第315話 空間拡張〈技術〉re
土砂に埋もれたエントランスホールで化け物の群れを処理したあと、我々は地下につながる通路に向かった。地下には、異様な化け物が出現する原因にもなった〝死骸〟が保管されているという。
それがどのようなモノなのかは分からないが、我々は研究員から入手したコードを使って隔壁を封鎖し、化け物どもを地下に閉じ込めなければいけなかった。安全が確保できない限り、安心して施設を利用することはできなかった。
薄暗い通路の先には、地下につながる専用エレベーターが設置されているようだったが、そこに向かう道中、我々は通路に不自然な縦穴が開いているのを見つける。床に開いた縦穴は巨大で、化け物たちが吐き出す奇妙な粘液が穴の縁に付着していた。
足元を確認しながら縦穴を覗き込んだが、穴の底は暗闇に沈み込んでいて、正確な深さを確認することはできなかった。しかし動体センサーを使用すると、たしかに縦穴が地下の広大な空間につながっていることが分かった。
「どうしてこんな所に穴があるんだ?」
不思議そうな表情を浮かべるナミを見ながら片膝をつくと、縦穴の縁に手を這わせる。
「破壊された機械人形と同じ状態だ。あの奇妙な粘液で熔けている」
「熔けてる?」ペパーミントはそう言うと、縦穴のそばにしゃがみ込む。
「これだけの深さの縦穴を、あの化け物たちだけで熔かしてつくったって言うの?」
『たしかに驚くようなことだけど――』カグヤの声が内耳に聞こえる。
『でも少し考えれば、不思議なことじゃないって分かる。かれらには選択肢がないからね』
ペパーミントは顔を上げると、通路の先にあるエレベーターホールを見つめる。
「そうね、化け物がエレベーターを使うわけがない。連中はこの縦穴を利用して地下からやって来ていた」
ペパーミントの肩越しに縦穴を覗き込んでいたナミが言う。
「これだけ大きな穴があるんだ。地下の隔壁を塞いでも意味がないんじゃないのか……?」
「そうね。でも死骸が保管されているのは、重力場によって拡張された空間だって研究員は話していた」
「その空間は、この縦穴に直接つながっていないのか?」
ナミの問いに彼女はうなずく。
「基本的に重力場を利用して拡張された空間を
「何らかの理由で開いてしまった隔壁を閉じることができれば、すべての問題は解決するってことか……」ナミは顔をしかめると、深い縦穴に撫子色の瞳を向ける。
「なぁ、ペパーミント」今の会話で気になったことを
「拡張された空間の壁を破壊することはできないって言っていたけど、それは本当なのか?」
「本当よ。でもそれはあくまでも内側から破壊できないってだけ、外部からなら――」ペパーミントはそこまで言うと、肩に提げていたショルダーバッグを持ち上げた。「例えば、この鞄は〈空間拡張〉の機能を備えているけど、レイのハンドガンを使えば、簡単に破壊することができる」
「内部から破壊することができないのは、空間内で生成されている重力場が関係しているのか?」
「そうなのかもしれないし、もっと難解な理由があるのかもしれない。でもそこまでは私には分からないわ」
「そうか……」
「何か気になることがあるの?」
「もしもウェンディゴのコンテナが破壊されたら、何が起きるんだ?」
「専用の処理が施された出入り口でなければ、空間を維持することができない。だからコンテナの表面に穴が開いたら、空間を維持することが難しくなって、拡張されていた空間は――というより次元は、もとの状態に戻ろうとして一気に圧縮されて縮小すると思う」
「空間が持つ本来の面積に戻るんじゃないのか?」
質問に対してペパーミントは頭を横に振って黒髪を揺らした。
「いいえ、反作用が関係しているんだと思うけど、空間は圧縮されてしまうの。レイが〈反重力弾〉を使用したさいに起きる現象と同様のことが起きると想像してくれれば分かりやすいと思う」
「その空間内にあるものはどうなるんだ?」
「もちろん完全に破壊されてしまう」
はじめて聞かされたことに動揺して言葉を失う。
「……そんなに危険な空間だったなんて知らなかったよ」
しばらくして私はそう口にした。
ペパーミントは思わず苦笑する。
