第316話 地下空間 re


 複数のエレベーターを使って〈アサルトロイド〉たちを地下に派遣する前に、ハクとマシロを連れて地下の偵察に向かことにした。


 危険な場所に向かうのだから、本来は機械人形を優先して行かせるべきだと分かっていたが、予想外の事態に戦力が減らされることがないように、事態に柔軟な対応できる人員を直接地下に派遣することにしたのだ。


 その間、ミスズたちには安全が確保されたエントランスホールで待機してもらうことになった。上階から〈アサルトロイド〉と共にやってきた作業用ドロイドに、補給物資の搬送も頼んでいたので消耗品の補給や確認をしっかり行ってもらう。


 エレベーターに乗り込むさい、ペパーミントは溜息をつきながら言う。

「無茶だけは、絶対にしないでね」


「そうですよ、レイラ」ミスズも一緒になって言う。

「いつでも動けるように準備しておくので、問題が起きたら私たちを頼ってください」


「大丈夫だよ」と苦笑しながら言う。

「本当に偵察してくるだけだ。ミスズたちはその間、気負わないで身体からだを休めてくれ」


 地下に向かうための専用エレベーターは、〈深淵の娘〉であるハクが乗ることを想定してつくられていなかったので、ハクと一緒に乗るのには狭かった。けれどそれでも我慢して一緒に狭いエレベーターに乗った。下降中に事故が起きて離れ離れになることだけは避けたかったからだ。


 その窮屈なエレベーター内で壁に身体を押し付けるようにしていると、ハクの背中に乗っていたマシロがじっと私に真っ黒な複眼を向ける。


「マシロ、どうしたんだ?」

 そう訊ねると、マシロは唇を動かすことなく言う。

『壁、冷たい?』


「いや、分からないな」

 マシロは身を乗り出すと、エレベーターのツルツルした壁に頬を付ける。

『冷たい』


「そ、そうか……」

 少し戸惑いながら言うと、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『相変わらず、マシロは不思議ちゃんだね』


 しばらくすると、エレベーターの扉がするすると音もなく開いていく。我々は警戒しながらエレベーターの外に出る。エレベーターの先は閑散とした広大な空間になっていて、予想していたのとはまったく異なる状況だった。


『化け物がいないね』

 カグヤの言葉にうなずいたあと、コンテナが整然と並べられた空間の先に見えていた巨大な隔壁に視線を向けた。


「どこかに隠れているのかもしれない……」

 隔壁は広大な空間を隔てるようにピタリと閉じられていた。


 その場所ではすべての音が――例えば声や足音までもが、反響し増幅されるどころか、和らげられ、くぐもって聞こえてくるように感じられた。地中深くにある洞窟を探索したさいにも、そういった現象を経験したことがあったが、旧文明の施設では初めてのことだった。


 施設内の様子は今までと変わらないように思えたが、鋼鉄製の壁面パネルは半透明の氷に覆われていた。それらはまるで削り出した氷河の表面を、そっくりそのまま壁や床に貼り付けているようにも見えた。


『こおり、いっぱい』

 ハクはそう言うと、床一面に広がる氷をトントンと叩いた。


 照明の光が氷に反射し、冷たく青い光が揺らめく。空間の奥に視線を向けると、輸送コンテナが積み重なっているのが見えた。施設の建設途中だったのか、あるいは大量の物資を貯蔵していたのかは分からないが、雑多に置かれたコンテナ群も氷に覆われているのが確認できた。


 そしておそろしく高い天井からは、水晶の牙を思わせる巨大な氷柱つららが連なっているのが見えた。


『これは昨日今日につくられた氷じゃないね』

 カグヤの言葉にうなずいたあと、その場にしゃがみ込み、冷たい氷に触れながら動体センサーを起動する。


 床に広がる透明な氷には細かな気泡が閉じ込められていて、それらが照明の光を反射して宝石のように輝くのが見えた。何百年も昔に降り積もった雪が自重で圧縮され、透明度の高い青い氷に変化するように、それは太古の氷を思わせた。


