第九部 新たなる脅威 後編 re

第327話 イアエーの英雄 re


 朝霧が立ち込める大樹の間を、体長が十から十五メートルほどある巨大な生物の群れがゆっくり移動しているのが見えた。


 それらの生物は、大きな身体からだに比べて小さな頭部を持っていたが、胴体が大きく異様に発達していて、長い丸太のような脚を幾つも持っていた。それは流線型の身体を持つノミに似た巨大な生物にも見えた。体表は厚く朽葉色をしていて、まるで亀が背負うゴツゴツした甲羅のようなものでおおわれていた。


 そして長い脚と腹部の間に、小さな昆虫が大量にぶら下がっているのが見えた。その小さな昆虫は半透明な体表を持ち、臓器や真っ赤な血液が体内で流れているのが確認できた。それぞれが三十センチほどの体長を持っていて、身体を逆さまにした状態で巨大な生物の腹にびっしりと張り付いてうごめいていた。


 以前にも〈大樹の森〉で見かけた生物だったので、その姿を見て驚くようなことはしなかったが、はじめて見る人間には衝撃的な光景なのかもしれない。しかし〈森の民〉が言うには、あの巨大な生物は比較的安全で温厚な生き物で、危険な森で長距離移動をするのに最適で家畜化して共生している部族もいるらしい。


 生物の群れは、牛と豚を掛け合わせたような低い鳴き声を森に響かせながら移動していた。木々に反響して聞こえてくる鳴き声は、どこか寂しそうに聞こえた。


 その異様な姿をした巨大な生物の行方を見届けていると、となりに立っていた〈蟲使い〉の女性が口を開いた。


「もう休まなくていいのか、レイラ」

 蟲使いたちの隊長でもある〝テア〟の質問にうなずく。

「ああ、三時間ぐらい眠れたから、充分身体を休めることができた」


「やはり〝イアエーの英雄〟は特別な身体を持っているんだな」

「たしかに身体は異常なのかもしれないけど……なぁ、テア?」


「なんだ?」と彼女は森に目を向けたまま言う。

「ずっと気になっていたけど、そのイアエーの英雄って何のことだ?」


 全身をすっぽりと覆う毛皮で身を包んだテアは、大樹に絡みつく紅色のツル植物に目を向けて、それから私のとなりにそっと腰を下ろした。


「〈イアエーの大樹〉について知っていることはあるか?」

 テアの質問に頭を横に振る。

「多くは知らないけど、そうだな……〈イアエー〉と呼ばれる大樹が、すべての生命の源だと森の民は信じている。俺が知っているのはそれくらいのことだ。実際、そのイアエーの大樹を見たこともないんだ」


「天にも届くほどの大樹は、今では森の至るところで見られるけど、以前はそうじゃなかったんだ」


「森の民の伝承では、たしかこの辺りは荒廃した汚染地域で、植物はおろか生命も存在しなかった」


「そうだ。だけど〈月の女神〉から手に入れた〈生命の種〉ですべてが変わった」


「月の女神か……その種から、イアエーが誕生したんだな?」


 そう言ったあと、テアの綺麗な横顔を眺めた。彼女の顔には小さな傷痕が沢山ついていて、右眉にも斜めに剃ったような引っ掻き傷が確認できた。それらの傷痕は、彼女のこれまでの苦しい戦いの歴史として刻まれているようにも見えた。


 テアは私の視線に気がつくと微笑んで、それから言った。

「イアエーを守るために月からやってきた戦士たちがいたんだ」


「それは初耳だ」と口をへの字に結ぶ。

「その戦士たちのことを〈最初の人々〉は、イアエーの英雄と呼んでいた」


「でも、俺はイアエーのことを守っていないし、月からやってきた戦士でもないんだけどな……そもそも、イアエーの大樹がどこにあるのかも分からない」


「でもレイラは〈母なる貝〉のお告げを私たちに伝えてくれた。そして森の民のために尽力してくれた。何より、レイラは偉大な戦士だ」


「だから、イアエーの英雄……か」と私はポツリと言う。


「私たちも、月からやってきた戦士たちのことはよく知らないんだ」とテアは続けた。「いつからか英雄的な行動を取った〈蟲使い〉たちのことを、敬意と親しみを込めてイアエーの英雄と呼ぶようになったんだ」


