第299話 これが私の日常 re


 文明崩壊後も川の水を浄化し続けていた旧文明期の施設は、皮肉なことに水の存在しない砂漠地帯で最期を迎えることになった。墜落した浄水施設は一基だけだったので、環境に大きな変化は起きないだろうと考えていたが、どうなるのかはまだ誰にも分からなかった。何はともあれ、我々は求められていた以上の仕事をした。


 浄水施設の異常によって降り続いていた雨は、それからしばらくして正常な範囲内に落ち着いた。鳥籠で暮らす人々は見慣れた浄水施設の数が減ったことや、巨大な浮遊施設が急に動き出して、周囲の高層建築群に衝突し被害を出したことに驚いていたが、それ以上に、雨が降り止んだことに感謝し、久しぶりに日の光を浴びることができて喜んでいた。


 結局のところ、人間にとって未知の存在だった旧文明の施設は、自然現象の一部でしかなく、それがなくなったところで悲しむ人間はほとんどいなかった。


 我々に仕事の依頼をした鳥籠〈スイジン〉は、約束通り報酬として鳥籠の機密情報でもあった浄水施設に関するデータを譲ってくれた。鳥籠の利権に関わる重要な情報だったので、何かと言い訳をされて、すべてがなかったことにされると思っていたのが、鳥籠の責任者であるサチは我々に対して誠実だった。


 その証拠に後日、仕事の結果を報告するために鳥籠に向かった我々は、手厚く迎えられることになった。もちろん鳥籠の幹部たちは我々が行ったことに驚き、それと同時に疑問も持った。


 誰にも手出しできなかった旧文明の装置を操作したのだから、彼らが驚くのも無理はないが、それについて彼らは多くを知ろうとしなかった。それがイーサンとの間に交わされた約束だったのかは知らないが、彼らが必要以上に我々に干渉しようとしなかったのは喜ぶべきことだった。


 我々が旧文明の施設に接続できると知れば、よからぬことを考える人間が必ず出てくると考えていたからだ。


 けれど私に関する情報は、好むと好まざるとに関わらず、世の中に出回ることになる。だから他者に利用されないように、これからは引き受ける仕事を慎重に決めるようにしなければいけない。自分が仕出かしたことで誰かを苦しめ、そのことで後悔しないためにも、それは重要なことに思えた。


 仕事の報酬として得られた浄水装置に関する情報は、横浜の拠点で技術研究を行っていたペパーミントに送られた。


 後日、ペパーミントに聞かされることになるのだか、我々が手に入れた浄水装置の技術は、旧文明期前期に位置するもので、優秀な装置を製造することができたが、それ以降の時代に登場した夢のような技術や装置と比べれば、いささか見劣りするものだった。


 旧文明期中期に存在した装置は、使用環境に制限があったが、空気さえあれば単体で水をつくり出せる装置なのに対して、我々が入手した装置は水源を必要とした。そのため、採掘基地での使用には、まず水源を確保することから始めなければいけなかった。そして水を運ぶ水道管の設置も必要になるため、機械人形をつかった大規模な工事を必要とした。


 惜しむらくは我々にそれだけの工事を行うリソースがないことだった。けれどペパーミントはそれに対する回答も持っていた。砂漠地帯に墜落した旧文明の巨大な装置の残骸を回収して、作業用ドロイドの量産を進める計画を立てた。


 建設人形の〈スケーリーフット〉と、量産された作業用ドロイドを使用して集中的に工事を行えば、二か月ほどで採掘基地に水道が引けるとのことだった。


 工事を行う作業用ドロイドたちを警備する機械人形も必要になるが、過酷な環境でありながら、短期間の工事でそれが実現できるのは、機械人形が人間と異なり休息を必要としないからだった。


 機械人形の量産に関する話は実に魅力的な話だった。それが実現できれば、大樹の森で進めている拠点の建設も捗る。それだけでなく、警備用ドロイドの量産も可能なら、ヤトの小隊に任せている拠点警備に関する負担も減らせる。そうなればヤトの部隊と共に廃墟の探索をすることもできる。


 けれど問題もある。それだけの数の作業用ドロイドを製造するための施設がないのだ。横浜の拠点で製造できる機械人形には限りがある。だから機械人形の製造に関する問題を解決する手段が求められた。


 最初に解決策を提案したのはイーサンだった。イーサンは〈五十二区の鳥籠〉にある無人の地下施設について思い出させてくれた。あの施設にある機械人形の製造ラインを使用すれば、短期間で機械人形の量産ができると考えていた。


