第331話 溜息 re


 ライフルの銃口を天井に向けると、ハクがぴったりと身体をくっつけてくる。

「どうしたんだ、ハク?」

 天井でプルプルと震えていた卵を見ながらたずねる。

『いっしょ、みる』


「燃やすだけだよ」

『もえる、すき』


「あまり楽しい光景じゃないよ」

 私はそう言うと、天井にびっしりと産みつけられている昆虫の卵を焼き払っていく。炎に包まれた卵は次々と破裂し、周囲に粘度の高い液体を撒き散らしていく。


『レイ、たまご、キライ?』

「いや」と頭を振る。

「虫の卵は嫌いだけど、ニワトリの卵なら食べるよ」


『にわとり?』

「拠点で飼育するようになった大きな鳥のことだよ。あれが本物のニワトリなのかは分からないけど……」


『こけこっこ?』

「そうだ。ヤトの戦士たちと協力して、拠点の周囲にいる変異体を処理したのを覚えているか?」


『ん、しってる』


『明け方にニワトリが鳴いても、人擬きが集まってくる心配がない。それならニワトリを飼育しても問題ないってことになって、ジャンクタウンで仕入れて、今は畑を管理するヨウタが世話をしてくれているだろ?」


『こっこ、ちょっと、うるさい』

「たしかに鳴き声はうるさいかもしれない、でもそのうち慣れるよ」


『こっこ、あまい?』

 なにが〝甘い〟のか考えて、それから言った。


「味のことを言っているのなら、甘くはないと思う」

『ふぅん』


「虫の卵は甘いのか?」

『ちょっと、だけ』


「そうか……」

 すべての卵を処理したことを確認すると、ハクと一緒に煙たい通路を離れる。

「もしかして、あの虫の卵は甘いのか?」


『ん』

「食べたのか?」


『いっこだけ』

 黒煙が立ち込める廃墟から出ると、ノイのとなりに立って人擬きの死骸を見つめているマシロの姿が見えた。どうやら頭蓋を撃ち抜かれた人擬きの様子が気になっているようだった。マシロはゆっくり翅を開いたり閉じたりして、じっと死骸を見つめていた。


 道路の先から人擬きがぼんやりと歩いてくるのに気がつくと、マシロは砕けたブロック片を地面から拾い上げて、人擬きに向かって投げつけた。


 凄まじい速度で人擬きの胴体を貫通したブロック片は、鈍い音を立てて粉々に砕ける。しかしそれで人擬きが死ぬことはなかった。人擬きは体勢を立て直して、垂れ下がる腸を気にすることなくこちらに歩いてくる。


 マシロは地面に転がる人擬きの死骸に視線を向けて、それから歩いてくる人擬きを不思議そうに見つめる。痛みを感じている素振りも見せず、死ぬことのない人擬きに対して違和感を持ったのかもしれない。


 建物から出てきたハクは、マシロに近づく人擬きに跳びかかると、脚を一振りして胴体を両断する。血液を撒き散らして倒れた人擬きは、それでも腸を引きりながらってくる。しかしハクは容赦なく人擬きの頭部を潰す。


 頭蓋が割れて脳の一部が飛び出すと、人擬きは這うことを止めたが、それでも腕はワサワサと動かし続けていた。


「人擬きは普通の攻撃では死なないんだ」

 ノイはマシロにそう言うと、ハクが人擬きのそばを離れるのを待ってから、地面に倒れていた人擬きの頭部に銃弾を撃ち込む。すると不死の化け物は完全に動きを止めて絶命する。


「でも、このライフルを使えば人擬きを殺すことができる。だから人擬きと戦うときは、できるだけ一緒に行動していないと危険なんだ」


 マシロは納得したのか、ノイにうなずいてみせたあと、ハクの背に向かってふわりと飛んでいく。〈大樹の森〉で暮らしてきたマシロは、人擬きの特性について詳しく知らなかったのだろう。


「すまない、マシロ」と彼女に言う。

「もう少し早く教えるべきだった」


 マシロはコクリとうなずいてくれたが、とくに何かを言うことはなかった。マシロが怒っているとは思っていないが、命に関わることだったので、情報は事前にちゃんと伝えておくべきだった。人擬きに対しての慣れが、慢心を生む原因になっていたのかもしれない。


「反省しないとダメだな……」

 慢心して生き残れるほど、この世界は甘くはない。どれほど貴重な遺物を手に入れても、異界の神々の前では無力だったのと同じことだ。今一度、初心に立ち返る必要があるのかもしれない。


