第324話 幕切れ re


 青白い光が幾何学模様を描きながら銃身の先端に向かって移動するのが見えた。その光に沿うように角筒状の銃身が複数のパーツに分解され、空中に浮かび上がる。それらのパーツは互いの重力場に干渉し、銃身内部から発せられる電光でつながり、一定の距離を保ったまま浮遊していた。


 銃身内部ではプラズマ状のエネルギー体が鈍い光を放ちながら浮かんでいたが、やがてすべての光と色を吸収し閉じ込めたかのような、漆黒の小さな球体に変わり状態が安定していく。射撃可能になると、視界に標的までの距離や各種情報が表示されていくのが見えた。


 照準の先には悪魔じみた生物が佇んでいて、蠅に似た化け物に対して怪光線を放ちつづけていた。その余裕のある立ち姿からは、周囲に少しも警戒をしていないことがうかがえた。


 あの奇妙な膜に――シールドとして機能する膜に対して、絶対的な信頼を持っているのか、あるいは初めから我々を脅威に思っていないからこその態度なのかは分からなかった。いずれにせよ、私が攻撃の準備を終え、射撃可能な段階に至っても、生物はこちらの様子を気にしている素振りを少しも見せなかった。


 ちらりと上方に視線を向けると、逆さになって天井に張り付いていたハクがそろりと動くのが確認できた。虎視眈々と奇襲の機会を狙っているようだ。


 深呼吸して息をゆっくり吐き出すと、標的に視線を戻した。それまでワンパターンな攻撃を続けていた醜い化け物の群れは、黒光りする翅を振動させながら空中に静止すると、生物に向かって一斉に強酸性の体液を吐き出した。


 黄土色の気色悪い吐瀉物は、悪魔めいた生物が展開している薄膜に直撃するが、膜の表面を流れ落ちていくだけで、やはり膜を破壊することはできなかったようだ。そして最後まで抵抗を続けていた化け物の群れも、生物が放つ怪光線を受けて氷漬けにされて、次々と地面に落下して砕けていった。


 螺旋状の太い角の周囲を自由自在に浮遊しながら、化け物たちに怪光線を放っていた輝く球体がふと止まると、耳の痛くなる高音が聞こえなくなり辺りに静けさが戻る。


 その瞬間、天井から音もなく飛び降りたハクが、脚の先についた鉤爪で生物の周囲に展開していた薄膜を縦にパックリと切断する。私の目には、切断された薄膜が微かに発光しながら消えていくのが見えた。


 私は息を吸いこんで、そして息を止める。研ぎ澄まされた精神のなか、世界はゆっくりと動き始める。生物の周囲に浮かんでいた無数の輝く球体は、ハクの接近に反応すると、凍てついた怪光線を一点に収束させて目がくらむほどの閃光を放つ。


 ハクは行動の予備動作として身体からだを沈み込ませて地面に腹部を密着させると、長い脚をしっかりと曲げ、そのときが来るのを待つ。八つの目は悪魔めいた生物を真直ぐ見つめている。怪光線が眼前に迫ると、ハクは力を解放し地面から跳び上がる。その動きは驚くほど速く、そして正確だった。


 ハクが吐き出した糸が生物の頭部に絡みつくのを見ながら引き金を引いた。射撃の反動の凄まじさに比べれば、銃声は些細なモノだったのかもしれない。


 生物が閃光を認識したときには、光弾はすでに隔壁の遥か彼方、拡張された空間の地平線に消えていて、悪魔じみた生物の胸には大きな貫通痕が残されていた。しかし、さすがというべきか、現時点で我々が利用できる最も強力な兵器を用いても、あの生物を完全に殺すことはできなかった。


 しかしそれは想定済みだった。塵と化し崩れていく銃身に構うことなく素早く身体からだを起こすと、動きを止めていた生物に向かって駆ける。


 時間がゆっくりと流れる世界で、私の足は水中で動かしているときのような奇妙な抵抗を受けていた。それが高速運動による慣性と空気抵抗の影響なのは分かっていたが、違和感は拭えなかった。


 地面は光弾が通過した箇所に沿って融解ゆうかいしていて、生物に向かって白熱した長い溝をつくり出していた。それは生物の背後に見えていた隔壁も同様で、厚い氷は完全に解けていて、隔壁自体も赤熱し蒸気が立ち昇っているのが見えた。


 隔壁の向こうはさらに悲惨なことになっていた。光弾が通過したさいに発生した衝撃波によって、隔壁に群がっていた蠅の化け物や肉塊は蒸発し、こちら側にやって来ようとする化け物は存在しなかった。


