第九部 新たなる脅威 前編 re

第300話 難題 re


 高層建築物が立ち並ぶ廃墟の通りに目を向けると、ひび割れたアスファルトから蜜柑色の雑草が繁茂はんもしているのが見えた。その通りには赤錆の浮いた廃車のフレームが放置されていて、空っぽのエンジンルームからは人の背丈ほどの見知らぬ花が顔を出していた。


 そのヒガンバナにも似た緋色の花のそばを通って、背の高い雑草が生い茂る路地に入っていく。辺りは静かで、どこかで鉄骨が軋む音が聞こえてきていた。


『レイ、動体反応を検知した。警戒して』

 内耳に直接聞こえるカグヤの柔らかな声に反応して、半壊した建物の陰に素早く身を隠し、拡張現実で表示されるインターフェースを確認する。


 システムは思考に素早く反応して、上空を飛行していた〈カラス型偵察ドローン〉から受信していた映像を表示する。それは〈廃墟の街〉に点在する旧文明の電波塔を介して、リアルタイムに受信している情報だった。


「武器は持っていないみたいだな……」

 そう口にしたあと、映像を縮小して視界の端に移動させる。

「カグヤ、そのまま接近する人間の監視を続けてくれ」


『了解』

 彼女の返事のあと、接近してくる人間の輪郭線が遮蔽物を透かして見えるようになる。彼らの動きに注意しながら、接近してくる集団の側面に出るように路地を移動した。


 私の思考電位を拾い上げてから、集団の輪郭線を表示してくれていたカグヤは、地球の静止軌道上にある軍事衛星に搭載された〈自律式対話型支援コンピュータ〉のはずだったが、今では正体不明の〝何か〟になっていた。


 けれどカグヤが人工知能ではないことが判明したあとも、彼女に対する気持ちは変わらなかった。我々はカグヤのことを信頼していたし、同様に彼女からも信頼されていた。そして重要なのは、カグヤの姿形ではなく彼女の心の有り様だと思っていた。


 地面に転がる無数の瓦礫がれきに気を配りながら慎重に集団に近づいていく。

「お願いだ!」

 すると路地の先から男性の悲痛な声が聞こえてきた。

「もう時間がないんだ!」


 そこには、アルミホイルを縫い付けた宇宙服のようなボロボロのツナギを身につけた男性が立っていて、手足から垂れ下がる蛇腹状のホースを振り乱しながら騒いでいた。


 その男性の目の前には、動物の毛皮を身にまとった美女が立っていて、男性は何かに急き立てられるように懐から〈IDカード〉を取り出した。そして震える手で美女にカードを握らせた。


「頼む!」男性は地面に手を付けてから頭を下げた。

「俺の金は全部あんたにやる。だから助けてくれ!」


 毛皮をまとった美女は頭を横に振ると、物陰から出てきた私に困った表情を見せた。すらりと背が高く、黒髪に浅黒い肌を持つ美女は〈森の民〉と呼ばれる部族の出自で、かつて山梨県と呼ばれていた場所に存在する広大な〈大樹の森〉で暮らす民だった。


 通りの安全を確認するため、素早く周囲に視線を走らせたあと美女にたずねた。

「テア、そいつはどうしたんだ?」


「それが……」彼女は眉を寄せる。

「私にもよく分からないんだ」


 草陰に隠れている人間の輪郭線が見えた。武装はしていなかったが、何かあった時にすぐに対処できるように、彼らの存在は頭の中に入れておく。


 それから地面に手をつけていた男性のそばにしゃがみ込んで、なにが起きているのか訊ねることにした。


「何があったのか詳しく話してくれ」

 そこで初めて男性は煤に汚れた顔を上げて私のことを見た。


「目が赤い……」彼はぎょっとした顔で言う。

「あ、あんた、身体改造している人間なのか?」


「そんなものだ」

 素っ気無く答えたあと、辛抱強く男性に訊ねた。

「ここで何が起きてるんだ?」


「俺の息子がいなくなったんだ!」

 かれはそう言うと、私の腕をつかんだ。


「落ち着いてくれ」

「お、男の子だ。息子はまだ五つにもなっていないんだ!」


 テアに視線を向けると、彼女は綺麗に編み込んだ黒髪を振って肩をすくめた。

「落ち着け、異邦人。ちゃんと説明しなければ、貴様を助けることはできない」


「息子は……息子は〈大樹の森〉に入って行ったんだ! 暗くなる前に見つけないと、この寒さで凍え死ぬかもしれない……いや、その前に森に生息する巨大な昆虫に殺されるかもしれない! 頼む! 助けてくれ!」


