第323話 混戦 re


「瞬間移動……いや、〈空間転移〉したのか!?」

 私の困惑を余所に、悪魔にも似た生物のハクに対する執着心は鳴りを潜め、今では地下施設に対しての好奇心が生物の頭を支配しているように見えた。


 悪魔めいた生物は薄い氷霧をまといながら、ゆっくりと歩いた。優雅で力に満ち溢れ、それと同時に狂気を内に秘めたような、そんな見事な歩法で生物は進んだ。


 その生物は、何とはなしに私のとなりに立つと、施設の広大な空間に顔を向ける。生物の螺旋状の大きな角の間には、青白い球体が浮かんでいて、それが瞳のようにくりくりと動いているのが見えた。


 悪魔めいた生物はまず我々の周囲に転がっていた化け物の死骸や触手、それに砕けた氷の塊を確認して、それから施設の壁や天井に顔を向けた。生物がどのように周囲の環境を把握しているのかは分からなかったが、見えているのは確実だろう。


 金属製の壁や天井を物珍しそうに見ていた生物は、最後に我々に輝く球体を向ける。その球体の中央には、瞳孔にも見える黒い横線があり、それが僅かに伸縮しているのが見えた。


 ハクは異様な姿をした生物に真っ赤に発光した眼を向けて睨んでいたが、生物はすぐに球体の中央にある瞳孔をハクから外して、何もない空間に瞳孔を向けた。すると球体は輝きを増していき、目に見えるほどの冷気が立ち昇り、そして空気を震わせる甲高い音が聞こえてくる。


 瞳にも見える球体が向けられた先に、マシロの反応があることに気がつくと、その球体に向けて射撃を行う。咄嗟に撃ち込まれた〈貫通弾〉は、しかし生物がまとう不可思議な膜にはじかれ、隔壁に向かって飛んで行く。それでもなお、生物はマシロに向けて怪光線を撃ち出そうとしていた。


 異常を察したハクが生物に跳びかかると、半透明な膜が出現してハクの接近を拒んだ。が、ハクは脚の先についた鋭い鉤爪を振り下ろし、〈重力子弾〉すら弾いた膜を綺麗に引き裂いてみせた。


 綺麗に切断された半透明の薄膜は、切断された箇所から瞬くように発光しなが消えていく。突然の出来事に驚いてしまうが、それは黒い毛皮に覆われていた生物も同様だったのだろう。生物は光線の発射を中断すると、ハクに身体を向けて、凄まじい冷気の含んだ衝撃波を全方位に向けて放った。


 ハクは衝撃波に吹き飛ばされるが冷気に耐性があるのか、空中でくるりと身体の向きを変えると天井に向かって糸を吐き出して、その糸につかまりながら直ぐに体勢を整える。悪魔がハクに注目しているときだった。透明になって姿を隠していたマシロが、突然悪魔めいた生物のすぐ近くにあらわれて、拳による一撃を叩きこんだ。


 生物は前腕でマシロの強烈な攻撃を受け止めるが、生物が見せた一瞬の隙を私は見逃さなかった。ハクが切断していた膜の切れ目に向かって〈貫通弾〉を連射した。


 見る見る内に修復されていく膜によって、数発の〈貫通弾〉は防がれてしまう。が、一発だけ生物に銃弾が届く。〈貫通弾〉を胸に受けた生物は、後方にね飛ばされるにして勢いよく吹き飛んで、氷漬けにされていた化け物の柱に衝突して、氷の柱をいくつか破壊しながら地面を転がっていく。


 呆気ないほど簡単に攻撃が通用したことに驚きながらも、素早く追撃を行う。その生物がなんであれ、一時は我々を攻撃してきたのだ、また同じことが起こらないとは言い切れない。だからこそ殺せるときに全力を尽くさなければいけない。


 しかし現実は厳しい、撃ち込んだ〈貫通弾〉は悪魔が展開した膜に弾かれてしまう。蹄のある生物は、まるで寝起きのようにゆっくりと身体を起こす。どうやら〈貫通弾〉の衝撃で吹き飛びはしたものの、生物の身体に損傷はなく、完全に無傷のようだった。


 凄まじい衝撃波に吹き飛ばされていたハクが勢いよく飛んでくると、シールドの膜を鉤爪で破り、そして悪魔に糸の塊を連続で吐き出した。


 山羊のような生物は腰を落とすと獣じみた動きでハクの糸は回避して、間近に迫ってきたハクの鉤爪も難なくかわしてみせた。しかしハクの猛攻は止まらない。何度も脚を振り抜いて爪で生物の身体を斬り裂こうとする。


 ハクの動きを嫌った生物は冷気を放出してハクと距離を取ると、角の間に浮いていた球体から怪光線を放った。ハクはすぐに避けるが、細長い光線は執拗にハクの後を追う。その光景を横目に見ながら、生物の死角から一気に接近し、マシロと一緒に攻撃を加える。


