第298話 色彩 re


『このままだと墜落します!』

 ミスズは必死に機体を立て直そうとしていたが、輸送機は凄まじい速度で回転し、高層建築物に衝突しようとしていた。


『落ち着いて!』

 遠心力によってコンテナの壁に叩きつけられる寸前、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『ミスズならできる。大事なのは冷静になること!』


 爆発による三度目の衝撃波が轟音と共に襲い掛かってくると、私は反対の壁に叩きつけられる。痛みに顔をしかめていると、火器の収納棚がすぐそばにあることに気がついた。


「カグヤ!」

 収納棚に手を伸ばしながら声を上げる。

「輸送機に被害は出ていないのか?」


『損傷は確認してないから安心して。それに機体の姿勢制御システムは優秀だし、ミスズならきっとやってくれる』


「それなら……」

『何をするつもりなの?』


 壁に手を付けながら体勢を整えると、コンテナハッチの向こうで目まぐるしく変化していた風景に視線を向けた。


「浄水施設の破壊を見届ける」

 私はそう言うと、鬼にも悪魔の顔にも見えるフルフェイスマスクで頭部全体をおおい、コンテナハッチの向こうで変化していた風景を見極めて一気に走り出した。


『無茶だよ!』

 カグヤの声が聞こえたときには、すでに空中に飛び出していた。空気をつんざく轟音が連続して発生すると、崩壊しながら墜落していく正多面体の施設から、金属片や得体の知れない装置の残骸が飛んでくるのが見えた。


 どう考えても回避はできない、覚悟を決めて頭部を守るように腕を交差させる。しかし衝撃はやってこなかった。カグヤの操作するドローンが、落下していた私の目の前にシールドの膜を展開していて、六機の攻撃支援型ドローンは接近してくる瓦礫がれきに向かって次々と射撃を行い、飛んでくる瓦礫の進路を逸らしていた。


「助かったよ、カグヤ!」声の限り叫んだ。

『こんなことをして、どうするつもりなの!』


 カグヤの声を聞き流しながら施設に視線を向ける。施設側面にできた損傷個所から崩落が始まっていて、砂漠地帯に向けて真直ぐ墜落していくのが確認できる。時折、激しい爆発が連続して発生して、損傷個所から火花と共に黒煙が吹き出していた。


 軋みを上げて崩壊していく施設で爆発が起きるたびに、金属製のパネルや瓦礫が吹き飛んでいたが、それらの残骸に紛れて、我々を襲った怪物の姿もちらほらと確認できた。その怪物の群れは爆発によって酷く損傷していたが、それでも私の姿を見つけると残忍な笑みを浮かべ、周囲にあるパネルを蹴りながら私のもとに向かってきた。


 狙撃形態から通常の状態に戻っていたハンドガンを構えると、落下の風圧に腕を引っ張られながらも怪物に照準を合わせる。私の周囲を飛行していた六機のドローンも、会話するようにビープ音を鳴らすと、狼と昆虫が融合したような怪物に向けて攻撃を開始する。


 数体の怪物を素早く処理したあと、施設からくぐもった炸裂音が聞こえた。地上に広がるクレーターに向けて落下していく私の目の前で、正多面体の浮遊施設の姿が朧気おぼろげになっていくのが見えた。


 それは次第にハッキリとした変化であらわれて、浮遊施設は目の前から忽然と消えてしまう。しかし落下する私の身体が薄い膜状の透明な何かに触れた瞬間、眼下に荒涼とした砂漠地帯が広がり、崩壊しながら墜落していく建造物も目の前にあらわれた。廃墟の街に広がる異質な空間に侵入したのだ。


「悪い!」

 そう言ってドローンの機体を踏むと、後方に向けて思いっ切り飛び墜落していく施設から距離を取った。足場にされたドローンはビープ音を鳴らして不快感を示したが、ちゃんと他のドローンと一緒に私のそばに飛んできた。


『それで』とカグヤが言う。

『もう地面に衝突するけど、何か考えがあるんだよね?』


 墜落しながら地面に衝突していく施設が立てる轟音を聞きながら言った。

「方法がなければ、こんな無茶はしないよ!」


『本当に君は懲りない人だ』

 突然、強烈な閃光が広がり、その閃光に手を向けて視線に影をつくろうとした。けれど閃光にかざした手や瞼を透かすようにして光が目に入る。そして凄まじい衝撃波と爆音を受けて、私の身体は吹き飛ばされる。


 勢いよく回転する私に向かって、建造物の瓦礫が次々と飛んできて、何かが頭部に直撃した。それはシールドの膜を突き破ると、鋭い痛みと共に頑丈なマスクの一部を破壊した。


 一瞬の意識の喪失のあと、空中で体勢を立て直して砂漠に目を向けた。砂丘が目前に迫ると、輸送機の収納棚から確保していた〈重力場生成グレネード〉を取り出し、落下予想地点に向かって放り投げた。