 施設の管理システムに接続できるのは、私とカグヤだけだったので、他者に邪魔されることなく、それを行うことが可能だからだ。


 ところが施設の地下深くには〈混沌の領域〉が広がっていて、施設の管理システムは領域の拡大を防ぐためにほとんどの機能が使用されている。だから機械人形の製造工場を稼働して、システムに負担をかけることはできなかった。


 しかし墜落した浄水施設から資源を大量に得ることができる今なら、地下施設の資源を消費することなく、機械人形の量産が行えるかもしれない。それに加え管理システムに負担をかけない方法を考案し、工場を稼働できるだけの電力を自前で確保できれば、機械人形の量産計画を実行できるかもしれない。


 その計画に問題があるとすれば、それは我々が〈五十二区の鳥籠〉と確執があることだ。鳥籠は〈不死の導き手〉という教団によって実質的な支配下に置かれていて、彼らは教団の指示に従い、幾度となく我々の拠点を襲撃していた。


 目的の地下施設は〈五十二区の鳥籠〉のすぐそばにある。施設を我が物顔で使用する我々のことを彼らは快く思わないだろう。それを口実にして、我々との間に新たな争いの火種を産むかもしれなかった。


 それなら核防護施設にある工場を利用した機械人形の量産を諦めるのか?

 答えは否だ。ありえない。


 そもそも私は執念深い人間だ。〈五十二区の鳥籠〉が我々に対して行った襲撃のことは今でも根に持っていた。だから鳥籠の人間が我々と揉め事を起こして、大規模な戦闘に発展することになったとしても問題がないと考えているし、〈五十二区の鳥籠〉が持つ製薬工場を手に入れられるチャンスでもあると思っていた。


 もちろん本音ではない。これは可能性についての話だ。好戦的に過ぎる考えかもしれないが、巨大な組織の影にいつまでも怯えているわけにはいかないのだ。


 当時、〈五十二区の鳥籠〉が我々の拠点に対して行った襲撃で死者こそ出なかったが、負傷者はそれなりの数になった。彼らが考えを変えて襲撃を再開する可能性がないと言えない以上、事態を静観してばかりはいられない。状況はつねに変化する。そして我々は徐々に力を蓄え、大規模な鳥籠と敵対することのできる組織に変化しつつある。


 負傷者と言えば、今回の仕事で鳥籠とのつなぎ役になり、鳥籠の関係者との円滑な関係を築くための足掛かりを作ってくれたノイは、怪物との戦闘で重傷を負ったが、〈オートドクター〉のおかげですっかりと回復し、砂漠地帯にある採掘基地の警備をする仕事に元気よく復帰していた。


 彼が元気だったのは、基地にいる恋人の存在が大きかったのかもしれないが。ノイの活躍もそうだが、信頼できる仲間が増えることは喜ばしいことだった。彼と同じ戦場に立ったことで、これからも仲間を大切にしていきたいと考える良いキッカケになったことは確かだった。


 それから大切なことがもうひとつ。浄水施設のシステムを狂わせ、騒動の発端になった隕石については分からずじまいだった。私の周囲で起きる多くの出来事は、我々が到底理解できない謎に満ちているが、今回の事件はその中でも特に不可解なものだった。


 〝それ〟が何故、隕石として地球に降ってきたのか、そこで何をしたのか、そして何処に向かったのか、分からないことばかりだった。


「結局――」

 すぐとなりに座っていたペパーミントが砂漠地帯の強い日差しに目を細めながら言う。

「その〈色彩〉は遠い宇宙からやってきて、生物の生命力を奪うことで自身の力を蓄えて、それでまた宇宙に還っていったってこと?」


 ペパーミントの怜悧さを備えた綺麗な横顔に視線を向ける。

「俺はそう考えているけど、さっきも言ったように、あれは俺たちとは全く異なる異質存在だ。だからどんな目的があって、この星に来たのか見当もつかないよ」


「不思議ね」そう言って彼女は私に青い瞳を向ける。

「お腹が空いたから、地球に立ち寄っただけの可能性もあるってこと?」

 何も答えず肩をすくめると、塵の降り積もった砂漠に目を向けた。


 墜落した建造物の周囲で作業する建設人形と、作業用ドロイドたちの姿が見えた。機械人形たちがそこで何をしているのかと言うと、墜落した建造物の周囲に巨大な壁を築いていた。採掘基地で働いていた作業用ドロイドや、大樹の森で拠点を築くために働いていた建設人形をわざわざ輸送機で運んできたのには理由がある。


 砂漠地帯はもともとスカベンジャーや略奪者の少ない土地だったが、それでもそれなりの数がいて、勘の鋭い連中は墜落した建造物から貴重品が得られると考え、この地に集まってきていたのだ。


