第320話 死骸 re
その
異形な化け物は、石柱に絡みつく肉塊から吐き出されると、粘液で
それはゆっくりとした歩みだった。自分自身の目的を思い出しながら歩いているような、周りのことを少しも気にかけていないような、そんな余裕を持った歩き方だった。
拡張された空間との境界にある薄靄を越えてこちら側に姿を見せた化け物は、脇腹に折り畳まれていた腕を伸ばすと、ハサミの具合を確かめるように空気を斬って見せた。やがて化け物は腕の動きに満足すると、こちらに向かってまた歩き出した。
粉々になった氷の柱の間を歩いていた化け物と対峙すると、ハンドガンを構えて銃口を向ける。弾薬を〈貫通弾〉に素早く切り替え、浮かび上がる照準器で化け物を捉えて引き金を引いた。甲高い金属音のあと、射撃の反動で腕が持ち上がる。
質量のある銃弾は、大きな運動エネルギーを得て凄まじい速度で化け物の胴体に直撃し、その衝撃で化け物を後方に
その化け物は空中で身体をくるりと回転させ、綺麗な着地をする。化け物に向かって歩きながら立て続けに〈貫通弾〉を撃ち込み、化け物を薄靄の向こう側まで吹き飛ばした。相変わらず化け物の外殻を破壊することすらできなかったが、私の目的は他にあった。
着弾の衝撃で地面に転がっていた化け物がよろよろと立ち上がるのに合わせて、ハンドガンの形状も変化していった。銃身が十字に開いていくと、銃口に向かって青白い光を放つ幾何学模様が流れていくのが見えた。その光の筋は天使の輪にも似た輝く輪を銃口の先に形成していく。
余裕を見せていた化け物は異変に気がついて、こちら側に向かって猛然と駆けてくる。しかし化け物が動き出したときには、私はすでに引き金を引き終えていた。
音もなく撃ち出された光弾は、青白い
どうやらペパーミントの言う通り、拡張された空間は内側から破壊することはできないようだった。現に〈重力子弾〉でも壁を破壊することはおろか、曖昧な存在として見えていた壁に光弾が直撃することもなかった。
ハッキリとしたことは分からないが、拡張された空間には果てがないように感じられた。しかしもちろん、拡張された空間にも果てがあり、生成された以上の空間は存在しない。その空間の内側から壁を破壊できないのは、空間の歪みを利用した何かしらの仕掛けがあるからなのかもしれない。
いずれにせよ、光弾が貫通した化け物の身体は凄まじい高熱で蒸発し、脚だけを残して綺麗に消滅した。
『レイ』カグヤの声が内耳に聞こえた。
『つぎが来る。気をつけて』
邪神の〝死骸〟だとされる石柱に寄生していた肉塊から、粘液をまとった複数の物体がボトボトと吐き出される。それらのすべてが先ほどの化け物と同様の個体だった。古代文明の遺跡にも見える石柱に銃口を向けると、
発射された光弾は石柱に向かって飛んでいき、そして石柱に直撃する瞬間、何かに
「重力子弾でも破壊できない?」
動揺していると、カグヤが声を上げる。
『レイ、戦闘に集中して!』
生き延びた数体の化け物はこちらに向かって駆けてくる。その内の一体は翅を大きく広げて振動させるようにして宙に浮かび上がると、私に向かって急降下してくる。
接近してくる化け物を見つめながらハンドガンを左手に持ち替えたあと、小声で刀の名をつぶやく。
「力を貸してくれ、ヤト」
絶えず流動していた〈ハガネ〉に包まれていて、今まで隠れていた右手首の刺青が液体金属の表面に染み出すように浮かび上がるのが見えた。その刺青は縄文土器に見られる荒々しく、それでいて複雑な模様だった。その模様の中には己の尾に喰らいつく姿をした蛇が描かれていた。
その蛇がするすると移動して手のひらの中心までやってくると、液体金属に混じることなく〈ハガネ〉の表面に染み出してきた。その黒い液体は空中に浮き上がるようにして瞬く間に刀を形作っていく。〈ヤトの刀〉を握ると、飛びかかってくる化け物に対して横薙ぎに振るった。
刀は硬い外殻に包まれた化け物の身体に何の抵抗もなく食い込むと、簡単に切断してみせた。両断されてふたつに別れた化け物の身体は、それでも腕や脚をバタバタと動かし、威嚇するように金属的な泣き声を発し続けていた。
化け物の頭部に向かって至近距離で〈貫通弾〉を撃ち込んで破壊すると、接近して来ていたもう一体の化け物の繰り出してきた鉤爪の一撃を転がるようにして間一髪のところで避け、粘液が滴る化け物の膨らんだ腹に刀を突き入れた。
化け物は痛みに驚くようにして素早く距離を取ると、その場に
大顎を打ち鳴らして化け物が飛びかかってくると、腰を落として化け物の鼠経部に刀を突き刺した。そのさい、小さな指のような器官がある気色悪い腕が私に
化け物に突き刺さった刀の柄を
視界に警告が表示されると、すぐに横に飛び退いて、化け物が吐き出す体液を避ける。こちらに向かって体液を吐き出していた化け物は、艶のある黒光りする翅をカサカサと振動させたあと真直ぐ飛んでくる。
化け物の突進を避けられないと判断すると、足元に〈ハガネ〉で生成した杭を打ち込んで身体を地面に固定させ、化け物に刀の切っ先を向けたまま腰を落とす。
突進と共に凄まじい衝撃を受けるが、吹き飛ばされることなく化け物の肩口から真直ぐ刀を突き入れることに成功する。噴き出す体液でマスクがベトベトに汚れるが、今はそんなことを気にしている余裕がなかった。化け物の死骸から刀を引き抜くと、向かってくるもう一体の化け物と向かい合う。