 直後、カグヤの安堵した声が聞こえた。

『そう言うことだったんだね』


 炸裂したグレネードが甲高い金属音を鳴らしながら響き渡ると、半球状に広がる重力場が生成される。その重力場の中心に落下した私は、水中に潜っているときのような柔らかい何かに包まれる感覚がして、気がつけば落下の衝撃が相殺されていた。短時間の間だけ維持される重力場が消えていくと、ゆっくり砂に足をつけた。


『怪我の具合は?』

 カグヤの声に答えるように、ズキズキと痛む頭部に手を当てた。タクティカルグローブは血液に濡れて赤く染まったが、それほど深い傷ではなかった。頭部は血流が多いため、怪我をした場合どうしても出血量が多くなるので、派手に怪我をしたように見える。


「少し切れたみたいだけど、マスクのおかげで大事に至らずにすんだよ」

 私はそう言うと、墜落した施設から立ち昇る巨大なキノコ雲を眺めた。


『よかった……でも、あの施設の残骸は汚染物質にまみれているから、すぐに〈オートドクター〉を使って傷の手当てをして』


「〈オートドクター〉はノイに使ったから、もう手持ちがない」

『予備があるはずだよ。ちゃんと確認して』


 ベルトポーチを漁ると、未使用の注射器を見つけた。素早くケースから注射器を取り出すと、腕に注射を打ち込み、医療ケースをポーチにしまった。


「さて」そうつぶやくと、墜落して砂塵に呑み込まれていた施設に目を向けた。

「あの〈色彩〉がどうなったのか、これから確認しに行こう」


『気をつけてね。大きな爆発は収まってきたみたいだけど、施設の動力炉が破壊されたことで、広範囲に渡って放射性物質に汚染されている』


「ドローンで安全なルートを確かめてきてくれるか?」

『少し待ってて』


 六機のドローンがビープ音を鳴らしながら、施設の残骸が散らばる巨大なクレーターに向かって飛んでいく。私はバックパックから水筒を取り出すと、清潔な水を口に含みながら施設に目を向けた。


 正多面体の建造物は中心部から縦に割れるようにして大きく崩壊していた。


 高さが百メートルほどあり、横幅も二百メートルを超える物体が落下したことで、砂漠地帯には巨大なクレーターができていて、火災と共に発生した黒煙が至るところから立ち昇っているのが見えた。崩落する施設では、断続的に小規模の爆発が発生していて、飛び散る火花が残骸のあちこちに新たな火災を発生させていた。


「なぁ、カグヤ。ミスズたちの状況は?」

『レイが飛びだしてから、すぐに輸送機の姿勢を立て直したけど、施設から飛んでくる瓦礫に巻き込まれないように、距離を取って待機していた』


「賢明だな」

『ミスズはレイと違って、無謀なことはしないんだよ』


 私は肩をすくめて、それから訊いた。

「それで、今はどうしている?」


『私たちのあとを追って砂漠地帯に侵入したけど、墜落地点からずっと遠い場所に出たみたい』


「砂漠地帯に広がる異常な空間の所為か」

『うん。でも、もう少し経ったら輸送機の姿が見えてくると思う』


「そのまま上空で待機するようにミスズに伝えてくれないか? この辺りに近づくのは危険すぎる」


『わかってる。上空で待機するようにちゃんと指示しておいたよ』

 破損した無数の浄水タンクから、大量の水が滝のように流れているのを見ていると、二機のドローンが飛んできて、私の周囲をぐるりと飛行した。


「安全確認は済んだのか?」

 ドローンはビープ音を鳴らしながら答えた。


「分かった。でもその前に」

 残骸に向かって飛んでいこうとするドローンを捕まえると、空中で足場にしたときに付着した汚れを戦闘服の袖で綺麗に拭き取った。ブーツで踏みつけた跡が消えると、ドローンは嬉しそうにビープ音を鳴して、それから残骸に向かって飛んでいった。


 視界の先に拡張現実で表示される経路を確認しながら、瓦礫の間を歩いていく。周囲の汚染を知らせる警告音が頭の中で鳴り響いていたが、気にするほどの数値ではなかったので、そのまま先に進んだ。


 もちろん問題があるからこそ警告は出ている。だから汚染状況を気にしなければいけなかった。けれど今は〈色彩〉がどうなったのかを確認することが、何よりも重要に思えた。


 建造物で断続的に続いていた爆発の勢いが増すと、その場にしゃがみ込んで状況が落ち着くのを待った。すると瓦礫の間に挟まっていた肉塊型の人擬きが、損傷した身体を引きるようにして這ってくるのが見えた。


『あれだけの破壊に巻き込まれて生きているなんて、本当に人擬きは異常な存在だね』

 カグヤの言葉に同意すると、人擬きを避けながら進んだ。あの〈色彩〉に影響された人擬きはライフルの銃弾でも殺せないので、相手をするだけ無駄だった。


 被害を逃れていた灰色の枯れ木の間を通っているときだった。ひしゃげた金属製のパネルの陰から異形の怪物が姿を見せた。その怪物は私の姿を見つけると、唸りながら複眼を妖しく発光させた。