「その月からきた戦士たちのことはどこで知ったんだ?」

「大樹の森に点在する〈最初の人々〉の遺跡だ。そこで私たちはイアエーの英雄たちの偉業を知った」


「壁画でも残っていたのか?」

 真面目にたずねると、テアは頭を横に振る。

「いや。あれだよ、映像が立体的に見えるやつ。ホロなんとかってやつ」


「ホログラムか」

「そう、それだ。〈最初の人々〉の遺跡に行かないと見られないものだから、気になるなら言ってくれ、その時は私たちが案内する」


「それは助かるよ」

 月からやってきた戦士たちは、軍から肉体を提供されていた兵士たちなのかもしれない。であるなら、旧文明の手掛かりが得られる可能性がある。


 テアがおもむろに立ち上がると、彼女と共に行動する複数の黒蟻があらわれて、触角を揺らしながら茂みの中に向かって行く。


「何かあったのか?」と、生い茂る背の高い草に目を向ける。

「こっちに向かってくる昆虫の存在を確認した」


 すぐに〈ハガネ〉を起動すると、液体金属で手の表面を覆ってから地面に触れ、動体センサーを起動して接近する生物の反応を確認する。


「大きな反応があるな……俺も手伝うよ」

 そう言って立ち上がると、テアは編み込まれた綺麗な髪を揺らす。


「いや、森に散らばっているアリたちを集めて、昆虫の進行方向を妨害するから平気だ。戦う必要はない」


「妨害するだけでいいのか?」

「危険な昆虫じゃないなら無駄に血を流す必要はない。大抵は驚かせるだけで何とかなる」


「そうか……それにしても、想像していたより黒蟻たちの数がずっと多い」

「アリたちは強力な昆虫じゃないけど、数が多くて扱いやすいからな」


「テアたちが利用する昆虫は黒蟻だけなのか?」

「いや。他にもいるけど今は産卵の時期だからな、森の奥にいるから紹介はできない」


「ずいぶんと自由な昆虫だな。ちゃんと産卵が終わったら帰ってくるのか?」

「私も不思議なんだけど、気がついたらちゃんと帰ってきている」


「ちなみにどんな昆虫なんだ?」

「このくらいの大きさのトンボだ」


 テアは両腕を大きく広げてみせる。ハッキリとした大きさは分からなかったが、少なくとも私の知っているトンボの大きさではなかった。


「テアが率いている〈蟲使い〉の部隊も、そのトンボを使役しているのか?」

「そうだ。馴らすのは大変だけど、空からの偵察にも使えるからな。とても役に立つ昆虫だ」


 薄い毛皮を身にまとった女性が茂みから出てくると、テアに耳打ちした。彼女は機械人形の残骸をケーブルで継ぎ接ぎした防具を装備していて、テアのように日に焼けた浅黒い肌をしていた。


「すまない、レイラ」とテアは言う。

「少し厄介な昆虫が近づいて来ているみたいだ。今から追い払いに行ってくる」


「手伝いは必要か?」

「いや。レイラは、レイラにしかできないことをしてくれ。私たちはそれを手伝うためにこの場所にいるんだ。だからレイラの手を煩わせるつもりはない」


「わかった。でも気をつけてくれよ」

「任せてくれ。私たちは戦士だ」

 テアたちが茂みの中に消えていくと、私は〈大樹の森〉に目を向ける。


『これからどうするの?』カグヤ声が内耳に聞こえた。

「研究施設にいる〈ブレイン〉たちに会いに行くよ」


『ミスズたちは?』

「今回は地上に残ってもらう」


『もう戦闘になるような事態にはならないって、そう考えているの?』

「施設の脅威はほとんど排除できたからな。あとは〈ブレイン〉たちがシステムに侵入しないように、充分に警戒して会うだけだ」


『そっか』

「ウミはまだ地下にいるのか?」


『うん、隔壁の向こうで氷漬けになった死骸を片付けてる』

「ウミの力が必要になるかもしれないから、あとで〈サーバルーム〉の前で合流できるように話をしておいてくれるか?」


『了解。それで、連れて行くのはウミだけ?』

「あとはペパーミントだな」

『了解。出発の準備ができるまで、死骸の処理作業を進めておくよ』


 大型多脚車両〈ウェンディゴ〉のそばに戻ると、研究施設に向かう準備をして、それからペパーミントが起きてくるまで待つことにした。


 ペパーミントは第三世代の人造人間だったが、どうやら人間と同じように睡眠を取る必要があるようだった。彼女は慣れない探索で相当消耗していたので、もう少し寝かせておくことにした。今は急を要する大事な用件もなかったので、無理をする必要はないはずだ。