『レイ』カグヤが言う。

『目的の場所はあの隔壁の向こう側で間違いないみたい』


「それなんだけど、化け物の反応がまるで確認できないんだ」

『拡張された空間のなかにいるから、センサーが無効化されているのかな……? 化け物の敵意は感じられる?』


「瞳の能力を使用しなくても、恐ろしい敵意が感じられる。だけど、その姿は見えない」

『それは厄介だね……とりあえず安全を確保して、さっさと〈アサルトロイド〉たちに来てもらおう』


「そうだな」

 ハクとマシロに協力してもらいながら、コンテナが並ぶ広大な空間で索敵を行う。動体センサーでは敵の反応を捉えられなかったが、何かが潜んでいる可能性は充分に考えられたので注意は怠らなかった。


「それにしても広い」

 ライフルを構えながら、物音が一切聞こえてこないコンテナの間を進む。鋼鉄製の大きくて頑丈なコンテナの多くは固く閉じられていたが、いくつかは重い扉が開いていて、内部に金属製のボックスが綺麗に敷き詰められているのが確認できた。しかしその入り口は透明度のある厚い氷に覆われていて、コンテナ内に入ることはできなかった。


「なあ、カグヤ」コンテナ内を覗き見ながら言う。

『なに?』


「この氷は研究員が意図的に作り出したものだと思うか?」

『どうなんだろうね、それは分からないよ。でもそうだな……最初に会った研究員のことを覚えてる?』


「化け物に変異した人たちのことか?」

『うん。あの人たちはシステムの異常で氷が解けたって言っていた。それならどうしてこの場所には、こんなに氷が残っているんだろう。それってなんだか不自然じゃない?』


「そう言えば、死骸の氷が解けたって話していたな……」

『だからね、地下の施設がこんな風になっているなんて想像もしていなかった』


「たしかに奇妙だな」

『それに、この地下施設は広すぎる。〈空間拡張〉技術を利用して広大な空間が確保できるのに、どうしてわざわざ地下にこんな巨大な空洞を建設したんだろう?』


「研究の試作品をテストするための場所が必要だった、とか?」

『それならこんなに沢山のコンテナを並べたりしないと思う。それに上階にも試験室はいくつかあった』


「そのコンテナだけど」と疑問を口にする。

「どこから運び込んできたものだと思う?」


『そう言えば、地上につながる搬入口はないね。コンテナを搬入するための貨物列車でも走っているのかな?』


「その場合、列車は旧文明期に存在した地下トンネルを通ってきたってことになるのか。どこかに物資の保管所があるのかもしれないな」


『その可能性はあるね。〈ジャンクタウン〉の地下にも兵器工場から物資を運び込んでいる列車が走っているみたいだったし』


「線路が土砂に埋まっていなければ――」

 ふと背筋の凍るような悪寒がして振り向くと、虚ろな表情でコンテナの間をふらふらと歩く研究員の姿が見えた。


「今の、見えたか?」カグヤに訊ねる。

『うん? 何のこと?』


 来た道をすぐに引き返して、研究員の姿を見かけた場所まで戻った。しかしコンテナがずらりと並ぶ細い通路に人の姿は何処にもなかった。


 すぐにハガネを起動して、下半身の装甲に強化外骨格と同等のパワーアシスト機能を付与すると、その力を借りてひょいとコンテナの上に跳び乗る。


『人の気配は確認できないよ。見間違いじゃない?』

「いや、見間違いじゃないみたいだ」


 全身に鳥肌が立つのを感じながら、研究員の集団が幽霊のように隔壁を通り抜ける光景を見た。


『何が見えてるの?』カグヤは不安そうな声で言う。

「身体を損傷した人間の集団が、隔壁の向こうに消えていくのが見える」


『消える? まさか幽霊を見ているの?』

「いや」と私は頭を振る。「幽霊なんてものは存在しない、そうだろ?」


『そうだね。幽霊が存在するなら、廃墟の街は今ごろ死んだ人間の霊で溢れていて鳥籠よりも賑わってる』

 カグヤは冗談交じりに言ったあと、真剣な声で言う。

『……それなら、レイは何を見ているの?』


「自分でも分からないよ……」

 死者の行列にも見える不思議な人間は、表情がうつろで、白衣を着ている者もいれば、半裸の状態で歩いている者もいて、彼らの多くは負傷していた。


 研究員たちの周囲には霧のような濃い冷気が立ち込めていて、彼らの姿を曖昧なものにしていた。しかし錯覚と言うには、あまりにも現実味があり、それは不思議な違和感を抱かせる。まるで立体映像を見ているようでもあったが、それらの人間の残像が私に与えるのは、眩暈めまいのするほどの吐き気と悪寒だった。


『レイ』

 ハクの声がして視線を外すと、研究員たちの姿は消えてしまう。やはり幻を見せられていたのだろうか?