 生物がマシロの回し蹴りを回避し空中に跳び上がるのが見えると、至近距離から〈ワイヤーネット〉を撃ち出した。未知の金属で形成された強靭な網は、空中で生物を捕え床に叩き落とした。


 すぐに右手首の刺青から〈ヤトの刀〉を出現させると、〈ワイヤーネット〉に捕えられていた生物に接近する。金属製の網は骨をも砕く力で徐々に生物を締め付けていたので、脱出は容易にできないはずだった。


 しかし生物が真っ白な氷霧をまとうと、網は一瞬で凍りついて粉々に破壊され、そして桁違いの衝撃波が生物を中心に広がる。追撃を行おうとしていた私とマシロ、それにハクも吹き飛ばされてしまう。


 転がるように受け身を取って立ち上がると、輝く眼球がこちらに向けられるのが見えた。怪光線による攻撃を覚悟したが、騒がしい羽音が施設側の隔壁の向こうから聞こえてくる。


 隔壁に視線を向けると、融解ゆうかいしてつくられた穴から蠅に似た化け物が次々と姿を見せて、こちらに向かって飛行してくるのが見えた。化け物の標的は我々ではなく、悪魔に似た生物だった。


 拡張された空間と異なり、化け物の不快なさえずりと羽音が立てる重低音で、地下施設は一気に騒がしくなる。しかしその騒音さえをも掻き消すほどの轟音が発せられる。


 悪魔めいた生物はおもむろに立ち上がると、身体にまとっていた氷霧を捩じれた角の周囲に収束させ、そして複数の輝く球体をつくり出していく。中空に浮かんでいた輝く球体は甲高い音を反響させながら、飛行してくる化け物に向かっていくつもの光線を放った。その光線を受けた化け物は一瞬にして凍りついてしまう。


『レイ!』ペパーミントの声が聞こえる。

『化け物の大群がそっちに向かった。私たちも支援をするために、すぐにそっちに向かう』


 慌てるペパーミントと視覚映像を共有しながら冷静に言う。

「いや、ダメだ。今は絶対に来ないでくれ」


『ダメって……そのヤギみたいな生物は何なの?』

「あの悪魔は、崩れた石柱から出てきたんだ」


『悪魔? ……たしかに黒山羊の頭部に人間に似た身体をもっているけれど、あれはあくまでも宗教的な象徴でしょ? 教会で語られるような悪魔が実在するわけがない』


「俺もそう思うよ。けどあれがなんであれ〈重力子弾〉も通用しないほど危険な奴だ」

『それなら……あれが例の邪神の本体なのね』


「邪神?」

『だって石柱から出てきたんでしょ?』


「そうだけど……こいつは死んでいない。研究員たちは〝死骸〟が運び込まれたと言っていたんだ」

 そう口にしたあと、化け物たちの争いに巻き込まれないように後退して距離を取る。


『その邪神は復活したのかもしれない』

 生き返るなんて不可能だ。そう言おうとして私は口をつぐんだ。異界の神や、そこで起きる現象に我々の常識は通用しない。異界では何が起きても不思議じゃないのだ。


 ふわりと風が吹くと、マシロが私のとなりに姿を見せた。

「怪我はしていないか、マシロ?」


 白い体毛に覆われたマシロの手を取ると、酷く損傷していることに気がついた。

「あの悪魔を殴った時に怪我したんだな?」


 そう訊ねると、マシロは櫛状の長い触覚を縦に揺らした。

「痛むか?」


 刀を刺青に戻すと、治療するためマシロを氷の柱の陰に連れて行く。ベルトポーチから消毒液と止血剤が沁み込んだコンバットガーゼを取り出し、傷を消毒してガーゼを当て、それから包帯を巻いた。おそろしく硬い生物の身体を殴った所為せいで、拳の皮膚が捲れていて骨が見えている状態だった。


 以前にもマシロは拳を怪我していたので、拳を守るための特殊なグローブか打撃系の武器、たとえばブラスナックルのようなモノを彼女のために用意したほうがいいのかもしれない。


「マシロ」と彼女の複眼を見ながら言う。

「あの化け物には〈貫通弾〉も通用しないんだ。マシロがいくら強くても、奴の身体を傷つけることはできない。だからしばらく大人しくしていてくれるか? あいつは俺とハクで対処する」


『わかった』マシロは素直にうなずいてくれた。

 氷の柱から顔を覗かせると、相変わらず接近してくる化け物を攻撃していた生物の姿が見えた。ただ立っているだけで、数百体の化け物を圧倒している姿は異常だった。


 天井に視線を向けると、逆さになって張り付いていたハクの姿を見つける。悪魔じみた生物にまだ手を出さないように忠告したあと、凍りついた隔壁のそばに向かう。隔壁は五十センチほどの隙間を残して完全に凍りついていて、氷の向こう側には、こちらにやって来ようとする化け物の姿が確認できた。