「もちろん安全装置は取り付けられているから、空間から逃げ出す猶予はある」
「でもいずれ空間は圧縮されてしまう?」
「そう。重力場を生成させる原理はとても複雑で、そのほとんどが〈大いなる種族〉の技術に依存している。だから人類にも分からないことはたくさんあるけれど、それでも確かなことがある。それは重力場を生成するために膨大なエネルギーを必要とすることで、そのエネルギーを循環させる外壁がなくなれば、空間の歪みを維持することは困難になる」
ペパーミントはショルダーバッグから発煙筒を取り出すと、それを点火して縦穴に放り込んだ。発煙筒は縦穴の壁を跳ねながら落下して、やがてその閃光は薄闇の中に消えていった。
「相当深いわね」
ペパーミントの言葉にうなずくと、発煙筒が落下していくときに見えた化け物にライフルの銃口を向けた。弾薬は〈自動追尾弾〉に切り替えて、ペパーミントが用意してくれた化け物専用の射撃設定に変更する。
〈ハガネ〉と融合したマスクを起動すると、視界映像を操作して暗視装置を起動し、薄闇にいる化け物の姿を確認する。海老に似た複数の化け物が、頭部についた複眼を妖しく発光させながら縦穴を這い上がってきている姿が見えた。
「ナミ、手伝ってくれ」
彼女はうなずくと、般若の面に似たマスクを起動させて縦穴にライフルを向ける。縦穴に向けて数十発の銃弾を撃ち終えると、壁面に触れながら動体センサーを起動して、地下から這い上がってくる化け物がいないか確認する。
「なあ、レイ。この縦穴はどうするんだ?」
射撃を終えたナミが言う。
「せっかく時間をかけて化け物の群れを掃討してきたのに、この穴を放っておいたら、また別の群れがやってくる」
「そうだな……とりあえず今はハクの糸で穴を塞いでもらうよ」
「何か考えがあるんだな?」
彼女の言葉にうなずくと、ペパーミントが代わりに説明してくれた。
「各階層にいる警備用の〈アサルトロイド〉たちが、討ち漏らした化け物が潜んでいないか最終確認をしてくれているんだけど、それが終わった段階でこっちに来てもらう予定になっているの」
「あの機械に穴の見張りをさせるのか?」
「もちろんエントランスホールの監視もしてもらうけど、数体はエントランスホールに残ってもらうけど、私たちと一緒に地下に同行してもらう」
「地下に? 応援が必要なほど危険な場所になっているのか?」
ナミの質問には私が答えた。
「おそろしく危険な場所になっている。地下から化け物たちが溢れ出たと研究員は言っていた。かれの言うことが正しければ、地下には今まで以上に大量の化け物が潜んでいる可能性がある」
「やっぱり例の〝死骸〟が関係しているのか……」
「俺はそう考えているけど、地下で何が起きているのかは誰にも分からない」
退屈していたハクに縦穴を塞いでもらったあと、ミスズに声をかけた。
「アサルトロイドたちがやってくるまでの間、周囲の安全確認を頼めるか?」
「わかりました」ミスズはうなずく。「ハクに手伝ってもらってもいいですか?」
「もちろん」
ミスズがナミとドローンを連れて周囲の索敵に向かうと、ハクとマシロもエントランスホールに化け物が潜んでいないか確認しに向かう。
「それで、私とウミはどうすればいい?」
ペパーミントの言葉に反応して通路の奥に視線を向ける。
「エレベーターが故障していないか確認したい、一緒に来てくれ」
赤色の非常灯が回転する通路の先には、四基のエレベーターが設置されていて、砂埃が堆積したソファーと観葉植物の鉢が置かれていた。
そのエレベーターの前まで行くと、壁面に設置された端末を操作しながら訊ねる。
「カグヤ、エレベーターは動きそうか?」
『施設の管理権限は私たちが持ってるから、エレベーターが故障していなければ問題なく操作できるはずだよ』
端末が起動してインターフェースが表示されると、エレベーターが地下から向かってくるアニメーションが表示された。
「化け物が一緒に上がってくる可能性は?」
冗談で言うと、カグヤは端末の画面にエレベーター内の様子を表示してくれた。幸いなことにエレベーターは空っぽだった。
「残りのエレベーターも何度か往復させて故障していないか確認してくれるか?」
『別にいいけど。そんなに不安なの?』