『みて、レイ』

 ハクはそう言うと、触肢しょくしに挟んだ銃身の長いライフルを持ち上げた。


『ウミが見つけたのと同じ狙撃銃だ』カグヤが反応する。

「ハク、それをどこで見つけたんだ?」


『こっち』ハクは腹部を振ってから答えた。

 ハクがコンテナの向こうに消えると、隔壁にちらりと視線を向けた。しかしそこには寒々とした冷気が立ち込めているだけで、研究員たちの亡霊らしきものは見られなかった。


 インターフェースに表示される地図でハクの位置情報を確認しながら歩く。しばらくすると、錆のない灰色のコンテナの前で待ってくれているハクの姿が見えた。


 その開いたコンテナからは、金属製のボックスがいくつか無雑作に持ち出されていて、そのボックスの上にはマシロが退屈そうに座っていた。ボックスの周辺には大量のライフルと、弾倉の形状をした白銀色のブロックが散乱していた。


『ここ、みつけた』

 フワフワとした声で言うハクに感謝したあと、しゃがみ込んでライフルを拾い上げた。


『誰かが武器が保管されているコンテナを漁ったみたいだね』とカグヤが言う。

「もしかしたら施設内に発生した化け物たちに対処するために、研究員が武器を取りにこの場所まで来ていたのかもしれない」


 傷ひとつない新品同然のライフルを眺める。

『見て、レイ。コンテナの扉が氷で塞がれている』


「施設に異常が発生して、慌ててライフルを取りに来たと考えると、それから僅かな時間で氷が作られたことになるな」


『でもこの氷は――』

「ああ、そうだな。これだけの厚さと透明度のある氷を短時間でつくり出すことはほぼ不可能だ」


 ライフルをコンテナに立てかけると、ほかに何か怪しいものを見なかったかハクにく。

『あやしい、ない』ハクはそう言うと、氷に映りこむ自身の姿を確認しに向かう。


「マシロは何か見たか?」

『何もいない』マシロは櫛状の触角を揺らしたあと、天井から伸びる氷柱に向かってふわりと飛んでいく。


 自由過ぎるハクとマシロの様子を眺めていると、ウミから〈アサルトロイド〉の出撃準備に関するテキストメッセージを受信する。


「アサルトロイドたちの準備ができたみたいだ」

『この場所は安全みたいだし、もう地下に送ってもらおうよ。隔壁を開放する前に、襲撃に備えて簡易的な防衛網を築いたほうがいいと思うし』


「それはいい考えだな。それなら作業用ドロイドたちに物資を搬送してもらおう」

『分かった。機械人形の指揮はウミに任せるね。その間、ミスズたちにはもう少し休んでいてもらう』


 エレベーターの前でアサルトロイドを待っていたが、ふと気になって巨大な隔壁の前まで歩いていく。そして隔壁の向こうに視線を向ける。途端に鋭い痛みに襲われて顔をしかめる。数え切れないほどの敵を捉えたことによって、能力の限界に達したのだろう。眼球にアイスピックを突き立てられるような痛みに耐えきれず、すぐに能力の使用を止める。


『大丈夫、レイ?』

 カグヤの問いにうなずいて、それから言った。

「隔壁の向かうに恐ろしい数の化け物がいる」


『隔壁を開放したら、化け物の群れはこちら側に雪崩れ込んでくるね』

「限定的に解放することはできないか?」


『少しだけ隔壁を開放するの?」

「そうだ」


『できるけど……でも化け物は壁を伝って移動できる。この隔壁は中央から左右に開くようになっているから、開いた僅かな隙間から化け物は容赦なく入り込んでくる』


 天井付近まで縦に伸びる隔壁の開閉部を見つめる。

「他に入り口はないよな?」


『残念だけど、あの隔壁を開かなければ向こう側にはいけないよ』

「それなら、できるだけ多くの戦力を集めたほうがいい」


『地上にいる〈蟲使い〉たちも呼ぶの?』

「わからない。でもとにかく俺たちは向こう側に何とか侵入して、拡張された空間に続く隔壁を封鎖しなければいけない。それをしない限り、忌々しい化け物たちから解放されることはない」

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