「まだ生きていたのか」うんざりしながら言う。

『どうするの?』


「押し通る」

 ぼろぼろになっていたタクティカルグローブを外すと、怪物に向かって駆け出す。そして「ヤト」と、小声でつぶやいた。


 手首にあるヘビの模様がするすると移動して手のひらの中心までやってくると、模様は液体に変化し、皮膚の表面にぷつりと染み出してきた。染み出した黒い液体は空中に浮き上がると、またたく間に刀を形作る。


 手元に出現した刀を握ると、飛びかかってきた怪物に向かって力任せに振るった。刀は怪物の硬い皮膚に食い込み、容易く太い骨を切断して見せた。けれど刀の様子がおかしいと感じた。本来、刀は斬り殺した生物の生命力を奪い、己の力にしていたが、そういった現象は発生しなかった。


「この怪物もすでに死んでいて、あの〈色彩〉に操られているだけなのかもしれないな」

 そうつぶやいて身を屈めると、横手から飛び出してきた怪物の鉤爪をかわし、そのまま怪物の胸に刀を深く突き刺す。


 怪物は懐に入った私に組みつこうとして腕を動かすが、急に激しく痙攣しだして地面に倒れた。例え〈色彩〉に操られていようと、身体を動かすには正常に機能していなければいけない、そしてヤトの毒は血液の流れにのって瞬く間に身体中に広がり破壊していく。


 すぐ背後の瓦礫の隙間から怪物が飛び出してきたが、六機のドローンからの熱線を受け手足を切断され地面に転がる。その怪物の頭部に刀を突き刺して止めを刺すと、墜落した建造物の中心に向かって歩き出した。〈ヤトの刀〉はもう必要なかったので、すでにもとの状態に戻していた。


『施設の最下層にあった溜池の水が流れ出したのは、この辺りだと思う』

 カグヤの言葉にうなずくと、残骸の中心にできた深いクレーターに視線を向ける。


「情報は確かなのか?」

『墜落の状況や周囲に散らばる瓦礫から特定した結果だから、間違いないと思う』


 たしかにカグヤの言うように、溜池のそばに設置されていた浄水タンクの残骸が散乱し、砂は湿っていて色が濃くなっていた。


「砂漠地帯の地下深くに水脈がないことを祈るばかりだな……」

『確認も済んだし、早くミスズたちと合流しよう』


「待ってくれ、もうひとつ確認したいことがある」

 私はそう言うと、建造物が墜落したさいの衝撃でつくられた砂丘を越えて、辺りに散らばる残骸の間を縫うように歩いて建造物の中央に向かう。


 その光景の何もかもが、奇妙な既視感を与えていた。


 あの夢で見たのと全く同じ場所に転がる残骸の間を歩いて、灰色の塵が降る墜落現場を歩く。すると残骸の中央に開けた空間があって、地面に深い穴が開いているのが見えた。


 何かに誘われるように、その底知れぬ深く暗い穴を覗き込んだときだった。穴の奥から奇妙な色彩を帯びた炎が噴き出した。その異様な色彩を放つ炎と共鳴するように、辺りに散らばる残骸が燐光を放ちながら燃え始めた。


『レイ』カグヤが言う。

『今すぐ、この場所から離れた方がいい』


「なぁ、カグヤ。なにか聞こえないか?」

 薄暗い穴の奥から聞こえてくる微かな囁きに耳を澄ませる。

「さっきから声が聞こえるんだ」


『何も聞こえないし、そんな声どうでもいい。早くここから離れて』


 周辺一帯が奇妙な〈色彩〉に染まっていく。枯れた立ち木は極彩色に発光しながら燃え、そして踊るように揺らめいていた。建造物の残骸は炎に覆われ、塵になり崩れながら燐光を放つ。気色悪い複眼を持つ怪物や人擬きも同様だった。それらはすべて奇妙な〈色彩〉に包まれ、燃え盛っていたのだ。


 炎から立ち昇る〈色彩〉を帯びた気体が、底知れぬ深い穴に向かって収束していくのが見える。


 そして閃光が迸る。

 この星のどこにも存在しない、あるいは存在してはいけない〈色彩〉が、一筋の閃光となって空に向かって伸びていった。


『レイ!』

 カグヤの声に反応して、私は駆け出した。

 何が起きるのかは分からなかった。けれどそこにはいられなかった。


 音は聞こえなかった。しかし凄まじい爆風によって、私は周囲に転がる瓦礫と共に枯れ葉のように吹き飛ばされた。地面に何度も身体を叩きつけられて転がると、砂にまみれた顔を上げた。


 そして〝それ〟を目にする。

 そこには先ほどまで強烈な〈色彩〉を放っていた閃光はなかった。けれど〈色彩〉をまとう小さな気体の揺らめきが、底知れぬ深い穴の中にひっそりと戻っていくのを目撃した。


 黒煙に包まれる空に視線を向けると、〈色彩〉が通り過ぎたあとに残された空間から一縷の光芒が射し込むのが見えた。

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