 高層建築群の間に見えていた深い森にちらりと視線を向ける。そこには百メートルを優に超える大樹が立ち並ぶ異様な光景が広がっていた。


「子どもがひとりで森に入ったのか?」

 私がそう質問すると、男性は泣きそうな顔でうなずいた。


「そ、そうだ」

「探しに行った人間はいるのか?」


「い、いや」彼は急に口を噤む。

「怖くて森に近づけないのか。それとも俺たちを騙そうとしているのか?」


「違う、そんなつもりはない!」

 男性が腕を振ると、蛇腹状のホースが前後に揺れる。

「俺はあの森が恐ろしいだけなんだ」


「ならどうしてあんたの仲間は、そこの茂みに隠れて出てこようとしないんだ?」

 悲鳴が聞こえたのは、ちょうどそのときだった。茂みのなかに隠れていた人間たちが通りに出てきて、走る勢いのまま瓦礫に足を取られて転ぶ。


「大きな蜘蛛だ!」その内のひとりが叫ぶ。

 茂みの中から姿を見せたのは、軽自動車ほどの体長を持つ白い蜘蛛だった。


 その白蜘蛛は全身が白いフサフサとした毛におおわれていて、背中から――正確に表現するなら頭胸部から腹部にかけて、赤い斑模様があるのが確認できた。


 頭胸部には八つの大きな眼があり、太く鋭い牙を持っていた。しかしパッチリした大きな丸い眼は幼さを残していて、その所為せいなのか、白蜘蛛はチグハグとした印象を周囲に与える。


 それは例えば、蜘蛛を恐れる者にとって、その白蜘蛛は恐怖の対象であることに変わりはなかったが、白蜘蛛を知る者にとっては、フサフサした毛に覆われたぬいぐるみのような可愛らしい印象を与えていた。


 季節の変わり目だからなのか、体毛が生え変わっていて、モコモコとした冬毛になっていた。そのぬいぐるみのような容姿は、ハッキリ言って可愛い。

「安心しろ、敵対しない限り襲われることはない」


「ひ、人殺しの蟲使いの言葉が信じられるか!」

 腰を抜かして地面に座り込んでいた女性が声を上げる。

「私たちを安心させて、それから殺すつもりなんだろ!」


 ウンザリして溜息をつくと、テアがライフルを構えるのが見えた。

「お前たちを殺すなら、すでに銃弾を撃ち込んでいる」


 テアが引き金を引いたさいに生じた反動で、彼女の胸元にある動物の牙が乾いた音を立てて揺れる。声を上げていた女性の足元に転がっていた瓦礫が爆ぜると、彼女は軽いショック状態になり全身を震わせながら顔を青白くさせた。


「私ははなから貴様たちに関わるつもりはなかった」テアは低い声で言う。

「救いを求めたあとに人殺しと侮辱するなんて、一体どういう了見をしているんだ?」


 テアに銃口を下げさせたあと、白蜘蛛のそばに行き、白い毛を撫でながら訊ねる。

「もう廃墟で遊ぶのに飽きたのか、ハク?」


『ん。ちょっとな』

 ハクはそう言うと女性を睨んでいたテアを抱えて、そのまま崩れかけた建物を登っていく。彼女はハクに声を掛けたが、新しい遊び相手として何処かに連れていかれてしまう。


 ハクは汚染地帯に生息する〈深淵の娘〉と呼ばれる凶悪な生物の亜種で〈深淵の姫〉で知られた特殊な個体でもあった。本来は危険な生物なのだが、私が持つ〈不死の子供〉の血液を体内に取り入れたことで、ハクとの間に特別なつながりができた。そのつながりを持たない人間がハクに怯えてしまうのは仕方ないことなのかもしれない。


 そのハクは自分自身で決めた相手と〈念話〉を使って直接会話することができたが、その理由も原理も分かっていなかった。


 廃墟の街や汚染地帯を徘徊する〈深淵の娘〉については、〈混沌の領域〉とも呼ばれる別次元からやってくる生物同様、分からないことばかりだったが、それでも確かなことがひとつだけあった。それはハクが〈深淵の娘〉でありながら、穏やかで優しい気質を持ち、仲間には絶対に危害を加えるようなことはしなかった。


「それで――」かれらが武装していないことを改めて確認したあと、ふざけた宇宙服を着こんだ男性に訊ねた。「あんたたちは何を企んでいるんだ?」


 男性は慌てて土下座をするように頭を地面につけた。

「この通りだ! 誓って何も企んじゃいない。このふたりも無断で〈鳥籠〉から出てきた俺を心配してついてきただけなんだ!」


 黙って男を見つめていると、カグヤの声が聞こえた。

『どうするの、レイ。その人の言葉を信じるの?』


 茂みから出てきた者たちに視線を向けると、彼らは気まずそうに視線を逸らした。

「少なくとも、敵対する意思は感じられない」


 男性から行方不明になった息子の話を聞くことにした。どうやら彼らは、〈鳥籠〉と呼ぶには余りにも規模の小さな集落の出身で、目を離した僅かな瞬間にいなくなってしまった息子を探していると言うことだった。


 嘘をついているようには見えなかったし、泣き出してしまった男性のためにも子どもを探してあげたかった。けれど最後に男の子が目撃された場所は〈大樹の森〉に近い場所だったので、絶対に見つけられるとは約束できなかった。


