暗い部屋に入って行こうとすると、ペパーミントに腕をつかまれる。

「待って、レイ」

「どうしたんだ?」


「まだ大事な仕掛けを設置しないといけないの、だから少しだけ待って」

 彼女は、ウミが廊下に設置していた円筒からデータケーブルを引っ張り出すと、それを手元の小さな端末に接続する。それから〈サーバルーム〉に入ることなく、腕だけ部屋のなかに入れて壁の隅に端末を設置した。


「これで〈データベース〉との接続が切断されることはないはず」

 彼女はそう言うと、ホッと息をついた。

いてもいいか?」とペパーミントにたずねる。


「どうぞ」と彼女は微笑みながら言う。

「部屋に設置した端末を介して、〈ブレイン〉たちが〈データベース〉に侵入する可能性はないのか?」


「もちろんその可能性は考慮しているし対策もしている。基本的にその端末は私たち以外からの通信や接続はすべて受け付けないようになっているの」


「絶対に安全だと言い切れるのか?」

「ええ」ペパーミントは自信に満ちた表情で言う。


「無線での接続は絶対に不可能よ。端末を開いてデータケーブルをつなげたら、さすがにマズいけど、そんな事はありえないでしょ?」


「どうしてだ?」

「だって〈ブレイン〉たちは水槽から出てこられないでしょ?」


 水槽に視線を向けて、それから肩をすくめる。

「たしかにそうだな」


 ペパーミントは装置を眺めながら言う。

「私たちが〈サーバルーム〉に閉じ込められることがないように、入り口の開閉機構も細工したし、開いたままの隔壁から許可なく出入りできないように、生体認証で動作するシールドも展開した……他にも何か必要かしら?」


「いや、これで充分だと思う」

「ウミはどう思う?」ペパーミントは不安そうに言う。


 白菫色の〈マンドロイド〉は、頭部ディスプレイに笑顔の女性を表示すると、テキストメッセージを送ってくる。


〈私も対策は充分だと思います〉

「それなら行こう」と私は言う。

 拡張された空間に入るさいに感じられる薄い膜を通り抜ける僅かな抵抗が感じられる。


『あれ?』ふいに幼い男の子の声が聞こえてくる。

『この反応って、レイラだよね?』


 室内に設置されたスピーカーを通して声が聞こえたあと、水槽内に点滅する発光体が次々とあらわれる。おそらく水槽の中にいる〈ブレイン〉の体表が発光しているのだろう。


「この声は、〈ブレイン〉だな?」と、薄闇に向かって言葉を口にする。

『うん、そうだよ』と、元気な男の子の声が聞こえる。

『出て行ってから少しも経ってないけど、なにか忘れ物をしたの?』


「いや」と私は頭を振る。

「それにすぐに戻ってきたわけじゃないんだ。それなりの日数が経過している」


『そうなんだ。全然気がつかなかったよ』


「人間と異なる時間感覚を持っているから、私たちとの間に齟齬そごが生じるのかしら?」

 ペパーミントの言葉に反応して、驚いたような声が聞こえてくる。

『そこにいるのはレイラだけじゃないの? ハクの気配はしないけど……?』


「いや」と私は頭を振る。

「一緒にいるのはハクじゃない。けど大切な仲間だ」


『そうなんだ。仲間か……まったく気がつかなかったよ』

「どうしてだ?」


『施設の様子を確認するために使っていたカメラとセンサーの様子がおかしいんだ。だから水槽の外の様子がまったく見えなくなっちゃったんだ』


「それはいつからだ?」


『レイラが出て行ったすぐあとだよ。あれからね、すぐにこうなったんだ。でもね、外の様子が見えなくても困ることはないと思ってたの。だって僕たちが見るべきものなんてないでしょ。でもやっぱり不便だよね』


