第312話 ハガネ re


 何の変哲もない白銀に輝く腕輪バングルを眺めたあと、初期化に関する設定をカグヤに頼み、それから隔壁の向こうにいる研究員と目を合わせる。

「この研究施設で開発した製品なのか?」


『違う』スピーカーを介して男性のしゃがれ声が聞こえる。

『技術の研究と解析を軍に依頼されただけだ』


「製品は安全なのか?」

『そんな格好で化け物と対峙しているやつが、俺に安全性について問うのか?』


 男性の言葉に溜息をついたあと、拡張現実で表示していた簡易地図ミニマップを確認し、化け物の群れの様子を確かめた。どうやら階下では、機械人形と化け物たちが熾烈な戦闘を繰り広げているようだったが、我々がいる階層に敵の反応は確認できなかった。


「それで――」ペパーミントは研究員に質問をした。

「地下に運び込まれたっていう氷漬けの死骸って、結局なんなの?」


『さぁな、邪神か何かの類だろう』

「貴方たちは異界の神すら研究対象にしていたの?」

『邪神だろうと何だろうと、研究できるのなら研究する。それだけのことだ』


「そう」

 ペパーミントは溜息をついたあと、煙たい廊下に視線を向ける。

「当然、貴方も私たちと一緒に来るのよね?」


『どうしてだ?』男性が言う。

『俺は研究員だぞ。戦いは〈不死の子供〉に任せればいい』


「私たちが化け物と戦っている間、貴方はこの場所に引き籠っているつもり?」

『当然だ。俺は非戦闘員だからな』


「呆れた」

『何とでも言え。俺は自分にできることだけをやる。地下施設の封鎖が完了したら、ここに報告しに戻ってこい』


「どうして私たちがそんなことを――」

 ペパーミントが言い終える前に、研究員は隔壁の小窓を閉じてしまう。


『レイ』とカグヤの声が内耳に聞こえた。

『設定が完了したよ。あとはそっちで認証して終わり』


「ありがとう、カグヤ」

 視界に表示されていた腕輪の概要説明の項目を見ながら質問した。

「システムに何か罠が仕掛けられている可能性は?」


『問題ないよ。腕輪自体も未使用品だったみたいだし』

「新品なのか」


『そうみたいだよ』

「そうか……それで、これはどうやって使うんだ?」

『説明書があるから、インターフェースで確認して』


「仕様書だけじゃなくて、ユーザー向けの説明書まであるの?」

 ペパーミントは端末を取り出すと、研究員から受信していた腕輪のデータを確認する。

「えっと……〝戦線の拡大における人的資源の消耗、及び戦力の維持に関する提言〟……なんだか難しそうなことが書いてあるわね」


「その項目は読まなくてもいいな……」

 数百ページに相当する文章を閉じて、代わりに映像データの項目を開いた。

「世界の軍需産業をリードする〈エボシ〉の、新製品発表会のための資料映像か……」


『〈エボシ〉が企業名なのかな?』カグヤが言う。

『保存されている映像ファイルは、軍の偉い人たちに見せるプレゼン資料みたいだね。それで製品名は――』


「〝ハガネ〟」ペパーミントが読み上げる。

「日本語の『鋼』をそのまま製品名にしたのかしら?」


「日系企業なのか……」

「ええ、日本の軍事企業で間違いないみたい。とりあえず映像を確認したほうがいいわね」

 彼女の言葉にうなずいたあと、映像ファイルを再生する。



〈革新を貴方の手に〉


 太陽と海、そして鳥居が重なる〈エボシ〉のロゴマークが深紅に輝くと、男性の合成音声が聞こえ、これから表示される映像が〈ハガネ〉の製品発表会に関する資料映像であり、権限のない人間に閲覧許可が出せないため、映像が表示されない可能性があるという警告が表示される。


 そして艶のある黒髪を持った女性が、白い空間を歩く映像が表示される。その女性は身体の線がハッキリと分かるピッチリした半透明な黒いスキンスーツを身につけていて、手首には白銀の腕輪を装着していた。彼女はちらりとこちらに視線を向けると、妖艶な笑みを見せる。


「我々〈エボシ〉は、この日が来るのを三年待ちました」女性は優しく語りかける。「〈まがつ国〉につながる回廊、そして異界の神々との接触以来、我々人類の文明は進歩を続けています。しかしその一方では、軍事分野における技術の開発競争が今までに類を見ない苛烈なものになり、企業間の紛争も絶えません」