 人擬きの死骸を処理し終えると、我々は多脚車両ヴィードルに乗り込んで目的地へと出発する。車両の操縦を引き続きノイに任せると、上空を飛行していた〈カラス型偵察ドローン〉の映像を確認しながら周辺一帯の安全を確かめる。


 出発してすぐにハクとマシロの姿を見失ってしまうが、ハクたちが身につけている装飾品には超小型の〈信号発信機〉が備え付けられていたので、あまり気にしないことにした。それに、ハクとの間にある不思議なつながりで、ハクたちが近くにいることがぼんやりと分かっていたので安心だった。


 周囲の安全確認が済むと、座席の後部にある収納スペースから〈環境追従型迷彩〉の機能を備えた外套がいとうを取り出す。


「カグヤ、この外套を〈ハガネ〉に取り込めるか試してくれないか?」

『その外套は数の少ない貴重な遺物だけどいいの?』


「〈ハガネ〉で迷彩が使えるようになるなら惜しくないよ」

『了解。すぐに設定するから、ちゃんと外套を手にもっていてね』


 左手首に装着していた腕輪の一部が溶け出して、液体金属に変化して、手の先に向かって流れ出すのが見えた。ソレは外套を包み込んでいくようにおおい被さっていく。そして液体金属に溶け合うようにして、外套は見る見るうちに取り込まれて消えていく。


 内耳に短い通知音が聞こえると、取り込みが完了したことが通知される。

『もう大丈夫だよ。〈ハガネ〉を起動してみて』


「ありがとう、カグヤ」

 感謝したあと〈ハガネ〉を起動して、左手を液体金属で覆っていく。


 左腕の肘の辺りまで鈍い銀色の液体に包み込まれると、薄い膜は煤色に変化していく。その状態で〈環境追従型迷彩〉を起動すると、周囲の色相と質感が再現され〈ハガネ〉の表層にあらわれる。完全に姿を隠すことはできないが、全身を覆う装甲に使用すれば充分に役立ってくれるはずだ。


 前方に視線を向けると、全天周囲モニターを通して倒壊した高層建築物が見えてくる。巨大な建造物は他の建物を巻き込むようにして陥没した地面に埋まっていた。ノイの操縦で多脚車両は枯れたツル植物が絡みつく建物に接近すると、壁面に開いていた大きな穴に躊躇ためらうことなく飛び込んで建物内部に侵入していく。


 旧文明の建材を使用した建築物が倒壊した理由は分からなかったが、地震や地盤沈下といった自然現象で倒れたのではなく、意図的な破壊で倒されたのだと推測することができた。その巨大な建物に入って行くと、日の光が遮られ薄闇に支配された広大な空間が見えてくる。


『ねぇ、ノイ』カグヤの声がコクピット内のスピーカーを通して聞こえた。

『本当に道はこっちで合ってるの?』


「間違いないっすよ。あれを見てください」

 ノイが進行方向の先を拡大してモニターに表示すると、瓦礫がれきや廃車が片付けられた道路が見えるようになる。


 道から逸れて迷わないように、通路と瓦礫の間には錆びた鎖が幾重にも張り巡らされていて、等間隔に設置された照明が灯されているのが見えた。そこに設置されていたのは照明や鎖だけでなく、どこからか運び込まれた道路標識もそうだった。それらには蛍光塗料で鳥籠に向かう道標が描かれていた。


「少し危険な場所ですけど、商人たちも使用する道なんで、安心して大丈夫です。なぜか人擬きもいないんで、襲われることもありません」


 本当に人擬きがいないか確認するため、敵意を感じ取ることのできる瞳で暗闇を見つめる。すると闇の中に赤紫色の巨大なもやが浮かぶのが見えてくる。それはまるで植物の根のように、いくつもの脚を持つ生物の集まりだった。ミミズのようにう生物は、それぞれが十数メートルほどの体長があり、トンネルのように太い胴体を持っていた。


「あれはマズいな……」

「なにかヤバい奴がいたんですか?」


 ノイが振り向いて興味津々な表情をして訊ねてくるが、私は頭を振って何も言わなかった。闇の中でうごめいているものが何であれ、今まで人間を襲わなかったのだから、そのままそっとしておくのが正解なのかもしれない。


「触らぬ神に崇りなしって奴ですね」

 ノイの言葉に苦笑する。

「そうだな」


『でも何かが見えたってことは、私たちに対して敵意を抱いているってことだよね』

 カグヤの言葉でそのことに気がつく。

「そうなのかも知れないな」


『やっぱりレイが持つ〝混沌の香り〟に引き寄せられるのかな?』

「〈ブレイン〉たちが言っていたことか?」


『そう』

「どうなんだろうな……〈ブレイン〉たちが言っていたことが本当のことなのかも分からないから、それに関しては何とも言えない」


 倒壊していた高層建築物の中から出ると、身体にまとわりつく不快な視線を感じなくなる。カグヤが言うように、闇の中に潜んでいた巨大な生物は私の存在を感じ取っていたのかもしれない。


