第311話 研究員 re


 補給を終えて階下に向かうと、〈アサルトロイド〉と協力しながら施設を制圧していく。蠅に似た化け物の巣を見つければその場で焼き払い、菌類におおわれた人間の死骸や奇妙な卵を見つけたれば、同様にすべて焼却していった。


 化け物の掃討は順調に進んでいたが、救出対象である研究員たちはまだひとりも助けることができていなかった。かれらを見つけても、多くの場合、負傷し昏睡状態におちいっていた。化け物に変異するかもしれない人間を連れて歩くことはできなかったので、その場で彼らを射殺することになった。


 それは残酷な選択だったのかもしれないが、自分たちの命を危険に晒してまで賭けに出るようなことはできなかった。


「レイラ」と、少し落ち込んでいたミスズが言う。

「この先に研究員の反応を確認しました」


 拡張現実で表示されていた簡易地図ミニマップを拡大すると、小さな反応だったが、たしかに青色に点滅する反応が通路の先にあることが確認できた。


「〈生物実験室〉か……」

 部屋の名前を読み上げると、カグヤの声が内耳に聞こえる。

『異星生物を使った実験が行われていた場所だね』


「そうやって聞くと、なんだか物騒な場所に思えてくる」

『そうかな? そもそもこの施設は異星生物に関する、ありとあらゆる研究をしてきた場所だよ』


「ありとあらゆる研究ね……」

 実験室が並ぶ廊下の突き当りを左に曲がると、急に煙たい通路に出る。その廊下の壁面には、白地に赤い文字で呪文が書かれた護符のようなものがビッシリと貼り付けられているのが見えた。


「これはなんだ?」

 ナミは壁に貼り付けられていた護符を剥がす。文字が達筆過ぎて何が書かれているのかは分からなかった。


「勝手に剥がしちゃダメですよ」

 ミスズが注意すると、ナミは肩をすくめて護符を壁に貼り直した。


「この護符には何か意味があるのかしら?」

 ペパーミントはそう言うと、興味深そうに護符を眺める。


 その怪しげな護符から距離を取っていたのは、ハクとマシロだけだった。

「ハク、どうしたんだ?」


 心配になって声をかけると、マシロを背に乗せていたハクが言う。

『ちょっと、ヤバい』


「何か危険なものがあるのか?」

『ん、くさい』


 悪魔が散歩していたのかもしれない。

「たしかに硫黄くさいな……」


 科学的に説明できないような、なにか未知の力を発しているのだろうか。壁に貼られた無数の護符を確かめるが、硫黄臭の正体は分からない。あるいは、化け物を焼却したさいに発生する煙が臭いのかもしれない。


「たしかに煙たいですね」ミスズはそう言うと、ハクのフサフサの体毛を撫でる。

「ここでハクたちと一緒に待っていますので、生存者がいるか確認してきてもらってもいいですか?」


「了解、ナミもミスズたちと一緒に残ってくれ」

「任せてくれ」


『まかせてくれ』とハクはナミの真似をした。

「ハクがいれば安心だな」


『あんしん?』

「ああ。とても安心だ」


『あんしん、ヤバいな』

「いや」ナミが首をかしげる。「ハク、それはヤバくないぞ」


 ハクは腹部を振ると、ナミの言葉に反応して無邪気に笑った。幼い子ども特有の笑い声は聞いているだけで笑顔になる。


「さてと」

 気を取り直すと、ペパーミントとウミ、それにドローンを連れて煙たい通路の先に向かう。謎の護符が貼り付けられた廊下を歩いていると、周囲を観察していたペパーミントが疑問を口にする。


「それにしても、この通路では換気システムが機能していないのね」

 彼女の言葉に反応して天井に貼り付けられた無数の護符を眺める。

「つねに廊下を煙で満たすためなのかもしれない」


「この臭い煙にも、なにか意味のあるのかな」

「蠅の化け物を遠ざける効果があるとか?」


「燻煙剤みたいなもの?」

「ああ」うなずいたあと、先行していたドローンを眺める。

「この護符は、ひょっとしたら身を守るためのモノなんじゃないのか?」


「魔除け的な何か?」

「そうだ」


「でもひとりでこれだけの護符を壁に貼り付けるのは大変だよ。〈不老者〉はみんな背が高いけど、それでも足場がなければ、あの高い天井に護符を貼り付けるのは無理だし……」


『そう言えば』とカグヤが言う。『研究員はみんな綺麗な顔立ちをしていて、背も高かった。それってやっぱり身体改造の影響なのかな?』


「身体改造というより、〈不老者〉たちはデザイナーベビーだから綺麗な容姿をしているんじゃないのかな?」


『受精卵の段階で遺伝子操作をされた人間ってこと?』

「ええ。〈インプラント〉で身体改造をするのにも限度はある。政府によって規制されていた〈サイバーウェア〉も沢山あったと思うし」


『だからデザイナーベビー? 遺伝子操作なら、大幅な肉体改変も許されたの?』

「いいえ」とペパーミントは頭を振る。

「遺伝子の編集にも厳しい規制は設けられていたんだと思う」


『それでも身形を良くすることは許されていた?』

「誰だって自分の子どもには美しく産まれてきてほしいでしょ」


「そうか?」と疑問を口にする。

「自分に似た子どもなら、それでいいんじゃないのか?」


「それはレイが美形だから言える言葉よ」

「美形って……」


「真面目な話、美しさを求めるのは生命の特質でしょ?」

『特質……?』カグヤが言う。『それは例えば、人間が黄金比に強く惹かれてしまうのと同じ理由なのかな? 自然が創り出すものが美しいのも、黄金比をもとに造形されているから、とか、そういうこと?」