 女性は一度立ち止まると、何もない空間に向けてまた歩き始める。すると彼女の向かう先に、ピラミッド型の巨大建造物がまたたく間に生成されていく。


「〈墓所〉では〈大いなる種族〉によって、これまでの常識を覆す新技術と、それを応用した新製品が誕生し、私たちの生活を豊かにしています」

 女性はそう言うと、黄金色に輝く建造物に触れる。


「しかし我々〈人類〉は、かれらとは異なります。革新的な技術を手に入れため、多大な労力と時間を必要とします」


 女性は悲しそうに微笑んだあと、こちらに視線を向ける。

「幸いなことに我々〈エボシ〉は異星の友人と、優秀な技術者に恵まれ、これまで幾度も革新的な製品を生み出してきました。これはひとえに、我々が先祖から受け継いできた一生懸命に働くことを美徳とする日本人特有の〝民族性〟が可能にした努力の成果でもあります」


 彼女が歩き出すとピラミッド型の建造物が消え、代わりに富士山を背景に超構造体メガストラクチャーを含む高層建築物が林立する広大な街が白い空間に生成されていく。


「今、この時も太陽系では熾烈な生存競争が繰り広げられ、人類は異星の生物と、あるいは異界の侵略者との果てのない戦闘を強いられています。その人類の生存をかけた重要な戦争において、我々は画期的な〈シールド生成装置〉を軍に提供し続けてきました」


 女性の歩く先に何の変哲もない金属製のバリケードフェンスがあらわれる。すると通りの向こうに出現した群衆が、フェンスの後ろに立っていた女性に目掛けてコンクリート片や火炎瓶を投げつける。しかしそれらがフェンスに触れることはなかった。フェンスからシールドの薄膜が広範囲に展開され、暴徒化した群衆の攻撃から女性を守る。


 街並みと共に群衆が消えると、女性の周囲に荒涼とした大地が広がっていく。赤茶けた砂が混じる突風が吹いていて、空には太陽がふたつ確認できた。


 彼女の歩く先には、戦闘服を着た数人の兵士が立っていた。

「シールド技術の発展は、やがて生成装置の小型化を実現させ、従来までの〈据置き型〉の装置から、持ち運びが可能な超小型装置を造り出すことを可能にしました。そしてそれは軍における人員の損耗率を低下させ、また業界全体が持っていたシールドに対する意識を変化させ、業界に刺激と共に大きな変化を与えました」


 女性と並んで歩き出した兵士たちの先に、無数のとげを生やした肉風船のような生物が姿を見せる。それは接近する兵士たちに反応すると、風船のような身体からだしぼませ、そして一気に膨張しながら無数の棘を放射状に飛ばした。


 その棘を受けた兵士たちは身体からだを貫かれ、スポンジのように穴だらけになって絶命した。しかし女性だけは健在だった。彼女が腕を持ち上げると、細い指に嵌めていた指輪を見せる。


「〈データベース〉との接続を可能にするだけでなく、指輪の所有者をつねに防護してくれるシールドを生成可能にした指輪型端末。この画期的な装備は軍事部門だけでなく、端末製造業界、果てはファッション業界に至るまで大きな衝撃を与えました」


 女性の言葉のあと、風船の化け物が霧散するように消え、兵士の死体も消えていった。そして今度は女性を包囲するように、昆虫に似た奇妙な生物が岩陰から大量にあらわれる。


 それは〈バグ〉と呼称される混沌の生物で、甲虫に似た短く太い胴体を持ち、背には異様に長い半透明の薄い翅が四枚あるのが確認できた。醜い頭部には大きさの異なる複眼が不規則に並んでいて、カチカチとこすり合わせていた大顎には太く鋭い毛がビッシリと生えている。


「私たち〈エボシ〉は、さらなる革新的技術を人類に提供します」


 女性が腕輪を装着していた腕を持ち上げると、金属が熔けだし、白銀の液体に変化しながら女性の身体を包み込んでいく。


「この国はつねに〝鋼〟とともにありました。そして鋼の塊で出来た刀を神聖視し、それを武器として、ときには権力者への献上品として、またある時には、他に類のない美術品として扱ってきました。単なる鋼に付加価値を見出してきた日本人だからこそ生み出すことのできた製品、それが〈ハガネ〉なのです」


 その不定形の液体金属は重要な器官が集中する頭部や上半身、それに腕や太腿に集まり、身体を保護する金属プレートを形成しながら硬化していく。それは強化外骨格というより、板金鎧、あるいは甲冑のようにも見えた。


 雪が降り出すと、赤茶けた大地はあっという間に白く染まっていく。


「我々が提供するひとつめの技術は、精神感応金属〈ハガネ〉に備わるナノマシンによって、身体を保護するスーツのパワーアシスト性能を高め、治癒能力を大幅に改善するものです。これには体温調整を行う機能もついているので、環境変化による活動の制限を実質的になくします。血液を一瞬で凍らせる極地に放り込まれたとしても、私たちが感じるのは風景の変化だけです」


 白練色の皮膚を持つ背の高い兵士があらわれると、女性を包囲していた〈バグ〉の群れから、見慣れない一体の〈バグ〉が出てくる。そのサソリに似た化け物は、自身の身体よりも長い尾を兵士に向ける。その長い尾の尖端には、刃物のようにも見える長く鋭い棘がついていた。