 男の子はそう言うと無邪気に笑った。

『ねぇ、レイ』とカグヤの声が内耳に聞こえた。

『私たちが管理システムを支配下に置いたから、そうなったのかもしれない』


「それが〈ブレイン〉たちの嘘じゃないと仮定するなら、だけどな……」

『嘘?』と男の子が反応する。


「なんでもないよ」と私は頭を振る。

「それより、どうして水槽の外の様子が分からないのに、俺のことが分かったんだ」


『〈不死の子供〉は特別だからさ』と、今度は青年の声が何処からか聞こえてくる。

『君の魂から漂ってくる混沌の香りを、僕たちは感じ取ることができるのさ』


「それは何かの比喩なのか?」率直に訊ねる。

『いいや。文字通り、君たちの魂は混沌に染まっている。だから分かるのさ』


「混沌の香り……?」ペパーミントはそう言うと私の首元に鼻を近づける。

「レイの匂いがするだけね。そもそも混沌の香りってなに?」


「分からない」ペパーミントから漂う甘い匂いを嗅ぎながら言う。

「レイ」と彼女は私の袖を引く。

「水槽の近くに行ってみましょう」


「そうだな」

 我々は長方形の装置が並ぶ通路を歩いて水槽に近づく。

『ねえ、レイラ』と男の子が言う。

『今日はどうしてハクがいないの?』


「今日は外で遊んでいるんだ」

『外か。土を踏んでいるんだね』


「かもしれない」

『ねえ、土を踏むのって、どんな感じがするの?』


「やわらかい土もあれば、固い土もある。だから一概に説明することはできない」

『そうなんだ。それならさ、川はどんな感じがするの?』


「冷たくて濡れる」

『濡れるってどんな気分がするの?』


「どうだろう……その時の気分による。俺に聞かなくても分かるだろ?」

『どうかな? でも面白いね。乾いたらどんな感じがするの?』


「難しい質問だ」

『答えるのが面倒?』

「そうなのかもしれない」


 ミイラに聞けば良いのかもね。

 そうだな。ミイラなら干からびているから、乾いた人間の気持ちが分かる。


 ミイラはどうして干からびたの?

 死んで加工されたんだ。


 どうして死んだのかな?

 病気だったんだ。


 どうして病気になったのかな?

 きっと川の水が冷たかった所為せいだ。


 レイラも病気なの?

 いや、俺は病気にならない。


 でも、いつか死ぬんでしょ?

 死ぬのかもしれない。


 死んだら、こうやっておしゃべりすることができないね。

 死者は誰とも話さないからな。


 ミイラは話すのかな?

 クソったれなミイラは舌がないから話ができない。


 それは悲しいね。

 悲しいのかもしれない。


 誰とも話さないって、どんな気持ちなのか想像できる?

 想像はできる。


 でも完全には理解できない。

 そうだ。俺は濡れたことがあっても、死んだことはないからな。


 僕はね。数千年の間、ずっと独りだったことがあるんだ。

 ……それで?


 暗闇をプカプカと浮いていたの。延々と続く暗闇をプカプカと。

 プカプカか、それは気持ち良さそうだ。


 プカプカが気持ち良くなると、ミイラになるのかもしれないね。

 プカプカは死なないさ。


 でもミイラは加工してもらう必要があるでしょ?

 ミイラのクソったれについては話したくない。


 どうして? レイラもミイラだから?

 ミイラは話をしたりしない。


 舌がないんだよね。でもレイラは舌を持っているの?

 覚えていない。


 プカプカに盗まれたのかもしれないね。

 そうだな。


 でもさ、土ってすごいよね。

 いや。土について知っていることは何もない。


 秘密なんだね。

 そうだ。


 それがミイラたちの〝大いなる秘密〟なんだね。

 そうだ。〝大いなる犠牲〟の上で成り立つ秘密だ。


 でも、少しは話せるんでしょ?

 ミイラは舌がないから何も話せないし、話さない。


 ミイラの守護者は口が堅いんだね。

 死者は言葉を話さないからな。


 むずかしい言葉はきらいだな。

 同感だよ。


 でも僕と同じように感じているんでしょ?

 そうなのかもしれない。


 ミイラは魔法使いなんだね。

 想像しているだけだ。


 なら想像して、ミイラたちは地中に〝何を〟埋めたの?