 とにかく建物から出ることができて安心する。

「もうすぐ目的地ですよ」ノイが言う。

「ほら、商人たちが見えてきました」


 ノイが指差した先に、商人たちが運用する大型多脚車両の後ろ姿が見えてくる。商品を満載したコンテナを運ぶ車両の周囲には、武装した人間が何人もいて、しっかりとヴ車両を警護している様子が確認できた。


「彼らは鳥籠の関係者なのか?」

 ノイは前方に視線を向けたまま頭を振る。

「いえ、ほとんどは行商人ですね。鳥籠を支配している野蛮な連中は、滅多に鳥籠の外に出てきませんから」


「何もせずに寝て待っていても、商売が成り立つのか」

「そうっすね。まあ、手下たちには裏で色々とやらせているみたいですけど」


『例えば?』と、カグヤが質問する。


「言わなくても想像できると思いますけど、恐喝や人攫ひとさらいは当然やってますね」

 それが常識であるかのようにノイは言う。


「それに、みかじめ料を払わない商人たちを犬の変異体に食べさせる見世物をしたり、借金が払えない人間から子どもを奪ったり、奴隷にしたり、言い出したら切りがありません」


『やりたい放題ってわけだね。それでも鳥籠には、商人たちが商売する旨味があるんだね』

「そうっすね。あの鳥籠には、ありとあらゆる娯楽があるんで、とにかく人が絶えることがありません」


 隊商の列を器用に避けながら道路を進んでいると、ノイは急に車両の速度を落とす。我々の前方には、甲殻類に似た真っ赤な多脚車両が止まっていて、そのコンテナの上に重機関銃で武装した傭兵が乗っているのが見えた。


 その傭兵は車両に近づく我々の姿を確認すると、すぐに銃口を向けてきたが、敵意がないと分かると、すぐに銃口を下げて我々に向かって手をあげて挨拶をしてきた。


 以前にも同じことがあったのを思い出しながら、怪しい風貌の傭兵に目を向ける。傭兵はガスマスクから伸びたホースを車両と繋げていて、黒を基調としたスキンスーツに、車両と同様の真っ赤な装甲で身体を保護していた。


『〈スイジン〉に向かうときに会った人だね』

 カグヤが覚えていたことに感心しながら、派手な大型多脚車両を眺める。


「何か問題を抱えているみたいだな」

「ヴィードルの脚から煙が出てますね、駆動系が故障したのかも」とノイが言う。


「何か手伝えないか聞いてみよう」

 そう言うと、カグヤの溜息が聞こえてくる。

『ねえ、レイ。また面倒事に首を突っ込むつもり?』


「困っている人間を助けようとしているだけだよ」

「それなら」とノイが言う。

「俺が確認してきますよ。ヴィードルの修理だったら手伝えますし」


「そうだな。これも何かの縁だ」

 路肩に車両を止めると、ノイは赤い傭兵に向かって駆けていく。


 多くの商人が行き交う道路だからなのか、ノイが警戒している様子はなかった。しかし廃墟の街に安全な場所は存在しないので、カラスを使って代りに上空から周囲の状況を確認する。


 ついでにハクたちの信号を探してみる。どうやらハクたちは、我々が先ほど通った倒壊した建物の近くにいるようだった。


『レイラさん』ノイの声が内耳に聞こえる。

「どうしたんだ?」


『やっぱり故障みたいですね。修理に少し時間が必要なので、少し待ってもらっていいですか』


「構わないよ。俺もそっちに行く」

 カニにも似た真っ赤な車両に近づくと、ノイと話をしていた傭兵がこちらに顔を向けて、コクリとうなずくのが見えた。


『援助に感謝する』と、機械的な合成音声が聞こえる。

「こんな世界だ。たまには人助けも悪くない」

 そう言いながら、傭兵が我々に対して敵意がないか確認する。


『どうしたんだ?』

 じっと見つめていると、傭兵は首をかしげる。

『ああ、そうか』

 それから傭兵は何を勘違いしたのか、頭部全体を覆う大きなガスマスクを外した。


 驚くことに、その傭兵は目の覚めるようなプラチナブロンドの女性だった。

「すまない、礼儀を欠いたな」と彼女は言う。


「いや」と、女性に見惚れながら言う。

「気にしないでくれ」

 カグヤの溜息がまた聞こえた気がした。

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