 ウェンディゴのコンテナで装備の点検を行っていると、ハクがマシロを背中に乗せながらやってくる。


『レイ』と、ハクは可愛らしい声で言う。

『ハク、あそびにいく』


「森に行くのか?」

『ん。ちょっと、あそぶ』


「また研究施設に行こうと思っていたんだけど、今度は一緒に来ないのか?」

『しせつ、あきた』

 ハクはそう言うと、腹部をカサカサと振って、ぼんやりとしていたマシロを驚かせた。


「そうだな。ハクには狭いし、もう見るものもないか」

『ん、みるもの、ない』


「わかった。遊んできていいよ。でもあまり遠くには行かないでくれ。大樹の森には多くの危険が潜んでいるから、ハクでも大変な目に遭うかもしれない」


『ん。わかる』

「マシロも危ないと思ったらハクを止めてくれ」


 彼女は私に真っ黒な複眼を向けると、綺麗な唇に笑みを浮かべた。でもなぜか返事は聞かせてくれなかった。


 しばらくしてペパーミントが目を覚ますと、彼女が支度を整えるのを待って、それから我々は必要なものを持って研究施設に向かうことにした。


「本当にふたりだけで行くのですか?」と、寝ぐせのついた髪でミスズが言う。


「大丈夫だよ」とミスズの寝ぐせを何とか直そうとしながら言う。

「施設内でウミと合流することになっているし、カグヤもついてくれている」


 ミスズは眠そうな表情で下唇を噛むと、不満そうに唸った。

「地上のことは任せておいてくれ」とナミが言う。

「レイたちが戻ってくるまで、しっかりと警備しておく」


「頼んだよ、ナミ」

 ふたりに見送られながら我々は施設に向かう。


 施設入り口の上部に設置されていた格子付きの照明は、今では動作していない。施設の存在を隠蔽しなければいけないので、目立つものは残さないようにしてある。それは施設の周囲も同様で、大樹の根元に広がるうろの入り口は〈環境追従型迷彩〉と同様の効果を発揮する迷彩シートで隠されていた。


 その洞の内部には施設を警備する蟲使いたちのために、作業用ドロイドたちが旧文明の鋼材を使用して建てた簡単な詰め所も用意されていた。もっとも、施設周辺には目立たない形で警備用の機械人形を配備する予定なので、人間がその建物を使うことはほとんどないだろう。


「忘れ物はないよね……」と、ペパーミントは端末を確認しながら言う。

「行けるか、ペパーミント?」


「ええ、大丈夫よ。再確認していただけだから、気にしないで」

「それなら行こう。ウミが待っている」


 施設の入り口は開いたままになっていたが、生体認証を必要とするシールドが展開されていて、許可なく施設内に立ち入ることはできないようになっていた。


 施設内に入ると我々の存在を認識したシステムによって、施設内の照明が灯り廊下が明るくなる。我々はエレベーターで目的の階層に行くと、展示室の遺物を横目に見ながら〈サーバルーム〉に向かう。展示室のことはカグヤが保存した映像で知っていて、映像を何度も確認していたはずだが、それでもペパーミントは興味深げに展示品を眺めていた。


「何か気になるものでもあるのか?」

 そう訊ねると、ペパーミントは頭を振って溜息をついた。


「何か、と言うよりは、すべてが気になる。これだけ貴重な遺物が、完全な形で保存されている場所なんて見たことがない」


 ガラスケースに収まった金色の杖を見ながらうなずく。

「そうだな。でも調べるのはまた今度にしてくれ」


「わかってる」

 〈サーバルーム〉の前でウミと合流すると、鋼鉄製の隔壁を開放するための作業を始める。まず壁に収納されているコンソールパネルを使い、システムに不正な侵入がなかったか確認する。


「異常はないみたいね……」

 コンソールパネルの前に立ったペパーミントが言う。

「あとは、隔壁の開閉システムに変更を加えるだけね」


 彼女がコンソールパネルを操作すると、隔壁の下部につなぎ目があらわれて、そこを中心にして隔壁の一部が開く。


「何をするつもりなんだ?」

「私たちが部屋の中に閉じ込められないように、隔壁の開閉機構に細工をするの」


 ペパーミントはショルダーバッグから、一メートルほどの細長い金属製の鉄の棒を取り出してウミに手渡した。


「それは電波塔との通信を中継する装置か?」

「ええ、不測の事態に備えて設置しておく」


 それから彼女は金属製の円筒と、いくつかのケーブルの束と長方形の装置を隔壁の内部機構に組み込む。

「よし、準備できたよ」

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