 化け物たちは隔壁の間に張られた氷に向かって強酸性の体液を吐き出して、氷を解かそうとしているみたいだったが、氷が解ける気配はこれっぽっちもなかった。


「ただの氷じゃないな」と、硬い氷に触れながら言う。

『そうだね』とカグヤの声が内耳に聞こえた。『さっきから隔壁に組み込まれた装置を使って氷を解かそうとしているけど、全然上手くいかないんだ』


「でも〈貫通弾〉で削ることはできた」

 背後に振り返って悪魔じみた生物の姿を視界に捉える。


『〈重力子弾〉で破壊できるか試してみる?』

「そうだな……何とかしてこの氷を破壊して、奴を向こう側に閉じ込めなければいけない」


 光線を放つ輝く球体は、螺旋状の二本の角の間をぐるぐると回転しながら接近してくる化け物に対して縦横無尽に攻撃し続けていた。


 あの悪魔じみた生物に接近するさいに脅威になるのは、光線だけでなく、生物がつねに展開している半透明な膜のシールドも脅威になる。


 ハクに膜を切り裂いてもらって接近できれば、〈ヤトの刀〉で奴の身体を傷つけることができるかもしれない。例えヤトの毒で殺せなくても、奴にダメージを与えて、隔壁の向こうに閉じ込めるための隙をつくりだすことができるかもしれない。


『ハク、聞いてくれ』

 天井に張り付いて生物の様子をうかがっていたハクに、声に出さずに考えを伝えると、蠅の化け物を殺し尽くそうとしていた黒い生物に視線を向ける。


 数は圧倒的に群れのほうが多かったが、悪魔にも似た生物のほうがずっと強力で、手強い相手だった。しかし化け物たちはキチン質の外殻が砕かれようと、仲間が凍らされようとも、生物に対しての攻撃の手を緩めることはなかった。


 けれどそれも限界に近づいていた。多くの化け物が死に、周囲には少し前まで化け物だった氷の塊が散乱していた。


 その悪魔が氷漬けにされた隔壁との射線上に並ぶように移動すると、氷の柱の陰に入って身を隠す。ハンドガンをホルスターから引き抜いて、使用していない空の弾倉を抜いて、それから紺色の弾倉をベルトポーチから取り出して装填する。


 弾倉が軍の規格に合わないと知らせる警告が視界内に表示されが、それらの警告表示を消して、ハンドガンの形状変化に関する項目を確認する。


 選択肢のいくつかは旧文明の機密情報と同様の扱いをされていて、詳細について知ることができないようになっていた。その中から狙撃形態を選択して、インターフェースに表示されていた設定画面を素早く消した。


 化け物たちの争いを視界に入れながら、凍りついた床に腹這いになる。悪魔じみた黒い生物にハンドガンを向けると、スライドが十字に開いて、紺色の液体が内部の機構から染み出してくるのが見えた。やがてそれは粘度の高い液体となって漏れ出して、ハンドガンを包み込んでいく。


 その液体はハンドガンを握っていた私の拳も一緒に包み込んでいき、ハンドガンから手が離れないように固定していく。やがて粘度の高い液体は固まりながら、徐々にハンドガンの形状を変化させていき、長方形の角筒へと変化していった。


 空中から次々と突撃してくる化け物に対して、いくつもの閃光を放っている生物に向かって、形成された角筒状の銃身を向ける。


 狙撃形態の兵器には特殊な照準器が搭載されていて、狙撃手の視界情報を強化、補完してくれるようになっていた。その原理は分からなかったが、視野が一気に広がり、それと同時に解像度が高められていくのが分かった。


 兵器の銃身部分、角筒の前方下部にそっと左手を添えると、照準の先にとらえている生物の姿を確認する。


 カグヤが最適な射撃位置を視界の先に表示すると、兵器は自動的に射撃角度の微調整を行い、生物に照準をピタリと合わせる。あとは銃身に合わせて身体の位置を合わせるだけでよかった。


 標的に照準が合わさると、兵器の銃身、角筒の側面から粘度の高い棘のような太い突起物が数本飛び出して氷の床に突き刺さり、瞬く間に固まっていく。それは安定した射撃を可能にし、尚且つ射撃のさいに発生する強力な反動に対応するための即席の銃架でもあった。


 射撃の反動で身体が吹き飛ばないようにするため、〈ハガネ〉を操作して、装甲に杭を形成して地面に打ち込んで身体を床に固定する。


『レイ』カグヤが言う。

『チャンスは一度だけだよ。ハクの攻撃にしっかりと射撃のタイミングを合わせてね』


「了解」

 小声でそうつぶやいたあと、そっと引き金に指をかけた。

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