気がつけば、息つく暇もないほど化け物の大群に襲われ、完全に包囲されてしまっていた。
『マズいことになったね』
カグヤの言葉にうなずいたあと、じりじりと迫ってくる化け物に刀を向ける。
「たしかに厄介なことになった。試したいことがある。支援してくれるか?」
『試したいこと?』
「ハガネに蓄積されたエネルギーを連中にぶつける」
しびれを切らした数十体の化け物が飛びかかってくると、ハガネに蓄えていたエネルギーを解放する。その瞬間、私を中心にして凄まじい衝撃波が放射状に広がり、化け物たちの身体を引き裂いていく。
それまでに蓄えていたエネルギーが少なかったからなのか、化け物の外殻を完全に破壊することはできなかった。しかしそれでも、化け物の腕や脚を関節から切断し、外殻に覆われていない部分を徹底的に破壊することができた。
『それで』とカグヤが言う。
『ご感想は?』
「最高だよ」
肉塊から吐き出される化け物の姿を見ながら、ペパーミントに訊ねる。
「隔壁はまだ動かないか?」
『もう少し時間が必要よ』彼女の声が内耳に聞こえる。『だからレイを掩護するために誰かを向かわせる。このままひとりで戦うわけにもいかないでしょ?』
「こっちは気にしないでくれ。それよりそっち側はどうなっている?」
『敵の増援がなくなったことで、ミスズたちだけでも充分に対処できるようになったみたい。それでも相変わらず化け物は大量にいるけどね』
「負傷者は?」
『誰も怪我してない、だから安心して』
ペパーミントとの会話を終えると、薄靄を越えてこちら側にやって来ようとする化け物にハンドガンの銃口を向ける。すると突然、耳障りな重低音を立てる羽音が聞こえて、蹴り飛ばされ、凍り付いた床を転がって氷の柱に背中を打ち付ける。
顔を上げると、私を蹴り飛ばした化け物が大顎をぱっくりと開いていて、黄ばんだ牙と腐肉にも似た長い舌を見せながら駆けてくる。その化け物に銃口を向けると、射線の先に拡張された空間があることを確かめてから〈重力子弾〉を撃ち込む。
発射された光弾を受けて化け物は脚と大きなハサミに似た器官だけを残して蒸発する。それと同時に、凍り付いていた床が解けて、周囲に巨大な水溜まりがつくられていく。凄まじい高熱で切断面が焼かれたために、体液を撒き散らすことなく水溜まりの中を転がっていく化け物の脚やハサミを横目に見ながら立ち上がると、石柱に向かって駆ける。
『レイ、何をするつもりなの?』
「石柱に絡みついている肉塊を破壊する」
『拡張されている不安定な空間に入るのは危険だよ』
「分かってる。でもあれに対処できれば、空間を封鎖する必要がなくなる」
『石柱がレイの接近に反応して冷気の突風を放出したらどうするの?』
「問題ない、〈ハガネ〉を装備している限り冷気は俺に通用しない」
薄靄を越えると、僅かな抵抗と共に薄膜を突き破るような感覚がした。石柱に近づくころには、すでに数十体の化け物が肉塊から吐き出されていて、黒光りする翅を広げて粘液を滴らせていた。
石柱に向けてハンドガンを構えると、銃口の先に光輪が出現する。その刹那、私に向かって化け物が吐き出した体液が飛んでくる。すかさず後方に飛び退いて体液を
複雑に組まれた石柱に光弾が届く直前、また不可思議な膜が石柱を覆い、光弾の軌道を逸らしてしまう。まるで超音速飛行をする戦闘機から生じるソニックブームを思わせる爆音が周囲に響き渡ると、衝撃の余波で凍っていた化け物が解けていくのが見えた。
「これだけ近づいてもダメなのか!」苛立って思わず声をあげる。
『強力な磁界で〈重力子弾〉を逸らしているみたい』
カグヤの言葉に私は頭を振る。
「そんなことが可能なのか?」
『わからないけど、意図的に弾道が逸らされているのは確かだよ』
肉塊からボトボトと吐き出される物体を見ながら訊ねる。
「至近距離で撃ち込んでも、通用しないと思うか?」
『あれに近づくことには賛成できない』
「何か起きると思うのか?」
『わからないけど、すでにレイは奇妙な白日夢を見せられたあとだよ、忘れたの?』
「いや」と頭を振る。「でもあれは 〝死骸〟なんだろ?」
『正確には〝邪神の死骸〟だよ。死んでいるからと言って、安心できない』
重低音を響かせながら急降下してくる化け物の強烈な突進を〈ハガネ〉の盾で受け止めると、身体をくるりと捻って、右手に握っていた刀で化け物の首を刎ね飛ばす。
『何もせずに引き下がるのは悔しいけど、この場に長く留まることはできない』
向かってくる化け物の集団に〈反重力弾〉を撃ち込んでまとめて処分すると、追撃に警戒しながら後退を始める。
空間を隔てる薄靄を通り過ぎる瞬間だった。タールのような粘り気のある漆黒の触手に足首を
『触手? 何処から?』
カグヤの驚く声が聞こえる。引き摺られながら身体を仰向けにして触手の先に視線を向ける。すると石柱に絡みつく肉塊から触手が伸びているのが見えた。
「また触手だ」
うんざりしながら言うと、触手に向かって〈貫通弾〉を撃ち込んだ。
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