 ちなみに〈鳥籠〉と呼ばれる場所は、旧文明の施設周辺につくられた集落の名称で、危険な〈廃墟の街〉で人々が安全に暮らし、安らぎを得られる数少ない場所だった。


 それらの〈鳥籠〉に残されている施設は多種多様で、たとえば〈ジャンクタウン〉と呼ばれる〈鳥籠〉には、かつて〈横浜第十二核防護施設〉の名で知られた避難所と、軍の物資が備蓄された施設と販売所があった。


 それらの施設は旧文明の高度な科学技術で建造され、文明崩壊後の世界でも機能し、人々の生活を支え続けていた。〈鳥籠〉の規模は様々で、数千人が暮らす鳥籠もあれば、私の目の前にいる人間たちが暮らす集落のように、数世帯の家族だけが生活する場所もある。


 とにかく男性から子どもの特徴を聞き出すと、ハクと合流するためにその場を離れる。

『行方不明になった男の子は、まだ生きてると思う?』


 カグヤの言葉に溜息をつく。

「どうだろう……」


『カラスを先行させるよ。子どもの足で移動するのにも限度があるから、私たちが見つけられるチャンスはあるかもしれない』

「頼んだよ」


 青く澄んでいて透明感のある秋の空が、ゆっくりと暗くなり始めていた。すぐにハクたちと合流すると、どこからともなく飛んできたマシロに頼んで、一緒に子どもを探してもらうことにした。


 マシロは〈御使みつかい〉と呼ばれるカイコの変異体で、〈大樹の森〉にある部族の〈聖域〉を守護していた存在だった。森の騒動を発端にして一緒に行動するようになっていたが、基本的に。


 マシロは人に似た不思議な生き物だった。すらりとした長い手足は付け根からふさふさした白い体毛に覆われていたが、上半身と下腹部には体毛がなく、薄桜色の綺麗な肌が剥き出しになっていた。


 基本的に〈御使い〉たちは遠目から見れば人間に見えなくもなかったが、人間の遺伝子と、異界の生物を掛け合わされて人工的に産み出された人工生命体だった。その証拠に〈御使い〉たちは驚くほど美しい顔立ちをしていたが、眼には瞼がなく、パッチリした黒い複眼があるだけだった。


 艶やかな黒髪からは、櫛状の長い触角が二本伸びていて、背中には白い翅がついていた。そのマシロはふわりと白い翅を動かすと、重力を無視するかのように空中に浮き上がり、森につながる木々の間に消えていった。


 身を屈めて地面に残された子どもの足跡を探していると、灰色の毛皮に身を包んだテアがやってくる。


「なあ、レイラ。森の奥にある研究施設に向かう予定だったんじゃないのか?」

「予定に変更はないよ。子どもを見つけたら、すぐに向かおう」


「私たちを人殺し呼ばわりするような奴らのために働くのか?」

 彼女の言葉にうなずいたあと、草陰に隠れていた足跡に注意を向ける。


 右に、そして左に、少し進んでまた右に戻っている小さな足跡を追う。

「カグヤ、足跡を強調してくれるか?」


 すぐに少年の足跡が赤色の線で縁取られていく。歩幅の狭い足跡は森の奥に向かって延々と続いていた。


「たしかに連中は俺たちにひどいことを言った。でも仕方ないことなんだ。〈森の民〉が廃墟に暮らす人々のことを〝異邦人〟と呼ぶように、彼らも〈森の民〉に対して偏見を持っているんだ」


 足跡で子どもが足を引きっていることが分かると、私は焦り始めた。怪我をしたのか、あるいは歩くのにも苦労するほど疲れ切っている証拠だった。森に吹いている冷たい風も子どもの体力を奪っているのだろう。


 それから何かを考えこんでいたテアに視線を向ける。

「口が悪い奴らだった」と私は認めた。

「でも子どもの父親は息子のために涙を流すことのできる人間だった」


「レイラは異邦人に同情した。だから助けるのか?」

 テアの言葉に正直にうなずいた。


「そうだよ。俺たちは人々が些細なことで互いに殺し合うような世界に生きている。でも、だからと言って誰も彼もが悪人ってわけじゃない」


「家族以外の人間を助けるのは、そいつが悪人じゃないからか?」

「それは難しい質問だな……」

 私はそう言うと、地面から突き出した大樹の太い枝をくぐった。


 残酷な性質を持ち合わせた人間はたしかに存在した。しかし厳密に言えば、この世界には悪人も善人もいない。ただ立場によってその定義が変わるだけなのかもしれない。


 私はテアの質問に対して答えを見つけられないでいたし、テアも何かを考えこんだまま黙り込んでしまっていた。


 一時間ほど子どもを捜して、諦めかけていたときだった。ハクが大岩の間から小さな男の子を抱えて出てきた。おそろしく冷たくなった子どもをハクから受け取ると、緊張しながら抱きしめてあげた。すると男の子はそっと私の手を握りしめた。


「生きているのか?」テアが不安そうに訊ねた。

「ああ」ホッとしながらうなずいた。「父親のもとに連れて帰ろう」

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