「そう。自然界も美しいもので溢れているし、宇宙にもその法則は適用できる。だから美しいものを求めるのは仕方ないことだし、誰にも否定はできない」


 廊下は複数の気密ハッチで塞がれていて、それらを解放しながら進む必要があった。やがて鋼鉄製の堅牢な隔壁に行き当たる。


「ここが〈生物実験室〉か」

 隔壁を開放するため端末に〈接触接続〉を行うが、隔壁は固く閉ざされたままでピクリとも動かない。


〈レイラさまの権限でも、隔壁の操作は難しいようですね〉

 ウミから受信したテキストメッセージを見て肩をすくめる。


「より高い権限が必要になるってことか?」

〈そうですね。手動で封鎖されているようなので、こちらから開放するには、より高い権限が必要になります〉


「実験室内にいる研究員の仕業か?」

〈はい。正体不明の何者かは、隔壁のシステムに侵入し不正な操作を行いました〉


『誰だ!』

 廊下に設置されたスピーカーを介して、男性のしゃがれた声が聞こえてくる。


「レイ、あれを見て」

 ペパーミントは突然の声に驚いて身体からだを硬直させていたが、やがて隔壁の上部に開いた小窓に視線を向ける。その小窓は素通しの強化ガラスが張られ、隔壁の反対側に立つ男性の茶色い瞳だけが見えていた。


『ここで何をしている!』

 研究員らしき男性がこちらを睨みながら言う。


「あんたたちを助けに来たんだ」

『助けだと? そんな話は聞いていないぞ!』


「そうだろうな。誰にも話していないから」

『待て!』壮年の男性は声を上げる。

『貴様、いったい何者だ?』


「俺は――」

『〈不死の子供〉だと!』と男性は瞳を発光させながら言う。

『どうして〈不死の子供〉が地球にいるのだ!』


「それは――」

『少し黙っといてくれ!』

 男性はそう言うと、隔壁の小窓を閉じた。


 急な展開に驚いていると、ペパーミントが口を開いた。

「今のなに?」

「分からない」と私は頭を振る。


 すると唐突に小窓が開く。

『施設の地下から溢れ出た化け物どもを処理しに来たのだな?』と男性が言う。

「化け物の処理もしているが、研究員たちも助けたいと思っている。だから――」


『保安システムに侵入して〈アサルトロイド〉を起動したのは貴様か! しかし……どうして家庭用の〈マンドロイド〉なんて連れているんだ?』

 男性はまた私の言葉を遮る。思うに、彼は人の言葉を遮らないと話ができないタイプの人間なのだろう。


「たしかにアサルトロイドを起動させたけど……」

 そこまで言うと、口を閉じて男性の言葉を待った。


『うん? なんだ? 早く続きを話せ』

 私は溜息をついたあと口を開いた。


「助けに来たんだ」簡素に、先ほどと同じ言葉を男性に伝える。


『助けね……』男性は目を細めた。

『〈データベース〉に登録されていない未知の肉体を持つあんたが噂の〈不死の子供〉だということは分かった。けどひとりでは何もできないだろう』


「ひとりじゃないわ」

 ペパーミントの言葉に反応して、男性は憎悪を含んだ視線で彼女を睨む。


『人形風情が黙っていろ。〈大いなる種族〉の人形なんて、ここでは何の役にも立たない』


 男性の視線からペパーミントを守るように立ったあと、かれにたずねる。

「どういうことか説明してくれ」


『どういうことか、だと?』

「そうだ。俺の仲間を侮辱する理由を教えてくれないか」


『侮辱などしていない。真実を語っただけだ』

「そうか。それならあんたの言う真実は正しい、俺たちは何の役にも立てない。だからあんたのことも助けられない。あとは自分でどうにかしてくれ」


 私はそう言うと、ペパーミントの手を取る。

「行こう。ペパーミント」


『まぁ待て』と男性は撫で声で言う。

『軽い冗談だ。真剣に言ったんじゃない』


「そうか。それなら壁に向かって冗談を言い続けていればいい」


『すまなかった。せっかく助けに来てくれたのに失礼なことをした。実はな、少し厄介な状況になっているんだ。だから苛ついていたんだ』


「だろうな」

『地下に運び込まれた死骸のことは知っているな』

 男性は急に態度を変える。


「知らないな」

『隠さなくてもいい。軍が〈不死の子供〉を派遣したのは、ここで起きていることの重要性を認識しているからなのだろう。しかし問題はさらに複雑になってしまっている……おい! 聞いているのか?』