 駆けながら元の形状に戻ったハンドガンをホルスターに収めると、右手首の刺青から刀を出現させる。刀は私の体感速度に合わせて瞬時に出現してくれた。


 黒い体毛に覆われた生物の周囲に浮かんでいた輝く球体は、いつの間にか消えていて、シールドの薄膜も展開されていなかった。それが狙撃の影響なのかは分からない。


 接近しても悪魔めいた生物は私に対して反応を示さなかった。それよりも胸部の銃創を気にしているようだったが、その傷跡もまばたきの次の瞬間には綺麗に修復されていた。けれど今はそのことに構っている余裕はなかった。


 横薙ぎに刀を振り抜くと、生物は刀を受け止めようと左腕を前に出した。しかし〈ヤトの刀〉は生物の肉を引き裂いて、筋肉を切断し、骨を砕き、そして左腕を肘から完全に切断してみせた。


 その瞬間、刀の柄を通してこの世ならざる力が流れ込んでくるのを感じる。圧倒的な快楽に酔いしれ、思わず口元をほころばせる。が、同時に悪魔じみた生物から、息の詰まるような威圧を受けた。たぶん、この段階にいたって生物は初めて私を敵だと認識したのだろう。


 返す刀で生物の胴体に刃を食い込ませ、心臓と肺がある箇所を綺麗に裂いた。もっとも、私にはその生物が他の生物同様に臓器を持っているのが分からなかった。しかしそれが本来あるべき場所に収まっているのなら、ヤトの毒で完全に破壊できると確信した。


 けれど生物は身体の損傷を気にすることなく、私に向かって腕を伸ばす。そこで私は異変に気がつく。研ぎ澄まされた意識によって私の肉体は能力が高められていて、凄まじい速度で動き、意識は周囲の変化を瞬時に認識し、同時に情報の処理を素早く行っていた。


 だからこそ私には世界がゆっくりと動いていているように感じられていた。それを証明するように、刀を振り抜くさいに踏み抜いた床からは、砕けた金属片や氷が浮かび上がっていて、重力の影響を受けてゆっくりと落下している途中だった。しかしそれにもかかわらず、悪魔じみた生物は私と同等の速度で動いていたのだ。


 私の身体は空気抵抗や慣性に耐え、何とか高速運動が可能な能力を維持していたが、それができるのは、生物を斬り裂いたさいに得られた膨大な生命力によるものだった。その感覚は、世界の果てで〈守護者〉と呼ばれる女性と戦闘したさいに得た感覚に似ていた。


 しかし能力には代償が伴う。この戦いのあとにやって来るであろう肉体的な疲労、そして精神の消耗を思えば、力が継続している間に生物に対処しなければいけなかった。


 生物の傷口からは血液のようなものが溢れ出ることはなかったし、その片鱗を見せることもなかった。痛みすらも感じていないように振舞う生物は、鬱陶しい羽虫を払うかのように、先ほど切断していたはずの左腕を私に向かって振る。


 突然発生した突風と無数の氷の塊を受けて、凄まじい勢いで後方に飛ばされてしまう。そして私の主観で認識していた時間が、本来の速度で動き始めると、歪んで耳に伝わっていたくぐもった音も正常に戻っていくのが感じられた。


 空中に投げ出され地面に落下したあと、反射的に受け身を取ろうとして身体を動かし、そして筋肉の痛みに悶え地面に身体を強く打ち付けた。


 凍り付いた地面を転がり、氷の塊に何度も衝突するが、衝撃は〈ハガネ〉が吸収してくれていたので衝撃による痛みはなかった。しかし筋肉の痛みはどうしようもなかった。手足が動くたびに激痛を感じることになった。


 ふらふらと立ち上がると、黒い生物に目を向ける。生物の腕は確かに切断されていた。その証拠に生物の足元には、肘から綺麗に切断された腕が転がっていた。けれど生物には、先ほどと変わらない完全な状態の腕がついていた。


『レイ』カグヤの声が内耳に聞こえる。『大丈夫?』

「少し無理をした」と痛みに堪えながら言う。


 実際のところ、これほど長くあの能力を使用したことはなかった。ヤトを通して生物から得ていた力もなくなり、快楽や全能感もすでに失われていた。私が抱いている感情は失望と絶望。そして生物に対する恐怖と、ナノマシンでも制御できない筋肉の痛みだけだった。


 やがて生物は地面に転がっていた己の腕に手を伸ばすと、それを拾い上げ、そして手のひらから吸収していく。それはひどく奇妙な光景だった。完全な状態に戻った生物は、身体の周囲に氷霧を発生させていく。


 ちょうどそのときだった、ハクが生物の背後に音もなく着地し、奇襲を行うのが見えた。理由は分からなかったが、先ほどからシールドの薄膜を展開することができなくなっていた。それがヤトの毒の影響なのかは分からなかったが、生物に攻撃を与えられるまたとない機会なのは明白だった。