 けれど、墜落地点の中心に存在する底知れぬ穴の中に、あの〈色彩〉の残滓が今も潜んでいることを考えると、この地からできるだけ生物を遠ざけたいと考えていた。それなら一層のこと、墜落した建造物に誰も近づけないように、壁で囲んでしまえばいいという結論に至った。


 単純な計画だが効果的だ。それに防壁を築くさいに使用する建材は、周囲に転がる建造物の残骸で事足りるので、素早く防壁を築くことができた。


 日傘の軸をくるくると回転させながらペパーミントは言う。

「これから、ますます忙しくなるわね」


「そうだな……」私はそう言うと、青緑色のフードツナギを着たペパーミントに目を向ける。「大樹の森でも、〈混沌の領域〉を監視するための部隊が領域のそばにある洞窟に派遣されたばかりだし、鳥籠〈スィダチ〉では、他部族を受け入れるための鳥籠の拡張工事も進めなければいけない」


「それだけじゃない。機械人形の量産計画のこともあるし、採掘基地のための水源も探さなければいけない。それに大樹の森にある研究施設の問題もある」


 脳に似た姿をした異星クラゲのことを思い出して、うんざりしながら言う。

「そういえば、〈ブレイン〉たちの問題もあったな……」


「私たちのような小さな組織が抱え込むには、少し仕事が多すぎるとは思わない?」

「地道に処理していくさ」


 墜落した正多面体の施設から鈍い射撃音が断続的に聞こえてきた。

「またドローンたちが略奪者たちと戦闘しているのかしら?」

 ペパーミントがそう言って立ち上がり、フード付きツナギのお尻についた細かい砂を払っていると、手榴弾の破裂音が聞こえてきた。


「カグヤ」私も立ち上がると、音が聞こえてきた方角に目を向ける。

「またレイダーたちの襲撃なのか?」


『そうだよ』とカグヤの声が内耳に聞こえた。

「状況は?」


『問題ない。ミスズの小隊も戦闘配置についたみたいだし、イーサンの傭兵部隊もレイダーたちに対して攻撃を始めた。だからすぐに殲滅できると思う』


「そうか」

『安心して、みんなにはちゃんと汚染地帯に近づかないように言ってあるから』


「ところで」と、カグヤに訊ねた。

「その汚染地帯に侵入してくるレイダーたちはどうしているんだ?」


『攻撃ドローンとラガルゲが対処してるよ』

 人型の昆虫種族から譲り受けた巨大なトカゲの姿を思い浮かべた。

「ラガルゲも来ているのか?」


『採掘基地の警備をしているヤトの子たちに懐いているみたいなんだ。それで今日も一緒に行動している』


「狂暴な生物だって聞いていたから、意外だな」

『そうだね』


 ペパーミントの手を取ると、一緒に砂丘をおりて、大型多脚車両のウェンディゴに近づいた。


「基地にいるとき、ラガルゲはヤトの子たちに可愛がられているみたい」とペパーミントが言う。「レイがそれを知らないのは、忙しくて採掘基地に姿を見せないからだよ」


 建造物の墜落地点からビーム兵器の特徴的な鈍い発射音が聞こえてくる。

「各拠点の状況を把握できる環境をつくらないとダメだな。採掘基地の地下で入手した多脚戦車の整備が終わっていたことも、今日まで知らなかったし」


「あの多脚戦車のことは仕方ない」とペパーミントは言う。

「整備も不完全で、実戦に投入されるのも今日が初めてのことだし」


「やっぱり〈サスカッチ〉は人工知能で動いているのか?」

「ううん、あの戦車は人工知能を搭載していなかった。今あれが動いているのは、ウミが遠隔操作しているからだよ」


「またウミの操作する機体が増えたのか……」

「結構、あの戦車が気に入っているみたい」


「そうみたいだな」ビーム兵器の特徴的な発射音を聞きながら私は苦笑する。

「何処に行くの?」とペパーミントが私に質問した。


「墜落現場だよ。みんなの支援をしてくる」

「気をつけてね」


「大丈夫だよ。この生活にも慣れてきた」

 私はそう言って歩き出す。


 これが私の日常だ。違う生き方を選択できたのかもしれないが、今はこれが私の日常で、状況は少しずつだが好転していた。そしてそれを失わないように、前に向かって歩き続ける。歩き続ければ、いずれ理想の場所にたどり着くことできるかもしれない。今はそこに向かって歩き続けるしかない。



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いつもお読みいただきありがとうございます。

これにて第八部〈水底の色彩〉編は終わりです。

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執筆の参考と励みになりますし、きっと読者も増えてくれるはずです。

そしてレイラとカグヤの物語は続きます。

引き続き第九部を楽しんでください。

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