「あんたとまともな会話ができるなんて初めから期待していない。だから続けてくれ」

『ふむ、そうか』


 男性はガラスの向こう側でうなずくと、情報端末のディスプレイが見えるように小窓に押し当てた。『地下までの地図と、隔壁を封鎖するためのコードを送信する。だからそれを使って地下施設を完全に封鎖してくれ』


「待って」とペパーミントが言う。

「状況が分かるように、もう少し詳しく説明してくれる?」


『軍の特殊部隊だ!』男性は怒鳴る。

『〈禍つ国〉を探索していた部隊が施設に運び込んだ死骸のことを話しているんだ!』


「死骸のことはもう聞いた。私が知りたいのは、どうして地下を封鎖しなければいけないのかってこと」


『ねえ、ペパーミント』カグヤが言う。

『特殊部隊のことについて詳しく聞いて』


『研究施設に運び込まれた氷漬けの死骸は――』と、話し始めた男性にペパーミントはカグヤの質問をするが、男性は構わず話を続ける『地下の拡張された空間に保存されていたが、世界中で同時に発生した〈データベース〉の通信障害でダメになったんだ。俺が言いたいことが分かるか? 施設を管理するシステムに異常が起きたんだ』


「特殊部隊について教えてくれ」男性の茶色い瞳を見ながら言う。

『部隊がどうした。〈禍つ国〉の調査など〈不死の子供〉にとっては大して珍しいことでもないだろう?』


「それはいつの話だ?」

『特殊部隊が施設に死骸を運び込んだのは二日前のことだ』


「〈データベース〉の障害は?」

『何故それを聞く?』


「通信障害について知らないからだ」

『そうか』男性は鼻で笑う。

『やはりあれは軍の仕業だったか』


「何のことだ」

『知らぬフリをするのか。さすが秘密主義の〈不死の子供〉だ。貴様たちはそうやって我々をいつも見下す。軍は〈データベース〉の専用回線を持っているのだろう? だから異変にも対処できた』


 私は大きく溜息をついて、それから天井に貼り付けられた護符を眺めた。

「この護符は何だ?」


『お守りだ。見て分からないのか?』

 いちいち癇にさわる話しかたをする傲慢な男性だったが、怒っても仕方がない。


「何のためのお守りだ?」

『決まっている。化け物どもから身を守っているんだ』


「効果はあったのか?」

『あるからこそ、今こうして貴様と話ができているんだ』

「……そうか」


『それにしても、ずいぶんと貧相な装備をしているな』

 男性は心配そうに言う。

『そんな装備で、よくあの化け物どもと戦えたものだ』


「それは――」

『分かっている』男性は私の言葉を遮る。

『〈不死の子供〉であることを、一般人に知られないための変装なのだろう? だから神の子のような恰好をしている。しかしこの地区に神の子はいない。研究施設に来るのなら、せめて不老者たちに似せた肉体を選ぶべきだったな』


「神の子?」

『貴様は〈不死の子供〉のくせに博愛主義者でもあるのだな』と男は笑う。『神の子っていうのはな、〈仙丹〉を服用していない哀れな連中のことだ。身体改造すらしない、神によって創造された本来の姿で生きているから神の子と呼ばれている。まぁ、蔑称べっしょうなのは言うまでもないがな』


「その神の子は、この施設にいないの?」

 ペパーミントの質問に男性は素っ気無く答える。


『当然だ。この施設には選ばれた人間しかいない。それよりそこで待っていろ!』

 男性はそれだけを言うと、小窓を勢いよく閉じてしまう。


「なんなのあいつ!」ペパーミントが声を上げる。

『神の子か……』とカグヤがつぶやく。『あの人は、相当な差別主義者みたいだね』


「そうね、間違いないわ」とペパーミントは答えた。「神が創造した純粋な人間のことを、不老者たちは神の子と呼んで蔑んでいる。皮肉ね」


『皮肉?』

「だって遺伝子操作された不老者たちは終末の時を生き残れなかった。でも純粋な人間は生き残って、子孫を残すことができた」

『そう言うことね……』


『これを受け取れ!』男性がそう言うと、隔壁のすぐ横の壁につなぎ目があらわれて、そのつなぎ目を中心に壁の一部が縦にスライドしながら展開する。


「これって腕輪よね?」

 ペパーミントが不思議そう表情をして、白銀の細い腕輪を手に取る。


『そいつは強化外骨格だ!』男性の怒鳴り声が聞こえる。

『人造人間の貴様には必要のないものだ』


「失礼な男ね」

『失礼なことは何も言っていない。それより、そいつはまだ研究段階のものだが〈不死の子供〉なら、上手うまく扱えるだろう』


「研究段階? そんな危険な代物を使用させるわけにはいかない」

『軍での試験はパスした。外骨格の仕様に関するデータも送信するから、不安なら自分の目で安全性を確かめろ』

 小賢しい小娘が、と男は小声で言う。


「どうやって使うんだ?」腕輪を左手首に付けながら訊く。

『まずは〈データベース〉に接続してシステムの初期化を行ってくれ、そうすればそいつは貴様専用の強化外骨格になる』

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