 ハクの猛攻を避けながら後退する生物に対して〈貫通弾〉を撃ち込んでいく。しかし悪魔じみた生物は素手で弾丸を受け止めて見せると、ハクの攻撃を避けながら氷霧を凝集し、輝く球体を角の間に発生させて怪光線を放ってきた。


 すぐに〈ハガネ〉を操作すると、左腕に円形の大盾を形成し光線を受け流した。こんなに簡単に光線を防ぐことができるとは予想していなかったが、軌道を曲げられた光線はそのまま天井に向かって飛ぶと、あっという間に周囲を凍りつかせた。


 耳の痛くなるような甲高い音を立てながら、光線による攻撃は続いていたが、私は大盾を構えながら前進し生物に接近していく。


 ハクは悪魔じみた生物の、ナイフのように鋭い尻尾の攻撃を何度も身体に受けながらも、生物への攻撃を続けていた。驚くことに、ミニガンの銃弾も通用しないハクの身体が傷つき、白い体毛に血液が滲んでいるのが見えた。


 怪光線の凄まじい力に吹き飛ばされないように、私は腰を深く落とし、肩で大盾を押すようにして生物に接近しながら〈貫通弾〉を撃ち込む。


 ハクの攻撃を避けようとしていた生物は〈貫通弾〉を胸に受けると、まるでつまづくように、その場にゆっくり倒れた。そのチャンスを逃すことなく、残弾が底を突くまで〈貫通弾〉を撃ち込み、それから左手に持っていた刀を右手に持ち替えて、生物に向かって全力で投げつけた。


 刀は生物の心臓を刺し貫いて、凍りついた床に生物を串刺しにするようにして地面に深く突き刺さった。


 その瞬間、怪光線を放っていた輝く球体も消えて、騒がしかった甲高い音も聞こえなくなる。生物は自身の胸に突き刺さっている刀を抜こうとして刃に触れるが、まるでヤトに拒絶されるように、刃から染み出した液体で手が焼けていく。


 大盾を液体金属に戻して腕を保護する籠手を形成したあと、生物に向かって歩いていく。足が重たくて思うように動かなかったが、この機会を逃すわけにはいかなかった。ハクも同じことを考えていたのか生物に接近すると、ひづめのある生物の脚を鉤爪で切断して、氷が解けてなくなっていた隔壁の向こうに放り投げていく。


 刀で床に串刺しにされていた生物は抵抗することもできずに、続けて両腕を切断されてしまう。その姿は蜘蛛に捕らえられ、生きたまま解体される昆虫のそれだった。


 私が生物のそばにつくころには、ハクの爪には生物の切断された頭部が突き刺さっていて、ハクはそれを隔壁の向こうに放り投げた。隔壁の向こう側には腐った大地と、狙撃の余波を受けて死んだ生物の死骸で溢れていて、ハクが放り投げた生物の一部はすでに赤紫色の肉塊に呑み込まれていた。


「こいつで最後だ」

 刀を引き抜いてから生物の胴体を隔壁の向こうに蹴り飛ばした。


『隔壁を閉じるね』

 カグヤの声をぼんやりと聞きながら、生物の胴体に目を向ける。


 黒い体毛に覆われた胴体の切断面からは、何も確認できなかった。つまり生物には内臓がなく、体内にはタール状の粘度の高い物体がぎっしりと詰め込まれているだけだった。


 生物の胴体は氷の上を滑るようにして隔壁の向こう側まで転がっていくが、瞬きの次の瞬間には、完全に再生した状態の生物が隔壁の向こうに立っているのが見えた。


 切断された腕を修復したのを見たばかりだったので、驚くようなことはしなかった。生物が扉の左右に手をあて、巨大な隔壁を軽々と開いていくのを見ながら、いかにして生物に対処するか考えていた。


 ヤトの毒の効果はまだ確認できていなかったし、狙撃形態で撃ち出さる〈重力子弾〉も通用しなかった。いくら破壊しても、次の瞬間には時間を戻したかのように傷を修復してしまう。正直、我々にできることはないように思えた。


 必死に何か打つ手がないか考えていると、突然凄まじい打撃音が聞こえて、隔壁を開こうとしていた生物が吹き飛んでいくのが見えた。


 隔壁の前にはマシロが立っていた。彼女は身体を透明にして生物に接近していたようだった。しかしマシロが透明になっていたとしても、あの生物には彼女の姿が認識できるはずだった。接近に気がついていながら、見過ごしていた理由は分からないが、とにかく生物は油断をして、マシロの強烈な蹴りを受けて隔壁の向こうに転がっていった。


 あまりにも呆気ない幕切れに呆然としている私の目の前で、隔壁は閉じていく。

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