 なにも。


 教えて、ミイラは地中深くに何を隠したの?

 かれらは――


「レイ」

 誰かに名前を呼ばれた気がして私は足を止める。

「大丈夫?」ペパーミントが険しい表情で言う。


「ああ、平気だ」私はぼんやりとした頭で言う。

「何かあったのか?」


「何かって……急に立ち止まって、独り言をぶつぶつと口にしていたでしょ?」

「俺が?」


「他に誰がいるの?」彼女はそう言うと私の腕を掴んだ。

「ウミ、今日はもう引き揚げましょう」


 ウミはすぐそばまでやってくると、私の手を取って歩き出す。

「待ってくれ、ウミ。俺は大丈夫だ」


「大丈夫じゃない」とペパーミントが言う。

「信じてくれ、大丈夫。少し油断しただけだ」


『やっぱり何かされたんだね』カグヤの声が聞こえる。

「ああ、たしかに幻聴のようなものが聞こえた。でも影響はないよ」


「幻聴?」ペパーミントが眉を寄せる。

「何かされた兆候は確認できる?」


『ううん』とカグヤが言う。

『レイから受信しているデータログには何も残っていない』


「混沌に関連した精神汚染かしら?」

『その可能性はあるね。地下で白日夢を見た時と同じ現象なのかも』


『ねぇ』と、無邪気な男の子の声が聞こえる。

『こっちに来ないの、レイラ?』


「行くよ」私はそう言って歩き出した。

「本当に平気なのね?」となりを歩いていたペパーミントが言う。


「少なくとも、今は何の問題もない」

「そう……」


 クジラの群れが泳いでいると言われても納得できる巨大な水槽に我々は近づく。そこには無数の〈ブレイン〉が浮かんでいた。


 その異星生物の姿を正確に表現するなら〝脳に限りなく似た姿をしたクラゲ〟が最も適した表現方法だろう。突拍子もないことを言っているように思うかもしれないが、私も脳が泳いでいるのを実際に目にしているから言えることで、信じてもらうのは難しいと理解している。


 〈ブレイン〉は人間の子どもほどの体長だったが、脊髄神経のように脳から伸びている複数の触手を合わせれば、さらに大きな生物になる。しかし〈ブレイン〉の体長は様々で、大きな個体は二メートルを優に超える巨大な脳を――つまり胴体を持ち、さらに長い触手を持っていた。


 その珊瑚色の体表には青や紫色の毛細状の管がっていて、時折、身体の一部を青藍色に発光させていた。〈ブレイン〉の姿をハッキリと見なければ、暗い水槽で点滅するいくつもの光は幻想的に映ったのかもしれない。しかし実際には、脳に似たグロテスクなクラゲが発光しているだけだ。


 我々が水槽に近づくと〈ブレイン〉たちがわらわらと集まってくる。

『それで』と、今度は若い女性の声が聞こえてくる。

『〈不死の子供〉が私たちに何の用?』


 水槽の奥に視線を向けると、前回の訪問の時に話をした大きな〈ブレイン〉を探す。

「それを話す前に言っておきたいことがある。もう小細工は止してくれないか」


『小細工?』と、本当に何も知らないかのような女性の声が聞こえてくる。

『何のことを言っているのか分からないわ』


「白々しい」ペパーミントが言うと、水槽の中で〈ブレイン〉たちが激しく発光する。


『珍しいわね。こんな場所に〝お人形さん〟がいるわ』

 高飛車な物言いをする女性の声が聞こえる。


「水槽の中で飼われている脳の化け物にそんなことを言われたくないわ」

 ペパーミントの言葉に反応して、発光していた〈ブレイン〉が水槽に触手を叩きつける。


『今の言葉、撤回してくれるかしら?』

「怒ったフリもできるのね。さすがの学習能力ね……って、脳にこんなことを言ったら失礼かしら?」


『ふざけないで!』

 不毛な争いに溜息をつくと、〈ブレイン〉たちの様子を注意深く眺めた。

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