「俺たちと一緒に地下に向かう〈アサルトロイド〉の数が多いから、何度もエレベーターを往復させることになる。そこで故障したら戦力が大幅に減ることになる」
『今回はずいぶんと慎重なんだね』
「異界の邪神かなにかの〝死骸〟だって研究員は言っていただろ?」
『そうだったね……ただの死骸だろうと何だろうと、異界が関わるだけで状況は複雑になっていく』
カグヤがエレベーターのテスト動作を行っている間、ずっと気になっていたことをペパーミントに訊ねることにした。
「さっきの話だけど、〈空間拡張〉を行うために必要なものってなんだ?」
「突然どうしたの?」と彼女は私に青い瞳を向ける。
「重力場を発生させて、拡張された空間を生み出せないか確認したかっただけだよ」
「たしかに〈空間拡張〉の技術を入手できたら、たとえばショルダーバッグを量産して、みんなに支給できるようになるけど……それはとても難しいことだと思う」
「と言うと?」
「膨大なエネルギーが必要だって、さっき話したのを覚えてる?」
「もちろん」
「例えば」と、ペパーミントはショルダーバッグを持ち上げる。
「この鞄を製造するのに、どれくらいのエネルギーが必要だと思う?」
「見当もつかないよ」正直に言う。
「ショルダーバッグ内の五メートル四方の空間をつくり出して維持するには……そうね、例えば山間にある小さな田舎町を想像できる?」
「それは旧文明期以前の町か? それとも旧文明の施設が沢山ある街か?」
「文明が発展するにつれて一般家庭に普及した家電は省エネ化が進んでいたから、エネルギーの消費量に大きな変化はないはず」
「分かった。想像してみるよ」
ペパーミントはなぜか微笑む。
「どうしたんだ?」
「レイは真面目なのね」
「想像力が乏しい退屈な人間なだけだよ。だから細部が知りたくなる」
「そんなことない。それでね、話を戻すけど、ショルダーバッグ内の空間を維持するためには、その田舎町を数か月の間、維持できるだけのエネルギーが必要なの」
「今もそれだけのエネルギーが消費されているのか?」驚きながら質問した。
「いいえ」ペパーミントは頭を横に振る。「ショルダーバッグを製造する段階で、それだけのエネルギーが必要だったの。重力場の歪みを維持する素材が完成してしまえば、あとは小さなエネルギーで空間の維持は可能なの。例えば私の体温や、日の光とか」
「つまり、ウェンディゴのコンテナを製造するには、途方もないエネルギーが必要ってことか」
「大都市が数か月の間に必要とするエネルギーがなければ、おそらくコンテナで使用される特殊な素材を製造することはできない」
「正直、今日は驚かされてばかりだよ」と思わず溜息をついた。
「ウェンディゴが貴重な車両だっていうことは、マーシーにも教えてもらっていたけど、そんなにすごい遺物だったなんて想像もしていなかった」
「生成される重力場の距離に合わせて、必要になるエネルギーは指数関数的に増大していく」
「それなら、この研究施設にある〈ブレイン〉たちの部屋は……」
「あれだけの規模の空間をつくるのに使用されたエネルギーは、正直私にも想像できない」
『旧文明のテクノロジーは異常だね』カグヤが素直な感想を言葉にする。
「けど、それだけのことが当たり前のように行えた旧文明ですら、今は滅んで、廃墟が残るだけになった……」
「自然の摂理よ」とペパーミントは言う。
「永遠に続くものなんてない」
『その永遠がペパーミントの目の前にいるんだけどね』
カグヤの言葉に反応して、彼女は私のことを見つめる。
「そうね」
「そんなことはないよ」と私はすぐに反論する。
「〈不死の子供〉たちだって、新たな肉体に精神を転送して生き延びていたに過ぎない。その精神だって、劣化を防ぐためにありとあらゆる手を尽くしていたんだ。そんなものは永遠とは呼べない」
そのときだった、非常灯が消えると施設内に通常の照明が戻った。
『アサルトロイドたちが化け物の掃討を確認し終えて、避難命令の警告を解除したみたい』
カグヤの言葉にうなずくと、気を取り直して地下の危険に備えることにした。
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