 その〈バグ〉が兵士に向かって尾を振ると、凄まじい速度で棘が飛び出した。兵士は指輪型端末からシールドを発生させるが、撃ち出された棘はシールドを突き破り兵士の身体に突き刺さり、その衝撃で手足を吹き飛ばした。


 女性が指を鳴らすと、兵士の裂けた手足や地面に飛び散っていた内臓が消えていく。そしてバグは女性に尾を向ける。彼女は鋭い棘を見ながら、指を二本立てて見せた。


「ふたつ目の革新的な技術は、シールドの生成を可能にするナノマシンを〈ハガネ〉と融合させることに成功させたことです」


 彼女が腕を持ち上げると、前腕を保護していた金属プレートが不定形の液体に変化し、一瞬で〈ライオットシールド〉を形成する。彼女はこちらに防護盾を見せたあと、再び液体金属に変化させ、前腕を保護する金属プレートに戻した。


「貴方は思いのままに〈ハガネ〉の形状を変化させることができます。しかしこれは〈ハガネ〉のもつ特性のひとつに過ぎません。ご覧のように、既存のシールド生成装置では防げない攻撃もあります」


 彼女が〈バグ〉に向かってうなずくと、尾の尖端から鋭い棘が飛び出す。それは彼女の腹部に直撃するが、身体が裂けるような事態にはならない。棘が直撃した箇所が拡大表示され、棘が衝突するさいの様子がスローモーション映像で再生される。


 棘が女性の腹部に触れた瞬間、直撃箇所に集まっていた液体金属の瞬時に硬化して装甲を形成していくのが確認できた。


 そして装甲に触れる女性の姿が映し出される。

「このように〈ハガネ〉は、攻撃によって発生した運動エネルギーを瞬時に取り込み、その衝撃と同等のエネルギーを使用してシールドを生成しながら装甲を硬化します。もちろん、痛みは感じません。この画期的な技術により、戦場での生存率は劇的に変化することでしょう」


 女性が満面の笑みを浮かべると、彼女を包囲していた〈バグ〉の群れが姿を変え、長い尾を持つサソリに似た生物に変化して、尾の尖端についた棘を女性に向ける。


「それともうひとつ重要なことがあります」と女性は笑顔で言う。「これから皆様にご覧になっていただくのは、我々が得意とする応用学によって得られた最も革新的な成果のひとつです」


 液体金属に変化した〈ハガネ〉が女性の全身を覆っていくと、〈バグ〉の群れが一斉に棘を飛ばした。無数の棘が直撃するが、彼女は全身を彫像のように硬化させていて無傷だった。


「あらゆる攻撃を防ぐシールドは、〈ハガネ〉に蓄えられていたエネルギーによって生成されます」


 彼女はそう言うと、足元に転がる棘のひとつを手に取る。

「そのエネルギーは日々の活動によって蓄えられていたものです。例えば貴方の体温や日の光、生活の中でのちょっとした動作によって生じた細かな振動や熱。そういったモノが〈ハガネ〉のエネルギーに変換され、蓄えられていきます。では、先ほど受けた衝撃は?」


 女性は自分自身の腕よりも太い棘を地面に落とすと、両腕を左右に大きく広げた。

「その衝撃も〈ハガネ〉のエネルギーとして蓄えられ、好きなときに解放できるようになります。このように」


 突然、凄まじい衝撃波が女性を中心にして放射状に広がり、彼女を包囲していた〈バグ〉の群れをズタズタに引き裂いていく。


「これはひとつの可能性を紹介したにすぎません」と女性は涼しい顔で言う。「蓄えられたエネルギーをどのように消費するのかは、貴方の想像力で決まります。衝撃波の刃をお望みですか? もちろん可能です。強力なシールドを展開したい? もちろん可能です。我々の開発した〈ハガネ〉は、貴方の望みを形にしてくれます」


 すると荒涼とした大地が消えて、女性が最初に立っていた白い空間に戻る。


「そして最後に。これは〈不死の子供〉たちに提供される特注品にのみ追加される機能になっていますが、〈ハガネ〉は〈不死の子供〉たちが持つ特殊な肉体に反応し、成長する特性を持っています。日々の戦闘によって蓄積されたデータをもとに〈ハガネ〉はより強固に、より俊敏になっていきます。そしてやがて〈ハガネ〉は貴方の肉体と同化し、世界にたったひとつだけの、貴方専用の〈ハガネ〉になります」


 女性が起動させていた〈ハガネ〉が腕輪の形状に戻ると、女性は映像を視聴してくれたことの感謝をして、それから綺麗なお辞儀をしてみせた。そして〈エボシ〉の特徴的な鳥居のロゴマークとともに、日本語でキャッチコピーが表示される。


〈あなたは、あなたに相応しいモノを手にしていますか?〉

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